また昭和37年の「人物往来 歴史読本」の広告ネタ。何と総理府広報室の広告が裏表紙見返りに掲載されています。それによると、テレビやラジオの冠番組まで持ち、グラフ誌まで出していたようです。今はせいぜい安倍総理のTwitterぐらいですが、当時はかなり積極的に広報していたのですね。
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白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第22回)
白井喬二の「捕物にっぽん志」の連載第22回を読了。「歴史読本」の昭和38年3月号です。この回1回で完結しているお話で、明治9年に起きた「萩の乱」の首謀者である前原一誠を扱ったものです。まずは白井のお父さんがこの乱の時に官軍の警備隊士であって、前原一誠を捕らえるのに参加していたことが語られます。そして法廷で前原一誠が常に堂々とした態度であった事が語られます。
しかし、反乱の首謀者としての前原一誠ははなはだお粗末としか言いようがなく、身内の部下が木戸孝允のスパイとなって情報が筒抜けになっている事に気がつかず、また神風連の乱や秋月の乱、そして鹿児島の西郷隆盛との連携もうまく行かずあっという間に鎮圧されてしまいます。もっとも前原の先祖は尼子十勇士の一人だということで、父親との関わりもあって白井は同情を込めて描いています。
NHK杯戦囲碁 井山裕太棋聖 対 王立誠9段
本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が前期優勝の井山裕太棋聖、白番が王立誠9段の対局です。王立誠9段も過去棋聖を3連覇した名棋士ですが、如何せん井山棋聖とはかなりの年齢差があり、対戦成績は井山棋聖から見て9勝2敗だそうです。対局は井山棋聖が右辺で星と大ゲイマ締まりの組み合わせに対し白が右辺から右上隅にかかった後、黒が小ゲイマに受けた後、白が高く4間に開いたのが私としては珍しかったですが、世界戦で流行っている打ち方だということです。黒は高く打ち込んで行きましたが、白は下方の石を重視して、上方の石は黒からコスミツケられても手を抜き捨てて打ちました。右辺が一応一段落した後、白は左上隅を小ゲイマに構えましたが、その後黒が右辺に打ち込んだのが厳しく、結果としてこれが良くなかったように思います。黒は白の右下隅の4子をもぎ取り、黒は右上隅と右下隅でほぼ60目の地を確保し、地合では黒の大幅リードになりました。対して白は黒の1子を中央でゲタに抱えて厚く、白が左辺にどれだけ地を確保するかが勝負になりました。黒は左辺に割り打ちし、更に左下隅にかかって行きました。白はその黒の三間の間に打ち込んで行きました。しかし黒はその白1子を取って治まりました。白は黒が治まったので、ノゾキを決め、更に下から利かそうとしましたが、ここで黒は反発し、左下隅の白にノゾキをしました。白は受けずに結局左下隅は黒地となりまた黒地が増え70目レベルになりました。白としては白模様の中で切り離された黒を如何に厳しく攻めるかでした。黒は先に儲けているので全部を助ける必要はなく、半分捨て気味で打ち、一時は黒5子が取られました。しかしその後の黒のしのぎは巧妙で、左上隅に手をつけ、それと絡めながら、結局取られた5子も連れ戻してしまいました。こうなると確定地がものをいい、中央の白地もまとまらず、白の投了となりました。井山棋聖の常に相手の言い分に反発する打ち方が功を奏した一局でした。
白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第20回)
白井喬二の「捕物にっぽん志」連載第20回を読了。この話は20回、21回の2回の連載ですが、残念ながら第21回の分は入手できていません。読み始めて、ピストルを持った尊王攘夷の義賊「三日月小僧」というのが出てきて、あれ、と思いました。この「三日月小僧」は確か白井喬二の他の作品で出てきた筈です。と思って調べてみたら、「露を厭う女」でした。例の、横浜岩亀楼の女郎の喜遊(亀遊)が、アメリカ人相手をするように申し含められた時に、「露をだにいとふ大和の女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ」という歌を残して自害した、という有名な話に基づく小説です。話の内容も「露を厭う女」とほとんど同じで、箕作周庵の娘のお喜佐が、父親の病気による借金のため、横浜岩亀楼の女郎に身を堕とし、そのお喜佐を慕っていた勤王の志士の采女正が何とかお喜佐を救おうとする話です。采女正は身請けする大金を持っていないため、やむを得ず三日月小僧である清次に頼み、清次が旅先で大商人に強盗を働く所で終わっています。何故晩年の白井喬二がまたこの話を題材に取り上げたのか理由はよくわかりませんし、話の進行がほとんど同じで新しさがありません。
