トワイライト・ゾーンの”The 7th Is Made Up of Phantoms”を観ました。1876年の6月25日、カスター将軍はインディアンのスー族を攻撃しようとしています。歴史的にはカスター将軍はスー族に虐殺されたということになっていましたが、史実はカスター将軍がスー族に対し総攻撃を決行し、数と武器で優るスー族に敗れて戦死したということみたいです。ところが突然時間が1964年6月25日に飛び、演習中だったM3戦車の3人が、何故かその時のカスター将軍の部隊(第7騎兵隊)に起きたことと同じことを経験します。彼らはその歴史を変えようとしますが、不思議なことはせっかく戦車という近代兵器があるのにそれを使用せず、ライフルとピストルでインディアンに立ち向かおうとします。(スー族はネイティブ・アメリカンという呼び方をごまかしだと批判していた過去があるため、敢えてインディアンとしています。)結局3人は死に、彼らを探しに来た隊長はリトルビッグホーンの戦いの戦死者の碑に彼ら3人の名前が入っているのを見つける、という終わり方です。うーん、アメリカ人にとっては有名な史実なんでしょうが、日本人には正直疎遠な題材でした。
ウルトラマンAの「復活!ウルトラの父」
ウルトラマンAの「復活!ウルトラの父」を観ました。放映日が1972年12月22日で、クリスマス特番的な内容で、タイトル通りウルトラの父が霊体?として復活するだけでなく、最後は超獣に目をやられた人を直すため、何とウルトラの父に呼ばれて南夕子がサンタの橇でやって来ます。なお超獣スノーギラスを操っているのは何とナマハゲで、そのセリフが「八百万の神がいるのに異国の神を祭るとか何事か!」で、まるでバールやアシェラなどの異教の神を崇めるユダヤ人に対して「燃える怒り」をぶつけるヤァウェの神のようです。しかしウルトラ一族?は日本の神の味方はせず、ウルトラの父はサンタクロースの格好で現れナマハゲを倒します。一度超獣に敗れたAはウルトラの父の力で復活して超獣を倒します。アメリカのドラマでクリスマス特番的な内容は良くありますが、日本の子供向けドラマでここまでやったのはこれが最初かも。
スター・トレック・TNGの”Evolution”
スター・トレック・TNGの”Evolution”を観ました。エンタープライズ号はスタブ博士の超新星の爆発のエネルギーを使った実験を支援するミッションを与えられています。しかしエンタープライズ号は色々な変な動作が発生します。結局エンタープライズ号を制御しているコンピューターがおかしくなっていました。その原因はクラッシャーで、人体の中で病気の組織をつぶしたりするナノロボットを改良しようとして、2組でお互いに援助しながら動くものを作りますが、それがクラッシャーが徹夜でうたた寝をした間に、エンタープライズ号のコンピューターシステムに入り込み、そのチップのパターンを餌として食べ、あっと言う間に増殖しただけではなく、知能を持つように進化します。スタブ博士は実験が遅れないようにと、ナノマシンに汚染されたチップをガンマ線で攻撃しますが、ナノマシンは全滅せず、逆にスタブ博士をレーザーか何かで殺そうとします。ピカードとデータは、知能を持ったナノマシンと会話が出来るのではないかということで、データの身体をナノマシンに預け、対話を始めます。その結果、スタブ博士が謝罪したのをナノマシンは受け入れ、もっと広い世界を求め超新星の方に移ります。ナノマシンの助けもあって実験は無事に成功しました。なお、今回からエンタープライズ号のドクターがまたクラッシャーのお母さんに戻っていて、自分のミスだと何とか一人で事態を収拾しようとするクラッシャーにアドバイスしたりします。まあまあ楽しめたエピソードでした。
ウルトラマンAの「友情の星よ永遠に」
ウルトラマンAの「友情の星よ永遠に」を観ました。超獣マッハレスは高速な乗り物が発する金属音が嫌いで、新幹線や飛行機を襲い大惨事を引き起こします。その一方で北斗の幼馴染みの加島がマッハを超える速度の自動車を開発しています。加島には真弓という恋人がいましたが、マッハ車の完成が間近で引く手あまたの加島は、孤児で育ったという経歴もあって金と名誉をひたすら手に入れようとし、真弓を冷たく突き放します。そして加島のテストコースをマッハレスが襲い…というお話。Aが戦う時にTACの歌がバックで流れますが、それには南隊員の名前がしっかり入っています。(次のエピソードでまた登場するようで、その伏線?)後はありきたりで、真弓に命と設計図を救われた加島が真弓への愛に目覚める、というものです。今回もAは光線技2つで勝利します。
NHK杯戦囲碁 大場惇也8段 対 福岡航太朗5段(2024年6月16日放送分)
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が大場惇也8段、白番が福岡航太朗5段の対戦です。黒の布石は懐かしの低い中国流でした。一時AIによる対策手段が有効ということで打たれなくなっていましたが、その後の研究で特に低い方は打てるということで、またボチボチと打たれるようになっているみたいです。私の世代では特に、第2期棋聖戦の藤沢秀行さんと加藤正夫さんの激闘で、黒を持った方が中国流を採用していたというのを覚えています。序盤・中盤と互角の戦いが続きましたが、黒が白のケイマの間をツケコシて切って行く前に、下辺で白が黒2子取っていた所を利かしに行ったのに、白が手を抜いて中央を打った判断が的確で、これによって黒の右辺から中央の模様の広がりが抑えられ白が優勢になりました。その後白がヨセで若干リードを拡げ、最後右下隅の死活で黒がうっかりしてポカを打って頓死し、ここで黒の投了となりました。
