三上於菟吉の「雪之丞変化」(上)

三上於菟吉の「雪之丞変化」(上)を読了。三上於菟吉は大正から昭和初期にかけての大衆小説の人気作家で、多作を誇りましたが、この「雪之丞変化」で人気の絶頂だった昭和11年に脳塞栓で倒れ、以後創作も減り、昭和19年に53歳で亡くなります。昭和9年から東京朝日新聞に連載されたこの「雪之丞変化」が代表作で、実に6度も映画化されています。主人公で妖艶な姿を誇る上方芝居の名女形である雪之丞が、実は親の敵として5人の者を狙っていて、そのために優男に見えながら実は剣の腕は免許皆伝という設定が、映画になりやすいのだと思います。その雪之丞を秘かに助けるのが、大泥棒ながら義賊でもある闇太郎と、雪之丞に横恋慕するこれも泥棒の軽業お初など、登場人物がちょっと変わっています。雪之丞の親は長崎の実直な豪商でしたが、長崎奉行と、その財産を付け狙う商人の陰謀によって、密貿易の罪を着せられ、一家は没落し、雪之丞の父は狂い死にします。子供だった雪之丞は、同じ長屋に住んでいた役者の菊之丞に引き取られ、女形としての修行を積みながら、同時に武芸の腕も磨き、親の敵を討つ日を心待ちにしています。

1981年第36期本因坊戦第3局 武宮正樹本因坊 対 趙治勲名人

囲碁を覚えて、初めてのリアルタイムの7大タイトルの戦いは、1981年の本因坊戦で、本因坊の武宮正樹に名人の趙治勲が挑戦した戦いでした。この棋譜はその時の第3局で、武宮の黒番です。上の棋譜の右半分の黒の打ち方が、いわゆる宇宙流で、特に上辺の白を平行に打って囲んだ手は何と美しくて簡素な打ち方だろうと当時感動しました。しかし、宇宙流は大模様の中にどかんと打ち込んで活きてしまうのが得意な趙治勲に対しては勝率が悪かったです。この時の碁も黒の中央の打ち方で問題があって、下の棋譜のように、黒模様の中の半分くらいに白が殴り込むように入り込んで生きてしまい、結局この碁は白の三目半勝ちになりました。この結果、武宮は三連敗になりました。その後武宮が二勝を返しましたが、最終的には四勝二敗で、趙治勲が自身初めての名人本因坊になりました。

遠藤周作の「沈黙」

遠藤周作の「沈黙」を読了。マーティン・スコセッシの映画が1月後半に封切られるので観ようと思い、その前に原作を読もうと思って読んだものです。感想はネタバレさせないと不可能ですので、以下はこれから原作読むか、映画で初めてストーリーに触れる人は読まない方がいいです。
まず、戦国時代から江戸時代にかけて日本に来たポルトガル人宣教師の中で、幕府による迫害に負けて棄教して日本人になったという人が複数いたことは、今回初めて知りました。遠藤周作はこの歴史的事実を元にして、その棄教に至るまでの事情を追っていきます。物語はまずフェレイラという司祭が日本で棄教したという事情がローマ教会に伝えられる所から始まり、フェレイラにかつて教えを受けた3人の若い司祭が日本に渡ろうとし、2人がそれに成功します。それでロドリゴという司祭の方が、最終的にフェレイラの勧めもあってキリスト教を捨てるのですが、その理由は直接的には彼がキリスト教を捨てないと、日本人信徒が拷問で殺されるからですが、もう一つは幕府のキリシタンへの弾圧に対し、神が「沈黙」を続けることに対して、疑問の心が起きたからです。ここの所、私は非常に引っかかります。本当のキリスト教では、旧約聖書のヨブ記に見られるように、どのような苦しみを神から与えられようと、決して神を疑ってはいけないとされているのが、まず第一点です。さらには、キリスト教は現世利益を求める宗教ではなく、むしろ苦難を与えられることこそ神に選ばれたということという考え方があります。(マックス・ウェーバーはこれを「苦難の神義論」と呼びました。キリスト教というより元々迫害され続けた流浪の民であるユダヤ人の宗教であったユダヤ教の考え方ですが。)この作品に出てくるカトリックの司祭は、何度もこれだけ信者が苦しんでいるのに、何故神が奇跡を起こして信者を救わないのか、と疑問に持ち続けます。この考え方自体がまったくキリスト教の本来の考え方から見ると相容れないものに思えます。この本は最初に出た時に九州のカトリック教会から「禁書」に指定されたそうですが、なんとなくわからないでもありません。そういう訳で非常に違和感のある作品ですが、ただロドリゴが「転ぶ」所で、この場にもしイエス・キリストがいたならば、彼もまた(苦しんでいる信徒を救うため)「転んだ」であろう、という議論は重いです。
後、本筋とは関係ありませんが、フランシスコ・ザビエルが最初にキリスト教(カトリック)を日本に伝え、わずかな間に最盛期では40万人もの信徒を獲得した、ということに驚きました。今の日本でのカトリック教徒の数もせいぜい50万人なんで、ほとんど変わりません。
映画については、スコセッシが最初に映画化するのではなく、1971年に既に篠田正浩監督によって映画化されています。(最初に棄教するフェレイラを演じたのはなんと丹波哲郎。)ともかく、スコセッシの映画が楽しみです。

