“He is an oyster of a man.”


“He is an oyster of a man.”は、山崎貞著の「新々英文解釈研究」という参考書のかなり冒頭の部分に出てくる表現で、その本の訳では、「彼はかき(牡蠣)みたいな(寡黙な)人だ。」となっていました。今は知りませんが、私が高校生の頃は、この本は英語の参考書として必ず買って勉強すべき本の一つという位置付けのもので、実際に買った人も多いと思います。買った人が最後まで読むかというのは別の話ですが、少なくとも買った以上は勉強してみようと思い、最初の方でこの文に遭遇する訳です。著者の山崎貞(やまさき・てい)という人はWebで調べたら1883年生まれ、1930年没の明治生まれのかなり昔の人です。(この本の初版は大正元年、その後大正4年に改訂されて「新」が頭に付き、昭和33年の原著者の没後に更に別の人により改訂され「新々」となっています。「新」は何と105刷まで行っています。)おそらく著者は何かの文学作品等でこの表現にぶつかり、印象的だったので覚えていてここで使ったのでしょうが、問題は”oyster of a man”という表現はネイティブには文字通り「牡蠣のような人」という意味でしかなく、直ちに「寡黙な人」というのには結びつかないことです。先日、Eigoxのレッスンで大学で文化人類学を専攻したかなり頭のいい先生にこの表現の意味が分かるか聞いてみましたが、「何を言っているのか分からない、聞いたことがない。」とのことでした。そして「貝のように寡黙」と言いたいなら、”clam”という単語があり、「二枚貝(ハマグリやアサリなど)」という意味と「寡黙な人」という両方の意味があります。つまり”He is (like) a clam.”と言えば済む話です。(日本でも、昔フランキー堺主演の「私は貝になりたい」というTVドラマがありました。)また句動詞で”clam up”という表現もあり、”He clammed up on my question.”(彼は私の質問に対し黙ってしまった。)のように使います。また、”clam of a man”なら、このページで実際に使われていました。
要するに、”~of a man”は「~のような人」という比喩(直喩)の表現に過ぎず、ここで覚えるべきなのはその”~of a man”の方で、oysterはどうでもいいということです。”He is a beast of a man.”だったら、誰でも「彼は野獣のような人だ。」ですぐに通じます。
しかし、ともかくもoysterの印象は強烈なので、多くの学生が英語ではこういう風に言うんだとこの文を暗記し、社会人になった時にネイティブ相手に使って、まったく理解してもらえない、という事態になります。
ちなみに、Yahoo! ANSWERSというサイトで、ネイティブに「この表現を使うことがあるか」と聞いた人がいますが、回答は「使ったことがない」「意味が分からない」でした。

一応OEDには、確かにoysterで「無口な人、他人とあまりコミュニケーションをしない人」という意味が載っています。しかし、用例に”an oyster of a man”はありませんし、一番新しい用例で1930年のものです。その中のトップはマーク・トウェインのものです。実はclamの「寡黙な人」という用例にもマーク・トウェインが出てきます。そして「新々英文解釈」でも練習問題などにマーク・トウェインが登場します。とすると、”an oyster of a man”はもしかするとマーク・トウェインの何かの作品に登場していたのではないかと思います。

4. A reserved or uncommunicative person. Cf. clam n.2 2.
a1910 ‘Mark Twain’ Let. in C. Clemens My Father, Mark Twain (1931) iv. 47 The Tribune review of Roughing It was written by the profound old stick who has done all the Tribune reviews for the last 90 years. The idea of setting such an oyster as that to prating about Humor!
1925 M. Wiltshire Thursday’s Child xi. 221 I wouldn’t mind betting Jane’s worrying herself sick over it; and he—goodness knows what he’s doing or feeling. I never saw such an oyster.
1930 J. B. Priestley Angel Pavement vi. 305 I never knew anybody so close, you old oyster you!

