白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 地の巻 石川五右衛門」

jpeg000-61「白井喬二戦後作品集 地の巻 (石川五右衛門)」を読了。収録作品と初出は以下の通り。「石川五右衛門」(「サンデー毎日」1950年?月)、「大盗マノレスク」(「苦楽」1947年3月)、「明治女学校図」(「オール読物」、1951年1月)、「太公望」(「苦楽」、1946年11月)、「風俗犯」(「苦楽」、1948年5月)、「助六」(「苦楽」1947年?月)。初出不明のものも、昭和20年代の作品と思われます。文藝評論家の尾崎秀樹が、白井喬二の葬儀での弔辞で、「大盗マノレスク」と「明治女学校図」だけを白井の戦後作品として挙げています。私は正直な所、戦後の他の作品と比べてこの2作が特に優れているとは思えません。むしろこの本の中では「石川五右衛門」や「助六」の方が好ましく思えました。「明治女学校図」は明治時代の東大の学生が、卒業式の在校生側として招かれたけど、菓子の供応が無い、ということで集団で卒業式をすっぽかして乱暴狼藉を働いて全員退学になる話です。白井も自分で書いていますが、その中に後に有名になった人が多数含まれていたので、興味深く読まれた、ということではないかと思います。「助六」は当然歌舞伎からキャラクターを借りていますが、お話自体は歌舞伎とはまったく異なります。

百田尚樹の「幻庵」、連載終了

週刊文春に連載されていた、百田尚樹の「幻庵」がやっと連載終了。12月31日に単行本として出るそうですけど、買う人いるのかな。タイトルは「幻庵」だけど、途中2/3くらいまではほとんど「本因坊丈和」といってもいい内容でした。それでも敢えて「幻庵因碩」を主人公にしたのは、そうすると丈和だけでなく、本因坊秀和、秀策といった人も登場させられるからに過ぎないように思います。内容も幕末囲碁史であって、人間としての幻庵因碩の描写はイマイチだったように思います。単行本として出すなら、出てくる対局の棋譜を全部載せて欲しいですが、無理でしょうね。

白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 天の巻 坂田の金時」

jpeg000-60白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 天の巻 坂田の金時」を読了。収録作品と初出は、「坂田金時」(大衆文潮、1949年6月)、「児雷也劇場」(オール読物、1951年6月)、「銀嶺先生」(オール読物、1950年4月)、「鋳掛松」(苦楽、1947年5月)、「毒の園」(苦楽、1948年1月)、「悪七兵衛」(週刊朝日、1950年1月)。(「苦楽」は戦前のものと戦後のものがあり、戦前のものには国枝史郎の「神州纐纈城」が連載されていたことで有名ですが、ここの「苦楽」は大佛次郎が戦後主宰したもの。)白井喬二の昭和20年代の作品を集めたものです。(天の巻以外に、地の巻、人の巻が出ています。)白井喬二は誰が見ても長篇型の作家ですが、この時期の白井喬二は、長篇を自ら封じて、短中篇ばかりを書いていました。本人曰く、「大魚の鱗の一枚一枚を書くような作業」ということです。その作品群は戦前の作品のように大向こうをうならせることはなかったですが、戦中の「瑞穂太平記」のような作品に比べると、むしろ私には好ましく思われます。「銀嶺先生」は忍者の小説を書いていて、東大で甲賀流忍法について講演した伊藤銀嶺という作家が、新聞社にほらを吹いたために、明治座で忍術の実演をやらされる羽目になり、見事に失敗するお話です。白井自身も「忍術己来也」を書いていて、人からは忍術が出来ると思われたことがあるみたいで、その辺の経験を活かして書いています。他の作品もそれなりに読み応えがあります。

三遊亭圓生の「札所の霊験、居残り佐平次」

jpeg000-63本日の落語、三遊亭圓生の「札所の霊験、居残り佐平次」。
「札所の霊験」は本来もっと長い噺で、仇討ちの噺みたいですが、圓生が語っているのは途中までで、この途中までを聴くと、笑える所はまるでなく、オチも無く、ほとんど怪談噺です。遊女の小増が、水司(みずし)又市に恋人を斬殺され、又市は出奔し、小増はその後富士屋の旦那に見初められその妻になるが、富士屋は二度の火事で没落。夫婦と子供で越中の高岡に移るが、そこの寺の坊主が又市のなれの果てで、又市は小増にいいよって自分のものにし、富士屋の旦那を斬殺して、結局それがばれて、という陰惨な噺。
「居残り佐平次」は前に志ん朝で聴いていますが、圓生もさすがにうまく、佐平次のどこか憎めないキャラクターを見事に演じています。

白井喬二の「瑞穂太平記」(戦国篇)

jpeg000-59白井喬二の「瑞穂太平記」戦国篇読了。「桔梗大名」の明智光秀の物語が中途半端な所で終わってしまっていたので、この「瑞穂太平記」の戦国篇で続きが読めて良かったという感じです。それより興味深いのは、秀吉の天下統一までを長々書かないで、むしろ天下統一後の話がかなり詳しいことです。文禄・慶長の役は当然ですが、それより秀吉が原田孫七郎を台湾に派遣して、来降させようとしていたことや(これは最初、白井一流のほら話かと思っていましたが、歴史的事実でした)、呂宋助左衛門(納屋助左衛門)とのエピソードがかなり詳しく書かれています。まあ日本がアジア一帯に進出した時代に書かれたものですから、そういうバランスになったのかもしれません。最後は関ヶ原の戦いで、東軍が勝ちを収めるまでを描きます。
これで「瑞穂太平記」を全部読了しました。総じて、まあそれなりには面白いですが、白井作品としては他の素晴らしい作品に比べるとかなり落ちます。

