白井喬二の「豹麿あばれ暦」(2)

国会図書館で、白井喬二の「豹麿あばれ暦」の連載第2回~4回の分を読むことができました。連載第4回までで中断した作品なので、これで全部です。豹麿は父親から万能人間になることを期待して修行の旅に出され、8年の修行をして61の師匠について、江戸に戻って来たのですが、父親と顔を合わせても、修行の過程で自分には敵が多数出来、それらを倒すまでは家に戻れないと言います。しかし父親はそこに何か嘘を感じます。一方、豹麿の姉で絶世の美女の登世は、堂本秋之介という武士と不義の仲に成り、お手討ちにされる所を将軍の恩赦で救われます。この姉の相手の堂本秋之介が逃げるために顔を変えるのを、それとは知らず豹麿が手伝います。また、お弓という豹麿の知り合いが子供を身籠もったのを、豹麿がこれまた堕胎を行います。この辺り、豹麿の身につけた技術の幅の広さが伺えます。その中には善だけでなく、悪に通じるような技術も含まれているようです。白井喬二は同じ万能児ものの「陽出づる艸紙(つるぎ無双)」の主人公綴井萬貴太について、作品の最後で「決して幸福な生活は送らなかった」としています。人間が万能の技を身につけても、決してそれがそのまま生きて幸福になることはないのだ、という白井の人生観が出ています。

平凡社の白井喬二全集の第15巻の「随筆感想集」の収録内容

平凡社の白井喬二全集の第15巻の「随筆感想集」の収録内容です。
いくつかの随筆、「朝日ヶ丘より」シリーズなどは、「大衆文藝」に載ったものだと思います。

カミソリ
私はこんな問題を喜ぶ
社会政策的史実に面して
学友変化
作者の言葉
統計抄
怪奇雑嚢中より
芸道怪奇蔵
秋の感想
作者の言葉
「富士に立つ影」の上演について
さい作りの話
座談二題
動かざる映画
カンヅメ
「新撰組」を終えて
即興死
映画身辺語
作者の言葉
「大衆文藝」宣言文
大衆作寸言
現在の「大衆文藝」
独楽の話
小説義塾
生田氏夫人の追悼文
感覚二題
探偵創作文章寸見
キジ
文藝予約的修行
今昔虚無入門
有島武郎氏追悼
大衆文藝と現実暴露の歓喜
映画疑問読本
朝日ヶ丘より その一
電碁戦後日
朝日ヶ丘より その二
電車太公望
朝日ヶ丘より その三
作者の言葉
紙城
朝日ヶ丘より その四
澤田撫松氏を悼む
大衆文藝の話
川柳選評
人口問題と文学
味覚直覚先生
女性の誘惑を克服する練習
海の色
戊辰初感
学究に非ず実行なり
我が民衆文学論
教育所感
作者より読者諸賢へ
読者と幼時の友を懐ふ
鎌倉日記
作者の言葉
無題(百字文)
読書は学に非ず(百字文)
感想二三
國史挿話全集序文
國史挿話全集月報随感集
いろいろ近況を語る
小我を没するの境地
プロレタリア大衆文藝の将来
怪奇と近代味
日常茶飯語
小説と歴史の区別
趣味の歴史挿話
朝日ヶ丘より
少年春月の思ひ出
実話の罐詰
掌篇フースーヒー
中国山脈と突破先生
文楽絶賛
大衆文藝論は複雑な文藝論であらねばならぬ
軟式野球観戦記
考證一夕話
幸吉君の印象
新緑近きに語る
考證の屑籠
回答一束

平凡社の白井喬二全集の第5巻の「中篇集」の内容

平凡社の白井喬二全集の第5巻の「中篇集」の内容が国会図書館での調査で判明しました。
収録作品は以下の通りです。

沈鐘と佳人     1927年03月サンデー毎日
明治の白影     1930年10月週刊朝日
葉月の殺陣     1929年09月講談倶楽部
湖上の武人     1927年03月~05月文芸倶楽部
第二の巌窟     1927年07月週刊朝日
おぼろ侠談     1930年05月文芸倶楽部
幽閉記       1930年07~09月日曜報知
金襴戦       1925年01~12月婦人公論
江戸市民の夢    1928年02月~12月文芸倶楽部

