獅子文六の「父の乳」

獅子文六の「父の乳」を読了。「主婦の友」に1965年1月から1966年12月にかけて連載されたもので、「娘と私」(同じく「主婦之友」に以前連載された)と対を成す自伝的作品です。「娘と私」に描かれる時代の前までの、生まれてから成人するまでの話と、それから「娘と私」で最後に娘さんが結婚した時に、獅子文六も三度目の結婚をしてそれ以降の話が語られます。そしてその三番目の奥さんとの間に、獅子文六が60歳の時に長男が生まれます。これはまったく知りませんでした。この長男は私の8つぐらい上です。前半の部分で、獅子文六が10歳の時に実父が病気で死にます。文六はこの父親にとても可愛がられました。溺愛といってもいいくらいです。正直な所前半部分はまったく面白くないのですが、この父親に可愛がられたということが、後半の伏線になります。60歳にして初めて長男を得た文六は狂喜して、自分が本当は男の子が欲しかったんだということを初めて自覚します。そして父親が自分にしてくれたように、この晩年の子供を溺愛します。また、最初のフランス人の奥さんとの出会いも書いてあって、獅子文六という人を知る上では貴重な記録となっています。最後の方は70歳を越して段々と体調が悪くなり、一種の老人性のうつ病みたいになってきて、陰鬱なトーンになります。そういう調子なので、万人にお勧めするような本ではありませんが、獅子文六自身にご興味があれば一読をお勧めします。

山中貞雄の「人情紙風船」

山中貞雄の「人情紙風船」を視聴。実はこの作品、Amazonの履歴を見ると以前も買っているのですが、ディスクは探しても見つからず、また視聴した記憶もないので、再度買い直したものです。
山中貞雄は白井喬二の「盤嶽の一生」を映画化しています。自作の映画について、白井はそのほとんどを嫌っていましたが、唯一の例外が山中の「盤嶽の一生」です。晩年になって「大衆文学百首」という短歌集を出した時の中に、「戦死せし山中貞雄をしのぶかな 盤嶽の一生 あの巧さ 良心 映画のふるさと」というのがあります。「盤嶽の一生」の中に、主人公の阿地川盤嶽が鉄砲で撃たれて足に怪我をし、他人から医者を世話をしてもらったのですが、その礼金を持ち合わせないため、夜中に西瓜畑の番をすることになります。そこに西瓜泥棒がやってくるのですが、山中の映画では、このシーンを西瓜をボールの代わりにしたラグビーのシーンで描いているそうです。(残念ながらフィルムは失われ現在観ることができません。)
結局、現在も残っている山中のフィルムは、この「人情紙風船」を含めてわずか3本だけです。山中貞雄は「人情紙風船」を撮った後招集されて中国大陸に渡り、28歳の若さでそこで病死します。
そういう経緯があってこの作品を観たのですが、私にはとても怖いホラー作品でした。海野という浪人の奥さんがとても怖く、こういう普段は従順だけど、突然無茶なことをする人って実際にいますよね。正直な所、これが山中貞雄の遺作というのは可哀想な気がします。明るい王道を行く時代劇を撮って欲しかったです。

