丸山眞男の「戦前における日本のヴェーバー研究」

丸山眞男の「戦前における日本のヴェーバー研究」を読了。1964年はマックス・ヴェーバー生誕100年の記念の年で、東京大学でそれにちなんだヴェーバーに関するシンポジウムが実施されましたが、その時の講演の記録です。まず冒頭で、丸山は「私はヴェーバ-学者ではない」と断ります。ヴェーバーから非常な学恩を被っているけれども、ヴェーバーに関係した論文は一本も書いていないと言っています。丸山はヴェーバーは最初は日本では大正時代に経済学・経済史の学者として受容され、その中世商事会社の研究などが評価されたとのことです。その後、日本のアジア進出と合わせて、ヴェーバーの「儒教と道教」などの東洋に関する理論を評価したり、また東洋優位的な発想で批判したりするものが現れたということです。戦時の動きとして興味深いのは、ヤスパースのヴェーバー論の影響で、昭和17年に安井郁という人が何と「求道者ヴェーバー」という論文を書いているということです。昭和17年といえば吉川英治の「宮本武蔵」の人気がピークだった頃であり、まさに求道者として描かれた武蔵が人気を博する一方で、学問の世界でも特定の学者を求道者に祭り上げるという動きがあったということは非常に興味深いです。思うに大衆小説や漫画といった大衆文化というものは、その時代の精神(die Zeitgeist)を自然と反映するということなのかもしれません。

ユルゲン・コッカの「ヴェーバー論争」

ユルゲン・コッカの「ヴェーバー論争」を読了。ヴェーバー関係書誌情報を作るのに、ヴェーバーの研究書をいくつか買った内の一つ。薄くて読みやすそうだったのでトライしてみました。内容的にはヴォルフガング・J・モムゼンのある意味有名な(と言っても今Webを検索してみたら、ほとんど日本語の情報は出てこないですが)ヴェーバー批判を中心にして、それをさらに批判したものです。モムゼンの批判は、その本(「マックス・ヴェーバーとドイツ政治 1890~1920〈2〉」)も持っていますが、未だに読んでいません。というか、そのモムゼンが批判しているヴェーバーの政治思想について、ヴェーバーの政治的文献自体をまだほとんど読めていません。という訳で順番が変な読書なのですが、モムゼンの批判の概要がわかって有益でした。まあかいつまんで言うと、ヴェーバーは価値自由ということで、学問と政治を厳しく区別し、学問に政治を持ち込むことを否定しますが、その結果、政治の行動原理がその場その場の利益を追い求める「決断主義」になりがちだということ。また、有名な「支配の社会学」の議論で、その当時のドイツにはカリスマを持った大統領的人物を民衆の投票で選ぶような政治体制が望ましいとし、結果的にそれがワイマール期のドイツの政治体制に影響を与え、結局ヒトラーの台頭と独裁を許すことになったという批判です。この批判に対しては、このコッカの本もそうですけど、色々と再批判が出て、モムゼンの批判は当たらない、ということになっているみたいです。私自身も、1920年に死んでいるヴェーバーがヒトラー体制に影響を与えたというのは、ある意味飛躍が過ぎると思っています。
この事で思い出すのは、大学の時にドイツ史の授業で、ヴェーバーを勉強していると言ったら、先生からこのモムゼンのヴェーバー批判をどう思うかと聞かれたことです。その当時(大学3年生)の私は、モムゼンの批判についてはまったく知りませんでした。というか、ヴェーバーの膨大な著作を読みこなしていくのに全力を傾けていたので、当時、ヴェーバー以外の学者のヴェーバー批判にまで目を通す余裕はまるでありませんでした。今から考えると、ある意味意地悪な質問だと思います。

マックス・ヴェーバーの著作の日本語訳における「誤訳」の連鎖


マックス・ヴェーバーの著作の内、もっとも有名なものは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1920)で、現在までに日本で4種類の日本語訳が出版されている。

