白井喬二の「人肉の泉」

白井喬二の「人肉の泉」、連載の第一回分だけを読了。「主婦之友」の昭和5年4月号です。この年の「主婦之友」は古書検索サイトではこれ1冊しか見つかりませんでした。「人肉の泉」、何ともすごいタイトルで、しかも掲載誌は女性誌です。お話は長崎の高島四郎太夫(高島秋帆)が、幕府から洋風銃砲隊の編成を公に命ぜられた所から始まります。ところが幕府の鉄砲隊には別に和銃の隊が既にあって、その隊長は田附四郎兵衛ですが、四郎兵衛は高島が洋風銃砲隊の隊長に命ぜられたことが面白くなく、自分の職分を侵すものだと考え、高島に役目を辞退するように申し入れますが、高島は幕命だということで聞き入れません。おそらくこの先、この二人が対立してドラマが起きるのでしょうが、一回目を読んだだけでは展開はまるで予想できません。これも全部読めないのが残念です。

白井喬二の「豹麿あばれ暦」

白井喬二の「豹麿あばれ暦」の連載第1回の分を読了。週刊新潮の昭和33年4月7日号です。この作品は白井喬二がこの年インフルエンザと高血圧で倒れてしまい、連載4回で中断し、白井自身が回復の見込みを感じていなかったため、やむを得ず中止となった作品です。古書店の検索では、この第1回の分しか見当たりませんでした。読んでみてあっと思ったのは、主人公が万能児として育てられた17歳の青年武士ということで、「陽出づる艸紙」とまったく同じ設定です。しかし、「陽出づる艸紙」の主人公は、育てられた父親に敬意を表しその言に従いますが、こちらの豹麿は確かに諸芸百般は身につけたようですが、なかなか親の言うことなど聞かない問題児に育ったようです。白井喬二は、「粗暴に似た神人」「剣の未知にいどむ善魔」として、これまで書いてこなかった新しいタイプの青年武士を描こうとした野心作としています。完結しなかったのが非常に残念な作品です。

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白井喬二の「無辺と瓢吉槍」

白井喬二の「無辺と瓢吉槍」を読了。大日本雄弁会講談社の「キング」の昭和12年1月号に掲載された読み切り作品。出羽の瓢吉は、鮭を突く槍の名人でした。同じ土地に槍の名人の大内無辺も住んでいました。無辺は瓢吉の技を見て気に入り、家に遊びに来るようにいいます。遊びに行った瓢吉と無辺はお互いに同じ技が得意なのもあって、仲良くなります。無辺も元は鮭突きをやっていました。ある時無辺は武者修行にやってきた者と槍で立ち会い、不覚を取ります。しかし、瓢吉はその傷を見て、無辺がわざと突かれたことを見抜きます。その理由を問い質しましたが、無辺は1年待て、と言います。1年後、無辺は立ち会った武者修行の者は、実は南部藩の槍の名人の登舎庄五郎宗和で、南部藩と出羽藩が戦いになるのを予測して、宗和は無辺の技を盗みにやってきたのであり、無辺は技を見せないためにわざと突かれたことを明かします。瓢吉は無辺の元で1年槍の修行をし、今度は逆に瓢吉が宗和の槍の技を盗みに南部藩へ行く、という話です。なかなかよくまとまった佳作だと思います。なお、1955年にこの作品を原作にした映画「夕焼け童子」(二部作)が封切られています。

土師清二の「砂絵呪縛」(下)

土師清二の「砂絵呪縛」(すなえしばり)(下)を読了。この作品を読んだきっかけは、あるWebサイトでこの作品を、白井喬二、国枝史郎と並ぶ伝奇小説の名作として紹介してあったのからなのですが、読み終わった後は、特に伝奇小説という要素は少なかったように思います。それよりも目立つのは、森尾重四郎という脇役に過ぎないのに、何故か非常に目立つキャラクターです。その性格は飄々としていて、何事も投げやりなその場任せな人物ですが、物語の冒頭では、墓を暴いて金の簪を盗んできた墓守職人を理由もなく切って捨てています。そしてそれを目撃した鳥羽勘蔵に誘われるままに柳影組に参加しますが、その仲間をあっさり裏切ります。また露路という純粋無垢な美女を盗み出して一緒に暮らしても、手を付けることはしません。実はこの作品は映画化される時に実に四社の競作となったそうですが、三社が主人公を小説の設定通り勝浦孫之丞にしたのに対し、阪妻プロだけが主人公をこの森尾重四郎にして、大当たりを取ったということです。阪東妻三郎の慧眼ぶりが光ります。この重四郎は、明らかに中里介山の大菩薩峠の机龍之助の系譜を引くニヒルで退嬰的な剣士ですが、この性格が当時のインテリの姿と重なって受けたようです。

