「原子力潜水艦シービュー号」の”The creature”

「原子力潜水艦シービュー号」の”The creature”を観ました。今回は巨大マンタでしかも超音波を発することが出来るというのの登場です。アメリカがある孤島で新しいミサイルの発射実験を行っていたら、発射直前に音波による妨害を受け、結局発射前にミサイルが爆発し、20人が犠牲になります。その指揮官だった男がシービュー号に乗り込んで来て、妨害が「某国」によるものか自然からのものなのかを突き止めようとします。それで結局、原因は超音波を発する巨大マンタだった訳ですが、その男が調査のため同じ種の小形のマンタを捕まえたため、小形のマンタは超音波で親を呼び、シービュー号は攻撃を受けます。ネルソン提督はその子マンタを逃がすよう命じますが、とち狂った男は部屋のドアを開かないようにし、録音してあった超音波を発し続けます。以下は省略しますが、大ダコ、大クジラ、大イカ、大クラゲと来て、今回は大マンタで、ほとんどどれも代わり映えがしないように思います。

松屋大好の「無双航路」

松屋大好の「無双航路」を読みました。最近、マックス・ヴェーバーの難解な本を続けて読んでいたので、ちょっと気分転換です。この本はFacebookの広告で出てきて、ぱっと見面白そうだったので買ってみました。この先ネタバレがあるので、これから読む人は以下は見ない方がいいと思います。

お話としては、ある高校生が突然遠い未来の別の宇宙の、何故か巡洋宇宙戦艦のAIプログラムとして転生し、それもその巡洋宇宙戦艦が所属する軍勢が大敗勢の状態にあるのを、人間ならではの工夫で敵艦を振り切って待避するのに活躍する、という話です。宇宙戦艦だったら、こちらは元祖宇宙戦艦ヤマト世代ですから今さらですが、そこにAIがからむのが今風です。先日たまたまAIとシンギュラリティーについて調べていて、Wikipediaにシンギュラリティーを唱える人への批判として、そういう人達がAIを神と同一視していて、シンギュラリティーをキリストの再臨と重ねている、というのがありました。このお話も最後まで読むとほとんどそれに近い話になります。というのは、我々が住んでいるこの宇宙が、ある別の宇宙のAIプログラムが作ったシミュレーションに過ぎなくて、またそのAIが動いている宇宙もまたより上位の宇宙にあるAIのシミュレーションに過ぎない、という設定です。世界が誰かのシミュレーションであるというのは昔から良くある設定ですし、藤子不二雄Fの漫画にもそんなのがあったと思います。でもそれを多重階層化したのはちょっと新しいかなと思います。手塚治虫の火の鳥にもそういう多重化宇宙は出てきたと思いますが。

まあ作りはラノベでジュブナイルという感じではありますが、それなりに楽しんで読めた作品でした。

「原子力潜水艦シービュー号」の””The exile”

「原子力潜水艦シービュー号」の””The exile”を観ました。今回も「某国」の冷戦もの。その国のことを”People’s republic…”と呼んでいて、この間のは「中国」のことかと思ったのですが、どうも社会主義国のどこか、という感じで使っているみたいです。その国の首相が失脚し銃殺されそうになりますが、仲間が助けて、その大統領はアメリカに亡命したいと言ってきます。その代償にその国のミサイル基地の情報がわかるマイクロフィルムを渡すというのが条件です。ネルソン提督は大統領からそのマイクロフィルムが本物かどうか確かめるという任務を命じられます。しかし、その元首相が乗ったヨットは、某国の飛行機の攻撃を受け、ネルソン提督を含めて乗っていたものは海へ投げ出されます。しかし誰かが咄嗟に救命ボートを用意して、生き残ったものがその救命ボートに乗り込みます。途中仲間割れとかがあってボートのメンバーは一人また一人と減っていき、最後はネルソン提督と元首相だけになります。途中でマイクロフィルムに移っているのは防衛用ミサイルの基地で攻撃用ではなく、実はアメリカを騙してその国を攻撃させ、戦争に導いてその後元首相がその国に戻るという計画でした。ネルソン提督は結局自分が水を飲んだ後、残りの水を捨て、元首相が喉の乾きから海水を飲むように仕向けます。結局ネルソン提督が生き残り無事シービュー号に救助されます。