韓国国家代表チームの「新手/新型 定石の解析」

韓国国家代表チーム(囲碁の)著の「新手/新型 定石の解析」を読了。私が囲碁を覚えたのは大学の時で、もう35年くらい経っています。当然定石もその頃覚えたのですが、今や定石は大幅に進化し、昔はまったくあり得なかったような手が登場していて、NHK杯の囲碁とかを観ていてもついていけないことがあります。そういう訳で、この本を買ったのですが、かなりの種類の最先端の定石が載っていて有用でした。しかしながら、その変化はかなり高度で、私の棋力ではついていくのが大変でしたが…また、日本の定石の本だと、一つの隅の図しか出てきませんが、この本は常に碁盤全体が示されていて、常に回りの配石との関係で、定石の結果の優劣が判定されています。考えてみればこれは当たり前のことなのですが、日本では古くからの慣習に左右されて、これができていません。そういう意味で、この本は単に定石の本と言うだけでなく、布石、序盤の戦いを兼ねた本になっています。序盤の戦いも、昔だったら、割り打ちを打って、それから開いてとじっくり行く所を、今の碁は相手の囲んでいる石にいきなり横付けしたりしますので、どこから戦いが始まるかがまったく読めません。そういう最新の打ち方に触れるのにいい本です。高段者向けです。

稲垣浩監督の「無法松の一生」(1943年)

稲垣浩監督の「無法松の一生」(1943年)を初めて視聴しました。新しいブルーレイプレーヤーを買った記念(?)です。これまでこの有名な映画を観る機会がありませんでした。また、戦前に内務省によって、また戦後にGHQによってと2度も検閲を受けてずたぼろにされた作品ですが、それでも名作ですね。阪妻は先日「狐の呉れた赤ん坊」を観ましたが、その主人公ともちょっと共通点があって、こういう役はぴったりはまっています。吉岡夫人を演じていた園井恵子は、広島の原爆に遭って亡くなってしまったということですが、物語の舞台となっている小倉も、寸前の所で原爆の惨禍に遭う所だったのを考えると、複雑な気持ちです。(長崎に投下された原爆は当初は小倉に落とされる筈でした。)この映画のクライマックスで出てくる小倉祇園太鼓の暴れ打ちは、創作で実際のものとは違うそうです。山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズはこの作品の影響を受けているそうで、主人公の車寅次郎という名前も、松五郎が車屋だったところからつけたそうです。

NHK杯戦囲碁 山下敬吾9段 対 羽根直樹9段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が山下敬吾9段、白番が羽根直樹9段の平成四天王同士の見応えのある対戦です。黒と白が上辺で競い合っていましたが、黒は左上隅で地を取っていたので上辺の戦いは白が有利かと思いましたが、そういう時でもひたすら攻めるのが山下9段です。上辺右の白にはいざとなったら左の白に連絡する保険があったのですが、それをふくらんで、白が押さえたのに切り込んで、この切った一子を取らせて先手で渡りを止め、そこから右辺へと延びた白を切断しました。この結果、上辺の白は攻め合い一手負けで、攻め取りとはいえ取られてしまい、まずは山下9段のパンチが入りました。さらに黒は2つに切られた白のもう一方の石も攻め、なんとこれも取ってしまいました。黒地は概算しただけで90目ぐらいになり、黒の勝勢になりました。しかし白は中央に厚みを築き、中地を囲って何とか挽回しようとします。黒は左下隅にかかっていき、白地の削減を図ります。その折衝の途中で白は上辺の取られていた石に手をつけてうまく劫に持ち込みました。劫材は右辺の取られている白を生きようとする手が何手もあり、白は劫に勝ってこの白が生還しました。その後白は右下隅の黒地に侵入し、また劫に持ち込むことを狙いましたが、その前に左下隅を黒に打たれて、本劫にされてしまいました。黒からは右下隅に侵入した白を取る手がすべて劫材になり、白は両方を持ちこたえることは出来ず、ここで白の投了となりました。一貫して、山下9段の豪腕が見事だった一戦でした。