その中にあるドイツの経済史的概念である”Rentenkauf”(レンテ請求権購入)という言葉が、その4つの日本語訳ですべて「年金売買」という誤訳になっており、おそらく最初にこの誤訳を行ったのは大塚久雄であると思われるが、その後の翻訳者はすべてその大塚の誤訳をそのまま踏襲してきている。この”Rentenkauf”については、ヴェーバーの他の著作でも繰り返し登場する概念であり、私が“Max Weber im Kontext”というヴェーバーの著作を集めたCD-ROMで検索して調べた所、変化形(Rentenkaufes, Rentenkaufs)も含めて、全部で9箇所に登場する。その登場箇所は、以下の通りである。

(1)中世商事会社史、1889年  2箇所
(2)プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神、1905年・1920年  2箇所(大塚訳でP.87とP.118、いずれも注釈中)
(3)古代農業事情、1909年  3箇所
(4)経済と社会、1922年  2箇所(邦訳「法社会学」P.161、「支配の社会学II」P.603)

多くが、教会法による利子付き消費貸借の禁止をかいくぐって利子付き貸借が発展していく図式の中の過渡的な形態として登場するが、上記(3)の「古代農業事情」の場合はそういうドイツの史的概念が、古代ギリシアなどの経済の分析の時にも援用されていることに注目すべきである。(ヴェーバーによれば、オーストリアの法制史家のルートヴィヒ・ミッタイスがそのような概念適用を行ったとある。)

この”Rentenkauf”(レンテ請求権購入)は、これまでヴェーバーの著作を日本語訳して来た人がすべて誤訳をしてきたのではなく、上記の(4)の「経済と社会」の2箇所は、いずれも世良晃志郎氏が日本語訳しており、一箇所は原語そのままにし、もう一箇所は「レンテ売買」と訳し、そのどちらにも詳しい(かつ正しい)訳注を付けている。(ちなみに世良晃志郎氏は、上記のルートヴィヒ・ミッタイスの息子のハインリヒ・ミッタイスが書いた{リーベリヒとの共著}「ドイツ法制史概説」の訳者でもあります。)
この「法社会学」の世良氏による日本語訳は1974年に出版されており、上記「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の日本語訳の内3つはその後に行われたものである。(大塚久雄の新訳、安藤英治による梶山力訳の補訳、中山元訳)にもかかわらず、3人の訳者とも世良訳を参照した形跡がまるでなく、おそらくは最初に誤訳した大塚のを延々と引き摺っている。

このRentenを「年金」と訳しているが、確かにRenteを辞書で引けば最初に載っているのは「年金(Pension)」という意味である。しかし、歴史的に見れば、「実際の労働を伴わない定期的な収入」の総称であって、その中の一つの例として「年金」という意味も加わっただけである。
大塚は好意的に解釈すれば、「1年に1回入ってくる定期金」という意味でそう訳したのかもしれないが、しかし日本人が「年金売買」と聞いて連想するのは、おそらく「国民年金や厚生年金」といったものを担保に入れた借金とか、そういうものになりかねない。これは完全に間違った理解であり、そういう間違いを引き起こす翻訳に問題がある。
このRenteやRentenkaufの概念は、ヴェーバーの時代には非常にポピュラーで、経済史の学者でそれを知らない者はまずいなかったと考えられ、それ故にヴェーバーは注釈も何もなしで理解される概念として記載している。しかし、今日の大半の日本人にとってはまるで未知の概念で、故に日本語訳する時には世良氏がやったように訳者注をつける必要があるのである。
自身著名な経済史家であった大塚久雄がこの概念を知らなかったとはとても思えないのであるが、その彼が訳した「年金売買」という訳語を見る限り、彼がこの概念を理解していた形跡は見いだせない。

