アーウィン・アレンの「地球の危機」(原子力潜水艦シービュー号)

原子力潜水艦シービュー号(”Voyage to the bottom of the sea”)の「地球温暖化エディション」を観ました。(邦題「地球の危機」で、TV版の元になる映画版です。)こっちの温暖化は、今の地球の温暖化のレベルではなくて、隕石がヴァンアレン帯にぶつかった結果、ヴァンアレン帯が燃えだし、地上の気温は130℃を超えて150℃にもなり、ジャングルは燃えだし、水は干上がって、という危機的状態になります。シービュー号は処女航海で南極の下を航行中でしたが、この急速な気温上昇で南極の氷が崩落して水中に落下し、シービュー号にぶつかり初めてこの危機を知ります。艦長のネルソンは優れた科学者でもあるという設定で、この危機を回避するにはマリアナ沖から核ミサイルを発射してヴァンアレン帯の炎を吹っ飛ばすしかないと考え、国連での会議で提案しますが、炎はそのうち燃え尽きるからそんなことは必要ないと主張する科学者が現れ、合意を得られません。艦長は「私が必要なのはアメリカ大統領の許可だけだ」と言い放ち、シービュー号をマリアナに向けて出発させます。マリアナで必要な日時にミサイルを発射するためには、全速力で向かわないと間に合いません。しかし、クルーの間には艦長への不信が次第に高まって…といった話です。さすが後年のパニック映画の巨匠だけあって、次から次にシービュー号に危機が発生します。ただ、潜水艦の装備は、今の眼で見るとかなり原始的でちゃちに見えます。原子力潜水艦自体も1950年代のノーチラスが既にある訳ですから、このTVドラマはSFとは言えません。

「謎の円盤UFO」”Computer affair”

謎の円盤UFOの第2話、”Computer affair”を観ました。第1話のちょっとおちゃらけた雰囲気から一転してかなりシリアスな話でした。ムーンベースでやってきたUFO1機を撃墜するため、インターセプター3機が出撃しましたが、ミサイルは3発とも外れます。(第1話でも3機が全部外していました。)インターセプターは機首の核ミサイル1発を打ってしまうと後は武器がない、という何とも不思議な迎撃戦闘機ですが、エリス中尉は3機に回避行動を取らせますが、結局1機が撃墜されてしまいます。攻撃をかいくぐったUFOはその後地球に侵入し、カナダの湖の中に隠れます。事態を重く見たストレイカー司令官が、エリス中尉とインターセプターのパイロット2人を地球に呼び戻し、精神鑑定を受けさせます。その分析結果が、前回はセクハラ全開ドラマでしたが、今回はpolitically correctでの問題ドラマで、何とエリス中尉がパイロットの一人が黒人であって、その人に対して実は特別な感情を持っていて指示が遅れた、というもの。その後UFOは湖から飛び立ち、スカイ1が一撃し、再びカナダの森林地帯に不時着します。フリーマン大佐はエリス中尉の嫌疑を晴らすため、2人にチームを組ませて、モービルで森の中のUFOを攻撃させます。といった話です。最後の結論は、エリス中尉の判断は正しく、そうしなかったらインターセプター3機共やられていた、というものです。(何かトロッコ問題みたいですが。)
写真は読者(?)サービスの、プライベートでのエリス中尉です。何故かプライベートの時の方がメークは大人しくこちらの方がいいですね。

白井喬二の「民主のおもかげ 福翁自伝の話」(エッセイ)

「日本の古本屋」サイトで、また白井喬二のものを数点入手。これはもう私のライフワークの一つになっています。残念なのはもうすぐ著作権の保護期間が作者の死後50年から70年に延長になることです。死後50年は白井喬二の場合2030年で、まだそのぐらいだったら私も生きていて、青空文庫での白井作品の公開に協力できたと思いますが、70年になってしまうと2050年、生きていたとしても89歳で、もはや何かやろうとする歳ではないですし、死んでいる可能性の方が多分高いです。まあ書誌情報で新しいものがあったら、せっせとWikipediaの白井喬二のページに追加するくらいしか出来ないですね。
今回のは発表誌が大変珍しく、「旭の友」という長野県警が昭和22年に出している非売品の機関誌です。この当時、白井喬二は長野県内に疎開してまだ東京には戻っていませんでした。また、白井喬二のお父さんは警察官だったのでそういう縁で依頼された書いた物だと思います。内容は「民主のおもかげ 福翁自伝の話」という2ページのエッセイです。白井喬二は戦後長野県の青年のため、福沢諭吉の「学問のすゝめ」を現代語訳していますので、その関連で調べたことをエッセイにまとめたのだと思います。

