国会図書館で、平凡社の白井喬二全集の内のいくつかを参照しました。第15巻に入っている「随筆感想集」には全部で81もの随筆が収録されています。しかし、全部読む時間は無かったので、「電碁戦後日」、「実話の罐詰」、「掌篇フースーヒー」の3作だけを読みました。何故この3作を選んだかというと、「電碁戦後日」はまずタイトルにびっくりしたからです。この時代にインターネットがある筈もなし、何のことかと思ったら、電報による囲碁のことでした。昔から郵便碁というハガキで対戦するのはありましたが、その電報版です。でも当時電報が1回いくらしたから知りませんが、今では通常電報が最低440円で、一局の碁は大体200~250手くらいかかります。自分の分だけ払うとしても、440円X120手で5万円以上かかります。白井喬二もそこまで払ってまで囲碁を楽しむ風流さに最初感心するのですが、実は勝負に大金が賭けられていることが後でわかって鼻白む、という話です。同じような例で金魚を飼育している財界人のことを優雅だと思ったら、それも実は高く売るための投資だったというのが書かれています。
「実話の罐詰」と「掌篇フースーヒー」は、私がWikipediaの白井喬二の項で白井の小説と勘違いして著作リストに入れていたもので、ここで発見してエッセイだということが判明したので、一応確認のため読んでみたものです。「実話の罐詰」では白井のお父さん(警察官だった)が稲妻強盗と呼ばれた強盗を現行犯逮捕する話や、朝鮮の金玉均の養子の金英鎮が刺客に追われて白井家にやってきたという話が披露されます。「掌篇フースーヒー」(フースーヒーはwho’s heで「人物評伝」の意味)では、東郷平八郎元帥が鳥取にやってきた時の話や、藤井健次郎博士との関わりや、小学校にインド人が講演にやってきて、イギリスの悪口を言い、ガンジーの名前を何度も唱えたことなどが紹介されます。
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白井喬二の「東亜英傑伝 七 山田長政・張騫」
白井喬二の「東亜英傑伝 七 山田長政・張騫」を読了。但し「山田長政」の方に、15ページの落丁があります。「山田長政」の方は、従来通説となっていた、山田長政がシャムの国王になっていて、昔台湾に渡る時に世話になった日本人二人に感謝を伝えた話について、根拠のない作り話としています。そういう歴史考証的な態度はいいのですが、一方で山田長政が「八紘一宇」の精神に基づいて海外で活動していたなどというトンデモ歴史を書いています。白井喬二は同じシリーズの日蓮でも、日蓮に「大日本帝国」や「八紘一宇」という言葉を語らせて、無茶苦茶な歴史を作っていました。そういうのを考えると、この「山田長政」はどこまでが歴史的事実かかなり眉唾です。
「張騫」の方は、有名な匈奴に行って長い時間をかけて漢に戻って来た張騫の話で、特に脚色はしていないように思います。ただ何故張騫が山田長政とセットにされたのかはよくわかりません。どちらも生まれた国を離れて活躍したということなのでしょうか。
一つ特筆しておくべきことは、この巻の挿絵は山川惣治です。戦前から活躍していたことがわかります。
白井喬二の「東亜英傑伝 一 豊臣秀吉・成吉思汗」
白井喬二の「東亜英傑伝 一 豊臣秀吉・成吉思汗」を読了。東亜英傑伝のシリーズは、昭和17年に大阪の田中宋栄堂から出たもので全8巻ですが、何故か最初に出たこの「一」だけがこれまで入手できずに未読でしたが、ようやく全巻読むことができました。「豊臣秀吉」の方は、いわゆる太閤記的な書き方で、日吉丸の頃から語り起こされます。そして秀吉が天下人となってからのいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮出兵)にかなりページが割かれているのが、昭和17年という時代を感じさせます。
成吉思汗(チンギス・カン)の方はどうってことないです。このシリーズの日本人以外の評伝はどれもページの割き方が同じ巻に載っている日本人より少なめで筆足らずという感じです。チンギス・カンが源頼朝と比べると15歳年下で、頼朝が鎌倉幕府を開いたのが1192年、チンギス・カンが皇帝になったのが1206年(鎌倉幕府の14年後)で、ほぼ平行しているんだな、というのが印象に残っただけです。
白井喬二の「陽出づる艸紙」(2)(「つるぎ無双」)
