堀口茉純の「吉原はスゴイ -江戸文化を育んだ魅惑の遊郭」

「お江戸ル」こと堀口茉純の、「吉原はスゴイ -江戸文化を育んだ魅惑の遊郭」を読了。といっても読んだのはイタリアへ向かう飛行機の中でもう1ヵ月以上も前です。何となくレビューを書きそびれてしまいました。堀口茉純の本は「江戸はスゴイ」に続き2冊目の読書です。タレントの本というとゴーストライターが書いている例が多いと思いますが、彼女の場合は正真正銘本人が書いていると思います。何せ最年少で「江戸文化歴史検定1級」に合格した人ですので。
まず、この本は940円の新書とは思えないくらいカラーグラビアがたくさん入っていて、そこでお得です。吉原を当時の江戸の人がどういうイメージで捉えていたか、口で説明するより当時の浮世絵を見た方がはるかに早いのでこのグラビアの多さは効果的です。また筆者は吉原が女性が搾取される陰惨な場所とするイメージが主に明治以降作られたものであることを指摘し、江戸時代、特に最初の頃の吉原は大名や上位の地位にある武士のための高級な文化サロン的要素を持つ遊び場であったことを指摘します。私もその辺りの実態は落語や時代劇や時代小説で描かれたのを見ているだけですから、本当の所は知りません。まあかなり概説的な本ですので、正直な所得るところが多かったとはいえませんが、それなりには楽しめた本でした。

「タイムトンネル」の”Visitors from beyond the stars”(星の彼方からの来訪者)

「タイムトンネル」の”Visitors from beyond the stars”(星の彼方からの来訪者)を観ました。硫黄島の次は宇宙船の中に飛ばされたのでてっきり未来の話かと思ったら、1850年頃のアリゾナのある町にUFOとエイリアンが現れるという話なので笑ってしまいました。(アリゾナはUFOが多く見られる州として一部で有名です。例えばアリゾナの北方にあるセドナでは多くのUFO目撃談が伝えられていて、UFOに関する一種の「聖地」にさえなっています。)で、そのUFOに乗っている宇宙人が、この頃のアーウィン・アレンのドラマと共通していて「宇宙家族ロビンソン」でもそうなのですが、銀色の服を着て、顔を銀色に塗って、という何とも古くさい宇宙人イメージです。(タコ形火星人よりはましかもしれませんが。)で、その宇宙人が何をしに来たかと言うと、彼らの星でタンパク質資源が足らなくなったので、それを調達に来たということです。それなら牧場の牛とかをまとめてかっさらっていけばいいと思いますが、この宇宙人はせこくて、酒場の親父が備蓄している食料まで持っていこうとします。でも、最後にトニーとダグが彼らの唯一の武器みたいな箱を壊してしまったので、彼らは引き上げます。その後、彼らの星の人間がタイムトンネルのコントロール室に現れ、UFOを捕獲したんじゃないかという嫌疑をかけて、さんざん地球の科学のレベルの低さをあざ笑って、最後は誤解が解けて帰って行く、というお話です。

「タイムトンネル」の”Kill two by two” (2対2の殺し合い、第二次世界大戦中の硫黄島での話)

「タイムトンネル」の日本が出てくるもう一つの話、”Kill two by two”(2対2の殺し合い)を観ました。トニーとダグは今度は1945年2月の南硫黄島に飛ばされます。そこの日本軍の監視所で、年老いた日本兵と若い上官の日本兵に遭遇します。何故か二人とも英語をしゃべり、特に若い方はスタンフォード大学で教育を受けたという設定でネイティブと変わらない英語力です。しかし、何か狂気に取り付かれたような、非常に好戦的な男として描かれています。それで見守っていたタイムトンネルのスタッフが、トニーとダグを転送するために南硫黄島の地理の確認が必要なため、現在ペンタゴンにいて元日本軍兵士で硫黄島を経験しているナカムラを連れてきます。タイムトンネルのモニターで若い兵士を見たナカムラはあれは私の息子だと言います。それによると、特攻を命じられた若い兵士は失敗して不時着しますが、アメリカ暮らしが長かったため、ハラキリをして恥を償うことが出来ず逃げ出しており、死に場所を求めて自棄になっている、という何というかもう無茶苦茶な設定です。そして父親のナカムラの方が、息子もトニーとダグと一緒に転送させないと、南硫黄島の地理についてしゃべらない、と我が儘を言い出します。(転送したって、現在に連れ戻せる訳でもなく、二人と一緒に時の中を彷徨うだけだと思いますが、その辺の矛盾は無視していました。)
さすがにこれは日本での放映は出来ないだろうと納得しました。

