獅子文六の「てんやわんや」

獅子文六の「てんやわんや」を再読。前に読んだのは中学生の時だから、実に40年以上が経っています。「四国独立」の話が出てくる、ということ以外はほとんど忘れていました。
獅子文六は戦後2年間ほど、2番目の奥さんの実家がある愛媛に暮らしましたが、その時の経験を活かして書いたものです。昭和23年から24年にかけて毎日新聞で連載されたものですが、開始直前に獅子文六は戦犯の仮指定を受け、その指定が解かれるまで半年かかり、連載スタートが遅くなりました。
全体に愛媛の架空の町を、ある意味桃源郷のような理想郷のように描写していてそこは好感が持てるのですが、とんでもないと思うのは、主人公が山奥の平家部落と呼ばれる村に出かけ、ある家で泊まったら、そこの美人の娘が「夜伽」をしてくれたということ。(「夜伽」は四国ではお通夜の意味でも使うみたいですが、ここではSEXの奉仕、ということです。)いくらなんでも昭和20年代にそれはないんじゃないかと思います。本音部分では四国をものすごい田舎と思っていたのかもしれません。
四国独立の話は確かに出てくるのですが、全体的に大した構想ではなくて、あっという間に頓挫してしまいます。それより南海地震をモデルにしたと思われる大地震の話が出てくるのが興味深いです。
この小説は、新聞連載中はあまり話題にならなかったみたいですが、単行本が出るとベストセラーになり、映画にもなります。漫才師の「獅子てんや・瀬戸わんや」は、この小説のタイトルから名前を取っています。

NHK杯戦囲碁 湯川光久9段 対 潘善琪8段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒が湯川光久9段、白が潘善琪8段の対局です。潘善琪8段は6年ぶりのNHK杯戦出場で、前回負けた相手が奇しくも湯川9段で雪辱を期しての対局です。布石は双方が小目を打ち合い上下対称の形です。白は左上隅から延びた石が厚みとして働くのか、それとも攻められる石になるのかが焦点でした。しかし左下隅から左辺にかけての折衝の結果、白は左辺に潜り込みましたが、黒からツケコシを打たれ、2つに分断されてしまいました。しかし白は当たりにされた4子を捨てることで、全体を連絡する手を残しました。しかし白の潘8段の判断は下辺から右下隅にかけての模様を盛り上げることで、左上隅の白の切断を放置して下辺を打ちました。黒はこの白を切っている暇はなく、まず右辺から白模様を制限する手を打ち、白が受けた後に、右下隅の白の大ゲイマジマリに手をつけていきました。これに対し白は黒を隅に閉じ込めて活かすのではなく、黒全体を殺す手を選びました。結果として黒のしのぎはうまくいかず、打った黒全体が取られてしまい、ここで勝負がつきました。局後の検討ではもっと難しくする打ち方があったようですが、それでも黒がしのげていたかどうかははっきりしませんでした。白の中押し勝ちで、潘8段は雪辱を果たしました。

梨の花

家の近くに梨の果樹園があります。梨の花は通常ソメイヨシノが満開になって一週間くらいで咲くのですが、今年はソメイヨシノが遅れたせいなのか、ほぼ同時に咲きました。こういうのは初めてのように思います。

久地円筒分水から二ヶ領用水沿いの桜

今年も久地円筒分水から二ヶ領用水沿を溝の口まで歩いて桜を撮ってきました。
ソメイヨシノは満開で丁度良かったですが、しだれ桜はもう盛りを過ぎていました。
今年はPENTAXが桜を撮る時のお勧めにしている、カスタムイメージである「雅(みやび)」に設定して撮ってみました。