白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第16回~18回)
白井喬二の「捕物にっぽん志」第16回~18回は、大岡越前もので、タイトルが「白子屋おくまの巻」となっています。なかなか読み応えがある巻で、まずは四谷の寛全寺の僧柳全は寺にある本堂の奥柱に耳を当てると、不思議な声がするのを知るようになります。ある日、その柱で「油町の方角は」という声を聴きます。その後があるのですが、聴き取ることができません。柳全は大岡越前の部下で檀家である田中兵庫にこの柱の話を伝え、半信半疑の兵庫にも柱の声を体験させます。そして柱のお告げに従って油町をめがけて出かけていき、そこで一夜の宿をある商家に頼んだが断られ、やむを得ずその商家の大八車の下に潜って一夜を明かそうとします。そうすると夜中にその商家に泥棒が入って500両を盗み、なおかつその隣の商家にも押し入って、そこの女中を殺し、金目の物を奪っていきます。この時、たまたま500両を盗まれた商家の娘のお菊の許嫁であった吉三郎がお菊の元に忍んで来ていて、犯人と疑われます。また、柳全自身も犯人の一味だろうという事で、奉行所に引っ張っていかれます。
ここから先が大岡越前の名裁きということになり、500両を欲していたということを手がかりに、白子屋に目をつけます。白子屋の亭主は真面目な働き手でしたが、その女房のお常が浪費家であったため、家運が傾きます。それを補うため、500両の持参金付きで、娘のおくまの入り婿として又七を迎えます。お常は番頭と不義の仲になっており、おくまも淫蕩な母親の影響で外に男がおり、二人にとっては又七が邪魔で仕方がありません。そこで…という展開で、大岡越前守がよく真実を見抜いて吉三郎の冤罪を晴らすというお話です。その話の進行の中で、寛全寺の柱のお告げがまた効果的に使われています。
白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第14回)
「日本の古本屋」とヤフオクで、また昭和37年の「人物往来 歴史読本」を4冊入手。7、9、10、11月号です。白井喬二の「捕物にっぽん志」の連載第14回、16回、17回、18回に当たります。15回が欠けていますが、この14回~18回は大岡越前ものです。14~15回が一つの話で、16~18回がまた一つの話です。で14回は、大岡越前の配下の同心大倉芳輔が、深川の万年町で早駕籠にぶつけられて手を怪我し、そこの近くでたまたま見つけた中島立石に手当をしてもらいます。立石は名医で抜かりなく手当が済みましたが、芳輔は立石が元武士ではないかと疑い質問してみますが、立石は慌ててそれを否定します。帰って上役に報告してみると、それは赤穂浪士の討ち入りの前に、大石内蔵助から預かった金を持ち逃げした小山田庄左衛門ではないか、と言われ、立石を調べるように申しつけられます。芳輔は庄左衛門が大石からもらったという則光の名刀を手がかりに、庄左衛門の妹に偽の使者を送って裏を取ります。やはり立石が庄左衛門ではないかという確信を得て、立石の元を訪れてみたら、立石の家は親子三人が押し込み強盗に皆殺しに会っていた、という意外な展開です。15回が手に入らないのでこの先どうなるのかはわかりません。
白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第13回)
「人物往来 歴史読本」昭和37年のを「日本の古本屋」と「ヤフオク」で探して、何冊か追加で入手することができました。昭和37年6月号は白井喬二の「捕物にっぽん志」の第13回目の連載です。先日読んだ4月号が由井正雪の話でしたが、由井正雪は結局3回使ったみたいで、この13回目が最終話でした。この回では由井正雪の陰謀が幕府に露見して、幕府が慌てて駿府に捕り手を差し向け、正雪を捕まえようとしますが、正雪が自害します。一方で江戸の丸橋忠弥は早朝を捕吏に襲われて、得意の槍を手に取ることも出来ず、取り押さえられて品川表で磔にされます。槍の名人が槍に刺されて死にます。こうなると、正雪が陰謀をまさに行おうとして幕府がそれを察知する12回目が読みたくなりますが、気長に探してみます。