山川惣治原作、川崎のぼる絵の「荒野の少年イサム」

山川惣治原作、川崎のぼる絵の「荒野の少年イサム」全五巻読了。この作品はリアルタイムで読んでいましたが、結末の所は読んでなかったので、今回ちゃんと読めて良かったです。この作品に出てくる、ビッグ・ストーンという黒人のガンマンはとても魅力的な脇役ですが、実はこれは原作にはなく、川崎のぼるが付け加えたものなんだそうです。イサム全編を通して最大の山場は、イサムとビッグ・ストーンの一昼夜に及ぶ決闘だと思うので、この作品への川崎のぼるの貢献度って大きいと思います。今になって読んでみると、結構色んな西部劇の影響が各所に感じさせられますが、マカロニウェスタンではない、うどんウェスタン(?)とでもいうべき、優れた作品だと思います。

今村俊也の「世界一厚い碁の考え方」

今村俊也九段の「世界一厚い碁の考え方」を読了。今村九段は、タイトルの通り「世界一厚い碁」を打つと言われている棋士です。碁の最終目的は相手より多く地を取る、ことです。「厚い碁」というのは、どちらかというとその正反対で、相手に地を与え、自分は外回りの勢力と好形を得る打ち方です。現在の囲碁は、足早に展開していく打ち方や、地を先行して取っていく打ち方が主流です。というのは「厚い碁」というのはなかなか勝ちにくいからです。「厚い碁」は相手にまず地合でリードを与え、後半で盛り返して逆転する勝ち方をする必要があり、これが簡単そうでなかなかできません。そういう訳で今村九段のような打ち方はプロでは少数派ですが、「厚い碁」を打ってなおかつ勝っているというのがすごいです。今村九段はタイトルこそ取っていませんが、7大タイトルで2回挑戦者になっていますし、NHK杯の囲碁でも2回準優勝しています。この本はそんな今村九段のノウハウを書いた本ですが、内容はどちらかというと初級者~中級者向けです。もう少し実戦例を多く載せて欲しかったです。

井山裕太、黄翊祖の「井山、黄の定石研究 進化する流行定石」

井山裕太、黄翊祖の「井山、黄の定石研究 進化する流行定石」を読了。私の囲碁は典型的な本で覚えた碁で、理屈には詳しいけど、実戦経験が不足しているのでなかなか強くならなかったのですが、コンピューター囲碁が進化して私の棋力を追い越して、ようやく稽古相手として不足がなくなって、対局の数をこなして多少強くなることができました。しかし、最近伸び悩みを感じているので、また少し棋書に戻ってみようと思います。最近の囲碁でついて行けないのは、定石がどんどん変わっていることです。この本の表紙に出ているのなんかいい例で、昔はこんな打ち方をする人は皆無でした。定石は、隅での黒白の攻防を、ある程度机上で研究して、または実戦で試されて、黒白互角とされる攻防をまとめた手順ですが、碁は隅で完結している訳ではなく、他の箇所との関連があるので、その部分だけ見た最善手が全局的に見た最善手とは限りません。そういった関係で、プロの実戦では定石はどんどん変わっています。そういうのにちょっと追いつくにはいい本でした。かなりレベルの高い本で、アマ高段者向け。

あぶくま洞

元日の午前中は初詣とアクアマリンふくしまに行ってきましたが、午後はあぶくま洞まで出かけました。鍾乳洞で、発見されたのは1969年ということで、意外と新しいです。中は1周600mくらいです。所々かなり低くなっていて、腰をかがめないと通れません。鍾乳洞としては、小学校の時に行った秋芳洞(山口県秋吉台)の方がはるかに規模が大きいです。