「天頂の囲碁6」との九路盤定先での対局で勝率の良い打ち方

「天頂の囲碁6」との九路盤定先での対局、黒5と付けて、白6と跳ねた時、通常は9に引くのですが、黒7と突っ張るのが私の工夫で、白は当然8と当ててきますが、黒は継いで、この結果黒は愚形になりましたが、白には断点が2つ残ります。白がここを継げば黒は先手で他に回れますし、白が継がなければ、後で切りをにらみながら打つことができます。この打ち方は「天頂の囲碁6」に対してかなり勝率がいいです。この時は黒3目勝ちでしたが、多くの場合、黒1目勝ちになります。

原田豊太郎の「英文ライティング『冠詞』自由自在」

原田豊太郎の「英文ライティング『冠詞』自由自在」を読了。正保富三の「英語の冠詞がわかる本」が得るところが少なかったため、さらに冠詞の使い方の理解を求めて買ったもの。筆者は1941年生まれで、東大の応物出身。技術英語の本をたくさん書いている人です。この本に書いてあることで、目から鱗だったのは、ネイティブが使ういわゆる英英辞典には、[U](不可算名詞)と[C](可算名詞)という記号はついてないよ、ということ。何故ならばほとんどの不可算名詞は、可算名詞になることもあるから。有名な例としては、自由=freedomは普通不可算名詞ですが、セオドア・ルーズヴェルト大統領は1941年に「四つの自由」を唱えました。((1) 表現の自由,(2) 信仰の自由,(3) 欠乏からの自由 ,(4) 恐怖からの自由 )これの英語はfour freedomsです。「英辞郎」に[U]と[C]が載っていないのは何故なんだろうと常々思っていましたが、疑問が氷解しました。
また、この筆者は、「a〔数えられる名詞〕が特定の一つの事物をさす」という、非常にパラドキシカルな場合があることを強調します。それは書き手が特定の事物を取り上げているという意識がないのに、特定性が生じることが特徴だと言っています。説明は長くなるので省略します。
この本は、正保本よりも実用的だと思います。ただ、こうした本では、結局規則とその例外を示すので、印象深いのはむしろ例外の方で、こうした本を読んだためにかえって実際の英文を書くときに悩んだり、誤ったする可能性が増えるのではないかと思います。結局規則で冠詞を理解しようとしても限界があって、語学というのはやはり慣れるしかないということを改めて思い知らされます。ただ、それでも諦めきれないので、この本の中で紹介されていた、デイビッド・セインの冠詞の本をさらにAmazonに注文しました。

NHK杯戦囲碁 呉柏毅 3段 対 鶴山淳志7段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が呉柏毅 (う・ぼい)3段、白番が鶴山淳志7段の対局です。呉3段は初出場です。台湾出身で張栩9段の活躍に刺激されて日本にやって来ますが、日本棋院では年齢制限までに初段になれず、関西棋院でやり直してようやくプロになりましたが、なってからがすごくなんと19連勝という記録を作ります。一方の鶴山7段は趙治勲名誉名人門下の35歳。NHK杯戦は5回目の出場ですが、これまで勝ち星がなく、初勝利を狙います。
対局は両者の棋風通りに、激しい戦いの連続になり、あちこちで切りが発生し、目まぐるしい碁になりました。そんな中、呉3段が何度も解説の村川大輔8段の予想にない妙手を放ち、局面をリードします。中央の戦いは黒がうまく白を攻め、その余得で左下隅から下辺を50目近いレベルにまとめ、なおかつ下辺の白を取ってしまいました。白はその後右下隅を大きく抉るなど挽回を図りかなり追い上げはしました。しかし最後上辺の白の連絡に不備があり、黒に切断されて投了となりました。呉3段は今大会のダークホースとして活躍が期待されます。