山田康弘の「つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る」(または「日本の考古学の非科学性」)

山田康弘の「つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る」を読了。この本を読んだのは、「歴史をどう科学として扱うか」という興味関心の延長線上で、以前から考古学(日本の)の非科学性というものが目について仕方がなかったからです。特に、日本の考古学が提唱する時代区分である「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」というものに、かなり以前から相当な嘘くささを感じていました。

1.縄文時代
この時代区分は、いわゆる「縄文式土器」から来ていて、「土器に縄目状の模様がある」ことを特徴としての時代区分です。しかし、いわゆる弥生式土器(最初に本郷弥生町から発掘されたもの)にも「縄目」は存在します。従って、土器の模様は時代を区分するものとしてはおよそ適当ではなく、敢えて言うなら、「低温焼成土器」「高温焼成土器」とでも言うしかないと思います。
しかも、世界的な言い方では、日本の縄文時代は「新石器時代」または「金石併用時代」に過ぎません。何故日本だけ独自の言い方を採用しないといけないのか。しかも、議論が色々ありますが、約13,000年も続いた時代であって、それを十把一絡げに「縄文時代」と呼ぶのは大雑把すぎます。後から「草創期・早期・前期・中期・後期・晩期」といった区分が作られましたが、これもかなり適当です。またこの時代には(現在の)日本の内部での地域による差はかなり大きかったと思いますが、そうした地域的差異を塗りつぶしてしまいがちです。
しかもこの本によれば、「縄文時代・弥生時代」という区分は戦後になって、いわゆる発展段階史観に基づいて作られたものであることが明らかにされており、かなりな意味での非科学的な名称だと言わざるを得ません。

2.弥生時代
弥生時代の「弥生」はそもそも弥生式土器が最初に発掘された本郷弥生町の地名から来ています。従って「弥生時代」とは本来は「弥生式土器の時代」という土器の編年に基づく時代区分でした。しかし、それがいつからか「日本で稲作が定着した時代」という風に、生活様式による時代区分にすり替えられてしまいます。しかもその稲作にしてからが、福岡の板付遺跡や佐賀の菜畑遺跡などの発掘調査が進んだことにより、稲作が日本で始まったのが従来考えられていたよりもはるかに古く、縄文時代の晩期どころか下手したら後期にまで遡ることが明らかになります。そこで考古学者が行ったことは、これまた非常に理解に苦しむ内容ですが、弥生時代の始まりを500年も繰り上げるというある意味暴挙に出ました。また、更に理解不能なのが、「生活様式」をその時代の定義にしたために、現在の日本列島全体を指し示す時代区分としては使用出来ないということです。つまり、稲作は東北地方にまでは伝わりますが、北海道ではなかなか稲作は行われませんでした。そのため、考古学者は北海道は縄文時代が続いたとして、「続縄文時代」なる奇妙な時代をでっち上げます。

それまで考えられていたのは縄文時代が狩猟採集文化で、弥生時代になって稲作が伝わったことにより定住が進んだとされていましたが、これはまったくの間違いです。青森の三内丸山遺跡の発掘で分かったのは、縄文時代の中期に既に定住とそれによる大規模集落が作られており、そこでは栗や大豆などが栽培されていたとされています。そうだとすると、縄文時代と弥生時代を区別する意味が薄れてしまっています。弥生時代は「稲作」なんだとする説も、その後の日本にとって稲作が重要であったからということから遡って考えている傾向が伺えますし、また稲作の普及は従来は150年程度で九州から東北まで広まったことになっていましたが、現在の研究では500年以上かかっており、その過程ではおそらく行きつ戻りつがあったのだと思います。このことからも縄文時代→弥生時代という切り替わりはきわめて曖昧だと言わざるを得ません。

縄文時代に文字が使われていた証拠はどこにもなく、文書による記録はどこにもありません。しかしだからといって縄文時代の人々を「原始人」的に考えるのは明らかに間違ったイメージであり、また逆に「原始共産制」的なユートピアと考えるのもまったく根拠のないイメージ操作です。科学にとって大事なことは、はっきりと分かっていることと、まだ分かっていないことをきちんと区別することだと思います。しかし考古学においては、多くの場合、きわめて限られた資料から空想を膨らませまくったような説が堂々とまかり通っていて、人々のイメージを誤った方向に導いている事例が多数見られます。(一番悪名高いのは江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」です。)この本で紹介している「縄文人の死生観」も私は眉唾を付けて考えています。考古学の問題は、藤村新一の発掘品捏造事件の時に見られた相互批判の十分行われない閉鎖的な体質以外にも沢山有ります。