白井喬二の「つるぎ無双」(「陽出づる艸紙」改題)を国会図書館の電子データで読了。元々昭和11年の「講談倶楽部」に10回連載されたものですが、この雑誌は国会図書館といえども所有していませんでした。帰り間際に再度念のためデータベースを検索して、この「つるぎ無双」が出てきて、一応中身を改めてみたら「陽出づる艸紙」だったので、狂喜して帰るのを延ばして最後まで読みました。1952年に文芸図書出版社から出たものです。
以前紹介したように、父親から万能児として育てられた綴井萬貴太が17歳になってその教育が一通り終了し、その完全さを試してみるために、同じく万能人間として知られていた高月相良猊下を相手に戦いを挑むというストーリーです。萬貴太が勝負に出かける前に、父親共々殿様の不興を買って、蟄居閉門を命ぜられるのですが、妹の幸江が萬貴太に化けて身代わりとなり、萬貴太は無事出発します。途中で、高月相良の四天王と呼ばれる部下の一人で鍵縄の術を良くする豆玄(ずげん)が萬貴太の前に立ちはだかり、何度も貴太と豆玄の争いが描かれますが結局萬貴太が勝利します。一方萬貴太と高月相良の完全人間同士の勝負は、がっちりかみ合って、お互いにポイントを稼ぎ合っても決定打はなかなか得ることができません。二人は流鏑馬探しという手法でお互いに3問ほど課題を書いた紙を矢に結びつけてそれを放ちます。お互いが相手の放った矢を探して、そこに書かれた課題を解く、という形で戦いが行われます。これが「富士に立つ影」の佐藤菊太郎と熊木伯典の実地検分勝負を思わせます。しかし、二人はそれぞれお互いの課題を解いてしまいますが、それの判定が行われなかったのがちょっと尻すぼみです。また、二人の万能人間の熾烈な戦いに終始すればよかったと思いますが、全体の2/3くらいの所で新しい登場人物が登場し、この男が過去に高月相良と何やら関わりがあったとの設定で、最後は、高月相良の万能性の裏が暴かれてしまってちょっと意外な展開になります。萬貴太は結局戦いに勝って自身の万能性を確かめることが出来たのですが、しかしその後の萬貴太の人生は必ずしも幸福なものではなかった、という作者の説明があって、この物語は終わりになります。
白井喬二の「豹麿あばれ暦」(2)
国会図書館で、白井喬二の「豹麿あばれ暦」の連載第2回~4回の分を読むことができました。連載第4回までで中断した作品なので、これで全部です。豹麿は父親から万能人間になることを期待して修行の旅に出され、8年の修行をして61の師匠について、江戸に戻って来たのですが、父親と顔を合わせても、修行の過程で自分には敵が多数出来、それらを倒すまでは家に戻れないと言います。しかし父親はそこに何か嘘を感じます。一方、豹麿の姉で絶世の美女の登世は、堂本秋之介という武士と不義の仲に成り、お手討ちにされる所を将軍の恩赦で救われます。この姉の相手の堂本秋之介が逃げるために顔を変えるのを、それとは知らず豹麿が手伝います。また、お弓という豹麿の知り合いが子供を身籠もったのを、豹麿がこれまた堕胎を行います。この辺り、豹麿の身につけた技術の幅の広さが伺えます。その中には善だけでなく、悪に通じるような技術も含まれているようです。白井喬二は同じ万能児ものの「陽出づる艸紙(つるぎ無双)」の主人公綴井萬貴太について、作品の最後で「決して幸福な生活は送らなかった」としています。人間が万能の技を身につけても、決してそれがそのまま生きて幸福になることはないのだ、という白井の人生観が出ています。
平凡社の白井喬二全集の第15巻の「随筆感想集」の収録内容
平凡社の白井喬二全集の第15巻の「随筆感想集」の収録内容です。
いくつかの随筆、「朝日ヶ丘より」シリーズなどは、「大衆文藝」に載ったものだと思います。
カミソリ
私はこんな問題を喜ぶ
社会政策的史実に面して
学友変化
作者の言葉
統計抄
怪奇雑嚢中より
芸道怪奇蔵
秋の感想
作者の言葉
「富士に立つ影」の上演について
さい作りの話
座談二題
動かざる映画
カンヅメ
「新撰組」を終えて
即興死
映画身辺語
作者の言葉
「大衆文藝」宣言文
大衆作寸言
現在の「大衆文藝」
独楽の話
小説義塾
生田氏夫人の追悼文
感覚二題
探偵創作文章寸見
キジ
文藝予約的修行
今昔虚無入門
有島武郎氏追悼
大衆文藝と現実暴露の歓喜
映画疑問読本
朝日ヶ丘より その一
電碁戦後日
朝日ヶ丘より その二
電車太公望
朝日ヶ丘より その三
作者の言葉
紙城
朝日ヶ丘より その四
澤田撫松氏を悼む
大衆文藝の話
川柳選評
人口問題と文学
味覚直覚先生
女性の誘惑を克服する練習
海の色
戊辰初感
学究に非ず実行なり
我が民衆文学論
教育所感
作者より読者諸賢へ
読者と幼時の友を懐ふ
鎌倉日記
作者の言葉
無題(百字文)
読書は学に非ず(百字文)
感想二三
國史挿話全集序文
國史挿話全集月報随感集