以下、参考のため、このRentenkaufがドイツでどのような文脈を持っているかを説明する。それについては、私自身の大学の卒論(オリジナルはドイツ語)の一部を日本語訳し、なおかつ一部修正して用いる。その中に世良氏の訳注の引用も含まれている。(この卒論は、カール・ポランニーの「貨幣使用の意味論」に触発されて、ドイツの第一次大戦後のハイパーインフレーションとその後の大不況下での外国為替管理において、近代的な「全目的」通貨が前近代的な「特殊目的貨幣」の集まり、にどのように戻っていったかを研究したものである。)
(以下引用開始)
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2.2.2. レンテンマルクの計画

「レンテンマルク(Rentenmark)」の計画の具体的な中身を述べる前に、ドイツ語の „Rente“ という単語の、特別な、歴史的な意味を確認しておくことが必要だろう。その確認の後では、レンテンマルクの計画の中心的な概念をより容易に理解することが出来るだろう。
„Rente“とは元々、保険や資産からの「定期的な」収入を意味し、実際の労働が伴っていないもの(不労所得)を指す。(故に労働者の給与は „Rente“ ではない。)中世においては „Rente“ は、 „Rentenkauf“ の形態で、資本投資あるいは資本創造という点において重要な役割を演じた。例えば、資本の需要者であるAが自分の土地に物的負担( „Reallast“ )としてレンテ請求権(例えば毎年100マルクの地代を徴収できる権利)を設定し、Aはそのレンテ請求権を資本の提供者であるBに対し、1,000マルクで売りその代価としてBはAに1,000マルクを支払う。(Bから見て、レンテ{請求権}の購入=Rentenkauf、同時に1,000マルクの資本投下。)この取引によって、Bの資本はレンテ収益(毎年100マルクの利子収入)を得、Bは必要としていた1,000マルクの資本を得ることが出来る。これは利子付きの金銭貸借を禁じた教会法に対する違反行為であったが、実際の取引は「貸借」ではなく「購入」であり、それ故にBは投下した資本の返還請求の権利を持たず、またAは1,000マルクを返済したとしてもそれをもってレンテ債務から解放されることはなかった。このことから、「永久金( „Ewiggeld“ )」と呼ばれるようになった。しかしながら(このやり方はAにとって負担が大きいので)次第に特別な取り決めが取り交わされるようになり、毎年払う地代を元金の返済に充当し、最終的にはAがレンテ請求権を買い戻すことが出来るようになった。そして終には、特別な取り決め無しに、レンテ支払いが元金返却になってレンテ請求権を買い戻すことができるようになり、これによって „Rentenkauf“ は一般的な利子付きの金銭貸借に近づいていった。
„Rente“ という単語には、もう一つ関連する重要な史的事実があり、それも考慮に入れておく必要がある。ドイツの小作農民は中世以来、土地の所有者(地主)に対し、その土地の使用料として、農産物や労働を提供しなければならない義務があった。この土地の使用料はつまり „Rente“ であり(地主から見たら定期的収入でかつ不労所得なので)、その支払いがいまや金銭で行われる時代になってもなお継続した。このレンテ債務は小作人ではなく、土地そのものが負っているものと考えられていた。それ故に毎年の土地使用料の支払いはその土地の価値に対しての償還とは見なされず、小作人は土地を利用し続ける限り永久にレンテを支払い続けなければならなかった。