タイムトンネルの”The death merchant”

タイムトンネルの”The death merchant”を観ました。トニーとダグは今度こそ南北戦争中のゲティスバーグに飛ばされます。トニーは南軍の砲弾に撃たれ、一度半死状態になりますが、例によってタイムトンネル側からの電撃で意識を取り戻します。しかし、そのために記憶を失い、自分を南軍の副官だと思い込みます。ダグは逆に北軍に拾われたため、二人は南北に別れ殺し合うことになります。また、この回初めてのパターンとして、何とあのマキャヴェッリがタイムトンネルによってこの時代に飛ばされてきています。マキャヴェッリとダグの信号が似ていたためだと説明されます。マキャヴェッリは戦争を楽しみますが、それだけではなく、大量の火薬を仕入れてそれを形勢が不利な南軍側に渡そうとします。(現代の日本ではマキャヴェッリの現実的な政治哲学というものはそれなりに高く評価されているように思いますが、この当時のアメリカでは「悪の哲学者」という扱いでかなり評価は低かったように、このドラマでの描写からは判断されます。)ダグはその火薬を爆破しようとしますが、火薬を南軍に役立てようとするトニーと殴り合いになります。このタイムトンネルは毎回のように二人の格闘シーンがありますが、トニーとダグの仲間同士が殴り合うのは今回が初めてです。そういえばマキャヴェッリと一緒にその愛犬のマスティフ犬も一緒に飛ばされていましたが、その理由の説明はありませんでした。その犬だけをまずルネサンスのイタリアに転送した所でタイムトンネルは爆発を起こし、復旧でフーバーダム(アリゾナとネバダの州境にあります)から電気を引っ張ってくるというのが出てきます。

タイムトンネルの”Chase through time”

タイムトンネルの”Chase through time”を観ました。今回のはなかなかSFしていて、飛ばされる時代もAD100万年とBC100万年という両極端の2つの時代です。ニモンというタイムトンネルのエンジニアが実はスパイで(それにしても最高の軍事機密の筈なのにこのセキュリティーの甘さ…)、タイムトンネルの装置の中に核爆弾を仕掛けてそのままタイムトンネルの中に入り、トニーとダグと同じ時代(16世紀)に飛ばされます。タイムトンネルの制御室からの要請で、そのニモンを追いかけていた二人ですが、今度は紀元100万年という未来に飛ばされます。そこでは人間はハチのような社会を作って暮らしていましたが、タイムトンネルの技術は失われていました。ニモンは二人よりも10年前に飛ばされており、そこでタイムトンネルを構築しようとしていました。ダグとトニーはニモンを見つけ、彼から核爆弾の隠し場所を聞き出そうとしますが、未来人に邪魔されて上手くいきません。そこでまた転送になるのですが、今後は三人に未来人二人を合わせた五人が紀元前100万年に飛ばされます。色々あってようやくニモンから核爆弾の隠し場所を聞き出し、タイムトンネルは間一髪セーフ、二人はまたどこかへ転送され、未来人も多分紀元100万年に戻り、ニモンだけがエネルギー不足で紀元前100万年前に取り残され、巨大原始ハチの餌食になるというお話でした。次回は今度こそ南北戦争です。

坂口安吾の「勝負師 将棋・囲碁作品集」

坂口安吾の「勝負師 将棋・囲碁作品集」を読みました。藤井聡太7段の活躍で将棋がブームになっている関係で復刻されたもののようです。私は坂口安吾については高校時代に「堕落論」を読んだくらいで他の作品はほとんど読んでいませんが、この本については「つまらない」としかいいようがないです。色々と将棋や囲碁に関した本は読みましたが、この本はその中で最低レベルといってもいいかと思います。最近藤井聡太7段が対局の時にどんな昼食を頼んだとか、どうでもいいことが一流ともいえるニュースの会社のサイトでニュースとして出ていますが、そういうのとレベル感は一緒ですね。囲碁に関しては文中の記述を見る限りでは、坂口安吾の棋力は私と同じくらいに思いますが、その割には囲碁の内容に関する文章は0と言ってよく、将棋もまた然りです。私から見れば囲碁の呉清源9段は囲碁の神様みたいな人ですが、そういう神様に関する俗事的なことばかりが書いてあります。また、この時代に覚醒剤が合法だったのは知っていますが、坂口安吾が木村義雄名人に対し、ヒロポンを勧めているのを読むとびっくりします。将棋だったら、山口瞳の「血涙十番勝負」「続血涙十番勝負」、囲碁だったら川端康成の「名人」とか、そういう優れた作品に比べたら月とスッポンです。