いろいろ近況を語る
小我を没するの境地
プロレタリア大衆文藝の将来
怪奇と近代味
日常茶飯語
小説と歴史の区別
趣味の歴史挿話
朝日ヶ丘より
少年春月の思ひ出
実話の罐詰
掌篇フースーヒー
中国山脈と突破先生
文楽絶賛
大衆文藝論は複雑な文藝論であらねばならぬ
軟式野球観戦記
考證一夕話
幸吉君の印象
新緑近きに語る
考證の屑籠
回答一束
平凡社の白井喬二全集の第5巻の「中篇集」の内容
平凡社の白井喬二全集の第5巻の「中篇集」の内容が国会図書館での調査で判明しました。
収録作品は以下の通りです。
沈鐘と佳人 1927年03月サンデー毎日
明治の白影 1930年10月週刊朝日
葉月の殺陣 1929年09月講談倶楽部
湖上の武人 1927年03月~05月文芸倶楽部
第二の巌窟 1927年07月週刊朝日
おぼろ侠談 1930年05月文芸倶楽部
幽閉記 1930年07~09月日曜報知
金襴戦 1925年01~12月婦人公論
江戸市民の夢 1928年02月~12月文芸倶楽部
中里介山の「大菩薩峠」第1巻
中里介山の「大菩薩峠」全20巻の内の第1巻を読了。ついにこの未完の大作に再挑戦することにしました。20代の終わりの頃一度読みましたが、10巻くらいで挫折。理由はその辺りになると時間の流れがほとんど停滞してしまいお話が進まなくなり読み進める気力をなくしたからでした。今回は何とか最後まで行ければいいと思いますが、さてどうなるか。
途中からだれるこの小説ですが、出だしはこの上なく魅力的です。まず題名にもある大菩薩峠で、巡礼の老人が主人公である机龍之助に一刀の下に斬られます。何故龍之助は老巡礼を斬ったのか、このことに何の説明もなく、読者は龍之助の冷酷無残な性格について強烈に印象づけられます。
後の巻になって盲目となった龍之助は夜な夜な辻斬りに出かける悪鬼羅刹のような殺人鬼に成り果てるのですが、この巻での龍之助はまだ多少人間的で、自分が試合で打ち殺した宇都木文之丞の妻であったお浜を自分の妻として、子供まで設けます。また大和の国三輪で世話になった植田丹後守には、父親であった弾正を思い出して神妙に仕えたりします。
表紙の写真のようにこの小説は5回も映画化されていますが、映画が扱っているのは最初の方だけです。この辺りは「富士に立つ影」と事情は同じです。
白井喬二の「守綱雨」
白井喬二の「守綱雨」を読了。読切倶楽部の昭和29年2月特別増大号に掲載されたもの。7年前、富裕の郷士の山田家に養子に来た守綱は、ある日親族が集まって何やら打合せをしているのを、てっきり自分を離別する相談だと思い、びくびくしていました。その打合せに呼び出されて話を聞けば、守綱の女房のおたき、の母親が二十年前に夫を裏切って間男と駆け落ちし、それだけならまだしもその間男は結局その母親を殺してしまったということです。そしてその男が何故か近くに戻って来ているので、守綱に敵を討って欲しい、という相談でした。離別の話でないことに喜んだ守綱はすぐに敵討ちを引き受けます。ところが敵討ちを準備している時に、突然その間男が守綱の元に何やら相談に来て…という話です。この先は省略しますが、話としてはきちんと決着していませんが、主人公である守綱が何やら感慨にふける、という白井喬二の良くあるパターンの話になります。あまり出来がいい作品とは思いません。
池田浩士の「大衆小説の世界と反世界」
池田浩士の「大衆小説の世界と反世界」を斜め読みで読了。筆者はこの本が書かれた1983年当時京都大学教養学部勤務で、ルカーチの著作の訳者。私にとって興味がある、白井喬二、国枝史郎、そして雑誌「新青年」関係の所を中心に読み、後は飛ばし読みです。白井喬二については、デビュー作の「怪建築十二段返し」の終わり方が、講談の終わり方をそのまま真似しているなど、いくつか私には新しい指摘がありましたが、総じて白井の作品をあまり読んでいないのが明らかでした。例えば平凡社の現代大衆文学全集の第1巻の白井の巻に収められている「新撰組」以外の作品は、白井の創作ではなく、近松門左衛門や竹田出雲の現代語訳(白井喬二が作家デビュー前の学生時代にアルバイトとしてやったもの)に過ぎないのですが、それすらわかっていないようです。
「新青年」については読者参加を中心に色々と新しい試みをしていたということをこの本で知りました。読者から小説を募集するのはもちろんのこと、複数の作家でリレーで作品を書いていったり、あるいは複数作家で最初から最後まで一本の小説を書いたりとかしていました。またある作家が連載途中で死亡してしまった後、読者からその続きを募集していたりしたことを初めて知りました。