その後、出典らしきものを突き止めました。ここをご覧下さい。

NHK杯戦囲碁 小林覚9段 対 六浦雄太7段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が小林覚9段、白番が六浦雄太7段の対戦です。六浦7段は名人戦リーグに19歳の若さで入り、今後の活躍が期待出来ます。布石は黒が小目で二隅、白が星二隅というもので、どちらかというと黒の実利、白の勢力という対照になりました。黒が左辺を詰め、白が左上隅を受けた後、黒は上辺を中国流風に開きました。ここで白が右上隅の小目の黒の左側にいきなり付けて行ったのがAI流で、最近の流行です。黒は下に延びて受けましたが、白は下がり(画面の向きでは上に延び)、黒が押さえた時に白が隅をはね、黒は隅を受けずに曲がりました。白は左側に一間に飛び黒が更に延びた時、白は上辺真ん中の黒の右側に付けました。この手で出切りを先手で防ぎ、隅に延び込んでこの一団を安定させました。このワカレは若干黒が甘いかなと思いました。その後黒は右辺から右下隅に掛かり、白が一間に低く挟んで右辺で争いが始まりました。しかし激しい戦いにはならず、黒は右辺を渡って地を確保しながらつながり、白は中央に勢力を得ました。今後の焦点はこの中央の白が厚みとして働くか、あるいは黒に攻められる対象になるか、ということでした。そして黒はいきなりこの中央の白の断点を覗いて攻めに行きましたが、結果的にはこれが性急過ぎたように思います。白は当然継がずに下半分から左方へ一間に飛びました。黒も覗いた石を飲み込まれては意味がないですから逃げ出しましたが、一連の折衝で白の下辺の地がまとまって来ました。この辺り白は黒の攻めに反発せず固く受けていましたが下辺がまとまれば勝ちと判断していたようです。逆に黒は中央で目一杯に打っており、あちこち隙がありました。しかし中央を補強していては負けと判断し、右下隅は通常三々に入る所を白の一間トビを下から覗いて大きく地をえぐりました。こうなると白は中央の黒の薄さを咎めていかざるを得なくなり、まず急所に置いて行きました。その後の折衝の途中で左辺の黒にもたれましたが黒は受けていられず、白は左辺で地を増やし、なおかつ左下隅の黒に置きを敢行し、更に黒地をえぐりました。一連の折衝が終わった後、大ヨセで白が先手でしたが、六浦7段は最初に覗かれていた断点を継ぎました。これはヨセとしては0目の手でしたが、黒からは先手で左辺と中央の白の連絡を絶つ手があり、この断点を切られると色々と黒からヨリツキの手が生じるので結果としては正着だったと思います。しかし黒に大ヨセの先手が回った結果、形勢としてはかなり細かくなり、それでも白の勝ちであることを時間が無い中で読み切った六浦7段の冷静な形勢判断が光りました。最後は黒が投げ場を求めるような感じで無理な手を打ち、黒の数子が取られて黒の投了となりました。

今の中1の英語の教科書(オマケで基礎英語1)

Eigoxのレッスンで日本の英語教育について話し、今の中学一年生が使う英語の教科書はどうなっているんだろうと思い、開隆堂の”Sunshine”と東京書籍の”New Horizon”を取り寄せてみました。さすがに私の時代の”This is a pen.”や”I am a boy.”はどこにも見当たりませんが(ちなみにに後者は今だったらLGBTの人に配慮が足らないpolitically incorrectな文章として批判されそう…)、はっきりいってマンガだらけ!しかもほとんど萌え系。特に東京書籍の方が進んでいる(?)感じで、英語の教科書なのにインド人や韓国人のクラスメートが登場します。(一体どこのインターナショナルスクールの話?)しかも中1で”doggy bag”だって…(doggy bag ってご存知でしょうが、レストランで出された料理が食べきれない時に、「犬に食べさせる」という建て前で持って帰る時の容器のことです。こんな単語知らなくたって、レストランで残った料理を持ち帰りたい、って言えばこれを持ってきてくれますけど。)
以前、技術家庭の教科書をやはり2冊取り寄せましたが、それにはこれほどマンガは使われていませんでした。
(ちなみに東京書籍の漫画家は電柱棒という人でした。)