理念型とフラット・キャラクター

今、フランスの歴史家のイヴァン・ジャブロンカが書いた「歴史は現代文学である」を読んでいます。この本は歴史を科学的に扱おうとして19世紀以降歴史と文学が切り離された物を、もう一度結びつけようとする試みでなかなか興味深いです。
それでちょっと思いついたのですが、社会学で「理念型」(ドイツ語でIdealtypus)という方法論みたいなのがあります。歴史の現象を解釈する上で、観念的に作り出された一種の純粋型のことです。昔は「理想型」と訳されていましたが、「理想」というと価値判断が伴っているようですし、また「売春宿」のIdealtypusもあり得るということで、ニュートラルな「理念型」という訳に落ち着いています。
で思ったのが、この「理念型」の元は、文学における「フラット・キャラクター」(平面的キャラクター)じゃないのかということです。この「フラット・キャラクター」はE.M.フォースターの造語で、対照にされるのは「ラウンド・キャラクター」(立体的キャラクター)です。フラット・キャラクターは、フォースターはディケンズの小説の登場人物はほとんどそうだとしていますが、ある類型的な性格や社会的地位をもっていて常に読者が期待するような行動をする人のことです。(ラウンド・キャラクターはそれとは違い、性格などが次第に変化して深まっていくようなタイプのキャラクターです。)例えば「クリスマス・キャロル」の(改心する前の)スクルージ爺さん、「ディヴィッド・コパフィールド」の悪役のユライア・ヒープ(ロックバンドのユーライア・ヒープはこの名前を借りたものです)なんかが、まさしくフラット・キャラクターです。
マックス・ヴェーバーは有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、「資本主義の精神」を読者にわかってもらうための「理念型」としてベンジャミン・フランクリンを使います。しかし、それは実在のフランクリンというより、キュルンベルガーという作家の書いた「アメリカにうんざりした男」という詩人レーナウのアメリカ体験を元にした小説に登場する「カリカチュア化したフランクリン」であり、まさしくフラット・キャラクターそのものです。
もちろん、「理念型」は人間だけに使うものではないのですが、少なくとも小説におけるフラット・キャラクターの使用の方が社会科学よりはるかに先なんではないかと。

NHK杯戦囲碁 三村智保9段 対 呉柏毅4段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が三村智保9段、白番が呉柏毅4段の対戦です。呉4段はNHK杯戦2回目です。布石は比較的オーソドックスですが、白が右下隅でコスミツケられてかけた後、手を抜いたのがちょっと珍しいかと思います。しかしその後はどちらかと言うと白が手厚く打ち、黒が走って、という状況になりました。ポイントとなったのは、白が左辺の黒を攻め、黒への出切りを狙ったシチョウアタリを兼ねて上辺から右上隅の黒にからんでいった所で、白はうまく利かせて中央を厚くしました。それから白は左辺の黒に襲いかかり、眼を取る手を打ちましたが、黒がタケフでつながるのではなく、空き三角の愚形ですが、白のダメを詰めて受けたのが好手で、白は中央の黒を切り離して左辺の黒を封鎖しましたが、黒はまず左下隅に飛び込んで一眼を確保し、さらに先ほどダメを詰めた効果で、白に当たりをしてもう一眼持つ手が出来たので、先手で生きることが出来ました。こうなると白の攻めは空振りで、実利で先行した黒がリードしました。白は厚みを生かして中央にどれだけ地をまとめるかが勝負でしたが、黒は巧みに上辺の白の薄みを突いて中央に進出し、大きな地を作らせませんでした。それでも白は厚みを生かして寄りつき、また右上隅で劫に勝って黒地を削りましたが、右下隅の黒地への侵入がやや中途半端に終わり、黒のリードは変わりませんでした。最後、右上隅で黒が白2子を取り込み、ここで黒の中押し勝ちとなりました。