しかし „Rentenkauf“ が一般的な利子付きの金銭貸借に近づいていったように、19世紀後半のドイツの農民解放運動の結果として、そのレンテ債務を銀行から融資された資金によって買い戻す(つまり土地を自分のものにする)ことが可能になった。この資金を貸し付ける銀行が„Rentenbank“ (レンテ銀行)と呼ばれ、農民がこの銀行に支払う利子と土地債務償却の定期的な分割払い金が„Renten“と呼ばれ、そしてレンテ銀行が土地債務に対して発行する貸付証券が „Rentenbriefe“ (レンテ証券)と呼ばれるようになった。 (第一次大戦後のハイパーインフレーションの時に)プロイセンだけでもそのようなレンテ銀行が6行あった。
レンテンマルクの計画は、最初は農場経営者資本家の正当な代表者であったカール・ヘルフェリヒが当時のクノー内閣に対して提案した「ライ麦マルク」の案(„Roggenmark“)から派生している。その後、その「ライ麦マルク」はハンス・ルター博士とルドルフ・ヒルファディング博士(当時の大蔵大臣)によって支持されると同時に変更が加えられ、さらにその案に対して反対していた(当時ライヒスバンク総裁であった)ヒャルマール・シャハトの意見が採り入れられ、最終的には1923年10月15日の「ドイツレンテ銀行の創設の通達」という形で、結局は「ライ麦」という物的価値を本位とするのではなく伝統的な「レンテ請求権」を本位とするレンテンマルク(„Rentenmark“ ) として実現した。その際に次のような事実は注目に値する。つまり、当初は „Rentankauf“ の原初形態(つまり「永久金」としての„Rentenkauf“)が採用され、その後の改良案で(利子付き消費貸借に近づいた)新しい方の形態(つまり支払ったレンテが元本の返済に及ぶ形態)に変更され、それがまた最終的なものでは原初形態に戻ったという事実である。
最終的な案を具体的に説明する。資本の需要者、この場合は「ドイツレンテ銀行」がAという土地所有者の土地に対し強制的に500金マルクの土地債務を設定し、その地代として土地債務の5%を毎年の支払いとする。ドイツレンテ銀行はこの500マルクの土地債務に対し額面500金マルクの「レンテ証券」を発行する。この「レンテ証券」がレンテンマルクの正体で、額面こそは500金マルクだが、実際にその所有者が請求できるのは、500金マルクの土地そのものではなく、年に25金マルクの地代だけであった。要するに、額面こそは500金マルクであっても、実際に本位となるのは年間25金マルクの地代請求権である(仮に20年間地代をもらい続けると仮定した場合、現在価値に換算すると321マルクにしかならない)という、ある意味虚構の本位に基づく通貨であった。そういう意味でレンテンマルクも、政府の機関がそれを支払い手段として受け入れるという保証はあるものの、インフレ期に流通した多くの緊急通貨(„Notgeld“)と大きな違いはなかった。
(以下省略するが、このインチキなレンテンマルクが、実際は虚構であっても一応土地の価値と結びつけられていて発行高が制限されており、また「レンテ」という概念が農民にとってはおなじみであったこと、また政府機関の支払い手段としての受け入れ保証もあったことから、特に農村地域において絶大な信用を獲得し、人々は競ってそれまでの紙マルクをレンテンマルクに変え、急速にハイパーインフレーションは収束する。これを「レンテンマルクの奇跡」と表現する。ちなみに、日本銀行は第二次大戦後の日本のハイパーインフレーションの収束の手段として、このレンテンマルクを精力的に研究したが、結局は虚構の本位制だということで日本では通用しないと考え、別の案としていわゆる「預金封鎖」と「新円切り換え」を行った。)