「原子力潜水艦シービュー号」の”The Amphibians”(両生類)

「原子力潜水艦シービュー号」の”The Amphibians”(両生類)を観ました。ある博士が人間が完全に海底で生活できるかという実験のための海底基地を作り、海から全ての食料を取り出して半年が経過。それだけならまだしも、博士は人間の体温を魚なみに下げ、喉に人工のエラをつけて両生類人間を作ることに成功。そして自分自身を両生類人間にしただけでなく、ダイバーを捕まえて次々に仲間を増やしていきます。その海底基地の酸素使用量が予定より20%も少ないことに不審を持ったネルソン提督がクレーン艦長とシービュー号に調査を命じ…といった話。結局人体を改造するのに使った薬物が脳神経に作用して人間の野心と残酷さを助長し、という感じで、シービュー号は両生類人間に爆破されかけますが、何とか助かり、等々という内容です。写真は水槽の水の中で寝ている改造された女性ダイバーです。何か私の世代だとショッカーの改造人間手術を思わせます。

「原子力潜水艦シービュー号」の”Cradle of the deep”

「原子力潜水艦シービュー号」の”Cradle of the deep”を観ました。今回も変な話でウルトラQぽいもの。ややマッドサイエンティストめいた人が、タンパク質から生命を作り出す研究をしていてある程度成功し、それを更に進めるには深海にあるある物質が必要で、ということでシービュー号に依頼がかかります。しかし提示された場所は「潜水艦の墓場」と呼ばれた難所で、クレーン艦長は反対しますが、ネルソン提督の命令で仕方なくそこに向かいます。その地点で必要物質を採取し、試験物質に加えた所、手応えがあって、タンパク質は生命と化して成長を始めます。その科学者はシービュー号に24時間その地点に留まるように依頼しますが、地震計が大きな海底地震の徴候を示しており、シービュー号は間一髪で脱出します。その間に人工生命は一晩で急速に成長しました。その成長速度は速く、コンピューターに計算させたら、3時間で倍の大きさになります。ネルソン提督は人工生命がシービュー号を破壊しない前に全速力で基地に戻るように命令します。しかしネルソン提督とクレーン艦長が眠っている間に、艦は円を書いてぐるぐる回っていただけで、同じ位置に留まっていました。その間指揮を執っていたチップ以下は全員酔っ払ったようになっています。これは、「謎の円盤UFO」でも出てきましたが、低酸素状態が長く続いた時の症状で酩酊状態とそっくりになります。人工生命は酸素を元に成長しており、それが艦内の酸素をかなり吸ってしまったため、窒素濃度が高くなって低酸素症を引き起こしたのでした。結局人工生命が大きくなりすぎない内に基地に戻るのは不可能になり、ネルソン提督も人工生命の抹殺を決断します。人工生命は炭素を取り過ぎると駄目になるということで、シービュー号中の消化器が集められ二酸化炭素が放出され、何とか人工生命を倒しますが、元々その人工生命を作った科学者は人工生命に押しつぶされて死亡します。ネルソン提督は旧約聖書の創世記を読んで、人間が生命の創造なんかに手を出してはいけないんだ、みたいな科学者とは思えないことを言って終わりとなります。

安斎伸彰7段の「決定版!囲碁9路盤完全ガイド」

安斎伸彰7段の「決定版!囲碁9路盤完全ガイド」を読了しました。私は、囲碁の基本トレーニングとしてずっとAI(最近は「天頂の囲碁(Zen)」)との9路盤対局を繰り返してきました。9路盤で19路盤の布石の勉強をするのはほぼ不可能ですが、接近戦や死活のトレーニングとしては9路盤は非常に優れていると思います。最近、「トライボーディアン」という、囲碁9路盤、将棋、オセロの3つの異なるボードゲームを同時に行う大会が行われており、以前より9路盤への関心が高まっているようで、そこにこの本が登場しました。黒の初手を「天元」「星」「高目」の3つに限定し、初手以降の変化手順を研究したものです。しかし、9路盤とはいえ、一つの図の手順はそれなりに長く、私の棋力ではちょっと変化を追い切れない感じです。また「完全ガイド」となっていますが、AIが打ってくる手を全て網羅しているものでもありません。19路盤に比べて石が置ける場所はわずか81箇所に過ぎませんが、それでも変化は膨大であり、この本一冊で全てがカバーされたりはしません。
一つ嬉しかったのは、私が以前からAIに対する有力な手として打っている、星の対抗布石で、付けて跳ねた時、引くのではなく突っ張る手が、この本(右側写真右上の図)で「こういう風に忙しく打ちたい」ということで推奨の手になっていることです。この手については、以前このブログの中で紹介しています。