田中圭一の「うつヌケ」

田中圭一の「うつヌケ」を読了。「ドクター秩父山」などのギャグ漫画や禁断の手塚治虫パロディーで有名な田中圭一が、自身がうつになったのとそこから抜け出せた体験を語ると同時に、色々なうつの人(一部双極性障害の人も含む)の体験を聞いて漫画にしたもの。一つ参考になったのは、大きな気温の変化(季節の変わり目)や気圧の変化(台風や低気圧など)でうつが誘発されるということで、田中さんだと11月、3月、5月が良くないそうです。確かに私のうつでも、もっとも症状が重かったのは3月だったと思います。私のうつは、最初会社を1ヵ月ほど休み、一回直って2ヵ月くらい勤務したら再発し、そこからまた半年会社を休み、復帰しますが、そこから半年後ぐらい(それが丁度3月でした)が最悪でした。後で調べたら「激越型うつ病」というものだったらしく、ともかくじっと静かに座っていることが出来ず焦燥感が襲ってきて、会社で勤務中でもじっとしておられず10分に1回席を外して、屋上に行って意味もなく歩き回っていたりしていました。(歩いていると多少気が紛れるので)また食欲がほとんどなくなり、体重が10Kg減りました。そういう経験してきたんで、この本にもありますけど、「うつは心の風邪」なんて言い方はとんでもないと思います。風邪引いたくらいで、体重が10Kg落ちたりしません。漫画なので気楽に読めますので、多少心当たりがある人は読まれたらいいのではないかと思います。

獅子文六の「七時間半」

獅子文六の「七時間半」を読了。1960年に週刊新潮で連載されたもの。獅子文六67歳です。何が「七時間半」なのかというと、東京発大阪行きの特急「ちどり」(架空の列車名、モデルとなっているのは特急「はと」)が東京を発って大阪に着くまでが七時間半ということです。この特急列車に乗り込んでいる食堂車のコック、ウェイトレス長、そしてメレボ(女性の列車ボーイ、実際に「はとガール」という女性乗務員がいたみたいです)の3人を中心として色んな人間が登場して話が進行していきます。まずは、1960年当時で、東京大阪間が7時間半もかかったということに、新鮮な驚きを感じます。ちなみにこの物語の4年後に東海道新幹線が開通し、東京大阪間を最初の1年は4時間で結び、その後は3時間10分にまで短縮します。つまりあっという間に半分以下になった訳です。ちなみに現在では2時間22分です。現在の新幹線ではとてもこの話は成立しません。
解説の千野帽子さんは、この小説を「グランドホテル形式」と書いていますが、それよりも私が思ったのは、この小説は大衆時代小説の一つの形式である、「東海道五十三次もの」の現代版だということです。「東海道五十三次もの」の元祖は当然「東海道中膝栗毛」ですが、私が読んだ時代ものの中でも、野村胡堂の「三万両五十三次」や、南條範夫の「月影兵庫 上段霞切り」がそうです。もっともこの獅子文六の小説では東海道はあっという間に過ぎてしまう訳ですが、どの駅で給水するのかとか、どの駅でどんな土産物が売れるのかという情報を細かく書いていて、現代の五十三次ものとしての面目躍如だと思います。
この特急「ちどり」には岡首相が乗っていて、モデルは当然岸信介首相でしょう。そして岸信介首相に対抗するのは、60年安保の時代ということで全学連で、獅子文六はこの2つをうまく話の中に入れてストーリーを作ります。
全体的に深みはまったくないですが、67歳の獅子文六のストーリーテリングの巧さが光る作品だと思います。またグルメであった獅子文六が食堂車というものについて穿った解説をしてくれている小説でもあります。今は新幹線でも食堂車はなくなってしまいましたが、ちょっと懐かしさを感じます。

大川慎太郎の「不屈の棋士」

大川慎太郎の「不屈の棋士」を読了。コンピューター将棋に対する考え方を11名の棋士にインタビューしたもの。奇しくも電王戦で、佐藤天彦名人が、現役の名人としてポナンザと対局し、いい所なく敗れるという報道がありました。このように、既にコンピューター将棋は、タイトルホルダーのような超一流のプロ棋士の実力をも超えていることは明らかだと思いますが、11名の中には佐藤康光9段のようにそれすら認めていない人もいるということがわかりました。個人的には千田翔太6段のように、コンピューターを積極的に活用して、自分の棋力を向上させようとしている人の方がはるかに好感が持てます。個人的なことを振り替えれば、私の囲碁の力は、最初の頃は棋書をたくさん読み、プロの棋譜を並べ、また亡父(アマチュア7段格)に打ってもらうことで、すぐに3級くらいにはなりました。でもそこから先の初段へ、そして現在の3~4段くらいの棋力になる上では、コンピューター囲碁との対局が本当に役だっています。将棋でもこれから出てくるプロは、ほとんどをコンピューターとの対局で腕を磨いた、という人が出てくると思います。また、文字を書くことで考えても、ワープロやパソコンの仮名漢字変換が出てきて、「漢字が書けなくなる」などのネガティブなことをいう人はいました。でも、後から考えてみると、コンピューターは人間の書く力を強めてくれた、と思っています。本書のサブタイトルには、「人工知能に追い詰められた「将棋指し」たちの覚悟と矜持」とありますが、過剰な「矜持」は感じられても、「覚悟」の方はあまり感じられなかったです。

