本日の落語、志ん朝の「付き馬、三年目」。
「付き馬」は、吉原で遊んだけど、払いができなくて、取り立てに「牛」と呼ばれる店の男衆がついてきたのを、色々と引き回して逆に牛に金をつかわせて、あげくの果てはだましてトンズラしてしまうお噺。ちょっと居残り佐平次と似ています。多くの人の願望を反映した噺なんでしょうね。
「三年目」は、これで3回目で、今まで三遊亭圓楽(五代目)と志ん生で聴いています。志ん朝が一番うまいと思いますが、幽霊の髪が伸びるというサゲが今一つ好きになれないお噺です。
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NHK杯戦囲碁 山下敬吾9段 対 藤沢里菜3段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒が山下敬吾9段、白が藤沢里菜3段の対戦。山下9段は、井山7冠王にタイトルを独占されて、タイトルからは遠ざかっていますが、実質的には日本のNo.2でしょう。一方、藤沢3段は1回戦で王銘エン9段を見事に破って、どこまで勝ち上がるか期待されています。対局は、黒の山下9段がほぼ常に攻勢を続け、白が下辺に打ち込んだ石と、左下隅から延びる石をからみにして攻め、白は結局、下辺から延びる石に色々利きを見られながら、左下隅から延びる石を封鎖され、この石を2手かけて生きなければならなかったのが辛く、ここで黒が優勢になりました。その後、白は黒の右辺の地を減らし、下辺から延びる石も黒3石を取って生きたのですが、その代償で左辺の石を劫にもならず取られてしまい、さらに左上隅も取られてここで投了となりました。
小林信彦の「<超>読書法」
古今亭志ん生の「お化け長屋、もう半分、親子酒」
本日の落語は古今亭志ん生の「お化け長屋、もう半分、親子酒」。志ん生の病前の録音です。
「お化け長屋」は既に志ん朝のを聴いていますが、志ん朝のは前半部だけです。後半部までやるのは志ん生と六代目柳橋ぐらいだそうです。前半部では、長屋の連中のお化け話には驚かなかった職人が、実際に長屋に入って、職人仲間にお化けを仕掛けられて逃げ出すのが後半です。実際にはさらに先があるそうです。
「もう半分」は、三遊亭圓朝作の怪談噺です。「文七元結」とも設定が少しかぶりますが、行商の老人が娘が吉原に身を売って作った50両を居酒屋に置き忘れますが、居酒屋の夫婦はそれを盗んでしまいます。老人はそれをはかなんで身投げしてしまいます。居酒屋の夫婦には子供が生まれますが、その容貌は老人にそっくりで、夜中に行灯の油をなめては、老人が酒を飲む時の口癖だった「もう半分…」を口にするというオチです。
「親子酒」は、親子で酒を止める誓いを立てるが、親子共にその誓いを破ってしまうお噺。サゲの双方のセリフが面白いです。
池井戸潤の「花咲舞が黙ってない」
読売新聞に連載中の、池井戸潤の「花咲舞が黙ってない」が全然面白くありません。池井戸潤の作品の魅力は読んでいてのカタルシスだと思うのですが(池井戸潤の作品は出版されているものは全部読んでいます)、今回の連載では銀行の様々な不祥事が出てくるのに対し、花咲舞は平行員としてそうした不祥事の問題点を指摘するだけで、結局組織の論理に押しつぶされてしまう、という展開がほとんで、まったくカタルシスがありません。
一方で、何故か半沢直樹が突然登場し、実に格好いいセリフを吐いて目立つのですが、対照的に花咲舞はまったく目立ちません。
元々、花咲舞が出てくるのは「不祥事」という小説ですが、私はこの作品もあまり評価していません。池井戸潤の描写する女性というのが男性から見たある種の類型に近いもので、掘り下げが浅いからです。
白井喬二の「怪建築十二段返し」
白井喬二の「怪建築十二段返し」を読了。
白井喬二の初期の短編4作、「江戸天舞教の怪殿」「全土買占の陰謀」「白雷太郎の館」「怪建築十二段返し」を集めたものです。
「怪建築十二段返し」はデビュー作です。いずれの作品も、伝奇的要素は満点で怪しげでかつまことしやかな話に興味をそそられるのですが、話の展開の仕方、まとめ方が今一つで、今まで読んだ「富士に立つ影」「新撰組」「盤嶽の一生」に比べると劣ります。
表題作の「怪建築十二段返し」もタイトル見ると、どんな怪建築かわくわくするのですが、実際に出てくる内容は期待外れです。
「全土買占の陰謀」には「富士に立つ影」にも出てきた黒船と船大工が出てきます。4つの作品どれにも怪しげな建築物が出てくるところが共通点です。
古今亭志ん朝の「井戸の茶碗、今戸の狐」
今日の落語は、古今亭志ん朝の「井戸の茶碗、今戸の狐」。
「井戸の茶碗」は二度目で、一度目は志ん生のでしたので、親子聴き比べでした。この親子の聴き比べをするといつも思いますが、志ん朝の方が同じ噺でも細部が充実している感じで、私は志ん朝の方を好ましく思います。この噺は、悪い人が一人も出てこない、ある意味心が洗われるようないい噺です。
「今戸の狐」はある噺家の通いの弟子が、自活するのが大変なので師匠に内緒で今戸焼の狐の彩色を内職としてやっていましたが、そこにその師匠の家で「狐」というサイコロ博打をやっていると勘違いしたやくざ者が、「狐」なら師匠の家ではなく、その弟子の所だと教えられて、そこへ押しかけ、やくざ者と弟子とでトンチンカンな会話をするのがとても面白い噺です。
小林信彦の「東京少年」
小林信彦の「東京少年」を再読了。2005年の作品で、雑誌「波」に連載されたものです。
小林信彦自身の2つの疎開の体験、埼玉への集団疎開と新潟への縁故疎開の体験を描いた自伝的作品です。
前半の集団疎開の時の体験を元にした作品としては、既に1966年の「冬の神話」があります。ただ違うのが、「冬の神話」が完全なフィクションとして作られているのに対し、「東京少年」は自伝的小説として書かれています。また「冬の神話」で不評であったあまりにも暗い、辛い体験の描写は今回はかなり抑えられたものになっています。
後半の新潟での「縁故疎開」の描写は、これまでも断片的に語られることはありますが、まとまって語られたのは今回が初めてと思います。新潟での縁故疎開は、家族が一緒であったこと、食料が比較的豊富であったことから、集団疎開のような陰惨な体験はしなくて済みますが、その代わり今度は戦争が終わった後、如何に東京に帰るかということが焦点になります。