トワイライト・ゾーンの”Of Late I Think of Cliffordville”

トワイライト・ゾーンの”Of Late I Think of Cliffordville”を観ました。フェザースミスは、75歳でコングロマリットのオーナーで、今日最後の敵対会社を買収することに成功しました。彼にはもう征服すべき相手が無くなり、生まれ故郷のグリーンズビルに戻って、もう一度やり直したいと思い出しました。そこに女性の悪魔が現れ、魂ではなく彼のほぼ全財産を代償に彼を過去に戻してくれると言います。フェザースミスは今の彼の知識をそのまま持ち込むことを条件とします。彼に残された財産はわずか1,403ドルでした。1910年に戻ったフェザースミスはしかしその金でグリーンズビルの郊外の土地を買います。実はそこには膨大な量の石油が埋蔵されていたからでした。しかし買った後に、その石油は1937年に掘削可能なドリルが発明されるまで無用のものであることが判明します。そして彼が秘かに憧れていた少女に求婚しようとしますが、その娘がおしゃべりで食いしん坊のじゃじゃ馬であることが判明します。フェザースミスは今度は車のスターターを作ろうとしますが、彼は図面が書けないので、誰もそれを作ることが出来ません。極めつけは、彼は外見こそ30歳になって1910年に戻りましたが、契約に入れなかった彼の実際の肉体年齢は75歳のままでした。彼は再び現れた悪魔に1965年に戻してくれるよう懇願しますが、それに40ドルを要求されます。そのお金を得るため、馬車の御者に郊外の土地を40ドルで売ってしまいます。1965年に戻った彼は、ビルの掃除人になり、そして彼から土地を買った御者がコングロマリットのオーナーになっていました…
という内容で、ちょっと貪欲の酬いはこうなる、というキリスト教の道徳的なのがイマイチでした。

芳賀徹先生の「平賀源内」

芳賀徹先生の「平賀源内」を読了。「先生」と書いたのは、大学の時に教養学科の授業「比較文学・比較文化」で半年間芳賀徹先生から教えを受けたからです。ちなみにその時のテーマに影響を受けて、私はその後歌川広重の「八景物」を探し求めることになりました。https://www.shochian.com/hakkei.htm
閑話休題。平賀源内の人生における活動は大きく分けて
(1)物産学、本草学の専門家としての活動
(2)戯作家、浄瑠璃作者で活躍
(3)「山師」として全国の鉱山開発への関わり
に分けられます。この本の前半で若き源内が何度も物産会を開いて全国の動植物・昆虫・鉱物を集めている様子が描かれ、もっとも活き活きと活動した時期ではないかと思います。南方熊楠がその長文の履歴書で「日本今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣る、と、これは強語のごときが実に真実語に候。むかし、かかる学問をせし人はみな本心よりこれを好めり。しかるに、今のはこれをもって卒業また糊口の本源とせんとのみ心がけるゆえ、(以下略)」と友人の農学者田中長三郎の言葉を引用してその時代の学者を批判すると同時に江戸時代の本草学者、物産学者を讃えています。この通り「みな本心よりこれを好めり」というのがこの本でも確認出来ましたし、源内はそれに加え単なる好事家に留まらず「日本の国益に貢献する」という実に高い理想を持っていました。しかしこの分野で結局源内は、多くのオランダ語の図譜を収集しましたが、地道な努力の必要なオランダ語のマスターは結局出来ず、オランダ語の図鑑を参考にして自分自身で日本の物産の図鑑を作るという生涯の夢を果たすことは出来ませんでした。友人であった杉田玄白らが源内ほど多彩な才能は無いにも関わらず地道な努力で「解体新書」を翻訳刊行したのと対照的です。
(2)の作家としての源内は、実はこれが一番源内の実績としては認められているのかもしれません。子供の頃、「日本一の鼻高男」という江戸時代の戯作を子供向けに書き直した本を持っていましたが、それに「風流志道軒伝」が出て来たので、多少は知っています。
(3)については、(1)の延長線上でしょうが、結局「山師」という言葉に象徴されるように、源内の鉱山開発は実践的な製錬技術の知識がないなどの理由で、失敗続きでお金を失うことの方が多かったようです。それでも秋田藩から鉱山開発のお礼で200両もらっていますが、これは単なる鉱山開発の指導というより、秋田ではまだ珍しかった蘭学と洋画の技術を源内が教えたことについての藩主からのお礼も含まれていたようです。
私自身、源内と似ている部分があり、多くのことに興味を持って手を出し、結局どれもものにならない、という器用貧乏な所があり、源内の生き方を追って行くのは辛い部分もありました。幸い今は源内の時より寿命がはるかに伸びており、また私はそれなりにコツコツ努力するということを亡母から受け継いでいるので、少なくとも外国語に関しては、源内のような羽目には陥らないで済んでいるようです。
源内の最後が、ある屋敷の建築を命じられた時、その図面を大工が盗んだと思い込み激高して2人を斬り殺し、結局獄中で病死したのだということは知りませんでした。源内もある意味「双極性障害」を患っていた天才だったのかもしれません。
芳賀徹先生は2020年に既にお亡くなりになっているようですが、さすが芳賀先生で、見事な源内愛が感じられる本でした。

