白井喬二の「先覚者」の連載第1回の分を読了。「苦楽」の昭和23年3月号に掲載されたもの。苦楽の同じ年の5月号には別の作品が掲載されているので、連載といっても2回で完結したのではないかと推測しますが、実際の所は不明です。お話は江戸幕府の手で建造された蝦夷船が、砂金発掘と開拓の目的で北海道に送られます。それに大野木克馬の息子である鉄馬も乗り込んでいましたが、その蝦夷船が品川に戻って来た時に、何故か鉄馬は秘密裏に下船し、姿をくらまします。鉄馬は船内にいた時からつづらを大事そうに抱え込んでいて、中に何が入っているのか船内の人の関心を集めていました。品川で下船する前には、その中身を検めてやろうと船内の人は思っていましたが、その裏をかいて鉄馬はまんまとつづらを持ってどこかに失踪してしまいます。鉄馬の帰りを待ち受けていた克馬は失望します。といった話です。この話も今後の展開が読めません。河出新書の白井喬二の戦後作品集に収録されていない理由も不明です。
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NHK杯戦囲碁 今村俊也9段 対 山田規三生9段
昨日のNHK杯戦の囲碁(昨日は日立コールファミリエのコンサートに行っていたので録画で視聴)は、黒番が今村俊也9段、白番が山田規三生9段の対戦です。対局は今村9段があまりらしくなく上辺に地を確保に行ったのに対し、山田9段が上辺の黒に肩付きして最高度に深く入っていきました。この深く入ってきた白に対しての攻めが焦点になりました。黒は中央の白にボウシして、白は一旦右側に逃げると見せてその後左に逃げました。黒はそれに対してケイマして攻めを継続しましたが、それに対し白が左側に付けていきました。これに対し黒が跳ね出して白を切っていきました。白が切った黒のタネ石をアタリにした時、黒は何と外から当ててタネ石をポン抜かせてしまいました。ええ!という感じでしたが、タネ石を抜かせてもその後掛けて黒が外回りになりいいんじゃないかという判断でした。この打ち方がなかなかのもので、黒は右下からの模様が大きくなりました。その後、白は黒を劫で切断に行ったのですが、劫争いの中で黒はまたも1子を白に抜かせて、その代わりに白を亀の甲で2子ポン抜くという大変化になりました。この結果左辺で黒が孤立しましたが、黒は辺に這ってピッタリ活きました。そこで白が右下隅の黒模様に突入しました。これを黒は最強に攻め、結局隅に振り替わりましたが、右辺の白が攻め取りにもならずに丸々取られてしまいました。ここで勝負が決まりました。終わってみれば黒の7目半勝ちで、今村9段の会心譜でした。
白井喬二の「人肉の泉」
白井喬二の「人肉の泉」、連載の第一回分だけを読了。「主婦之友」の昭和5年4月号です。この年の「主婦之友」は古書検索サイトではこれ1冊しか見つかりませんでした。「人肉の泉」、何ともすごいタイトルで、しかも掲載誌は女性誌です。お話は長崎の高島四郎太夫(高島秋帆)が、幕府から洋風銃砲隊の編成を公に命ぜられた所から始まります。ところが幕府の鉄砲隊には別に和銃の隊が既にあって、その隊長は田附四郎兵衛ですが、四郎兵衛は高島が洋風銃砲隊の隊長に命ぜられたことが面白くなく、自分の職分を侵すものだと考え、高島に役目を辞退するように申し入れますが、高島は幕命だということで聞き入れません。おそらくこの先、この二人が対立してドラマが起きるのでしょうが、一回目を読んだだけでは展開はまるで予想できません。これも全部読めないのが残念です。
日立コール・ファミリエ第18回演奏会
溝の口のスーパー「マルエツ」リオープンは11月末予定
白井喬二の「豹麿あばれ暦」
白井喬二の「豹麿あばれ暦」の連載第1回の分を読了。週刊新潮の昭和33年4月7日号です。この作品は白井喬二がこの年インフルエンザと高血圧で倒れてしまい、連載4回で中断し、白井自身が回復の見込みを感じていなかったため、やむを得ず中止となった作品です。古書店の検索では、この第1回の分しか見当たりませんでした。読んでみてあっと思ったのは、主人公が万能児として育てられた17歳の青年武士ということで、「陽出づる艸紙」とまったく同じ設定です。しかし、「陽出づる艸紙」の主人公は、育てられた父親に敬意を表しその言に従いますが、こちらの豹麿は確かに諸芸百般は身につけたようですが、なかなか親の言うことなど聞かない問題児に育ったようです。白井喬二は、「粗暴に似た神人」「剣の未知にいどむ善魔」として、これまで書いてこなかった新しいタイプの青年武士を描こうとした野心作としています。完結しなかったのが非常に残念な作品です。
白井喬二の「無辺と瓢吉槍」