中里介山の「大菩薩峠」第1巻

中里介山の「大菩薩峠」全20巻の内の第1巻を読了。ついにこの未完の大作に再挑戦することにしました。20代の終わりの頃一度読みましたが、10巻くらいで挫折。理由はその辺りになると時間の流れがほとんど停滞してしまいお話が進まなくなり読み進める気力をなくしたからでした。今回は何とか最後まで行ければいいと思いますが、さてどうなるか。
途中からだれるこの小説ですが、出だしはこの上なく魅力的です。まず題名にもある大菩薩峠で、巡礼の老人が主人公である机龍之助に一刀の下に斬られます。何故龍之助は老巡礼を斬ったのか、このことに何の説明もなく、読者は龍之助の冷酷無残な性格について強烈に印象づけられます。
後の巻になって盲目となった龍之助は夜な夜な辻斬りに出かける悪鬼羅刹のような殺人鬼に成り果てるのですが、この巻での龍之助はまだ多少人間的で、自分が試合で打ち殺した宇都木文之丞の妻であったお浜を自分の妻として、子供まで設けます。また大和の国三輪で世話になった植田丹後守には、父親であった弾正を思い出して神妙に仕えたりします。
表紙の写真のようにこの小説は5回も映画化されていますが、映画が扱っているのは最初の方だけです。この辺りは「富士に立つ影」と事情は同じです。

白井喬二の「守綱雨」

白井喬二の「守綱雨」を読了。読切倶楽部の昭和29年2月特別増大号に掲載されたもの。7年前、富裕の郷士の山田家に養子に来た守綱は、ある日親族が集まって何やら打合せをしているのを、てっきり自分を離別する相談だと思い、びくびくしていました。その打合せに呼び出されて話を聞けば、守綱の女房のおたき、の母親が二十年前に夫を裏切って間男と駆け落ちし、それだけならまだしもその間男は結局その母親を殺してしまったということです。そしてその男が何故か近くに戻って来ているので、守綱に敵を討って欲しい、という相談でした。離別の話でないことに喜んだ守綱はすぐに敵討ちを引き受けます。ところが敵討ちを準備している時に、突然その間男が守綱の元に何やら相談に来て…という話です。この先は省略しますが、話としてはきちんと決着していませんが、主人公である守綱が何やら感慨にふける、という白井喬二の良くあるパターンの話になります。あまり出来がいい作品とは思いません。

池田浩士の「大衆小説の世界と反世界」

池田浩士の「大衆小説の世界と反世界」を斜め読みで読了。筆者はこの本が書かれた1983年当時京都大学教養学部勤務で、ルカーチの著作の訳者。私にとって興味がある、白井喬二、国枝史郎、そして雑誌「新青年」関係の所を中心に読み、後は飛ばし読みです。白井喬二については、デビュー作の「怪建築十二段返し」の終わり方が、講談の終わり方をそのまま真似しているなど、いくつか私には新しい指摘がありましたが、総じて白井の作品をあまり読んでいないのが明らかでした。例えば平凡社の現代大衆文学全集の第1巻の白井の巻に収められている「新撰組」以外の作品は、白井の創作ではなく、近松門左衛門や竹田出雲の現代語訳(白井喬二が作家デビュー前の学生時代にアルバイトとしてやったもの)に過ぎないのですが、それすらわかっていないようです。
「新青年」については読者参加を中心に色々と新しい試みをしていたということをこの本で知りました。読者から小説を募集するのはもちろんのこと、複数の作家でリレーで作品を書いていったり、あるいは複数作家で最初から最後まで一本の小説を書いたりとかしていました。またある作家が連載途中で死亡してしまった後、読者からその続きを募集していたりしたことを初めて知りました。

大槻知史の「最強囲碁AI アルファ碁解体新書」

大槻知史の「最強囲碁AI アルファ碁解体新書」を読了。といってもかなりの速度で要点だけを飛ばし読みした感じです。アルファ碁に関して開発者が発表している2つの論文を読み解いて解説しているものです。結局、アルファ碁(Master)とは何かというと、モンテカルロ木探索をベースにし、それに16万局に及ぶ高段者の棋譜を学習させてSLポリシーネットワークというのを作り、「次の一手」の高段者との一致率を50%以上まで上げ、更に自己対戦による教科学習で強さを上げていくことなのかなと思いました。アルゴリズムの細部はもう歳なのでついていけませんし、興味もあまりありません。一点この本で初めて知ったのは、アルファ碁がともかくも囲碁における、これまで不可能と言われていた「評価関数」を完成させたということです。そもそも「評価関数」が不可能だったからこそのモンテカルロ法だった筈で、その両方をやっていたのには驚きました。アルファ碁、Masterの棋譜を見て感心するのは形勢判断が人間より優れていて負けていれば勝負手を放つし、勝っていれば無理せずに収束に入るという点で、これが正確な局面評価に基づいているのだということがわかりました。でも、この本にも書いてありますが、私はアルファ碁、Masterが本当にプロ棋士を完全に超えたかという点については疑問に思っています。まだかなりのマシンリソースを必要とし、プロ棋士が納得の行くまで何度も対戦するという環境にはなっていません。そういう環境が与えられればプロ棋士がアルファ碁の「穴」を見つけることは十分あり得ることだと思っています。ましてやアルファ碁が「神の領域」に達したとはまったく思いません。所詮は人間の棋譜の学習にかなり依存して作られたソフトであり、人間が100のうちの2、3であれば(故藤沢秀行名誉棋聖の見解です)、4、5ぐらいになったというレベルだと思います。