「謎の円盤UFO」”Identified”

タイムトンネルは観終わったので、次は1970年放映のイギリスのSFドラマ(ジェリー/シルヴィア・アンダーソン製作)の”UFO”(「謎の円盤UFO」)です。第1話”Identified”を観ました。このドラマは私はSFのTVドラマでの最高峰だと思っています。ともかく設定がリアルで、特にこの第1話でUFOで宇宙人が地球にやってくるのは、地球人の内臓を採取して、自分達の体に移植するため、というかなりグロテスクな設定がリアル感を高めています。このドラマの特長として、そうしたシリアスな設定の一方で、SHADOの女性職員(兵士)は何故か揃いも揃ってセクシーなユニフォームで、SKYDIVERの女性兵士に至ってはシースルーで胸が見えてしまっています。それでムーンベースに行くと何故か女性は全員紫色の髪で、この辺りジェリー・アンダーソンの趣味というより、奥さんのシルヴィア・アンダーソンのアイデアではないかと思います。またSHADOの男性職員(兵士)も軍務中でありながら、女性を口説くのを忘れません。この辺り007とかの影響でしょうか。ともかく子供向けが多かったSFドラマの中で、この番組だけがはっきりとアダルト志向でした。
吹き替えじゃないので初めて観ましたが、ストレイカー司令官(エド・ビショップ)の実声が意外とかん高い感じなのが意外でした。日本の吹き替えではかなり渋い感じで、「沈着冷静」という説明にぴったりあっていましたから。
なお、日本語版では、ムーンベースからインターセプターが出撃する時に、何故かサンダーバードの音楽が流れますが、あれはオリジナル版にはありません。音楽はどちらもバリー・グレイですが。

NHK杯戦囲碁 結城聡9段 対 潘善琪8段

本日のNHK杯戦の囲碁はまたしても高校野球のため13:30からの放送で、やむを得ず録画で視聴。黒番が結城聡9段、白番が潘善琪8段の対戦でした。この碁の最初の焦点は、黒が下辺-右辺にかけて大きく構えて、白がそれをどう消すかということで、上辺の星の黒にケイマに上から望んだ時でした。黒は辺を直接受けずに右上隅をこすんで三々入りを消しました。白は黒が受けなかったので付けていって、黒がはねたのにさらにはねて行きました。ここで黒は切りを入れて白につがせ、左側を継いで白に1子取らせ、上辺を渡っていれば普通だったと思いますが、白に割り込むように当たりをする、というかなり強情な手を打ちました。この後数手進んで、白が両当たりになる切りを打ち、どちらかの黒を取っていれば普通でしたが、白は中央を延びて、中央重視で打ちました。上辺の白は取られましたが、その間に白は左上隅から左辺にかけて大きな模様を築くことが出来ました。その後白が右辺に侵入してほぼ活きた(場合によっては劫残り)後、黒は左上隅から左辺の白模様に潜入しましたが、結果的には、黒は左辺で多少白地を減らすことが出来たものの、中央でかなりぼろぼろと取られて、この辺りははっきり白がリードしていたと思います。潘8段に取って悔やまれるのは、黒が右下隅を利かしに来た時に、中央に出る手を見て、中央を頑張りすぎたことです。すかさず結城9段に眼を取る手を打たれ、白は一眼しか無く、右辺と下辺の黒のどちらかとの攻め合いに持ち込もうとしましたが、どちらも結局うまくいかないで両方とも二眼の活きとなってしまいました。そうすると右下隅の白は攻め取りにもならず手入れも不要ということで、白の大幅な損であり、ここで一気に形勢が逆転しました。白はその後投げ場を失ってしまって最後まで打ちましたが、黒の22目半勝ちという大差になりました。一瞬のチャンスを捉えた結城9段はさすがですが、途中までの打ち方は必ずしも感心できないものでした。

