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電電公社黒電話
伊豆山
長崎 2019年9月21日
長崎 四海楼のチャンポン
宮沢賢治童話村の怪しいモニュメント
日本ラジオ博物館補遺
日本ラジオ博物館補遺。
最初の写真はトヨタ自動車が刈谷工場(現在のデンソーの刈谷工場)で作っていたラジオです。戦後すぐは車は軍需品ということでGHQに製造を禁止されていたので、やむを得ずということで、トヨタ自動車でもラジオを作ったということです。当時の電気系のエンジニアであればラジオを自作する人は多くいて、作るのはそんなに難しくなかったみたいです。そういうラジオはコストは高いけど概して品質は良かったとのことです。出光興産の創業者について書いた「海賊と呼ばれた男」でも、出光が戦後すぐ売りたくとも石油がなくて、やむを得ずラジオの修理を始めたというのがありました。
もう一つは、三菱のラジオ。三菱がラジオをやっていたなんて、まったく記憶にありませんが、このカタログを見る限り、かなり幅広く製品を出していたんですね。
日本ラジオ博物館(松本市)
今回の旅行は宿は白骨温泉から5Kmぐらい下った別の温泉宿に泊まりましたが、白骨温泉を観た後、松本市に出かけました。何故かこの松本とは縁があり、今回が4回目の訪問になります。一番最初は1991年ぐらいだったかと思いますが、その当時Nifty Serveというパソコン通信のサービスの中に、日本語変換のWXシリーズを開発していたエー・アイ・ソフトのフォーラムがあり、私はそこの初期の常連でした。その当時オフ会(これも説明しておかないと死語かもしれませんが、パソコン通信の常連がいつもはオンラインで会話を交わしているのを、直接集まって飲み会などを開くのをオフ会と言っていました。オンラインの「オン」の反対で「オフ」ということです。)がエー・アイ・ソフトのオフィスがある松本市で開かれ、参加したのが最初です。その常連の中にはSF作家の高千穂遙さんなどもおられ、温泉に行って一緒の湯船に浸かったという思い出があります。
さて、そういう訳で松本城などは前に観ているので、今回時計博物館というのに行ってみました。そうしたらそこの地図に近くに「日本ラジオ博物館」というのがあるのが分かりました。「ラジオ博物館」と聞いて、元ラジオ少年が胸がときめかない筈はありません。13時から開館という不思議な開館時間でしたが、行ってみて大正解でした。たまたま最初は私一人が見物人だったため、館長の岡部匡伸さんの懇切丁寧な解説をたっぷりと聞かせていただくことが出来、大変参考になりました。(以下写真はすべてクリックで拡大します。写真撮影については許可をいただいています。)
最初の写真は、1925年頃の、玉電社という会社の5級ニュートロダイン受信機です。(ラジオ
ニュートロダインというのはオーディオマニアにおなじみの言葉でいえばネガティブフィ
大きなダイヤルが3つあるのはすべてバリコン(バリアブル・コンデンサー、選局に使用
なお、この松本の地にラジオ博物館がある理由ですが、
(1)東京などの大都市にしか放送局が無かった時代に、高感度のラジオで長野で放送を
(2)長野市にもその後放送局が出来たが、松本と長野の間は50Kmあるため、依然と
(3)全体に長野県は山がちで電波状況が悪かった。
ということみたいです。
これは日本無線の単球式ラジオです。日本無線は現在無線機のメーカーですが、昔はラジオも作っていました。単球で検波だけを真空管でやるもので、強電波地域用で写真のようなレシーバーで聞くものでした。初期のメーカーとしてはこの日本無線と早川電気(シャープ)です。シャープはいわゆるシャープペンでスタートしますが、関東大震災でその工場が崩壊し、ラジオ製造に転じます。その後松下も参入します。日本のラジオは最初期段階では、日本放送協会の認定を受けた受信機だけが使えましたが、これが高価な上に技術の進歩に追いつけなくて性能が悪く、NECや沖電気といったメーカーはこの認定タイプのラジオを作っていましたが、その後認定が不要になって価格競争が激化するとついていけなくなり撤退します。このため日本ではアメリカのRCAや欧州のフィリップのような大手のラジオメーカーが育ちませんでした。
初期の真空管ラジオは直流で動き、また電圧を分けるための抵抗に良いものがなかったため、真空管を動かすのに必要な3種類の電源(A電源というフィラメント加熱用と、B電源というプレート用、およびBを反転させたC電源)をそれぞれ個別に供給するというきわめて原始的なことが行われていました。その電源は鉛蓄電池が使われましたが、やがて乾電池が使われるようになり、それを発明したのは日本人だということです。しかし、その乾電池もかなり高価であり、いずれにせよ庶民にとっては高嶺の花でした。