白井喬二の「柳沢双情記」

白井喬二の「柳沢双情記」を読了。徳島県立図書館から取り寄せたのはいいのですが、何故か「禁帯出」扱い(それにしては誰も借りた形跡がない)で、神奈川県立図書館の中で読まないといけなかったのですが、全448ページでかつ2段組という大作で、結局一回では終わらず二回神奈川県立図書館に行かないといけませんでした。
タイトルに「柳沢」が出てくる通り、「柳沢保明(吉保)」とその配下である矢守田鏡圓とその弟の矢守田富次郎が悪役で、松平右京太夫(松平輝貞)とその配下である權堂倭文馬、さらにその部下である大木諄之介が、側用人同士で権力争いをして戦う話です。主人公は、その松平右京太夫の落とし胤で、大木諄之介の妹の小夜の子である大木十太郎です。小夜は綱吉の側女として献上される話があったのを、矢守田鏡圓が辻斬りで殺します。残された十太郎を叔父である大木諄之介が秘かに育てています。十太郎は世間知らずですが、剣の腕は道場で師範代にも負けないレベルになります。この作品は他の多くの白井作品を彷彿させる作品で、貴人の血を引く者が敵討ちを行うという設定は「伊賀之介飄々剣」ですし、世間知らずの若者が親の敵を相手に大活躍するというのは「坊ちゃん羅五郎」です。矢守田鏡圓と權堂倭文馬は、綱吉から命ぜられた儒教の聖堂(今の湯島聖堂)の建設地の調査を巡って争いますが、權堂倭文馬は相手の卑怯な罠にかかって、表に出られなくなり、切腹を決意しますが、一ヵ月の猶予期間の間に十太郎が矢守田鏡圓の旧悪を暴けば助かるということで、十太郎が活躍します。この十太郎がかつて大木諄之介がだまし取られた馬と家禄を取り戻すために、源八というならず者とその助っ人である榊原鐵山と戦い勝ちますが、その過程で榊原鐵山の二人の娘の内、妹の美佐保が十太郎に恋します。この美佐保は柳沢保明の屋敷に奉公に上がり、十太郎の敵討ちの証拠探しに協力します。
まあ全体のストーリーは予定調和的というかすぐ予測できるようなもので、新鮮さはあまりありませんが、白井の戦後の作品らしさが随所に見られます。
ところで、柳沢吉保って本当に色んな大衆時代小説で悪者扱いになっていますが、実際は結構善政を行い、武の時代から文の時代に幕府を導いた人で、決して悪人ではないと思いますが、例の赤穂浪士事件で浅野内匠頭に切腹を命じたのが柳沢保明ということになっていて、嫌われているようです。

「北斎とジャポニズム」展

上野の国立西洋美術館で、「北斎とジャポニズム」を観てきました。(11月4日)まず、駐車場を探すので一苦労。結局美術館から5分以上歩かなければならないパーキングエリア(1時間以内)をやっと確保しました。そういう訳でかなり急いで回りました。また、三連休中日ということで、人が多く、並んでいたので、ほとんどの展示で近寄ってじっくり観ることは出来ていません。一応小さな図録を買ったので後でじっくり観てみます。感想としては、北斎を始めとする浮世絵が日本が開国してから大量にヨーロッパに流出し(それはちゃんとした芸術作品として流出したというより、多くは日本製の陶器の包装や茶箱の装飾としてです)、それが印象派の画家に影響を与えたのは事実でしょうが、日本側からそれを過大評価するのは、「クール・ジャパン」みたいな自国文化中心主義を感じざるを得ません。技法としてより珍奇な素材として使われたケースが多かったのではないかと思います。

NHK杯戦囲碁 芝野虎丸7段 対 柳時熏9段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が芝野虎丸7段、白番が柳時熏9段の対戦です。芝野7段は、最近名人戦リーグにも入り絶好調。黒は3手目でいきなり左上隅の白にかかりましたが、白が受けたので、普通の布石に戻りました。その後は非常にオーソドックスな布石で逆に最近珍しいです。黒が左辺でも模様を拡げるため中央に一間に飛んだのに対し、白がその飛んだ石に付けていって、そこからちょっとした折衝になりました。黒は白が1子当てたのに手を抜いて、白にポン抜かせました。黒の構想としては、そのポン抜いた白全体を攻めていこうとしたようです。しかし、白は左辺に絡めながらうまく打ち回し、このポン抜いた白は黒1子を切り離してはっきり活きてしまいました。この辺りでは白が良かったと思います。先手の白はその後下辺を右下隅に迫りながら目一杯拡げ、黒が中央に飛んだのに更に中央に飛びました。そこで黒がケイマして、右辺の白の打ち込みを匂わせたのに対し、白はそれを受けず、中央に一間に飛んだ所からさらにケイマして黒を煽りました。黒は右辺の白の真ん中に打ち込みました。白はその石に付けていって、結局右辺で劫が始まりました。この劫は解説者の淡路修三9段には予想外だったようですが、芝野7段は予想していたようです。この劫は2段劫でお互いに1手では解消できない面倒な劫でした。芝野7段は中央への白の攻めを見せながら劫を続け、最終的には黒が下辺で白4子を取込み、劫は白が勝つという展開になりました。しかしその過程で白は左辺の石に眼を持つための手入れをさせられたりと、ちょっと固く打ち過ぎた感じです。右辺の劫は解消にもう一手かかりましたので、あまり白が得をしていない感じでした。その後先手の黒は左下隅の三々において、隅の地を稼ぎ、それから更に上辺の白地に手を付けていきました。ここの攻防は難解で攻め合い含みでしたが、結局黒はうまく活き、その代わり白は黒2子を取って中央でつながりました。しかし元が白地だったことを考えると黒の稼ぎの方が大きくここで差が開きました。その後、黒は下辺の白に対し切り込んだ後、石塔シボリで絞り、3子をアタリにしました。白はこの3子を継ぐと下辺全体で眼がなくなってしまい、ここで白の投了となりました。芝野7段の冷静な打ち回しと形勢判断が光った1局でした。