下成佐登子の「秋の一日」

下成佐登子の1stアルバムの「秋の一日」をゲット。下成佐登子って、多分今の50歳以下の人は名前もその曲もまったく聞いたことないと思います。それ以上の人も「コッキーポップ」を当時(1970年代後半)聞いてない限り知らないでしょう。しかし歌の上手さという意味ではポプコン出身の女性歌手の中でトップクラス、日本の全ての女性シンガーの中でもベスト10に入るんじゃないでしょうか。アルバムタイトルになっている「秋の一日」が秀逸で、このアルバムはシングルとは別バージョンのアコギのアルペジオ伴奏によるシンプルなアレンジですが、下成佐登子の声をより際立たせます。
私が何でコッキーポップを聴いていたかというと、鹿児島の進学校に高校から入り最初の1年は寮でした。その寮は12時消灯でマスター電源を切られるので、寝るしかありませんでした。しかし直前までハードに勉強して後いきなり眠るのは大変でした。そんな時MBC(南日本放送)で24時~24時半という絶妙のタイミングで放送していたのがコッキーポップでした。(ちなみにキー局のニッポン放送では24時半からだったみたいです。)電池式のラジオでイヤホンで聴いていました。当時(今も?)、鹿児島ではラジオの民放はMBCだけで、NHK-FMはその時間は放送はありませんでした。民放のFMも当時は無し。また1976年~1980年というタイミングも、ポプコンのいわば全盛期であり、そういう意味でも色々懐かしいです。このポプコン出身のシンガーソングライター、特に女性のシンガーソングライター(中島みゆき、八神純子、柴田まゆみ、谷山浩子、明日香、等々)は今の人より音楽的にも歌詞的にもずっとレベルが高いと思います。この下成佐登子さんもそんな一人ですが、大衆的な人気という意味では苦戦し、結局スタジオミュージシャンに転身したみたいです。

車検無事完了

車検無事完了。購入から11年で、ウェインズの津久井店での初めての車検。こちらの希望でバッテリー交換、ワイパーのゴム交換、タイヤローテーション、オイル交換無し。向こうのチェック結果でブレーキパッド交換。(残1mmだったそうです。走行距離43,000Kmでこの減りは多いかもしれませんが、最近山道ばかりなので仕方が無いです。)
それで16万円弱。まあこんなものでしょう。2時間かからないで終りました。車が壊れると非常に困るので、価格が高めでもディーラー車検にしています。
そういえば昔勤めていた日立化成はブレーキパッドを作っていて、走り屋用の効きはいいけど寿命は短い(3,000Km以下で交換)というのを出して車雑誌等で取上げられていました。丁度アスベストが使えなくなって、スチールワイヤーとかを使ったものに切り替わりつつあった時期です。今もあるかは知りません。
→今調べたらフェロードと日立化成は提携していたようです。AE86の一部の車種のブレーキパッドもフェロード日立化成製だったようです。以下の記事で単に「日立」と書いてあるけど、作っていたのは日立化成の桜川工場でした。クラッチフェーシングもその当時まだ大量に作っていました。
https://note.com/kunihikonarumi/n/n86583e1eeb47

NHK杯戦囲碁 六浦雄太8段 対 井山裕太王座(2024年1月21日放送分)


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が六浦雄太8段、白番が井山裕太王座の対局です。序盤右辺で黒が低く二間に開いたのに白がすかさず肩付きし、更に右上隅で黒がハネたままになっていたのを白が切って行き、ここから戦いが始りました。その後黒が右辺で低く三間に開いたのが疑問で、白から上から利かされ黒は低い構えになり、ここでやや黒が形勢を損ねたようです。また白は左辺に利かした後、上辺の黒に取り込まれたかに見えた白を動き出し、結局黒はこの白を取ることが出来ないため、全体に眼が無く黒がピンチになりました。しかし黒は唯一のシノギ筋である中央の切りを打ち、右辺上方の白も薄いため上手くしのいだかに見えましたが、筋風に白に付けたのがポカでせっかくのシノギの筋が消えてしまいました。仕方なく黒は上辺で眼を作りに行こうとし、左上隅の白を攻めましたが、ここでも黒に失着が出て最悪劫にはなったのが白の活きになってしまいました。最後中央に出ようとする手も白に正しく受けられここで黒の投了となりました。

