「大菩薩峠」の英訳があった!

昨日の「大菩薩峠介山記念館」が空振りだったので、今日、山梨から自宅に戻る途中で、羽村市の郷土博物館によって、中里介山関係の展示を見てきました。(中里介山は羽村市の出身です。)収穫だったのは、「大菩薩峠」の英訳が昭和4年に、C.S.Bavierという人の翻訳で出ていると言うことが分かったことです。ただ昭和4年時点なんで、明らかに日本で出ている最終巻までは達していない英訳になりますが、ともかくも英訳があったということに驚きました。国立国会図書館での検索結果を見ても、確かに出版されています。これ一冊しか出ていない所を見ると、ダイジェスト版かあるいは最初の方だけを訳しただけかもしれません。

大菩薩峠介山記念館

大菩薩峠の近くにある、「大菩薩峠介山記念館」に行ってきました。探すのに苦労しました。カーナビで住所を番地まで入れて行ってみたら途中で道が行き止まりになっていてたどり着けませんでした。それで今度はスマホのGoogleマップでその住所を入れてやってみましたが、目的地まで27Kmとか出てやっぱりダメ。それで考えて確かWebの情報で雲峰荘(裂石温泉雲峰荘)の近くだった筈と思って、その旅館を目的地に設定して行ってやっとたどり着けました。記念館はその旅館の道路をはさんだ反対側にあります。しかし残念ながら閉まっていて、それもおそらく休館日とかではなく、もう長くやっていない感じでした。ガラス窓のショーケースみたいなものの中に貼ってある書類もかなり古びています。またWebに載っていた電話番号に電話してみたら、「現在使われていません」でした。そういう訳で中は見られませんでしたが、左側に机龍之助の石像がありましたし、また館の右側のお堂には中里介山を仏像にしたものがありました。これだけ寂れているということは、ほとんど来る人もいないんでしょうね。ちょっと寂しいです。この後、山梨県立文学館にも行ってみましたが、そこでも中里介山関係の展示はほんのわずかでした。

リカちゃん展(山梨県立博物館)

お盆休みで山梨の石和温泉に来ています。ホテルの近くに山梨県立博物館があったので行ってみました。そこで特別展の「リカちゃん展」をやっていたので入ってみました。リカちゃんが最初に発売されたのは1967年で私は6歳で丁度の世代ですが、私の家には姉妹はいなかったので、子供の時触ったことはありません。その1967年版のリカちゃんで面白かったのは以下2点。
(1)顔のデザインの監修は何と牧美也子(漫画家)です。
(2)初代リカちゃんのお父さんの設定は何と「行方不明」。お母さんはバリバリのキャリアウーマンという設定です。おそらく高度成長期のほとんど家に帰ってこないお父さん達の反映でこういう設定になったんでしょうが、笑えます。(調べてみたら、当時は少女漫画で「悲劇の主人公」が流行っていたのと、実際の女の子のおままごとで「お父さん」がほとんど登場しない、という理由でこうなったみたいです。)
ちなみに現代のリカちゃんのお父さんは香山ピエールというフランス人でミュージシャン、ちゃんと家事も手伝い子育てにも積極的、といういかにも今時という感じです。リカちゃんといえども時代が反映します。

金沢で友禅染めと金箔貼り体験

20日の金曜と21日の土曜日で、会社で所属する業界団体の委員会の総会で金沢に行ってきました。2日目に金箔貼りと友禅染めを体験しました。友禅染めはぼかしをどうやって描くのかがわかって有益でした。染料は5色使いましたが、筆に染料をつけたら、紙の上に筆を下ろして、できる限り染料をぬぐって、ほとんどかすかに色が着くぐらいにして布に筆を円を描くように塗っていきます。濃くする所は何回も塗ります。最初から濃い色を塗ると後から薄くすることは出来ませんのでこうします。ちょっとはみ出した所がありますが、まあまあ良く出来たかと。
金箔貼りの方はとにかく金箔が1000分の2ミリという厚さでまっすぐ貼るのが非常に難しく、店の人に手直ししてもらってやっと何とかなりました。

ローマのヴァチカン美術館の駆け足見学

ローマのヴァチカン美術館は滞在の2日目のローマ観光の日に行こうとしたんですが、例によってすごい行列でしかも閉館が16:00ということで、入ることは出来ませんでした。これも例によって話しかけてきたツアーの勧誘員に色々聞いて、最後の日(5月4日)の11:30からのツアーを予約しました。しかしフィレンツェからの高速鉄道がある意味予定通り90分の旅程で15分も遅れ、ローマテルミン駅から地下鉄と徒歩で何とかその予約した店までたどり着いたのが11:30ギリギリでした。帰りの飛行機は15:15ローマ発なので、13:15には空港に着く必要があり、タクシーで空港まで30分程度かかりますから、ぎりぎり見られて12:40ぐらいまででした。しかし、ツアーの御一行は歩いてヴァチカン美術館に向かい、そこですんなり入れるかと思ったからまた切符の受け取りで待たされ、結局スタートしたのは12時を過ぎていたと思います。時間が全然ないのでガイドは断り自分で勝手に見て回ることにしましたが、中は恐ろしい人の多さでほとんど動きが取れず、やっと何とか見ることが出来たのが以下です。残念ながらシスティナ礼拝堂の「最後の審判」も見ることが出来ませんでした。元からここは予定に入れてなくて急に思い立ってスケジュールに入れたものですから、これだけ見られただけでもましかもしれません。ここで一番印象に残ったのは、地図が壁に貼ってある300mくらいの回廊で、天井にびっしりと貼られた無数の絵です。正直な所、絵が単なる装飾の部品として使われている感じで、しかも下から天井に貼られたものを見ることになり、絵自体もよく見ることができず、そういう風に絵を扱われた画家はいい気持ちがしなかったのではないかと思いました。結局の所、画家の西洋の歴史における地位って決して高くなかったのだと思います。
これで今回のイタリア旅行の写真はおしまいです。

