森山文昭著の「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」

森山文昭著の「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」を読了。2017年の本です。これを読んだのは、直接的にはWeb記事で元スッチーで法科大学院に入って司法試験を目指したけど、三振(最初は法科大学院卒業後、5年間で3回まで受験のチャンスが有り、そのことごとくに失敗することをこう言いました。)して人生が狂ってしまったという記事を読んだからです。また最近弁護士が劣化しているという話も良く聴くのでそれを確かめるためでもありました。まずは法科大学院が変なのは、アメリカのロースクールの日本版なんですが、アメリカの場合、大学に法学部が無いので、弁護士などを目指す人はロースクールに行かないといけないということです。日本の場合、既に各大学に法学部があるので、ここからもうおかしな話になります。そして、法科大学院が更に変なのは法律既修者と未修者を両方受け入れたことです。私の学生の頃の東大の例で言うと、東大法学部の学生でも、たまにガリ勉で在学中に司法試験受かる人もいますが、1回で受かる人ばかりではなく多くは2、3回ぐらいかかっていたと記憶します。4年間学習した東大生ですらそうなのに、素人が3年間法科大学院で学んで司法試験に受かるというのは、最初から無理があります。しかも更にねじれているのは、法科大学院では従来の予備校の否定として、司法試験に特化した教育もほとんど行われなかったということで、ますます未修者には厳しくなります。後、不思議なのは司法試験の合格者を増やすことで、最大の被害を受ける日弁連がこの法科大学院を含む合格者増加に反対せず、むしろ中坊公平が中心になって、毎年500~700人くらいだった合格者を3,000人にしようと主張し、それに人権派を含む若手弁護士が賛成したことです。そもそも弁護士の数が足らないと言い出したのは(バブル時代の)財界であり、それは数が足らないというより、数が限定されているので競走原理が強く働かず高い料金を払わされていることへの不満が主だと思います。(今でも弁護士事務所に仕事を頼むと若手で大した仕事をしないのに時給3万円とかふんだくられます。)しかし冷静に考えれば日本は訴訟社会ではなく、弁護士の数は足りていたと考えられます。(この本でも弁護士に、行政書士や司法書士といった周辺の法律家を含めれば、他の先進国に比べて遜色なかったことが指摘されています。)この中坊公平という人は、森永ヒ素ミルク事件の弁護をしたり、またバブル崩壊後の債権回収に辣腕をふるった人ですが、実際はマスコミ受けする言動でマスコミに自分の考えを書かせて、それが正しいかどうかの冷静な判断もなく皆を煽ったポピュリストとしてこの本では強く批判されています。
個人的に、不動産関係で4人の弁護士と接した経験があり、また会社でも契約書などで弁護士と付き合ったことはあります。でもその感じでは弁護士は広く浅くの人が多く、不動産のような特殊な実務についてはほとんど知らない人ばかりでした。また私は社労士の資格を持っていますが、労働法についてもさすが、と思うような知識と経験を持っている弁護士はごく少数です。