SUNVALLEY AUDIO (旧ザ・キット屋)の真空管アンプについて

真空管アンプの主にキットを売っている店で、SUNVALLEY AUDIOというWebショップがあります。以前は「ザ・キット屋」という名前でした。確か豊田自動織機の社内ベンチャーか何かで始まった店だと思います。オーディオ好きの人は、真空管アンプをいつかは使ってみたいと思ってここの製品も候補に挙げるかもしれませんが、私に言わせればここの真空管アンプは「買ってはいけない」製品です。
私は今までここの真空管アンプのキットを3台買って組み立て、また真空管フォノイコライザーの完成品を1台買いました。今使っているのはイコライザーだけでアンプは使っていません。
「買ってはいけない」理由は、ここのエンジニアはエレクトロニクス製品の「素人」であり、電子部品の使い方が無茶苦茶で、その結果としてかなりの確率で短期間に壊れるからです。

写真はそのフォノイコライザーですが、これを例に使って説明します。この製品はマッキントッシュのC22という有名なプリアンプのフォノイコライザーの回路だけを真似したものです。真似をするのなら部品を含めて全てを真似ればいいと思いますが、ここの真似は回路だけです。
一番問題なのは写真の左から2番目のロータリースイッチです。ここにはアルプス電気製の、接点が外部に露出している「銀接点」のものが使われています。このスイッチはカートリッジのMMとMCを切り替えるもので、「微小電流」かつ「ほとんど操作されない」ものです。(今時のオーディオマニアが使っているカートリッジはほとんどMCであり、頻繁にMMとMCを切り替える人がたくさんいるとは思えません。)このような電流がごく小さくまたあまり操作もされないスイッチに銀接点のものを使うと、その接点の銀の表面が1~2年で硫化(空気中の硫黄分で銀が黒くなって電気を通さなくなること)します。つまりスイッチとして機能しなくなります。こういう所には「金メッキ」接点のスイッチを使うのが回路設計者の常識ですが、この会社はそういう常識をまるで持っていません。実際にこのフォノイコライザーは2年ぐらいの使用で、左チャンネルから音が出なくなり、原因はこのロータリースイッチで修理に出してロータリースイッチを交換してもらいました。(といっても同じ部品に交換しただけなので、多分また同じ不良が発生すると思います。)
また一番右のスイッチもロータリースイッチで、NKKスイッチズの製品です。これは電源スイッチですが、何故かON-ONの切り換え用のスイッチが使われています。もちろん端子の片方に結線しなければON-OFFとしても機能しますが、まともなエンジニアならそんな使い方はしません。何故なら端子が露出しているため、そこに金属片などが接触すれば、スイッチがショートする危険があるからです。
さらには、型番は忘れましたが、300Bのプリメインアンプには電源スイッチにオータックスのトグルスイッチが使われていました。こちらはスイッチの使い方としては間違っていませんが、スイッチというのは切ったり入れたりする時に突入電流が発生しますので、オーディオ回路でその対策をしないと、安物のギターアンプなどに良くありますが、スイッチを入り切りする度に「ボツッ」というノイズが入ります。こんなのはCR回路によるノイズキャンセラーを入れればいいだけですが、そういうことすら出来ていません。更にはこのアンプは半年ぐらい使った所でボリュームが故障して使えなくなりました。ボリュームを交換すればいいのでしょうが、ちょっと使い続ける気がしなくなりました。
私はここの製品は今後二度と買いません。