参考文献:
1.創文社 マックス・ウェーバー著、世良晃志郎訳「法社会学」P.173の訳注(五)
2.ヒャルマール・シャハト、„Die Stabilisierung der Mark“、 1927
3.日本銀行調査局、「レンテンマルクの奇蹟」、1946
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(引用終了)

(この項には「続き」があります。)

NHK杯戦囲碁 今村俊也9段 対 井山裕太7冠王

本日のNHK杯戦の囲碁は準決勝の第2局で、黒番が今村俊也9段、白番が井山裕太7冠王です。布石はごくオーソドックスで、今村9段は下辺でミニ中国流の構えで右辺にも模様を築きます。白が右上隅にかかり黒が挟んで白は三々に入り、先手を取った黒は右辺の模様をさらに拡げるかと思いましたが黒は左上隅の三々に左辺からかかりを打ちました。白が上辺に受けた後黒は三々の石に付けていって定石が進行するかと思いましたが、白が変化し、隅の白に切り一本が入りました。黒はこの切った石からコスみ、そのコスんだ石を引っ張り出して、上辺の侵略と左上隅の白への攻めを見ました。その代わり左辺は白が展開し、左下隅に連絡して無事に別れたかと思いました。黒が中央の白を切って小競り合いになって白が黒1子を当たりにしたのに黒はすぐ延びず、左辺にカケツギを兼ねてコスみ、白に連絡させてそれから中央を延びようとしました。しかし白は反発して中央をポン抜きましたが、左辺は黒が押さえ込むことになり、白は左辺で左下隅との連絡を絶たれ、ここだけで活きなければなりませんでした。白は手を入れましたが、しかしその形はまだ劫残りでした。その時今村9段は当てを決めてこの劫を無くしてしまいました。これは明らかに失着で、白は後は中央で黒1子をポン抜いた白の一団をしのげば良くなりました。黒は自分の失着をカバーするため、この白の一団を本気で攻めました。その結果右下隅と右辺の黒地がまとまりそうになり、白の井山7冠王は右下隅の三々に付けていきました。今村9段はこの白を活かして打つ方針でしたが、最終的に白が右下隅を活きる前に中央の白から上方へ利かしを打ちましたが、黒はこれに受けず右下隅を取りました。この結果中央の白は右上隅に連絡し、後は黒が左上隅から延びる一団と上辺の一団の両方をしのげば右下隅で稼いだ分黒が有望かと思われました。しかし黒の今村9段はこの2つの黒を連絡するツナギ(9-6)を何故か打たずに上辺をコスんで頑張りました。これがちょっと不可解でつないでおけば黒が有望だったのではないかというのが、解説の石田秀芳24世本因坊の見解でした。結局白は切断を決行し、左上隅からの黒の一団は眼を作る必要がありました。活きる手はあったのですがその手が損が大きい手で、結局ここで黒の投了となりました。いよいよ来週は決勝で、井山7冠王と志田達哉7段の対戦です。

23年前のTOEIC+HELPTの結果

荷物置き場にしている通称「腐海」の部屋の片付けを進めています。先日はそこに放置状態のPCを6台業者に引き取ってもらいました。今日は空段ボール箱をいくつか片付けました。そうしてようやく奥の方の本棚にアクセスできて、昔の転職活動用資料一式が出てきました。その中に、TOEIC+HELPT(昔日立グループが独自にやっていた英語のテスト)の結果が入っていました。1995年の2月に、33歳(23年前)で初めて受けたTOEIC(団体受験)は、リスニング470点(!)、リーディング425点の895点でした。何とリスニングは965点取れるようになった今が480点ですから、10点しか違いません。さすがにこの頃は現役で海外関係の仕事をしていましたから、耳は鍛えられていた訳です。(逆に言うと、使わないと落ちるのはリスニングの方ということです。)
この時の日立グループはまだTOEICとHELPTの併用で、TOEICでは800~990点を取っても一次試験扱いでC止まり。B以上を取るには別途ネイティブの面接試験を受けないといけませんでした。その結果が右の書類で、目出度く「B」(英検1級相当、とされていましたが、今から考えるといいところ準一級ぐらいだと思います)を取っています。
「ウィリス」さんという面接した先生のコメントは、
“Mr. XXXX is a strong and direct English speaker. Some minor grammar flaws prevented him from reaching the highest level. He was able to access the proper vocabulary for most situations. Most of his responses were clear and direct, that was great. Thanks for your hard work!” でした。

オンライン英会話Eigoxのレビュー

オンライン英会話サービスのEigoxを使い始めて半年以上が経過しました。
Eigoxについて、レビューとこれまでの使用状況をまとめてみます。

1.利用状況
1回25分のSKYPEによるネイティブ講師とのトークを、2017年9月以来、平均8~9回/月行ってきています。これまでに通算53回のレッスンを経験しました。申し込んでいるコースは8回/月で7,500円ですが、時々月末にポイントを使い果たした時に、1回だけのポイントを購入しています。これは1,200円です。