1996年製日立の洗濯機、未だに稼働中

家で使っている日立の洗濯機。1996年製造品なので今年で21年目ということになります。稼働時間を計算すると2800時間くらいになりますが、まだまったく問題なく動いています。交換したのは糸くずを取るための布のフィルターだけ。日立系の会社にいましたが、日立の家電品はまったく愛用しておらず、辞める時に記念に買ったもの。今、日立の新しいのに買い換えてもおそらく21年は保たないのでは。

紀田順一郎の「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」

紀田順一郎さんの「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」を読了。
予想通り、涙無しには読めない本でした。三万冊の蔵書を、諸般の事情でどうしても処分せざるを得なくなり、約600冊を残してすべてを古書店に処分してしまった辛さがひしひしと伝わってきます。
また、おそらくこれが紀田さんの最後の著作になるのではないか、という感じを強く受けました。巻末に紀田さんの詳細な年譜が載っていますが、今までの著作にはこんなものはありませんでした。また膨大なレファレンス文献を失った今、紀田さんがかつてのような著作を書くことを続けることはもう不可能なように思います。その年譜で紀田さんが大衆文学にも深く関わっていたことを知りました。また、J社との関わりについてもこの年譜にかなり載っているので、J社の方は読まれることをお勧めします。
今こそ紀田さんにお話を伺いたいことがたくさんあるのですが、残念ながら紀田さんのメールアドレスは変わってしまっており、現在連絡が取れなくなっています。
私個人で言えば、現在収集している白井喬二の作品を、いつかは公共機関に寄贈しようかと思っていたのですが、今はそれが非常に困難(受け付けてもらえない可能性が高い)なことがよく分かりました。後の書籍は私は引っ越しする度に処分しているので、それほどの数にはなっていません。それよりどちらかと言うと、クラシック音楽のCDの方が問題。私が死んだら大学の古巣のサークルに寄贈しようかと思っていましたが、たぶんそこの部室にはとても収録できないと思います。
後は、日本では公共図書館がイマイチ役に立たないので、個人が自分で蔵書するしかない、というのもよく分かります。先日、白井喬二の「黒衣宰相 天海僧正」の残りを読むために、福井県立図書館から雑誌「大法輪」を取り寄せましたが、その内のわずか数冊が国会図書館他の都内の図書館にもあるという理由で、図書館員からねちねち文句を言われました。日本の図書館には未だに「公共サービス」という視点が欠けています。この日本の図書館のレベルの低さを教えてくれたのも紀田さんでした。

平凡社版完訳四大奇書「西遊記」下巻

平凡社版完訳四大奇書「西遊記」下巻を読了。この日本語訳の底本になっているのは、康熙33年(1694年)刊行の「西遊真」とのことですが、バランスの良いダイジェスト版であり、しかも分量的には文庫本で4~5冊分ある量であり、一般的には岩波文庫の10巻本まで読まなくても、こちらで十分だと思います。しかも、岩波文庫版と本版の違いは、岩波文庫の方に漢詩とか本筋と関係のない蘊蓄などが追加されているのが主みたいです。
全100回を通して、結局三蔵法師は合計81回もの災難に遭います。9X9というのに意味があるみたいです。よくもまあこれだけ登場させたというぐらい大小の妖怪が登場し、三蔵法師を食べようとしたり、婿にして関係を結ぼうとしたりします。そのかなりの部分が単なる動物が化けたものではなくて、何らかの仏様か道教の道士の元から逃げ出した何かであって、大抵の場合特殊な武器を持っていて、悟空を悩ませます。結局、悟空達が自分達だけで解決できることはほとんどなく、多くの場合仏や道士達の力を借りて妖怪を退治します。そういう戦いを通じて、悟空達も次第に成長していき、始めばらばらだった三蔵法師と三人の弟子と竜が化けた馬のチームのチームワークも良くなっていきます。この辺り、ちょっとビルドゥングスロマンとしても読めます。
実際の玄奘三蔵が持ち帰った経典は675巻らしいですが、西遊記では1万5千巻以上ということに誇張されます。どう考えたってそんな量を馬一頭で持ち帰ることは不可能と思います。また、実際のお経はすべて梵字(サンスクリット語)で書かれていますので、それをいきなり読める訳ではなく中国語への翻訳が必要で、実際に玄奘三蔵はインドから帰った残りの日々をすべて経典の中国語訳に費やします。しかし、結局持ち帰った経典の内1/3だけを翻訳しただけで人生を終えます。
ともかく、この歳になって、子供向け版ではなく、ちゃんとした西遊記をきちんと読めたのは良かったと思います。