日立コール・ファミリエ 第19回演奏会

日立コール・ファミリエの合唱のコンサートに今年も行きました。今回で多分連続12回目くらいです。昔の上司3人が合唱団に参加しており、その中のお一人から毎年チケットをいただいています。合唱そのものよりも1年に1回昔の仲間に会う日になっています。メインの曲は指揮者の趣味で、かなりのマイナーな曲が多かったのですが、さすがに団員からクレームが出るようになったと見えて、一昨年はフォーレのレクイエムで、今年はモーツァルトのレクイエムです。有名曲のせいか、ソリストも歌い慣れており、また合唱団員の熱気も感じられてなかなか良い演奏で、今までで一番良いのではないかと思いました。ただ、リタイアされた方々がメンバーの中心であるため、年々平均年齢が上がっていっているのは否定しようがなく、数名の方が椅子に座っての合唱でした。それに比べると指揮者の木村義昭さんのお若いことにはびっくりします。もう80代半ばだということですが、まったく衰えを感じさせいない指揮振りで、モツレクでもうまくまとめていました。

NHK杯戦囲碁 林漢傑7段 対 寺山怜5段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が林漢傑7段、白番が寺山怜5段の対戦です。布石はお互いにじっくりした展開でしたが、局面が動いたのは右辺です。黒の林7段が右辺の高く開いた白に攻めを見せたのですが、それに対し白の寺山5段が右上隅の黒に肩付きを打ち、その後右辺は軽く見て何回も手を抜いて、下辺に先着したり、上辺に展開したりしました。最終的に次に黒に先に打たれれば死にという所でようやく右辺に手を戻し、活きを確かめました。黒は逆に左上隅で手を抜いて足早に左辺に展開していました。左上隅から延びる白がまだ一眼しかないのを狙って迫り、白が生きるために黒の継がなかった所を切った時に劫に弾きました。この劫はそういう意味で黒から仕掛けたものですが、白がもう一眼作る手順が冷静で損のないもので、最終的には黒は劫に勝ちましたが、白はその間に下辺を大きくまとめることが出来ました。ここで白が優勢になったように思います。ヨセに入って白にミスが2回ぐらいあって、右下隅が持ち込みを増やしてしまったりしましたが、大きな意味で形勢の逆転には至らず、結局白の4目勝ちに終わりました。

「タイムトンネル」第4話、”The day the sky fell in”(空が落ちてきた日)(真珠湾攻撃)

「タイムトンネル」の第4話、”The day the sky fell in”(空が落ちてきた日)を観ました。これが「タイム・トンネル」全30話の中で、2話だけ日本では放送されなかったものの内の1話です。トニーとダグはハレー彗星騒ぎに巻き込まれた後、今度は1941年の12月6日のハワイに飛ばされます。そうです、真珠湾攻撃の1日前です。(攻撃の日は日本では12月8日ですが、時差があるためハワイでは12月7日です。)トニーの父親は海軍少佐で真珠湾攻撃の後行方不明となり生死が分からなくなっていました。トニーは実の父親に会って警告し、その命を救おうとしますが…というストーリーです。トニーの父親は日本軍の爆撃で傷つきますが、真珠湾に向けて回航中の空母エンタープライズに向けて最後の力を振り絞って「これは演習では無い、引き返せ」という無線通信を行います。トニーはその父親に自分が息子であることを告白しますが、父親はおそらくトニーが未来から来たという事実を最後になって認識し、「私の小さな息子が生き延びてくれて良かった」と答えます。その後トニーとダグはそのビルから脱出しますが、更に日本軍の爆弾が落ち、ビルは完全に吹っ飛びます。これがトニーの父親が行方不明になった真相でした。なかなか感動的な回になっています。もちろんステレオタイプな日本人の描写(ハワイの日本大使館員)はありますが、それほど気になるものではありませんでした。