タイムトンネルの”Pirates of Deadman’s Island”

タイムトンネルの”Pirates of deadman’s island”を見ました。この回ではダグとトニーは1805年の地中海上の海賊船の上に飛ばされます。二人は、スペイン国王の甥である10歳の少年と一緒に海賊に捕まります。二人が殺されそうになったのを、この少年が機転を利かせて自分の召使いがいる、として二人を救います。実はこの当時アメリカは第一次トリポリ戦争の真っ最中で、北アフリカのオスマントルコ支配下の国と交戦中でした。その関係で海賊船もアメリカ海軍の船により攻撃を受け、ダグは砲撃により意識を失い、心停止状態になります。スペイン国王の甥も肩に重傷を負い、二人とも危険な状態になります。これをタイムトンネルの制御室から見ていたのが軍医のバークレイ(ベン)でした。彼はこの日が60歳の定年で軍を去ることになっていましたが、二人の状態を見て、「自分が行く」と志願します。戻れないであろうことは承知の上です。ベンの固い決意にカーク司令官も折れ、ベンが1805年に転送されます。このベンの行為はとても英雄的で感動します。(ここで観られます。)ダグとトニーはやがてまた別の時代に転送されましたが、ダグとスペイン国王の甥を救ったベンは、1805年のアメリカ海軍の船に残り、そこで軍医をしていくことになります。ちなみに、今回もお約束の誤転送でよりによって海賊の親玉を転送して現在に連れてきてしまい、その海賊がアンを人質に取って大暴れします。

タイムトンネルの”Billy the kid”

タイムトンネルの”Billy the kid”を観ました。ダグとトニーは今度は1886年のニューメキシコに飛ばされ、そこでビリー・ザ・キッドの一団と遭遇します。(ビリー・ザ・キッドは21年の生涯で21人を殺したならず者でかつ銃の名手です。)ビリーに殺されそうになったトニーを助けるため、ダグは一味の銃を奪ってビリーを撃ちます。ビリーが倒れた隙に二人は馬を奪って逃げます。しかし、ビリーを撃った弾はベルトのバックルに当たって、ビリーは生きていました。一人で追ってきたビリーを二人は一度捕らえます。トニーが町の保安官にそれを知らせに行きますが、その時ビリーのテンガロンハットをかぶって行ったのと、ビリーの銃を持っていったため、町でビリー・ザ・キッドと間違われ、町の人に殺されそうになります。そこにビリーを良く知っている保安官のパットが現れ、トニーを救い出します。二人でビリーを捕らえているダグの所に向かいますが、ダグはビリーの仲間に襲われて馬で逃げ出していました。そこでダグはビリーと1対1の決闘をする羽目になります…

今回、何かスラングめいたのが多くて、よく聴き取れない英語がいくつかありました。ビリーが二人のことを”Dude”と呼びますが、それは西部にのこのこ観光にやってきた東部の都会人を嘲って言う表現みたいです。

タイムトンネルの”Idol of death”