三遊亭圓生の「鼠穴、三年目、鹿政談」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「鼠穴、三年目、鹿政談」です。
「鼠穴」はこの間圓生で聴いたばかりなのでパス。
「三年目」は、志ん朝、志ん生、圓楽と聴いてきてこれがもう四回目で、いい加減に飽きました。噺自体も、幽霊の髪の毛が伸びるというのが今一つで好きなれません。
「鹿政談」は奈良のお噺で、間違えて神聖な鹿を殺してしまった豆腐屋の老人を、名奉行が「これは鹿ではなくて犬じゃ」という見事なお裁きで救うものです。

白井喬二の「瑞穂太平記」(続源平篇、中興篇)

jpeg000-58白井喬二の「瑞穂太平記」第四巻、「続源平篇、中興篇」を読了。「続源平篇」は壇ノ浦の戦いから、義経が衣川で攻められて自害し、その後鎌倉幕府で頼朝の直系が三代で亡び、北条氏の政権になり、元寇があって、という所を描きます。「中興篇」はそのタイトル通り、後醍醐天皇の「建武の中興」を描きます。ただ、このお話しは「太平記」にもなるくらいですから、当然この巻の一部というボリュームでは不足気味で、かなり駆け足で話が進みます。あっという間に応仁の乱まで行ってしまいます。この「瑞穂太平記」の新聞連載は昭和15年から始まっていますが、やはり白井の時局迎合小説という面は否定できないです。私としては国民に訓戒を垂れるがごときお話しは白井らしくないと思います。

三遊亭圓生の「淀五郎、品川心中」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「淀五郎、品川心中」。
圓生の「淀五郎」は二回目です。名優の中村仲蔵が、忠臣蔵の塩谷判官に抜擢されたはいいが、ベテランの役者に演技がまずいため、舞台で相手にしてもらえない若い役者にアドバイスをする噺です。その役者は仲蔵のアドバイスを受けて一晩じっくり演技を考え、見事次の日に塩谷判官の役をこなします。
「品川心中」は以前志ん朝で聴いています。本当は後半まである噺ですが、後半を演じる人はほとんどいないようで、この圓生のCDでも前半までです。聴き所は、遊女と心中しようとしたけど、遊女は心中を取りやめて一人だけ海に落とされた男が、ずぶ濡れのまま親分の所にやってきて、丁度博打の最中だった親分の子分達が、手入れが入ったと勘違いして慌てふためく様です。

NHK杯戦の囲碁 謝依旻6段 対 張栩9段

jpeg000-67本日のNHK杯戦の囲碁は黒が謝依旻6段、白が張栩9段の対局です。序盤で左下隅で白は目外しを打ち、それに対し黒は浅くかかりました。左辺に展開した黒に対し白は右上隅の黒を切り離す覗きを打ちましたが黒はそれをすぐ受けず、中央に打って強大な厚みを築きました。(左上隅は結局黒はつなぎました。)この黒の厚みが働くかがこの碁の焦点でしたが、白は右下隅にかかり、黒は2間に高くはさみました。ここで白は右下隅に付けていきましたが、張9段はこの打ち方はアルファ碁を参考にしたと言っていました。先日の碁で高尾紳路9段もアルファ碁を参考にしたと言っており、コンピューターの打ち方がかなりプロにも影響を与えていることがわかります。白は右下隅で付け引いて、黒は隅をかけついで打ったのですが、その後の黒の打ち方が難しく、黒は左下隅に転じました。しかしここの折衝で黒は後手を引き、白に右下隅を圧迫する手を打たれてしまいました。この結果黒は右下隅で後手で小さく生きることになり、その反面白は中央で伸び伸びして、結果的にこの白への攻めがあまり効かず、黒の厚みが働きませんでした。白は右辺にも展開でき、更に右上隅の黒も小さく閉じ込めて活かすことになり、白の打ちやすい碁になりました。黒はその後中央に黒地を付けに囲いの手を打ちましたが、この囲い方が小さく、ここで白が優勢になりました。その後も戦いらしい戦いはなく寄せに入り、左辺と左上隅で劫になりましたが、勝敗には関係なく、劫自体も白が勝ちました。終わってみれば白の9目半勝ちの大差でした。女流のタイトルは独占している謝6段ですが、男性のタイトル経験者にはまだ分が悪く、このNHK杯戦でも羽根直樹9段に連敗しています。

白井喬二の「瑞穂太平記」(源平篇)

jpeg000-56白井喬二の「瑞穂太平記」の第三巻、「源平篇」を読了。つい先日白井の「源平盛衰記」を読んだばかりですが、内容は「源平盛衰記」と7割方同じです。多少新しい話は入っていて、平清盛が少年の時に馬を買ってその代金を日頃清盛に冷たくあたる叔父に支払わせたり、平家貞が源氏の監物満正と三十三間堂で矢の勝負をすることになり、二人とも事前にこっそり三十三間堂に忍び込んで練習したのが咎められ、ついには本番の前に勝負して片方だけが出場できることになったのに対して、家貞が見事勝利したり、という話が新しいです。ただ、源氏と平氏の戦いの話になると、さすがに新しい話はほとんど出てこず、「源平盛衰記」の繰り返しみたいになります。また、牛若丸と弁慶の戦いは、「源平盛衰記」ではより歴史に沿って清水観音が舞台になっていましたが、「瑞穂太平記」では一般的に語られるように、京の五条の橋の上になっており、ちょっと一貫していません