非常食を食べてみる

元旦からの地震をきっかけに、非常食の見直しをしています。2019年に買った非常食のアルファ米セット(15種)が3月で期限切れなんで、この際どんなものか食べてみました。
熱湯で作って20分もかかります。15℃の水なら70分、ということはもっと低い温度の水なら更に時間がかかることになります。それでも水だけで作れるというのは確かにメリットかもしれません。
今回はとても70分も待てないし、冷たいのを食べるのは嫌なので熱湯で作りました。「赤飯」です。15種類全部種類が違うというのはなかなか考えてあります。それでお味ですが、想像したよりはマシな味で、まあ食べられます。かなりベチャっとした感じでふっくら感とか赤飯のモチモチ感とかは乏しいですが、空腹の時なら食べられると思います。ただ、水で作った時にどうかはちょっと考えます。今の家には石油ストーブがあるので、これが壊れなければお湯は沸かせます。願わくは水しか使えない状況にならないことを祈ります。

ウルトラマンAの「超獣は10人の女?」

ウルトラマンAの「超獣は10人の女?」を観ました。ユニタングという口から糸を吐く超獣がTACの通信基地を一つずつ破壊していこうとするが、その周辺には常に10人の若い女性がいて、という話。それで星児が怪しいとにらんで潜入しますが、逆にマインドコントロール装置を首筋に打たれて、TACを抜けてしまう、という情けない話です。それで何故10人なのかと思っていたら、エースが切断技でユニタングをバラバラにした時、実は10つの片に分かれただけですぐ復活出来る、ということのようです。ちなみに超獣のお腹に多数のおっぱいがついています。なお、10人の愛唱歌は「ハチのムサシは死んだのさ」でちょっと懐かしかったです。

スター・トレック・ザ・ネクスト・ジェネレーションの”The Dauphin”

スター・トレック・ザ・ネクスト・ジェネレーションの”The Dauphin”を観ました。うーん、感動の回の後は凡作でした。ウェスリーがサリアというエイリアンの女性に一目惚れしてしまうが、実は相手は外見を自由に変えられる能力を持っており、結局人間に一番受ける容貌を選んだだけだと分って、ウェスリーがショックを受けて、という話です。そのサリアは二つの対立する種族間の争いを調停する使命を帯びているということでしたが、どうみても華奢でそんな任務を遂行出来るようには見えず、単なるA boy meets a girl.の話でした。それにしても、ウェスリー、確かスターフリートの士官試験を受けていた筈だから18歳くらいだと思いますが、あまりにもナイーブすぎ。

引っ越しから5ヵ月

昨年8月16日に正式に引っ越して来てから、今日(1月16日)で丁度5ヵ月となりました。引っ越して来た時は一番暑い頃、そして今は寒さの底です。この寒さに耐えられるかが懸念事項でしたが、今が寒さのピークなら何とか乗り越えていけそうです。まあ通勤が往復4時間なのが大変と言えば大変ですが、18年間通勤時間往復徒歩で30分以内ということをやって来たので、まあ最後の数年間ぐらいは仕方がないかと思います。(ちなみに今日は横浜線が八王子到着で20分遅れました…)車が無いとどこにも行けませんが、まあアメリカで暮していると思えば普通です。

ウルトラマンAの「決戦!エース対郷秀樹」

ウルトラマンAの「決戦!エース対郷秀樹」を観ました。「帰ってきたウルトラマン」の次郎君というのは本当に可哀想な少年で、実の兄と姉を宇宙人に惨殺され、兄のように慕う郷秀樹は、M78星雲に帰ってしまう、という子ですが、脚本家達はさらに追加の不幸を次郎君に与えます。郷秀樹が帰ってきた、と大喜びする次郎君ですが、結局それはヤプール人の手下の宇宙人でした、というオチ。それからエースとザイゴンが戦いますが、ザイゴンは犀の超獣の筈なのに、エースは紅い布を使って闘牛士ばりで、BGMもカルメンの闘牛士の歌です。しかしお約束でピンチに陥り、最後は光線技から、「切断技のエース」と言われるくら多用される切断技でトドメを刺します。