横溝正史の「髑髏検校」

横溝正史の「髑髏検校」を読了。「髑髏検校」は、いわゆる「ドラキュラ」を、まだ戦前で日本語訳も出ていない段階で、横溝正史が原書を読んで感動し、それを江戸を舞台にした物語に翻案したものです。吸血鬼の犠牲になった人が自身も吸血鬼になってしまうなどの設定は忠実に守られています。ただ、吸血鬼と戦う側の鳥居蘭渓が何故吸血鬼がニンニクに弱いことを知っているのかという疑問が残り、またキリスト教国ではない日本の江戸でどうやって吸血鬼を倒すのかという問題がありますが、なかなか良く出来た翻案ではあります。最後の吸血鬼の正体があっという感じです。
もう一作収録されている「神変稲妻車」が、まるで白井喬二と国枝史郎を足して2で割ったような、伝奇浪漫の快作です。雑誌「譚海」に掲載されたもので、この雑誌は小林信彦の「隅の老人」に出てくる真野律太が編集長をやっていた雑誌です。タイトルの「神変」やお宝(=二本の笛)の奪い合いという展開は白井喬二の「神変呉越草子」を想像させます。また信州高遠が舞台で、山窩族が出てくる所は、国枝史郎色を強く感じます。戦前の横溝正史は、当時探偵小説が当局からほとんど禁止されていたので、「人形佐七捕物帳」のような時代物や、このような伝奇小説を書いていたみたいです。後年の「八つ墓村」や「犬神家の一族」に見られるような伝奇色は、横溝正史は元々持っていたのだということがわかりました。

フィッシャー=ディースカウとブレンデルの「冬の旅」(1979年、DVD)

フィッシャー=ディースカウとブレンデルの1979年のライブの「冬の旅」のDVDを入手、聴きました。フィッシャー=ディースカウの冬の旅は、LPとCD合わせて12種類持っていて、それで全てかと思っていたらこのDVDがまだあったので取り寄せてみたものです。録音時期としてはバレンボイムと入れたものと同じ年です。ですが、バレンボイムとの盤が、色々と変化を取り入れた「変化球」の「冬の旅」だったのに対し、このDVDは60年代の演奏に近いオーソドックスなものです。ただ、DVDのせいだからかもしれませんが、CDに比べると音質が落ちる感じです。DVDの「冬の旅」はもう一種類、クヴァストホフとバレンボイムのを持っています。こちらはクヴァストホフがいわゆる「サリドマイド児」だったということを初めて知って衝撃的でしたし、演奏自体も素晴らしいものでした。しかし、このディースカウ・ブレンデルのDVDはそれほどの感激は与えてくれないですね。「冬の旅」に関しては、「映像」の必要性は疑問に思います。

遠藤周作の「海と毒薬」

遠藤周作の「海と毒薬」を読了。1945年の九大医学部における、アメリカ人捕虜に対する生体解剖事件を題材にした小説です。Wikipediaで読んだ実際の事件と、遠藤のこの小説はかなり異なっているように思います。遠藤の関心は「日本人とは何なのか」が主なものであり、大した葛藤もなく、生体解剖を行った関係者の姿がある意味淡々と描かれています。実際の事件は、当時(1945年5-6月)、日本の都市へ無差別爆撃を繰り返し、罪のない一般市民の命を奪っていたB-29の搭乗員への憎しみがあり、どうせ死刑にするなら、という発想で生体解剖を行ったということが推測されます。だからといって生きた人間を医療実験に使った関係者の罪は免れ得ないものだと思いますが、遠藤の描写は非常に一面的で突っ込みにかけるもののように思います。遠藤はこの作品については第二部を書く予定があったようですが、実際には書かれずに終わりました。

三田村鳶魚の「大衆文藝評判記」

三田村鳶魚の「大衆文藝評判記」を部分的に読みました。以前、白井喬二の「富士に立つ影」をくさしたものについては読んでいましたが、今回直木三十五の「南国太平記」をどうくさしているかが知りたくて買ってみたもの。ちなみに三田村鳶魚は昭和27年没で既に著作権は切れていますので、国立国会図書館のデジタルアーカイブなどで無料で読むことができます。ただ、それは読みにくいので文庫本版を買いました。
ともかく、とてもネガティブです。自分自身で取り上げた作品を「読むのが苦痛」としています。それから、作品の全部はたぶん読んでいません。特に白井喬二の「富士に立つ影」と中里介山の「大菩薩峠」は冒頭の所だけしか読んでいないのは明白です。
特に鼻につくのが、「○○というものは私は今まで見たことも読んだこともない。」という言い回しを再三することで、そうは書いてありませんが、「なのでそういうものは存在しない。」と暗に言っています。ある意味とても傲慢です。例えば白井喬二の「富士に立つ影」では、「築城師、城師などというものは聞いたことがない。」と書いています。それに対し、白井喬二は「さらば富士に立つ影」という自伝の中で、築城家熊木伯典、佐藤菊太郎の名前は、「築城家列伝」の中で見つけたといっており、実在の人物で、「富士に立つ影」の連載中にその子孫にあたる人(双方)から手紙をもらったと語っています。白井喬二は「国史挿話全集」を編むほど、江戸時代の文献に広く目を通していますから、私は白井喬二の方を信用します。
直木三十五の「南国太平記」についての評論も読んでみましたが、こちらも歴史的な事実の誤りを指摘するというよりは、どちらかというと登場人物の「口の利き方」を細々と批判しています。こういう身分のものが、別の身分のものに、このような口の利き方をする筈がない、というような指摘が延々と続きます。たぶん三田村鳶魚の言っていることはほぼ正しいのでしょうが、大衆小説家が歴史に題材を取って小説を書く場合、そこまで調べなければいけないのかと思います。
取り上げられている作品は、「南国太平記」と「富士に立つ影」、「大菩薩峠」以外は大佛次郎の「赤穂浪士」、吉川英治の「鳴門秘帖」、林不忘の「大岡政談」(丹下左膳)、佐々木味津三の「旗本退屈男」などです。
私は大衆小説が本来持っていた荒唐無稽なエネルギーを失ったのは、この三田村鳶魚の本が一つの原因であると思います。