細田守の「未来のミライ」

「未来のミライ」を観てきました。何というか、お盆シーズンにピッタリの映画でした。素晴らしい作品という程ではないですが、佳作でした。主人公のクンちゃんは4つか5つぐらいだという設定でしょうが、その頃って現実と空想と夢の世界がきちんと区別されていなくて、ごちゃごちゃになっていますが、そういう子供の視点が良く表現されていたと思います。クンちゃんが家出するシーンで近未来の東京駅が出てきましたが、なかなか良く描写されていました。龍の新幹線はトトロの猫バスに匹敵する面白いギミックでした。その新幹線は迷子で引き取り手がない子供を「ひとりぼっちの国」に連れていくんですが、丁度英語でlimboという単語があって、意味がまさしくそういう意味(英辞郎によれば、《カトリック》辺獄◆洗礼を受けずに(幼児の時に原罪のままで)死んだが、地獄には行かない人がとどまると考えられた場所。)なんで不思議な符合を感じました。(タイムトンネルでトニーとダグの二人は時のlimboをさまよっていると表現されていました。)なお、Facebookお友達がこのアニメの声優に違和感があったとのことですが、私はまったく気になりませんでした。おそらくクンちゃんの声優が女性だったことを言っているんじゃないかと思いますが、男の子の声優が女性なのは良くあるので、私的にはOKです。

フランク・ハーバートの”Dune messiah”

フランク・ハーバートの”Dune messiah”を読了。「デューン」の最初の話は新訳が出ていたのでそれで読みましたが、続巻の日本語訳は矢野徹大先生ので、その日本語訳はこの間の「人間以上」ので懲りたので、原文をそのまま読むことにしました。毎日Newsweekを読んでいて、余った時間でこれを読んでいたので、ほとんど毎日5分以下、という細切れ読書で読み終わるのに約半年もかかりました。予想していたより英語そのものは短い文章が多くて難しくはなかったのですが、例の「デューン語」と呼ぶべき特殊な固有名詞がやたらと出てきて、本当に知らない語とこのデューン語の区別がはっきりせず、なかなか難物でした。
内容については、「続編に名作無し」の法則がそのまま、というか、正直詰まらなかったですね。今や最強の皇帝ムアディブになったポールに対して、色んな敵対勢力が陰謀でポールを亡き者にしようとしますが、企んでいる時間が長くてなかなか実行されません。ですが最後の方になってポールが一種の核兵器で攻撃を受けて盲目になり、チャンニが双子の赤ちゃんを産み、ゴーラ(複製人間)となって蘇っていたダンカン・アイダホがポールを殺すように刷り込まれていたのに対し、本来の自分の記憶を取り戻し、と急に話が展開し始めます。この巻は、次の”Children of Dune”とセットのようなので、そこまでは読むことにします。しかしその先はたぶん読まないと思います。

イヴァン・ジャブロンカの「歴史は現代文学である 社会科学のためのマニフェスト」

イヴァン・ジャブロンカの「歴史は現代文学である 社会科学のためのマニフェスト」を読みました。丁度歴史学と社会科学の関係を考えていた所に、タイムリーに読売新聞の書籍欄で紹介されていて購入したもの。筆者は1973年生まれでパリ第13大学の教授。タイトルが示す通り、この筆者は歴史の記述と文学を、元はある意味一体化していたものが、19世紀から20世紀初頭の科学主義によって切り離されてしまったものを再び元に戻すことを提唱しています。そして単にそういう方法論を提案するだけでなく、その実践編として「私にはいなかった祖父母の歴史」という本を書き、歴史学の世界と文学の世界の両方から高い評価を得ているそうです。この筆者が主張するように、確かに歴史の記述は元は文学とは切り離されないものでした。我々がトロイア戦争に言及する場合には、ホメロスの「イーリアス」に準拠するしかありませんが、「イーリアス」は叙事詩であり、まさしく文学そのものです。また、例えば日本の第2次世界大戦の歴史について知ろうとする場合、歴史の教科書の単なる年代順の事実の羅列では、その時代をきちんと理解することはほとんど不可能です。その時代の日本の軍隊の中が一体どのような雰囲気であったのか、歴史の本に記述されているケースは非常に少ないと思いますが、野間宏の「真空地帯」や大西巨人の「神聖喜劇」のような優れた小説は、どんな歴史書よりも日本の軍隊の内実というものを読者に理解させてくれます。また、バルザックの「人間喜劇」は、登場人物の類型化によって、19世紀のフランス社会をどんな歴史書よりも的確に記述してくれます。以前書いたように、私は社会学における「理念型」が、その起源は文学における「フラット・キャラクター」(類型化されていて、いつも読者が期待するような行動を取る人物。E.M.フォースターの命名による)なのではないかと思うようになりました。