ちなみにこの月の「歴史読本」には山田風太郎も小説を書いていて、それぞれ嘘八百の歴史小説の名人が同居しているのは興味深いです。
だだちゃ豆第二弾(本豆)
白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第11回)
白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第11回)を読了。「人物往来 歴史読本」の昭和37年4月号です。この雑誌も、この頃の物はパラパラとしか入手できないので、残念ながら全編を通して読むことはできません。この第11回では、慶安の変の由井正雪を題材にしています。白井喬二が由井正雪を取り上げるのは、私が知る限りでは3回目で、最初は「兵学大講義」で由井正雪と同じく軍学者の諏訪友山の間の、軍学による戦いを描きます。2番目が1924年の「正雪塾の大模擬戦」で、中学世界という雑誌に掲載されたもので、残念ながらまだ現物を見ることできていません。この「捕物にっぽん志」では、由井正雪の生まれはどこかから考証を試みていて、小泉三申(小泉策太郎)の説を正しいとしたりしています。後は、熊沢蕃山がある殿様の依頼で由井正雪をスカウトに行きますが、5000石という破格の知行を持ち出したのに正雪に断られ、正雪が叛乱を起こすような性格の人間であることを人相から見抜く所が面白いです。この回では完結しておらず次回に続いております。「歴史読本」の昭和37年5月号は取り敢えず見つかっていません。
中里介山の「大菩薩峠」第6巻
中里介山の「大菩薩峠」の第6巻を読了しました。間で白井喬二関係の2作がはさまったせいもありますが、そろそろ読むスピードが落ちてきた感じです。理由を考えると以下のようになります。私が大衆文学に求めるのは、(1)国枝史郎的な、いかにも「伝奇小説」というべき意外性に富むストーリー展開
(2)白井喬二的な、共感できる登場人物がカタルシスを与えてくれること、の2点です。
この点、この「大菩薩峠」は、(1)については、第5巻の感想で書いたように、登場人物の順列組み合わせ的なストーリー展開であり、「はらはらどきどき」という展開ではありません。それに何より話が暗い。継母のせいで顔に火傷してその跡が化け物のようになっているお銀様は、絵双紙の男女の顔を針でつついてつぶしたりする話が出てきます。(2)については、この小説には心から共感できるような人物が一人も登場しません。例えば、兄の敵を討とうと、武芸の腕を磨いた熱血青年であった筈の宇津木兵馬は、この巻では吉原の遊女に入れあげ、その遊女を身請けする金を得るため、自分とは本来関係のない殺人を請け負い、挙げ句の果ては間違えて罪のない馬方を斬り殺してしまいます。多少共感できる人物としては宇治山田の米友と道庵先生がいますが、米友はしばしばどうでもいいような喧嘩をわざわざふっかけますし、道庵先生は医者としての腕は良くて、報酬も18文しか受け取らない良心的な人物ですが、如何せんお調子者過ぎますし、米友に対して変な理屈をこねてからんだりする点もマイナスです。悪人の方ではいえば、主人公の机龍之助がまったく共感できない人物なのはもちろんですが、神尾主膳などもほぼ最悪の人物として描かれています。主膳の酒癖の悪い所は、以前勤めたH社の酒癖の悪い上司(4人以上の複数)(笑)を思い出して辟易します。
それでもこの作品が中谷博が言うようにインテリに人気があったのは、龍之助が問答無用で振るう暴力が、社会の中で鬱屈するインテリにとってのカタルシスだったからでしょう。1960年代後半から70年代前半にかけて、学生運動に挫折した大学生がヤクザ映画にはまったのと同じ現象のように思います。
作者の中里介山はこの作品が「大衆小説」とされることに強く異を唱えていたので、まあ大衆小説的でないから面白くない、と言っても仕方がありませんが。また、類型的な人間が登場せず、登場人物それぞれ一癖も二癖もあるのは、作者が人間の業というものを描こうとしたからだと思います。