2.講師の分析
これまでレッスンを経験した講師の数は全部で18人です。講師A 25回、講師B  6回、講師C 4回、講師D、E、F 各2回、他の12人の講師 各1回という内訳です。講師Aとは無償のトライアルの時に選んでみた先生ですが、この人との相性が良かったので、1回/週のペースでこの人とはずっとやってきています。後は講師Bは最近知り合った人ですが、浮世絵が好きということで私と趣味が一致し、最近ずっと日本の絵師について私がこの人に紹介する形でレッスンをしてきています。(何かどちらかと言うとこちらが教えているのですが…(笑))他の講師は、講師の検索画面で国籍や講師経験を指定してその都度選んで来たものです。

Eigoxのシステムはこのように、国籍や講師経験を指定して検索できるのがグッドです。(左の写真がその画面)これは向こうが勝手に講師を選んで押しつけてくる(しかもネイティブといいつつ2/3は南アフリカの講師である)EF English Liveに比べ大きなメリットです。また、講師が空いている時間も大体10日先ぐらいまで分かるので、これまでレッスンの予約で大きなトラブルがあったことはありません。日本時間の20:00~22:00くらいで予約していますが、この時間でもアメリカ人講師とレッスン可能です。

ただ、たまに予約した後に講師の都合が悪くなって、別の講師に振り替えられるということが3回ほどありました。

3.レッスンの内容

Eigoxのレッスンでは、講師にテーマを決めさせることも出来、こちらでテーマを指定することもできます。私は100%こちらでテーマを指定した上でのフリーディスカッションにしています。これもEF English Liveではあらかじめ決められた3つぐらいのテーマしか選べなかったのに比べるとEigoxの方がはるかに使いやすいです。また、レッスン時間についてはEF English Liveが一回40分で、Eigoxは25分で、一見EF English Liveの方が良いように見えますが、EF English Liveのは実際は25分くらいがディスカッションで後はオンラインで問題を解かされます。これはある意味オンラインでやる意味が不明で無駄です。実質的にはEF English Liveもしゃべっている時間は25分でEigoxと変わりません。(しかもEF English Liveはマンツーマンのレッスンは月に4回だけです。それ以外にグループレッスンがありますが、こちらは自分がしゃべる時間がかなり限られてしまい、オンラインレッスンとしては非常に効率が悪いです。)

これまで私が指定したEigoxでのディスカッションのテーマは、
(1)トランプは何故アメリカの大統領になれたのか
(2)アメリカにおけるPolarization(保守とリベラルの2極分解の状況)について(4回ぐらい違った講師と討議しました。)
(3)アメリカと日本における銃規制の比較
(4)日本の戦後の政治体制の変遷について(2回くらい)
(5)日本の大衆小説について(6回くらい)
(6)イギリス文学について、E・M・フォースター、イアン・マキューアン、ディケンズなど
(7)英語の効果的な学習方法
(8)日本の浮世絵について(6回)
(9)日本の移民政策について

などで、私の趣味全開という感じです。なんかこのEigoxのレッスンで「もっと日本文化を英語で海外に説明する必要があるのではないか」というある種の使命感に目覚めました。(笑)また、自分が決めたテーマについて、あらかじめ単語を調べたりして準備するのが、結構いい単語力向上のトレーニングになっています。