国枝史郎の「任侠二刀流」の広告

未読の白井喬二作品を求めて、「大衆文藝」の第二巻第五号を買いました。しかし、残念ながら外れで、白井作品はこの雑誌には載っていませんでした。しかし、未読の国枝史郎作品の広告を見つけました。「任侠二刀流」という作品です。ググってみたら、この作品は未知谷から出ている国枝史郎作品集の第二巻に載っていました。また青空文庫では作業中の作品に入っていました。それはいいのですが、注目すべきは作品名の右に書いてあることで、「発売禁止を命ぜられんとせしも辛ふじて二三五頁削除漸く許可せらる。」とあります。「二三五頁」が2、3、5ページという意味なのか、235ページという意味なのか判然としませんがたぶん後者でしょう。元は新聞連載だということですが、何がそこまで当局の逆鱗に触れたのかが興味があります。

土師清二の「砂絵呪縛」(上)

土師清二(はじ・せいじ)の「砂絵呪縛」(すなえしばり)(上)を読了。土師清二は白井喬二より4つ年下の大衆小説家。岡山県に生まれ、少年期は商家に奉公に出たり、夜学に通ったりで苦労しますが、上京してマスコミの仕事に従事し、「週刊朝日」の編集人になります。1923年に同誌に「水野十郎左衛門」を連載してデビュー。1927年(昭和2年)に、この「砂絵呪縛」を発表、それが阪妻主演で映画化されると大ヒットし、作家としての地位を確立します。他にも多数作品があるようですが、この頃の大衆作家の常として、今日ではほとんど読まれていません。
お話は、元禄時代、将軍綱吉の時代に、側用人柳沢吉保は背後に紀州公綱教を立て秘かに柳影組を作り陰謀を巡らせますが、これに対抗して間部詮房が背後に水戸光圀を持って天目党を組織します。この二つの党派は、背後での綱吉の世継ぎ争いもあって激しく争います。柳影組で贋金を作っていた黒阿弥が天目党に誘拐されますが、柳影組はこれに対抗するために、間部詮房の娘の露路を誘拐し返します。この二派の対立を他所に、砂絵師の藤兵衛は黒阿弥の娘のお酉から、刺青を入れるよう申しつかります。これからどう展開するかは下巻を読んでみないとわかりません。カラクリ屋敷が出てきたりして、ちょっと白井喬二の影響を感じないでもありません。

国枝史郎の「山窩の恋」

国枝史郎の「山窩の恋」を読了。「大衆文藝」の第一巻第二号に掲載されていたもの。青空文庫の国枝史郎の作品の中になく、作業中のリストにもありませんでしたが、2015年に出た「サンカの民を追って ―山窩小説傑作選―」という書籍に収録されているようです。お話は飛騨の裕福な旧家に生まれた主人公が、十五の時に両親が流行病で亡くなってしまい、叔父が後見としてやってきます。ところがこの叔父が放蕩者の上に山林投資をやっており、主人公の家の財産をほとんどそれにつぎこんですってしまいます。主人公はそれに対抗するように山林投資をやり始めましたがうまくいかず、次第に盗伐を行うようになります。ある日それが山林の所有者にばれて追われ、山窩の村に逃げ込みます。そこで主人公は山窩の首領格の男の娘であるお吉に惚れられて…というような話です。特に傑作とは思いませんが、国枝の作品にはよく山窩が登場しますので、ああまたか、という感じです。

白井喬二と佐渡金山

白井喬二は、佐渡金山にかなりの関心を持っていたようで、佐渡金山やその佐渡奉行が登場する作品を私が知る限りでは3作書いています。

1.「金色奉行」 報知新聞 昭和8-9年
2.「国を愛すされど女も」 内外タイムス 昭和32-34年
3.「維新櫻」 東京日日新聞 昭和14年

1.の「金色奉行」では、2人の主人公が登場しますが、そのうちの一人の猿楽太夫の川勝三九郎が後に出世して大久保岩見守長安となります。この長安は実在の人物で、1603年に佐渡奉行になり、佐渡金山を本格的に開発して徳川幕府に莫大な富をもたらして出世します。

2.の「国を愛すされど女も」の主人公は塩谷一木之助ですが、物語の早い段階で名前を大鳥逸平に変えます。この主人公自体は架空の人物なのですが、「大鳥逸平」というのは1588年生まれで江戸時代の前期に「かぶき者」として有名だった人物で、その名前をそのまま借りています。この「大鳥逸平」が最初に仕えていたのが「金色奉行」の大久保岩見守長安なのです。また、この物語で逸平の父を殺し、逸平が仇と付け狙う来迎寺(大須賀)獅子平は、佐渡金山奉行となって出世し、逸平も佐渡に渡って前半では話がほとんど佐渡で進行します。