平凡社版完訳四大奇書の「西遊記 上巻」

平凡社版完訳四大奇書の「西遊記 上巻」を読了。写真だと大した分量じゃないように見えますが、字が小さい上に何と1ページ3段組なので、実際はかなりの分量がありますし、ちょっと老眼には辛いです。でも読み出すと面白くて止まらなくなります。上巻だけで54回に分かれていて、1回1回はそれほど長くないので飽きずに読み進めていくことができます。内容は元祖「伝奇小説」という感じで、本当に面白いです。よくもまあこれだけの妖怪を出してくるなあ、というのが正直な感想で、悟空も万能でいつも勝利するのでは決してなくて、逆にほとんど常に危なくなって、かなりのケースで観音様その他の助けを借りてやっと何とかしのいでいるという感じです。一つ大人として読んで気がついたのは、この小説では道教と仏教がほとんど対等のものとして混淆して出てくるということです。三教ということで儒教も一応形だけは出てきますけど、実際は儒教に関係する登場人物は上巻には登場しません。仏教というのは日本でも神道と混淆しますが、この小説では菩薩が蟠桃会に招かれて出かけたりと、道教と仏教の世界がごちゃごちゃです。また、「封神演義」とも結構共通するものを感じますが、「封神演義」もまた明代の小説でした。三蔵と八戒が川の水を飲んで妊娠する話も確かに出てきました。話としては短く、無くてもいい話なので、子供向け版で削除されたのはわかるような気がします。後は、三蔵法師と三人の弟子と、竜が化した馬のチームのチームワークがかなりばらばらだということ。そこがきれい事ではないリアルなお話を作っているような気がします。三蔵法師も理想的な人物ではなく、すぐ悟空のことを疑い、八戒に簡単に騙されたりする人物として描かれています。

2017年11月7日時点での白井喬二未読作品

白井喬二の作品もかなり読んできましたが、2017年11月7日時点で未読の作品をまとめておきます。エッセイ、評論、児童向け、翻訳書を除きます。

単行本として出版歴のあるもの。
・『若衆髷』サイレン社 1936
・『平手造酒』(任侠小説傑作選)博文館 1940
・『彦左一代・地龍の巻』淡海堂 1942
・『彦左一代・天馬の巻』淡海堂 1942
・『新説岩見重太郎』文芸図書 1952
・『時代小説 しぐれ草紙』恭誠社 1958
・『麒麟老人再生記(久米城クーデター余聞)』(絶筆)ぎょうせい(ふるさと文学館第37巻鳥取)1995