4.講師の評価
これまでの講師は、講師の数が全18人で、国籍はアメリカ 12人、イギリス 4人、カナダ 1人、オーストラリア 1人といった感じです。ただアメリカ人と言っても、現在アメリカに住んでいる人は4人くらいで後は海外在住で、セルビア、コスタリカ、タイ、日本、フィリピン、韓国など様々でした。
国籍については、すべて私の方で指定して検索して予約した結果こうなっています。米英を中心とするネイティブと話したいという希望は100%達成されており、これもEF English Liveよりはるかに良いです。
政治的なテーマで多くディスカッションしましたが、講師の7割くらいはリベラル、3割くらいが保守という感じです。元々外国人が嫌いな人が英語を外国人に教える講師にはなりませんので、これはある意味当たり前という感じです。
英語を教えるスキルについては、英語教師に特化している人もいますが、多くはごく普通の職歴の人という感じです。(まあボヘミアン的な生き方の人も多いですが。)国連関係の機関の人、大使館、フリーランスとか色々ですが、現役で大企業に勤めてばりばりやっているような人は今まで巡り会っていません。(まあそういう人がこのような副業はやらないでしょう。)そういう意味で実際的なビジネス英会話みたいなものを期待している人にはちょっと違うかもしれません。(それが出来る講師がいない訳ではないと思いますが。)また、既にリタイアされている高齢の方も何人かいらっしゃいました。高齢の方は意外といい評価をしてくれる場合が多いようです。
「知性」という点では、結構インテレクチャルな話題が通じる講師が多い、という感じで、最近はかなりアカデミックな話題を論じることもあります。(例えばサピア=ウォーフ仮説と、チョムスキーの生成文法仮説はどちらが正しいのか、みたいな。)

5.私自身の英会話力についてのレビュー

Eigoxでの会話力の評価基準は10段階に分かれていて、その内6以上の基準は以下の通りです。

6 ★★★★★★☆☆☆☆ 国際共通英語(プチ・バイリンガル) 努力&継続 準1級/800点
7 ★★★★★★★☆☆☆ ネイティブ・レベル (入門) 難関 準1級/880点
8 ★★★★★★★★☆☆ ネイティブ・レベル (初級) 超難関 1級/980点
9 ★★★★★★★★★☆ ネイティブ・レベル (中級) 究極難関 ―
10 ★★★★★★★★★★ ネイティブ・レベル (上級) 奇跡 ―

で、私の英会話力についてのこれまでの評価(完全に講師の主観です)は、
これまで、6が2回、7が5回、8が42回、9が3回、10が1回で平均:7.8となっています。
最初の頃は7の評価が多かったですが、最近はほとんど8です。これはTOEICだと980点だということで、ほぼ私の英語力と比例する評価になっていると思います。
1回ごとのレッスンについては、講師の寸評が付き、後から見ることができます。参考までにそういう寸評の一つの画像を上げておきます。(クリックで拡大します。)

6.Eigoxの総合的な評価

以上のような感じで、個人的には満足しており、英会話力の向上にも確実に効果が出ていると思います。
マイナス評価は広告の表示で、料金がネイティブ講師で「1回350円から」と表示されていますが、これは月に60回レッスンを行った時の単価で、私がやっている8回/月のコースでは、1回938円で、広告の表示とはかなり差があります。実際に月60回(1日2回)もやっている人はまずいないので、ある種の仮想的料金だと思います。
後は、レッスンを予約する時に、ディスカッションの希望テーマを書きますが、その内容がメールでの配信にしか記載されておらず、Web上では参照できず不便です。この点はもうすぐ改良するというアナウンスが12月くらいにありました。
まとめて、上級者でネイティブと会話したくて、トピックも自分で選びたい人にはお勧めです。逆に中級者以下で、テキストとかテーマも講師に選んで欲しい、という人は(それも可能ですが)特にEigoxがメリットあるとは思えず、むしろ教材の充実という点では色々悪口を書いているEF English Liveの方が優れているかもしれません。
また、Eigoxは良くも悪くもSKYPEなんで、通信状況はやってみないと分からないという感じです。これまでこちらの声が向こうに聞こえずレッスンが出来なかったのが1回、音声が途切れ途切れになって聞きにくいということは10回くらいありました。