NHK杯戦囲碁 結城聡9段 対 山田規三生9段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が結城聡9段、白番が山田規三生9段のほぼ同世代の対決です。布石で右下隅で黒が下辺で厚みを築き、白が隅で大きく実利を取るという分かれになりました。しかし白は本手では2線に下がって隅を取りきるべきなのをある意味欲張って右辺に一間に飛びました。局後の感想戦で示されたことは、黒からすぐにでも劫にする手があり、白の一間トビは失着でした。しかしこの劫は結局決行されず、局面が大きく動いたのは、白が左辺の黒に対して左下隅からツケふくらんで利かしに行った時でした。白からすれば黒に一手守らせてから右辺に回る予定であり、それが実現していれば白が優勢だったと思います。しかし黒は反発して中央を一本出てからハサミ付け、白に継がしました。この結果中央の白と左下隅の白の連絡に不備が生じ、黒から両ノゾキを打たれてしまいました。この結果中央の白は左下隅から切り離され独自に活きなくてはならなくなりました。黒は下辺に厚みがあり、こういう展開になるとその厚みが100%働いて来ます。黒は更に中央の白を攻めながら右上隅から右辺を大きくまとめることが出来、黒の理想的展開になりました。更には序盤の白の借金である右下隅の劫も残っており、結局中央の白は活きるだけの手はあったと思いますが、それでは右辺が大きくまとまって勝てません。なので白は右辺になだれ込んで黒地を消しながら活きることを目指しましたが上手く行きませんでした。最後は左辺の黒との攻め合いを目指しましたが、これも眼を取ること自体が大変で手が長く、ここで白の投了となりました。

Kyoji Shirai: Shinsen-gumi

Heibonsha: the first volume of the complete set of public romacnes (Kyoji Shirai)

The current available version of Shinsen-gumi published by Kodansha.

Let me introduce today another great work of Kyoji Shirai, namely “Shinsen-gumi”.
Shinsen-gumi was serialized from 1924 through 1925 on a weekly magazine “Sunday Mainichi”. Sunday Mainichi was published by Mainichi Newspapers Co., Ltd as the first weekly magazine in Japan. As the name shows, the magazine was first published as a Sunday issue of Mainichi newspaper. Since the distinction between normal newspaper and this weekly magazine was not clear for many readers, the number of prints remained stagnant in the early stage. The publisher then tried to make the contents of this weekly magazine clearly different from daily newspapers and it placed Kyoji’s new romance on the top of the magazine. It was a kind of gamble for the publisher, but very interesting stories of Kyoji’s novel attracted many new readers and the financial status of the magazine was thoroughly stabilized.
Another important topic related to this romance is that it was put in the first volume of the Heibonsha’s complete set of public romances, to which Kyoji committed himself very much. The fact that 330 thousands copies were sold for the first volume brought a big success to this set.
Shinsen-gumi was a group of Samurai warriors who guarded Kyoto under the authority of the Tokugawa Shogun regime from around 1863 through 1867. Many members of Shinsen-gumi took rather violent and brutal ways to guard Kyoto and killed many pro-Imperialists by their Japanese swords. Shinsen-gumi was one of the most favored topics for many novelists of public romance at that time.
Kyoji, however, did not write an usual story related to Shinsen-gumi. The story of the romance was mostly of battles between three different schools of spinning tops. Spinning tops were not only toys for kids but also a genre of street performance in Japan. A school of spinning tops here means combination of street performers and meister-level artisans. The first battle was between Orinosuke of Tajimaryu school and Monbee of Kinmonryu school. In this battle, two beautiful ladies were the prize of the battle, and the lady of the lost side had to be gifted to a foreign merchant. The second battle was between Orinosuke and Inosuke of Fushimiryu in Kyoto. In the second battle, both participants tried to get the heart of a lady.
These battels of spinning tops described in this romance were technically very deep and enthusiastic. For example, the both sides selected very special types of wood for their tops and the battle started from guessing which type of wood the counterpart selected. Orinosuke used one very special wood growing on the Nokogiri-yama mountain in Chiba, while Monbee selected one growing on Ontake mountain in Nagano. The Monbee’s top could generate strange wind while it spins trying to weaken the rotation of the counterpart’s top. The Orinosuke’s top, however, was not affected by the wind from the Monbee’s top, since he used a special wood growing on Nokogiri-yama mountain. (It means that Monbee failed to presume the type of wood used for the Orinosuke’s top). This kind of “professional” battles between two craft-persons attracted the then readers much and made them excited.
On the contrary to the battles of tops, Shinsen-gumi plays only in the background of the stories. Orinosuke witnessed the famous Ikedaya incident in which Shisen-gumi killed many famous pro-Imperialists. Kyoji developed a new way of fights between appearing characters in a romance other than sword battles (Chambara). This can be compared to the fact that he adopted a battle by debates in Fuji ni tatsu Kage.
The impression of this romance to the readers was tremendous and people requested Kyoji to write another romance of this type and it distressed Kyoji later for a long period, since he was thinking that he was always trying to change his styles and did not want to stay at the same stage.