保城広至の「歴史から理論を創造する方法 社会科学と歴史学を統合する」

保城広至の「歴史から理論を創造する方法 社会科学と歴史学を統合する」を読みました。「歴史をどう学問的に扱うか」「社会科学にとって理論とは何か、そしてその検証方法は」ということに関心があって、マイヤーとヴェーバーの「歴史とは科学か」に続けて読みました。結論としてこの本は最近の情報をよく整理してあり、それなりに筆者なりの新しい試みも行っており、まあまあ評価出来るものでした。しかし、以下の点で疑問が残ったり、また異論があります。
(1)「中範囲の理論」の「中」範囲とは何か?
この筆者はマートンの用語を借りて、扱う問題・時間・空間に限定を加えた「中範囲の」理論というものを提唱します。しかし、「中範囲」があるなら「大範囲の理論」「小範囲の理論」とは何なのか、今一つ明らかではありません。この本に述べられているものは、私に言わせれば「小範囲の理論」に過ぎないと思います。というか個人的には社会科学においては、結局どんな時代や社会にも適合するような「大理論」は存在せず、全ての理論化の試みは「小理論」に過ぎないのではないかという思いを強く持っています。
(2)歴史学と社会科学の結合
歴史学者は社会科学の学者に対し、自分達が苦労して調べたことを好き勝手に援用し、自分で事実を調べもしないで勝手な理論化を行っていると非難し、社会科学者は歴史学者が近視眼的過ぎて、森を見ないで木だけを見ていると非難します。これはマイヤーとヴェーバーの時代からそうで、今も同じ状況が続いているみたいです。これに対し筆者は(1)の「中範囲理論」で扱う問題・時間・空間に限定を加えることで、その限られた時空間に対しては歴史学者として事実の収集を行い、その上で社会科学的な分析を加えることを提案して、実際に実践もしているようです。しかし、歴史の流れというものを無視して、ある限定された時空間だけを切り出して分析するということ自体が、既に歴史学の立場からすると相容れないもののように思います。また、ヴェーバーの時代は、社会科学の各分野は現在のように細分化されておらず、経済学は法学部の中で扱われていましたし、また社会学もその中から産まれて来ました。そして、ヴェーバーの時代には各分野の学者はかなりの部分垣根を越えて意見を戦わせていたように思います。ヴェーバーとマイヤーが論争しているのもそのいい例だと思います。さらにはハイデルベルクのヴェーバーの家で、ヤスパースやトレルチなど分野の違う学者が文化的サークルを作って交流していたことも周知の事実です。それに対し、今のアカデミズムでの一番の問題点と私が思うのは、各人が自分の極めて狭い専門分野だけに関心を限定し(しかもしばしば研究テーマの選択がある意味非常に恣意的かつ時には奇妙でさえあって)、他の広い分野の人間と積極的に意見交換をしなくなっていることだと思います。私に言わせれば、歴史学者と社会科学者を一人で兼ねなくても、お互いにお互いの素材を利用して活発な議論や相互批判を行って、少しでも真実に近づけばいいのだと思います。
(3)マックス・ヴェーバーと「解釈学」
この筆者は、ヴェーバーのいわゆる「理解社会学」を解釈学と呼んでいます。この言い方はヴェーバーの学問を理解する上でも、また「解釈学」という言葉の使い方でも間違っていると思います。ヴェーバーの方法論は「理解社会学のカテゴリー」が一番良くまとまっているかと思いますが、人間の行為の意味を社会における集団形成の推進力の元としてのゲマインシャフト行為、ゲゼルシャフト行為といった形で定式化して、社会の動きのダイナミクスを捉えようとするものだと、私は思っています。ウェ-バーの方法論のテキストの中に「解釈学」という言葉が出てくるのを私は記憶していません。また「解釈学」の方も、本来の意味は聖書などの「テキスト」をどのような意味に解釈するかの学問であり、また哲学の世界ではハイデガーが自分の「存在と時間」のことを解釈学と呼んでいますが、ヴェーバー的な社会学においての人間の行為の意味を「解釈する」ための学問、と捉えている人はまずいないと思います。

そういう訳で参考にはなりましたが、特に(3)の点でこの人は元々社会学専攻(現在は国際関係論専攻)でありながら、ヴェーバーもきちんと読んでいないのではないかと思いました。