古典ギリシア語のやり直し

古典ギリシア語をやり直そうかどうか、ちょっと考えています。古典ギリシア語は2008年ぐらいから、写真の左上の”teach yourself ancient greek”という独習用の英語の教科書をやり始め、少しずつやっていて教科書の大体86%くらいまで進みました。しかし、2010年の秋に「うつ」を発病して続けられなくなり、それきりになっています。「うつ」の方は症状が治まった後も、抗うつ薬の副作用に悩まされ続ける日が続き、一昨年ぐらいからやっと全ての薬を止めることができました。また、「うつ」からのリハビリとして英語力強化を目標に挙げてこの4年間かなりやってきて、ようやくここの所、成果を感じられるようになってきています。という訳で中断していたギリシア語を再開しようかなと。といっても、前にやっていたことはほとんど全部忘れています。なので前と同じ英語のテキストをもう一度最初からやるか、あるいは別の教科書にするか思案中です。ちなみに大学などで良く使われている教科書は左下にある岩波書店の全書版のものです。これはいい教科書なのでしょうが、練習問題に解答がついていないという欠陥があり、独学でやるのはちょっと厳しいです。写真のようにその他も色々持っています。また、Amazonで「エクスプレス古典ギリシア語」という、敷居の低さでは定評のある教材もポチってみました。

明星聖子+納富信留 編の「テクストとは何か 編集文献学入門」

明星聖子+納富信留 編の「テクストとは何か 編集文献学入門」を読了。この本を読んだ理由は、以前「羽入式疑似文献学の解剖」というのを書いて、エセ学者の羽入辰郎を批判しました。羽入は自分を「文献学者」だとするのですが、私は「そもそも文献学って何?」という疑問をぶつけ、その学問のインチキぶりを暴いたのですが、それに対して「日本マックス・ウェーバー論争」という本(その中に私の論考も収録)を総括した人が、私のことを「市井の文献学者」と評しました。私はこの評価にまったく納得できません。というか未だに「文献学」って何だかよく分かりませんし、また大学で「文献学」などというものを教わった記憶はまったくないからです。
この本だけではなく、Webも調査した結果としては、ヨーロッパの大学では、確かにちょっと前まで文献学を標榜する学部や学科がたくさんあったみたいです。そこでの「文献学」は文学の解釈や言語学までも含むかなり幅広い概念だったようです。これに対してアメリカでは、いわゆるテキストクリティーク(正文批判)の狭い意味でもっぱら使われるようです。今はヨーロッパの大学でも「文献学」の講座はどんどん無くなって別の名前に変わっているようです。
それに対して、この本の「編集文献学」というのが、こちらは逆に比較的新しい動きのようです。しかし中身を読むと、聖書のテキストをどう確定させるか、プラトンの原典をどのように復元するか、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」のどれが正しい版か、などを研究しているだけで、別に内容は今までの(狭い意味の方の)文献学とほとんど変わらないように思います。
ちなみに、この本の中に、松原良輔という人が出てきて、ワーグナーのタンホイザーのどれが正しい版か、なんていう話を書いていますが、実はこの人私の大学のサークルの後輩です。しかもあの羽入辰郎と文科三類で同じクラスだったという因縁付きです。
話を元に戻すと、私は文献学を学んだことは一度もありませんが、文献の扱いについて多少知識があるとすれば、それはJ社で辞書作りに深く関わったからです。私のその面での先生であるT先生は「日本には辞書学がない」といつも嘆いておられましたけど、その先生を通じて実践的な辞書学は学べた訳でそれが、文献調査に役に立ったのだと思います。

聖書コレクション さらに2カ国語分追加

私の聖書コレクション、さらに2カ国語分追加。イタリア語と韓国語です。OEDの編集者であったジェイムズ・マレー博士は、新しい外国語を勉強する時には、まずその国の言葉で書かれた聖書を手に取ったそうです。それを見習った訳ではありませんが、取り敢えず自分が手を出した外国語の聖書は持っておきたいなと思いました。これで9カ国語です。後、ロシア語とスペイン語があるのですが、さすがにロシア語の聖書は入手してももはやまったく読めないと思いますし、ロシア正教での聖書の扱いがよく分からないので、まだ手を出していません。