ギュンター・グロイスベックの「冬の旅・白鳥の歌」

ギュンター・グロイスベックの歌、ゲロルト・フーバーのピアノ伴奏による、シューベルトの「冬の旅」、「白鳥の歌」を買いました。クラシックのCDを買うのはかなり久しぶりです。ブラームスの交響曲第1番ほどではありませんが、シューベルトの「冬の旅」も昔から集めていて、現時点で60種類くらい所有しています。「冬の旅」は本来は、テノールのための歌曲集なのですが、何故かテノールの名演というのはあまりないように思います。(エルンスト・ヘフリガーのものは、ちょっとヒステリックな感じがしてあまり好きじゃないですし、ペーター・シュライアーは、「美しき水車小屋の娘」は好きですが、「冬の旅」はイマイチだと思います。)
一番傑作が揃っているものはバリトンによるもので、有名なフィッシャー・ディースカウやハンス・ホッターがそうです。意外にいいのは、バスと女声によるものです。大学の時に、シューベルトの日本での最大の研究家であった故石井不二雄先生が、私に推薦してくれたのは、バスのマルッティ・タルヴェラのものでした。また比較的最近買った、フルッチョ・フルラネットのものは私の大のお気に入りです。史上もっとも遅い冬の旅です。このグロイスベックもバスですが、奇をてらわずに、ストレートに力強く歌っており、とても好感が持てます。
なお、女声による冬の旅では、ロッテ・レーマン、クリスタ・ルートヴィヒのものがお勧めできます。

NHK杯戦囲碁 王銘エン9段 対 本木克弥7段

本日のNHK杯戦の囲碁は新しい期になって1回戦の第1局。黒が王銘エン9段、白が本木克弥7段の対局。黒は3手目でいきなり大高目で、初めて見ました。ただその後2間に締まったので普通の布石に戻りました。黒は上辺と下辺に展開しましたので、白は右辺にワリウチから2間に開きました。黒はここで左下隅の星からケイマした白に肩付きしました。白が下を這って受けたのに黒は手抜きで右辺を打ちました。白はすかさず下辺に展開し、黒の肩付きを悪手にしようとしました。黒は右辺の白を攻める展開になりました。しばらく右辺の攻防がありましたが白は手を抜いて上辺の左上隅にかかりっぱなしの黒を1間に挟みました。黒はこの石を動いて挟んだ白を攻めようとしましたが、ここで単純な2間開きではなく上辺の黒に付けていった白の手が機敏でした。結果として上辺の白は眼二つの活きになりましたが、右上隅の黒も、上辺左の黒も味が悪く、ここで白が一本取りました。その後黒は左辺に打ち、左上隅の白を封鎖しようとしました。そこで白は上辺左の黒の味悪を追及していきましたが、そこは黒がうまく打ち、白は大した戦果は上げませんでしたが、黒1子を取っての厚い活きが残ったのはメリットでした。黒はその後右辺の白への攻めをしつこく狙いましたが、白にあっさりかわされて、左辺に先着されてしまいました。そのため左辺の黒が攻められ、その代償に左下隅から左辺で白に大きな模様を築かれてしまいました。ここが全部白地だと黒は負けなんで黒は三々に打ち込みました。この黒が活きるか死ぬかで勝ち負けが決まることになりましたが、本木7段は的確に受けて黒を全部取ってしまい、なおかつ下辺の黒5子も取りました。これで勝負がつき、本木7段の中押し勝ちになりました。