ついでに、NHKの「基礎英語1」(英語のまったくの初心者向け。この更に下に「基礎英語0」というのも今はあります。)もKindle版を買ってみました。(私が最初に英語を勉強したのは小学6年の時にこのNHKの基礎英語でです。大野一男先生とマーシャ・クラッカワーさんでした。)こっちもマンガだらけは同じでした。

うーん、私は基本的にマンガは好きですが、こんなにマンガだらけにしないと今の子は英語を勉強しようと思わないんですかね。実用性という意味では、昔に比べたらかなり向上していると思いますが。

トマス・ハーディーの「妻ゆえに」”To please his wife”

高校の時の英語の先生に、Nという人がいて、その人の英語の授業で「妻ゆえに」”To please his wife”というトマス・ハーディーの短篇を読まされたことがあります。筋は要するに強欲な妻が亭主に大金を儲けるように強く言い、そのために亭主が危険な航海に出かけて命を落とす、という話です。
最近、何でこんな話を高校生に読ませたのか気になって、英文と日本語訳の両方を取り寄せて読んでみました。日本語訳では2段組でわずか18ページの短いものでした。お話をもっと正確に紹介すると、ある船乗りが難破した船から奇跡的に助かって故郷の町に帰って来ます。そこで女房となる娘を探すのですが、ある地味で大人しい性格の良い娘を見初めます。しかしその娘の友人である虚栄心の強い娘が、その船乗りのことを大して好きでもないのに、その娘が幸せになりそうなのをやっかんで、自分が船乗りの妻に納まります。二人は小間物屋を始めて男の子2人も授かりましたが、生活はかつかつでした。そうこうしている内に結婚し損ねた娘をある富裕な商人が見初め、妻にします。その屋敷は虚栄心の強い女の店のすぐ近くでした。商人の妻となった大人しい娘は虚栄心の強い女の店を贔屓にしてくれますが、それが虚栄心の強い女には我慢がなりません。それで亭主をたきつけて、昔の商売である船乗りに戻るように言います。亭主はそれで航海に出かけ、ある程度成功してまとまった金を持ち帰ります。しかしそれは金持ちの商人の暮らしをするにははるかに足らないレベルのお金でした。それで虚栄心の強い妻は、更に亭主をたきつけます。亭主はでは息子二人を助手として連れて行ってもいいいかと言い、妻は承諾します。それで亭主と二人の息子は航海に出かけてきますが、おそらくどこかで嵐に遭ったのか、いつまで経っても帰って来ませんでした。虚栄心の強い女は大人しい娘のお情けで屋敷の中に住まわせてもらい生計を立てることが何とか出来ましたが、いつまでも亭主と息子の帰りを待ち続け、失意の中で死んだ、というものです。
問題は、なんでこんな話を高校生に読ませたかです。当然結婚している人も子供がいる人もいない生徒がこんな話を面白がると思ったのでしょうか。英語自体はそんなに難しくないので高校生でも読めると思いますが、どう考えてもその先生の趣味としか言いようがないです。

原子力潜水艦シービュー号の”The Plant Man”

原子力潜水艦シービュー号の”The Plant Man”を観ました。William Welchの脚本ではないので多少ましですが、またも陳腐な海の怪物もので、海藻が人間みたいな感じで意思を持って動き始めるというものです。ちょっと変わっているのは、双子の兄弟が登場し、弟が科学者でこの怪物を作り出したのですが、兄の方がそれを悪用して世界を自分の意のままにすることを企みます。双子同士はテレパシーで会話出来て、しかも兄の方が弟に強く命令すると弟は逆らえない、という設定になっているのがちょっと面白いです。しかし、最後に弟が逆らって兄をレーザーガンで撃ち、またネルソン提督は液体酸素か何かを海藻人間に吹き付けて倒す、という、以前もこのパターンあったような気がします。