トワイライト・ゾーンの”Probe 7, Over and Out”
トワイライト・ゾーンの”Probe 7, Over and Out”を観ました。このエピソードには何と、原子力潜水艦シービュー号のネルソン提督を演じていたリチャード・ベイスハートが主役で登場します。しかしこの回が放送された当時は、まだ原子力潜水艦シービュー号は始っていません。宇宙飛行士のアダム・クックはトラブルである人が住めそうな星に不時着することになりましたが、着陸に失敗して宇宙船は故障してしまいます。地球とは何とか通信が出来、救助船の派遣を要請しましたが、地球では丁度その時、米ソ間と思われる核戦争が勃発し、結局地球側は「そちらで生き延びてくれ」というメッセージを残して全地球が滅亡します。アダム・クックはその星に誰かいないか探しますが、突然飛んで来た石に頭を打たれ気絶します。結局石を投げたのは、別の星の女性で、その星が軌道から外れて宇宙を彷徨い始めたのに対して一人だけ脱出してその星に来たものでした。その名前がノルダで、最後にイブ・ノルダというのがフルネームであることが分ります。ここまで来ると「なーんだ」ですが、二人はアダムとイブとしてその星で一緒に生きていくことを決意します。
しかしベイスハートはやはり名優ですね。
塩野七生の「ローマ人の物語」の「すべての道はローマに通ず」[上][下]
塩野七生の「ローマ人の物語」の「すべての道はローマに通ず」[上][下]を読了。この巻は、ローマの特定の時代を描いたものではなく、ローマが作り上げたインフラストラクチャーをハードとソフトの両面で概観したもの。感心したのはローマの水道のレベルの高さ。消毒剤というものが無かった時代にどうやって水道の衛生さを保っていたのかと前から不思議に思っていましたが、水源を川から直接取水したりせず、山の中の湧き水などの元がきれいな水を利用していたのと、後は常に流しっぱなしを保ち、それによって水が痛むのを防いでいたようです。この流しっぱなしというのは、料金が基本無料(自分の家まで延長してもらった場合は有料)だからこそのシステムと思います。また先ごろローマのコンクリートが現代のものより寿命が長い理由が解明されていましたが、おそらくローマ人は科学的に解明したのではなく、経験的に知っていたことだと思いますが、そういう「実践知」の素晴らしさがローマの魅力です。
後半の教育の所でいわゆる「弁論術」の話が出て来ますが、この分野について塩野七生が何も知らないのだということが分りました。結局レトリックは世界で共通して「起承転結」だみたいな、トンデモ論を書いています。論文とかプレゼンテーションを準備するのに何でもかんでも「起承転結」で済まそうとする上司達と戦って来た私にはほとんど噴飯ものです。
ウルトラマンAの「この超獣10,000ホーン?」
ウルトラマンAの「この超獣10,000ホーン?」を観ました。騒音を好む超獣が工場な暴走族のマフラーの音によって出現します。北斗が自分も昔そういう時期があったということで、何とか暴走族を更生させようとおせっかいを焼きます。最初は反発していましたが、超獣から幼稚園の子供達を助けるのを手伝ったのが子供達に好かれるようになり、改心します、という話。まあそれはいいんですが、TACが民間人を危険にさらすようなことをしているのはいいのか、と引っ掛かります。後はバイクの仕様がこの頃はこんなのだったのか、というぐらいが取り柄です。
ワイルドな相模湖周辺
JR藤野駅から車で自宅に帰るのに、昨晩(10日)はイノシシ、今晩(11日)はメスのシカを目撃。写真は私が撮ったものではありませんが、どっちも大きさ的にはこんな感じでした。どうも獣道というか、いつもほぼ同じ場所で目撃している感じです。元々獣道を後から道路が横切ったんだと思います。
E.M.フォースターの「モーリス」
E.M.フォースターの「モーリス」を読了しました。この本を買ったのは出たばかりの1988年で、実に36年間積ん読状態でした。私は元々フォースターのファンですが、1988年になってこの本はようやく出版され、その理由は男性の同性愛を扱っているからということのようです。しかしフォースター自身の説明によると、男性の同性愛を扱ったこと自体が出版出来なかった理由ではなく、結末がハッピーエンドだったから、ということだったようです。要は主人公のモーリスがその性的嗜好の「罰」を受けて不幸になる、という話だったらOKだったみたいです。しかしこの話は要するにモーリスがダーラムという大学での友人と同性愛関係になるけど、二人が社会人になってからダーラムが「普通の」女性愛に目覚めて結婚して、モーリスは振られた形になり、その腹いせではないのでしょうが、ダーラムの家の召使いだった若い男と関係を結んで、結末では二人が一緒に暮しはじめる所で終ります。しかし私はちっともハッピーエンドとは思えず、そもそも地位も違う二人で、当時同性愛は犯罪でした。この二人の将来が明るいものとはとても思えませんでした。全体に読んでみたらどうということはなく、大体フォースターもメンバーの一人であるケンブリッジ大学出身者のブルームズベリーグループは「ホモグループ」としても有名で、ケインズもその一人です。まあ36年経っていまやLGBTQは普通のこととされ、時代も変わりました。この小説の映画もあり、Blu-ray持ってますので観てみるつもりです。