タイムトンネルの”Idol of death”を観ました。今回の舞台は16世紀初頭のメキシコでスペイン人のコルテスによるインディオの虐殺を描いています。コルテスはインディオ達から崇められるように、ある部族に伝わる黄金のマスクを手にいれようとします。タイムトンネル側は例によってこの辺りの地理に詳しい男を連れてくるのですが(どうでもいいですが、こんなにいつも外部の人間を連れ込んでいたら、セキュリティーなんかまるでないと思うのですが)、これが飛んだ食わせ物で、遺跡の盗掘を生業としている男でした。コルテスが探している黄金のマスクこそ、彼が20年間手に入れようと必死に探していたもので、彼はマスクがある洞窟の位置を教える代わりに、その黄金のマスクを現在に転送して自分のものにしようとします。その過程で洞窟にタイムトンネルの大きなパワーがかかり崩れ始め、止む無く向こう側の時間を凍結せざるを得なくなります。しかしその盗掘男が銃を取り出して、黄金のマスクを持って逃げようとし…といった感じでなかなか緊張感あふれるストーリーでした。もう一つ、トニーとダグに助けられながらスペイン人と渡り合っていたインディオの少年が最初は単なるビビリでまったく役に立たなかったのが、黄金のマスクを守る使命に目覚め、勇敢な男に短期間で成長し、インディオの酋長となります。

タイムトンネルの”The Walls of Jericho”(エリコの壁)

タイムトンネルの”The Walls of Jericho”(エリコの壁)を観ました。オカルトの次は宗教で、今度は旧約聖書のユダヤの時代に二人は飛ばされ、予言者ヨシュアに出会います。英語がどうして通じるのかという突っ込みはいい加減にしておいても、今回二人はいきなりヨシュアに未来から来たということを打ち明けます。そしていわゆる「エリコの戦い」の顛末をヨシュアに伝えると、それはヨシュアだけが神から告げられて知っていた他には伝えていない内容だったということで、ヨシュアは二人を神の使いとみなします。ヨシュア記のエリコの戦いの所では、エリコの町をスパイしにいく二人の斥候が登場しますが、ヨシュアはその役をトニーとダグにやらせます。旧約聖書にはこの二人を助ける遊女のラハブが登場しますが、聖書の内容通りに話は進みます。聖書の内容では、エリコの城壁は、ヨシュアの軍勢の鳴らすラッパの音と勝ちどきの声によって崩れてしまうのですが、タイムトンネルで確認した実際は突然巻き起こった竜巻によるものでした。女性科学者のアンはこれは単なる自然現象だと冷静に受け止めますが、司令官は「我々は奇跡を目撃したんだ!」と大興奮、老科学者は元々この奇跡には懐疑的だった癖に、「信仰あるものから見ればこれは奇跡だ」と発言します。どうでもいいけど、SFというものの立ち位置が不明というか、自己主張がなく単なる宗教ドラマみたいになってしまっています。

タイムトンネルの”The ghost of Nero”

タイムトンネルの”The ghost of Nero”を観ました。いやー、この回もなかなか目茶苦茶。SF+オカルトで、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」もそうでしたけど、この2つを組み合わせるのはアングロサクソンの得意技なのかも。
トニーとダグは第一次世界大戦さなかの1915年の10月に、アルプス山中にあるガルバというイタリアの貴族の山荘に飛ばされ、そこでイタリア軍とドイツ軍の戦いに巻き込まれます。その山荘の持ち主のガルバという貴族は、大昔ローマの皇帝ネロを死に追いやった男の子孫なのですが、何故かその館の地下にカタコンベがあってネロの死体がある、という設定です。ネロの亡霊は、ドイツ兵に乗り移ったり、トニーに乗り移ったりしてガルバの子孫を殺そうとします。タイムトンネル側はトニーに乗り移った時に100万ボルトの電撃をトニーに与えて亡霊をトニーから引き剥がします。しかし、そのためトニーはほとんど半死状態になり、タイムトンネル側はトニーを現在に戻して治療しようとします。しかし、お約束で転送されてきたのはネロの亡霊で、タイムトンネルのコントロールルームの中は大風が吹き荒れ、全員パニック状態に…何のかんのあって、結局亡霊は1915年に戻って、今度はイタリア兵に乗り移ります。でそのイタリア兵の名前が「ベニート・ムッソリーニ」だったというオチです。