フィレンツェの街並みとウッフィツィ美術館

2018年5月3日にフィレンツェを訪れ、ウッフィツィ美術館を見学した後、フィレンツェの街並みを見学しました。ウッフィツィ美術館はチケットを予約して行ったのですが、それでも入場に30分ぐらいかかり、もし予約無しで行ったらどれだけ待たねばならなかったかわかりません。また、中も広大で収録作品も膨大であり、見て回るのに2時間では足りません。以下フォトアルバムとしてお見せします。画像をクリックすると拡大されます。なお、絵の作者と名前は、分厚い「ウフィッツィ美術館目録」みたいなのを持ち帰ったのですが、それに載っていないものも多いため、まだ調査中です。Googleの画像検索で地道に調べていくしかなく、分かったものから徐々に追加していきます。なお、撮影したままの画像は下から撮ったり、斜めに撮ったりして変形しているため、現像時に補正しています。後コントラストと彩度を少しいじってあります。

ミラノ(2)スカラ座とドゥオモ

ミラノで「最後の晩餐」を見た後は、歩いて市街の中心部へ向かっていたら、偶然スカラ座に出遭わしました。オペラ鑑賞はその夜なんですが、スカラ座に併設してスカラ座の博物館があったので、そこを見学しました。中は実はつながっていて、開演前の舞台の準備の様子を見ることが出来ました。(オペラの本番は一眼レフを持ち込むのを差し控えたため、一眼レフで撮影した写真はありません。オペラ自体{「フランチェスカ・ダ・リミニ」}はソプラノの出来は今一つに思いましたが、ファビオ・ルイージの指揮と音楽は素晴らしく、楽しめました。)(写真はクリックで拡大します。)


その晩の演目の「フランチェスカ・ダ・リミニ」(ザンドナイ)のポスターです。
偉大なる名指揮者、トスカニーニ!トスカニーニは1898年に31歳の若さでスカラ座の芸術監督に任命されます。
そしてマリア・カラス(本名:マリア・カロゲロプーロス)!

スカラ座の外観です。想像していたより外観も中も小さいと思いました。サイズ的にはむしろ日本の新国立劇場オペラ劇場の方が大きいのではないかと思います。
ここから先はドゥオモのゴシック式の大聖堂です。イタリアで
最大だそうです。

ヴェネツィア

公開の順番が逆になりましたが、5月1日に訪れたヴェネツィアの街です。ローマから飛行機でヴェネツィアに入り(出発が90分以上遅れ、ヴェネツィアに着いたのは23時を過ぎていました)、空港からタクシーに乗ったのですが、私はヴェネツィアの市街の中心部が車が入れないと言うことを知らなくて、結局ヴェネツィア駅で降ろされ、そこからGoogleマップを頼りに深夜のヴェネツィアをスーツケースを引き摺りながら20分以上も歩くことになりました。それもあってか私のヴェネツィアの印象はイマイチ。昔、大学生の時に塩野七生の「海の都の物語」を読みましたが、昔の栄光はもはやどこにも無く、ひたすら観光客からぼろうとしている街という感じでした。トーマス・マンの「ヴェニスに死す」は、原作もヴィスコンティの映画も好きですけど、夏じゃなかったせいか、あれに出てくる湿気のこもったいかにも疫病が蔓延しそうな不健康な感じは、今回のヴェネツィアにはなかったです。ちなみに題名の「ヴェニスに死す」は、本当は「ヴェニスの死神」です。(“Der Tod in Venedig”)(ついでに述べておけば、シューベルトの歌曲および弦楽四重奏曲で有名な「死と乙女」も正確には「死神と乙女」です。)

ミラノ(1)「最後の晩餐」と街並み

5月2日に訪れたミラノの街です。この街での目的は、
(1)サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見ること。
(2)スカラ座でザンドナイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」を観ること。
の2つでした。
(1)は完全予約制で予約が無いと見せてくれません。私のは朝8:15からという予約で、朝食もそこそこに駆けつけました。これがその教会で、「最後の晩餐」はここの壁画として描かれています。
これが「最後の晩餐」です。かなりレタッチしてあります。現物はもっとぼんやりした感じです。(クリックで拡大します。)

何故か「グレートマジンガー」のDVDの広告がありました。そういえばイタリアではマジンガーZが人気があったということを聞いたことがあります。

フォロ・ロマーノ他

ローマでコロッセオの見学は普通に並ぶと2時間待ちという状態だったので、やむを得ず声をかけてきた有料ガイドの提案に乗って団体で入場しました。そのツアーにフォロ・ロマーノの見学もセットになっていたので、コロッセオに続けて見学しました。しかし英語によるガイドは、最初にローマの建国神話を紙芝居みたいなので説明してくれた後は、勝手に見てくれ、という感じで、どこに何があるのかさっぱり分からずに歩き回っていました。ちなみに、ローマの建国神話については、前に何かのオペラ(ディドーとエネアスとかトロイの人々とか多分その辺り)で観たので、説明されなくても知っていました。ちなみにイタリアの観光地にはどこも公衆トイレというものがほとんどなくて、ここでもトイレを探しにかなりの時間を要しました。