包丁研ぎ

家で包丁を使うのは、今は基本的にリンゴ・柿・梨などの果物の皮を剥くときだけですが(私は子供の時亡母に教わったし、実際に小学生の時は朝食を作っていたりした関係で、それなりに果物の皮を剥くのはそこらの若い女性より多分うまいです)、何故か包丁の切れ味には凝っていて、現在砥石3種(荒砥、中砥、仕上げ砥)と、その砥石が平らでなくなった時に使う砥石を研ぐ砥石と、その時砥石に振りかける人造ダイヤモンドの粉まで持っています。
と道具に凝るのはいいですが、なかなか「丸研ぎ」といわれる角度が不均一な研ぎから脱却出来ていません。要するに研ぐときに刃物を砥石に当てる角度を一定にする、ということです。この角度は万能包丁の場合15°くらいみたいですが、私はこの角度に保ってくれる当て板みたいなのがないかと思って探してみましたが見つかりませんでした。素人の「丸研ぎ」でも、まったく研がないよりは切れ味は向上しますが、結局その切れ味が均一ではなくムラが出ます。Webで調べると、丸研ぎにならないこつは、
(1)包丁を砥石に対し斜めに当てて、包丁と砥石が一度に接触する部分を増やす。
(2)あわてずに、ゆっくり角度を保つようにして研ぐ
(3)砥石がすり減っている場合にはまっすぐに面を直す(このために砥石を研ぐ砥石が必要です。)
(3)については、昔「味いちもんめ」という漫画で、自転車の後ろに紐で砥石をくっつけて引っ張って、アスファルトの面で砥石を研磨する、というのが出てきましたが、その方法は危険ですし、また砥石が均一に平らになる保証もありません。

ということで、今回念のためもう一度角度を保つ当て板みたいなものがないか探してみたら、何と複数の会社から出ていました。早速Amazonで注文して取り寄せました。早速使って研いでみましたが、なかなかいいです!角度そのものは私が思っていたよりも大きい感じでした。治具が砥石とすれて邪魔になるんじゃないかと思われる方があると思いますが、接触する部分はセラミックになっていて簡単にすり減らないようになっています。また研ぐ時に邪魔になる感じもあまりありません。却って束に近い方を研ぐ時はこれまで束が砥石に当たってうまく研げませんでしたが、この治具付けるといい感じになります。
ただ、この治具はあくまでも一般的な洋包丁の万能包丁向けだと思います。刃も薄く、また刃の高さもあまりない包丁などをこれを使って研ぐと角度が正しくなくなると思います。