白井喬二の「無辺と瓢吉槍」を読了。大日本雄弁会講談社の「キング」の昭和12年1月号に掲載された読み切り作品。出羽の瓢吉は、鮭を突く槍の名人でした。同じ土地に槍の名人の大内無辺も住んでいました。無辺は瓢吉の技を見て気に入り、家に遊びに来るようにいいます。遊びに行った瓢吉と無辺はお互いに同じ技が得意なのもあって、仲良くなります。無辺も元は鮭突きをやっていました。ある時無辺は武者修行にやってきた者と槍で立ち会い、不覚を取ります。しかし、瓢吉はその傷を見て、無辺がわざと突かれたことを見抜きます。その理由を問い質しましたが、無辺は1年待て、と言います。1年後、無辺は立ち会った武者修行の者は、実は南部藩の槍の名人の登舎庄五郎宗和で、南部藩と出羽藩が戦いになるのを予測して、宗和は無辺の技を盗みにやってきたのであり、無辺は技を見せないためにわざと突かれたことを明かします。瓢吉は無辺の元で1年槍の修行をし、今度は逆に瓢吉が宗和の槍の技を盗みに南部藩へ行く、という話です。なかなかよくまとまった佳作だと思います。なお、1955年にこの作品を原作にした映画「夕焼け童子」(二部作)が封切られています。
土師清二の「砂絵呪縛」(下)
土師清二の「砂絵呪縛」(すなえしばり)(下)を読了。この作品を読んだきっかけは、あるWebサイトでこの作品を、白井喬二、国枝史郎と並ぶ伝奇小説の名作として紹介してあったのからなのですが、読み終わった後は、特に伝奇小説という要素は少なかったように思います。それよりも目立つのは、森尾重四郎という脇役に過ぎないのに、何故か非常に目立つキャラクターです。その性格は飄々としていて、何事も投げやりなその場任せな人物ですが、物語の冒頭では、墓を暴いて金の簪を盗んできた墓守職人を理由もなく切って捨てています。そしてそれを目撃した鳥羽勘蔵に誘われるままに柳影組に参加しますが、その仲間をあっさり裏切ります。また露路という純粋無垢な美女を盗み出して一緒に暮らしても、手を付けることはしません。実はこの作品は映画化される時に実に四社の競作となったそうですが、三社が主人公を小説の設定通り勝浦孫之丞にしたのに対し、阪妻プロだけが主人公をこの森尾重四郎にして、大当たりを取ったということです。阪東妻三郎の慧眼ぶりが光ります。この重四郎は、明らかに中里介山の大菩薩峠の机龍之助の系譜を引くニヒルで退嬰的な剣士ですが、この性格が当時のインテリの姿と重なって受けたようです。
国枝史郎の「任侠二刀流」の広告
未読の白井喬二作品を求めて、「大衆文藝」の第二巻第五号を買いました。しかし、残念ながら外れで、白井作品はこの雑誌には載っていませんでした。しかし、未読の国枝史郎作品の広告を見つけました。「任侠二刀流」という作品です。ググってみたら、この作品は未知谷から出ている国枝史郎作品集の第二巻に載っていました。また青空文庫では作業中の作品に入っていました。それはいいのですが、注目すべきは作品名の右に書いてあることで、「発売禁止を命ぜられんとせしも辛ふじて二三五頁削除漸く許可せらる。」とあります。「二三五頁」が2、3、5ページという意味なのか、235ページという意味なのか判然としませんがたぶん後者でしょう。元は新聞連載だということですが、何がそこまで当局の逆鱗に触れたのかが興味があります。
土師清二の「砂絵呪縛」(上)
土師清二(はじ・せいじ)の「砂絵呪縛」(すなえしばり)(上)を読了。土師清二は白井喬二より4つ年下の大衆小説家。岡山県に生まれ、少年期は商家に奉公に出たり、夜学に通ったりで苦労しますが、上京してマスコミの仕事に従事し、「週刊朝日」の編集人になります。1923年に同誌に「水野十郎左衛門」を連載してデビュー。1927年(昭和2年)に、この「砂絵呪縛」を発表、それが阪妻主演で映画化されると大ヒットし、作家としての地位を確立します。他にも多数作品があるようですが、この頃の大衆作家の常として、今日ではほとんど読まれていません。
お話は、元禄時代、将軍綱吉の時代に、側用人柳沢吉保は背後に紀州公綱教を立て秘かに柳影組を作り陰謀を巡らせますが、これに対抗して間部詮房が背後に水戸光圀を持って天目党を組織します。この二つの党派は、背後での綱吉の世継ぎ争いもあって激しく争います。柳影組で贋金を作っていた黒阿弥が天目党に誘拐されますが、柳影組はこれに対抗するために、間部詮房の娘の露路を誘拐し返します。この二派の対立を他所に、砂絵師の藤兵衛は黒阿弥の娘のお酉から、刺青を入れるよう申しつかります。これからどう展開するかは下巻を読んでみないとわかりません。カラクリ屋敷が出てきたりして、ちょっと白井喬二の影響を感じないでもありません。