単行本として出版歴のないもの。
・『銀の火柱』淑女画報 1920年4月-1921年3月
・『鼓の仇討』人情倶楽部 1921年12月
・『極秘天狗評定』人情倶楽部 1923年1月
・『銭面群像』文化画報 1923年9月
・『日本阿房宮』サンデー毎日 1923年4-6月
・『隠蓑道中記』人情倶楽部 1924年1月
・『正雪塾の大模擬戦』中学世界 1924年2月
・『町の編纂者』猟人 1924年7月
・『古代マーチ』(戯曲)苦楽 1924年8月
・『真言秘密大全』苦楽 1924年1-2月(モデルにされた人物よりの抗議のため、連載2回で中断[28])
・『講談浦島』人情倶楽部 1924年6-10月
・『六韜三略大巻』苦楽 1924年8月-1925年3月
・『怪畜楼秘話』独立 1925年1月
・『密状霊験記』写真報知 1925年2月
・『続怪畜楼秘話』独立 1925年5月
・『白欄谷の秀吉』人情倶楽部 1925年6月
・『侠客神髄』苦楽 1925年6-8月
・『明暗の峠』主婦之友 1925年7月-1926年12月
・『銭番義塾』大衆文藝 1926年3月
・『孔雀茶屋論争』演芸画報 1927年10月
・『鞍馬多門の話』サンデー毎日 1928年9月
・『日本鉄仮面』講談倶楽部 1928年1-12月
・『時代日の出島』婦人倶楽部 1928年1-12月
・『経国美談の冒頭』自由評論 1929年1-3月
・『人肉の泉』主婦之友 1930年4-12月(一部読了)
・『白痴』朝日 1931年1月
・『猩々の唄』文藝倶楽部 1931年1月
・『江戸から倫敦へ』現代 1931年1月-1932年6月
・『明治偉仰記』日本青年新聞 1932年?月
・『恋華落人』婦人公論 1932年12月
・『大石内蔵之助』モダン日本 1933年1月
・『天誅組』講談倶楽部 1933年1月-1934年6月(一部読了)
・『忠常の善政』文藝春秋 1934年4月
・『山中鹿之介』オール読物 1934年6月
・『花火の史実』経済往来 1934年8月
・『愛憎火事』オール読物 1934年10月
・『国史逸話拾遺』話 1934年6-7月
・『へり下りの利七』サンデー毎日 1934年?月
・『風流刺客』冨士・増刊号 1935年10月
・『東海の佳人』キング 1935年1月-1936年3月(一部読了)
・『鷹の羽頭巾』日の出 1936年2月
・『景清坂』講談倶楽部・増刊号 1936年9月
・『繍線菊』婦人倶楽部 1936年9月
・『女清正』冨士・臨時増刊号 1936年10月
・『荒城の娘』掲載誌不明 1936年?月
・『昼夜車』モダン日本 1936年1月-1937年9月(一部読了)
・『般若の雨』・『関根弥次郎』日の出 1937年2月
・『鯖倉政談』講談倶楽部 1937年9月
・『親心紅白陣』冨士 1938年5月
・『日本刀』現代 1938年6月
・『剣士平手造酒』日の出 1938年6月
・『蝦夷菊刀』週刊朝日 1938年9月
・『相馬大作』日の出 1938年11月
・『強い影武者』冨士・増刊号 1939年6月
・『後藤又兵衛』現代 1939年10月
・『梁川無敵行状』冨士 1939年10月
・『鶴亀武士道』冨士 1939年11月-1940年12月
・『椿の大獄』週刊朝日 1940年1月
・『風雲』報知新聞 1940年9月-1941年5月
・『戦国志』中部日本新聞 1942年9-10月
・『橘軍記』毎日新聞 1945年2-6月
・『層雲』時事新報 1945年
・『梶原恋慕流』講談倶楽部 1950年1月
・『稚児頭巾』面白倶楽部 1950年7月
・『いがみの権太』オール読物 1950年10月
・『水滸伝』週刊読売 1950年4-9月
・『岩見重太郎』京都新聞 1950年5-12月
・『石切梶原』掲載誌不明 1950年?月
・『盤嶽の仇討』オール読物 1951年12月
・『覆面英雄』オール読物 1952年3月
・『品川老人』小説朝日 1952年10月
・『新説相馬大作』共同通信系の地方紙夕刊 1952年12月-1953年6月
・『修羅・楽園』京都新聞 1953年7月-1954年9月
・『戦国紳士録』社会タイムス 1953年
・『追討ち地獄』 1954年3月
・『猿の剣法』小説の泉 1954年4月
・『ごろつき人情』傑作倶楽部・特集号 1954年12月
・『筒井女之助』週刊朝日別冊 1960年11月
・『捕物にっぽん志』歴史読本 1961年6月-(約2年間)(一部読了)
・『真刀水滸伝』京都新聞 1961年6月-1962年4月
・『平家の羽左』NHK 1962年
・『人物スケッチ』日本読書新聞 1963年3月
・『日本三景』東京タイムズ 1963年7月~終了不明
・『家康の素描』歴史読本 1964年4月
・『鳴龍日記』小説新潮 1964年7月
・『伊藤一刀斎』歴史読本 1964年10月