博文館の「少年少女 譚海」昭和2年12月号

戦前の雑誌、今度は博文館から出ていた「少年少女 譚海」の昭和2年12月号を入手しました。この雑誌を知ったのは、小林信彦の「袋小路の休日」の中に収められている「隅の老人」によってです。「隅の老人」には、狩野道平という老編集者が出てきます。この狩野のモデルとなったのが、小林信彦が中原弓彦の名前で宝石社の「ヒッチコック・マガジン」の編集をしていた時に同じ宝石社で校正の嘱託をしていた、元博文館の編集者の真野律太です。真野律太は博文館でこの「少年少女 譚海」の編集者として、この雑誌を一時30万部を超える部数の売上にまで上げた功労者です。しかしその内容は、小説中の狩野のセリフでは「子供向けのエログロナンセンス」ということで、大正時代の子供雑誌の「赤い鳥」のような童心に訴えるような上品なものとは対極にあり、当時から「低俗」と呼ばれたものです。実際内容を見てみると、ともかく表現が押しつけがましく、絵なども派手でこってりとしつこさを感じます。これが真野さんのテイストだったのだと思います。編集後記に確かに「真野律太」の名前を確認できます。ちょっと面白いのは獅子文六(岩田豊雄)の「海軍」にも出てきた、佐久間艦長の6号潜水艦での殉職の話が載っていることです。真野律太はこの雑誌で当てますが、その後アルコール中毒で身を持ち崩し、戦後はホームレスまでやっていたのを宝石社に拾われてそこで校正をやっていました。以前にも書きましたが、最初はまったく仲が悪かった真野律太と中原弓彦が、国枝史郎の「神州纐纈城」をきっかけに交誼を結ぶようになるのは、非常に印象的です。私自身も国枝史郎にはまるきっかけとなった作品です。

博文館の「新青年」昭和2年9月号

博文館の雑誌「新青年」、一冊だけじゃ雰囲気が十分わからないかと思って、同じ昭和2年の9月号も入手しました。この9月号には、谷譲次の「めりけんじゃっぷ 商売往来」シリーズの「じい・ほいず」(Gee Whiz!「おやまあ」ぐらいの意味)が載っています。谷譲次は本名長谷川海太郎で、谷譲次、林不忘、牧逸馬の3つのペンネームを使い分けた多才の人です。林不忘としては有名な「丹下左膳」を生み出した人です。多才が災いしてマスコミの引っ張りだこになり、そのせいで病気(喘息)になり、わずか35歳で命を落とします。長谷川海太郎は実際にアメリカを放浪した経験があり、当時としては非常に新鮮なアメリカ情報だったろうと思います。今読んでも十分面白いです。
その他、この号は「劇と映画號」となっていて、小山内薫の「演劇に関する或考察」などが載っています。探偵小説だけを載せていた訳ではなく、このような多彩な内容で、都会の青年を惹き付けたといいます。

白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第1回)

白井喬二の「捕物にっぽん志」の連載第1回分を読了。「歴史読本」の昭和34年6月号に掲載。エッセイみたいなものではなくあくまでも小説です。実在が疑われる怪しげな文献を典拠にして、これまた怪しげな歴史をでっち上げるのは白井喬二の得意技ですが、この作品がまさにそれです。日本に古来から、天皇家に伝わる「三種の神器」と対を成すように、民間に伝わる神器というべき「石歴翁(しゃくれきおん)」というのがあって、ふとしたことでそれが土蜘蛛族の手に入るが、知恵で勝るヤマト族の熊野戸畔(くまのとべ)がそれを奪ってしまい、戸畔の部下の捕り物の名人の可美真手(うましまで)と土蜘蛛族の捕り物の名人である聯小が対決するというお話です。白井喬二のことですから、「捕物史」といっても普通のものを書く筈がないと思っていましたが、ここまでぶっ飛んだものだとは想像外でした。