小林信彦・編の「横溝正史読本」

小林信彦・編の「横溝正史読本」を読了。小林信彦と横溝正史の1975年から76年にかけての4回の対談を中心にまとめたもの。小林信彦の編集者としての仕事の内、もっとも良質な部分が良く出た本だと思います。特に、戦前の、横溝正史が「新青年」の編集長をしていた頃を中心とする話が興味深かったです。小林信彦は宝石社のヒッチコックマガジンの編集長をやっていた頃に、宝石社に保管してあった「新青年」の多くに目を通しており、またその頃の宝石社には、真野律太という、博文館の「譚海」という雑誌の編集者をやっていた人が校正の嘱託として働いており、小林信彦と交流がありました。横溝正史の「神変稲妻車」を読んだ時に、白井喬二と国枝史郎の影響を感じたのですが、白井喬二の影響はこの本では良くわかりませんでしたが、年譜から白井喬二と横溝正史がほとんど同じ頃文壇デビューを果たしているのを知りました。国枝史郎については、ある出版社から文庫本による国枝史郎の作品集が出た時、三人の監修者の一人が横溝正史だったということでした。横溝正史が国枝史郎の作品を高く評価していることはよくわかりました。
私は横溝正史の作品としては、「本陣殺人事件」、「犬神家の一族」、「八つ墓村」程度しか読んでいないので、それ以外の部分は論評を差し控えますが、小林信彦が知識の量としては横溝正史にまったくひけを取らず、横溝正史から色々な情報を引き出していることを高く評価したいと思います。

獅子文六の「自由学校」

獅子文六の「自由学校」を読了。この作品、中学生の時に一回読んでいる筈なのですが、内容をまったく覚えていませんでした。家に「昭和文学全集」みたいなのがあって、その中に「獅子文六」の巻があり、確かに「自由学校」が入っていたと記憶しているんですが…
昭和25年に朝日新聞に連載されたもので、連載中から話題の大人気作になり、昭和26年になんと松竹と大映の競作という形で同時に映画化され、それが5月連休に封切られて大当たりしたことから、「ゴールデンウィーク」という呼び方がこの時初めて生まれます。また、中に神楽囃子が出てきます。そのリズムの表現として「テンヤ・テンヤ・テンテンヤ・テンヤ」という描写が出てきますが、この擬音語を矢代秋雄が自作の交響曲の第二楽章で、八分の六拍子+八分の二拍子+八分の六拍子という変拍子として使います。この交響曲のCDはNaxosから出ていて所有しています。他にも色々エピソードがあって、「とんでもハップン」という言い方は、獅子文六がこの小説で使って有名にした表現です。
お話しは、生活能力の優れた駒子と、育ちは良くて巨体だけどぐうたらな五百助の夫婦が、いつの間にか勝手に職場を辞めていた五百助に駒子が「出て行け」と怒鳴り、五百助がはいそうですか、と家出する場面から始まります。一人になった駒子には、三人の男が言い寄ってきます。一方、ほぼルンペンにまで落ちぶれた五百助ですが、意外とたくましく暮らしていき、橋の下に住みながら結構裕福な暮らしを送ります。色々あって、結局この二人は獅子文六らしく元の鞘に収まるのですが、その収まり方がまたとても現代的です。五百助がお茶の水の橋の下に暮らすというのは、獅子文六が戦後実際にそういう人達を自宅から観察していたことが、「娘と私」に出てきました。
戦後、「自由」というものが外から与えられたものとして日本に入ってきて、それによって日本人の色んな人が翻弄される様子を面白可笑しく書いている作品です。

正保富三の「英語の冠詞がわかる本」

正保富三の「英語の冠詞がわかる本」を読了。「わかる本」となっていますが、この本を一冊読んだ後も、冠詞についてわかるようにはなりませんでした。むしろ、ますます混乱が拡がったような。何故ならば、この本は最新の英文のコーパスに基づいて、「一般的には~だけど、コーパスでは~という言い方も多くされている」といった例がたくさん示されていて、元々例外だらけだった冠詞についての文法規則が、さらに例外を認める方向に拡大している、ということがわかるからです。ただ、一つ役に立ちそうなのは、特に商用の文(コピーなど)については、冠詞はどんどん省略される方向に向かっていることがわかったことでした。Amazonで、もう一冊冠詞に関する本を注文しました。