王銘エン9段の「棋士とAI - アルファ碁から始まった未来」

王銘エン9段の「棋士とAI - アルファ碁から始まった未来」を読了。アルファ碁に関する本はもうこれで何冊目になるか分からないくらい読んでいますが、この本はアルファ碁の打つ手の分析とかではなく、アルファ碁を中心としたAIの碁が人間の碁のはるか先を行くようになり、(アルファ碁の最新バージョンだと、人間のトップ棋士より既に三子強いのだとか)、そういう時代に棋士はどうAIと向き合っていくか、といった所を述べた本です。囲碁に限らず、これからありとあらゆる分野で人間がやってきた仕事はすべてAIに脅かされずにはいられないでしょう。そういう時代に人間としてどういう技能を強化して生き残っていくべきか、色々と考えさせられる本です。NHK杯戦の囲碁を毎週観ている限りでは、人間のAIの碁の研究はまだ本当に始まったばかりであり、人間がAIの良さを吸収してもう一歩上に行くにはまだかなり時間がかかると思います。日本の囲碁はいまや中国や韓国の後塵を拝するようになって久しいですが、AIはその中国や韓国の棋士に勝つための有用なツールであって、日本の棋士にとっては大きな武器になると思っています。

高田郁の「銀二貫」

高田郁の「銀二貫」を読了。これはローマからの帰りの飛行機の中で読みました。元はたまたまAmazonで見つけて、レビューの平均が4.7と非常に高かったので買ってみたもの。作者はTV化されている「みをつくし料理帖」の原作者です。
で、帰りの飛行機の中というのは体調が良くなかったのですが、そのせいかもしれませんが、私的にはあまり響く所がありませんでした。ストーリーの展開がきわめてありがちで、大衆小説を沢山読んでいる私には、どこかで読んだようなものばかりです。主人公が新しい寒天を生み出そうと努力して、結果的に練り羊羹というものが生まれる、というその辺は割りと面白いのですが、例えば同じように食べ物を扱った小説では、芝木好子の「湯葉」なんかの方がずっと上だと思います。Amazonのレビューは、私に言わせるとちょっと褒めすぎで、色々本をたくさん読んでいる人は4.7なんていう、そこまで高い評価はまずしないと思います。

鳥飼玖美子の「歴史をかえた誤訳」

鳥飼玖美子の「歴史をかえた誤訳」を読了。この本を読んだのはローマへ向かう飛行機の中です。まず、タイトルの「歴史を変えた誤訳」として筆者(同時通訳者)が真っ先に挙げているのが、ポツダム宣言の通告に対し、当時の鈴木貫太郎首相が「黙殺する」と回答し、それを日本側か連合国側が英訳したのかはっきりしないのですが、ともかく”ignore”(無視する)と英訳されて、日本はまるで降伏する意思が無いと解釈されて、広島・長崎への原爆投下につながった、というものです。しかし、この話はきわめて変です。日本語の「黙殺する」という表現は単に「断る」というより更に失礼な表現で「そんなもの(相手の申し入れ)は最初から存在しなかったと扱う」というニュアンスがあります。つまり「黙殺」という表現を使った段階で、「拒否」の姿勢は明確であり、英訳の問題ではないと思います。実際に英辞郎で「黙殺する」の英訳を見ると、「deliberately ignore(意図的に無視する)●refuse even to comment on(コメントすることすら拒絶する)●take no notice (of)(まったく見なかったことにする)●treat ~ with silent contempt(口には出さない軽蔑をもって扱う)」などが挙げられており、強い姿勢の拒絶となることは明らかです。
また、「オレンジ色の猫」の話もこの本に出てくるものです。英語の小説に「orange color cat」は多数登場しますが、これを「オレンジ色」と訳すことが間違いで、訳すなら「(単なる)茶色の猫」です。この話から、英語のorangeはちょっとくすんだぼんやりした色にも使うのに対し、日本語ではそのままオレンジの「鮮やかな色」を想像するのと、また日本の「茶色」が英語のように暗めの色だけではなく、かなり明るい色も含むということです。
結局の所、100%正確な翻訳などというものはどこにも存在しないということだと思います。少しでも100%に近づこうとするなら、単なる言葉の置き換えではなく、対象となる言語の背景の文化や思考パターンまで身につけないといけない、ということだと思います。