3.の「維新櫻」の主人公は、元禄時代に貨幣の質を落としてインフレを招いて新井白石に糾弾された荻原秀重の子孫である於木奈照之助です。この荻原秀重も1960年(元禄3年)に佐渡奉行に任命されています。そして金山の坑内にたまった地下水を排水する仕組みを作り、当時落ち込んでいた佐渡金山の金の採掘量を見事に復活させます。秀重は結局21年もの長きにわたって佐渡奉行を勤めました。

このように、白井喬二の佐渡金山へのこだわり、それを題材として取り上げるのが好きだということは、以上の3作品を見れば明らかです。この理由が今一つよく分かりません。自伝である「さらば富士に立つ影」を読んでも、佐渡島に住んだこともなければ、旅行したという記述もないのですが、「国を愛すされど女も」の佐渡島での話についてはどのような情報を元にして書いたのか不思議です。

大日本雄弁会講談社の「キング」

今回、白井喬二作品を追い求めて、大日本雄弁会講談社の「キング」を十数冊入手。キングは大正14年に創刊され、創刊号から大々的な宣伝で70万部を売り、全盛期の昭和3年には150万部にまで到達します。日本に初めて「大衆社会」というものを形成したのはこの雑誌「キング」だと言われています。内容は、小説が大半で、他に講談、新作落語、漫画、エッセイなどの本誌にさらに、豪華な附録がついていました。例えば昭和10年1月号の附録は、(1)御仁愛(絵画)(2)絵ばなし世間学(3)東亜太平洋地図(非常時国防一覧)(4)東郷元帥の名書、というものでした。ちなみに、「キングレコード」という会社名はこの雑誌の「キング」から取ったものです。昭和18年にはキングという名前が敵性語ということで「富士」に名前が変わります。(元々大日本雄弁会講談社には「冨士」という雑誌が別にあり、用紙統制で一緒になり、さらに「富士」の名前が残ったものです。{厳密に言うと、「冨」と「富」の異体字で字体が変わっていますが。})戦後も発行されましたが、雑誌の多様化の波についていけず、部数が30万部程度と低迷し、1957年で廃刊になりました。

白井喬二の「東海の佳人」

白井喬二の「東海の佳人」、15回の連載の内、10回分を読了。大日本雄弁会講談社の「キング」に1935年1月-1936年3月の間連載されたものです。最後の3回が揃っていたのと、各回に前回までのあらすじがついていたので、何とかストーリーを追っていくことができました。「陽出づる艸紙」をもう一つの「富士に立つ影」と評しましたが、この「東海の佳人」も、「富士に立つ影」と共通の要素を持った作品です。それは何かというと、時代は幕末で、幕府が行った鎌倉から逗子へ抜けるトンネルの工事を巡って、幕府側と倒幕反路軍が争って、最後はどちらが正しいかを論争で決着をつけるという話だからです。「東海の佳人」とは、工学者雲井濱太郎の娘の以勢子のことです。女性を主人公とする白井作品は比較的珍しく、この「東海の佳人」、「露を厭う女」そして「地球に花あり」くらいでしょうか。お話は、この以勢子とその兄の徹也、さらにその友人で幕府と反乱軍の間に立っているような鶴見平夷馬(へいま)、そして徹也と以勢子を捕らえ、さらに以勢子に迫る粗暴で傍若無人な幕府軍路隊長の細木原幹丈らを中心に進んでいきます。お話はトンネルを雲井濱太郎が設計し、その施工を長男である徹也が自ら行い、その工事の位置が間違っていて、トンネルが正しく掘り通せなかった場合には、徹也が射殺される、という緊迫した場面で始まります。ところが、トンネルは正しく掘り通されさましたが、工事を終えトンネルから出てきたのは徹也ではなく平夷馬でした。この事を追及に来た幹丈によって、雲井濱太郎の仕事場は焼き払われてしまい、濱太郎はショックでそのまま死亡してしまいます。以勢子は親の敵と泥酔していた幹丈を刺してしまいます。といった具合にかなり波乱万丈に話は進んでいきます。また、鶴見平夷馬は元々幕命で中国に渡って長髪族の乱(太平天国の乱)を調べてきた、というかなり変わった過去が設定されています。本当にこの頃の白井喬二は充実していると思います。この作品も何故単行本として出版されなかったのか理由がわかりません。