これは松下(パナソニック)が作った最初のラジオです。日本放送協会の東京放送局が実施したコンテストにある別の機種と同じく一位になります。しかし性能を上げるためにコストがかさみ、値段が高すぎてあまり売れなかったそうです。パナソニックの社史には必ず登場するそうです。
これは戦後になって作られた、スーパーヘテロダイン方式の高級機で、何と5局がプリセットになっています。しかし実際には2種類あって、低価格の方はプリセットは表示だけで実際はロータリスイッチで切り換え、高価格の方が直接プリセットの表示部を押して切り替えるようになっていたようです。
スーパーヘテロダイン方式とは、ラジオ少年には常識でしたが、ラジオの電波が高周波のままだと増幅するのが難しいので、一度中間周波数という低い周波数に下げてから増幅する仕組みです。この方式はトランジスタラジオになってもそのまま使われていました。
そして1955年、東京通信工業(現ソニー)が最初のトランジスタラジオであるTR-55を発売します。価格は実に19,800円で当時の初任給の倍以上ですから、今で言えば50万円くらいの感じです。それだけ高い割りには5石で感度も音質も不十分であまり売れなかったようです。しかしその後トランジスタラジオの低価格化と高性能化は進み、その内日本の輸出におけるドル箱商品となり、アメリカとの間で貿易摩擦を引き起こします。その当時ラジオ用のトランジスタは国内ではほぼソニーが独占(元の技術はウェスタン・エレクトリックからの技術供与)していたみたいで、他の会社もトランジスタはソニーから買っていたみたいです。
これは、初期の真空管ラジオの中を見せるスケルトンモデルです。
この配線の仕方、今から考えると信じられないような方式です。ワイヤラッピングですらなく、銅線でもない、金属片によるダイレクトな配線。ベースになっているボードについてベークライト板みたいな絶縁板なのかと思ったら、木材で、元々アメリカでパンをこねるのに使っていた板をそのまま使ったそうです。今、電子回路の実験を行うため、部品取付け穴がいっぱい開いていて、短いリード線で配線する「ブレッドボード」というものがありますが、これは元々Bread boardであり、このパンこね板から名前が来ているんだそうです。
このページをお借りして、岡部館長に感謝申し上げます。
白骨温泉(大菩薩峠記念碑)
連休で信州の白骨温泉に行きました。ここはいわゆる山奥の秘湯で、昔は訪れるだけで大変だったと思われ、実際に遭難した人の慰霊碑もありました。ここを有名にしたのは言うまでもなく中里介山の「大菩薩峠」であり、机龍之介とお雪ちゃんが一冬をここで過ごします。写真がその記念碑で、題字は白井喬二によるものであり、それを確認出来ただけでもここまで来た甲斐がありました。一軒の宿で温泉にも入らせてもらいましたが、名前の通りの白濁した湯で(一時期入浴剤を使っていたということで騒がれましたが、今はもうしていないと思います)少し硫黄臭がしました。
白骨温泉全体はこんな↓感じです。(なお、県道白骨温泉線というのが完成したため、年中マイカーでアクセス可能です。駐車場は2箇所にあり、おそらく20台くらいは駐められます。無料でしたし、清潔な公共トイレもありました。)
最悪の操作性のソフト「Map on Demand」
トヨタ純正のカーナビの地図を更新するMapOnDemandというPCアプリがありますが、これの操作性が最悪で、毎回はまります。
(1)地図DLサイトのPW入力が、年に数回しかやらないので忘れています。使い回している何種類かのPWを試しますがすべて駄目。それでよくよく調べたらPWが今時とは思えない、全て数字のPW。ほとんどあきれます。
(2)それで地図DBをDLしようとしたら、毎回やっているのにカーナビの機種設定を覚えてくれておらず、カーナビの機種を入れるか、車の車台番号を入れる必要があり、非常に面倒。
(3)DLしたZIPファイルをドラッグ&ドロップでアプリの上に落としますが、その後エラーで止まります。調べてみたらDLしたZIPではなく、それを1回解凍したZIPファイルを使う必要がありました。(今回はカーナビのソフト自体のアップデートも入っていたため、解凍するとZIPが2つ出てきました。)
(4)それでSDカードの地図データを書き換えるのですが、そのためにはこのアプリのインストールDVDが必要。以前このインストールDVDが見つからず、トヨタの営業所からわざわざ取り寄せたことがあります。
(5)更新時間も20分くらいかかり、非常に遅いです。
私はPC経験がほぼ40年ですから何とか最後まで行きますが、通常の50歳以上の人にはまず使いこなせないのではないかと思います。2年に1回地図更新に2万円くらい取られており、スマホのGoogleマップが自動更新で無償に比べると、きわめてナンセンスです。こんなことやっている内に専用カーナビを買う人はどんどん減っていくと思います。ちなみにこのソフトを作っているのはアイシンAWのようです。(おそらくどこか外注なんでしょうが。)