NHK杯戦囲碁 黄翊祖8段 対 芝野虎丸2段

jpeg000-15本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が黄翊祖8段、白番が芝野虎丸2段の一戦。黄8段は3大リーグに参加している強豪、タイトル戦への登場も近いと期待されています。芝野2段は各棋戦で勝ちまくっていて、勝率No.1です。対局は、上辺で黒が開いた所にすかさず白が打ち込んで、序盤から戦いになりました。黒は白の二間開きの間を分断して白を上辺に閉じ込めようとしましたが、白はうまく頭を出して、上辺の黒と右上隅の黒を分断出来ました。この時点では白がうまく打っていました。その後、左辺と左下隅、下辺を巡る戦いになりましたが、結局黒は左辺を、白は下辺をそれぞれ相手の数子を取り込んでの振り替わりになりました。この結果は互角でした。しかし黒は右下隅から下辺の黒を取り込んでいる白の壁に向かって開き、取り込まれている黒を攻め取りにさせることを狙いました。白もその危険性は察知し、下辺から右辺に向かって頭を出しました。その後、右辺の折衝に移り、白は地をえぐって儲けたのですが、その代わり、下辺からの白石を分断されてしまいました。黒は攻め取りを狙いましたが、一手寄せ劫でした。しかし黒は白4子をウッテガエシで取る手を打ち、これに白が受けると手が詰まって本劫になるという局面になりました。実は上辺の白は黒に攻められて両劫で活きていました。これは黒からすれば無限大の回数の劫立てが利くことになります。このため白は下辺を本劫にすることは出来ず、黒が白4子を先手で取って、なおかつさらに締め付けが利くことになり、ここで黒がはっきり優勢になりました。結局、黒の中押し勝ちでした。

白井喬二の「忍術己来也」

jpeg000-6白井喬二の「忍術己来也」を読了。「自来也(じらいや)」ではなくて、「己来也(こらいや)」です。1922年(大正11年)に「人情倶楽部」に連載されたもの。芥川龍之介が賞賛した作品です。
お話しは、忍術を良くする大泥棒の「己来也」と、面師「烟取下衛門(けむりとりくだりえもん)」の二度に渡る忍術勝負を描いたものです。「己来也」は攻める術を得意とし、「下衛門」はこれに対し守る術を得意とし、二人の戦いはがっぷりとかみ合います。1960年代に忍術ブームがあって、小説では山田風太郎、漫画では白土三平らが活躍しましたが、そうした忍者ブームの原点みたいな作品です。主人公が面師ですが、「富士に立つ影」でも面師が出てきましたし、「神曲 左甚五郎と影の剣士」でも彫刻師の左甚五郎が主人公でした。白井喬二の好きな設定ですね。

三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~聖天山」

jpeg000-5本日の怪談噺、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~聖天山」。
新吉はお累の死後、お賎の元に入り浸っていましたが、お賎から旦那の惣右衛門を殺してくれと頼まれ、またしても人殺しを犯してしまいます。惣右衛門の葬儀の時に、土手の甚蔵がやってきて、惣右衛門の首に縄の跡があることに気付き、新吉を問い詰め、白状させてしまいます。新吉とお賎は、土手の甚蔵に金をせびられたのに嫌気が差し、今度は甚蔵を殺そうとします。新吉は聖天山の山頂に、惣右衛門が金を埋めていたと甚蔵を騙して連れて行き、甚蔵を崖から落として殺します。しかしながら甚蔵は生きていて、新吉を殺しに来ます。新吉があわや殺されようとした時に、一発の銃弾が甚蔵の体を貫きます。圓生の「真景累ヶ淵」はここまでです。

白井喬二の「兵学大講義」

jpeg000-2白井喬二の「兵学大講義」を読了。1924年(大正13年)1月にサンデー毎日に掲載され、12月に玄文社から刊行されたもの。この1924年こそは、白井喬二の「傑作の森」の年で、実におびただしい作品が書かれており、「富士に立つ影」も「新撰組」もこの年に連載が始まっています。
お話しは、藤堂高虎に仕えて勇名をはせた軍学者の諏訪友山が、年を取って信州に引っ込んでいましたが、由井正雪の謀反を軍学の力で察知し、江戸に出てきて、弟子で幕府の兵書館である「勾律館(こうりつかん)」を管理している大村春道と協力し、同じく軍学者である由井正雪と軍学の戦いを交わすものです。この時代、時代小説というとチャンバラが主流でしたが、「新撰組」の独楽勝負、「富士に立つ影」の築城術と同じく、チャンバラではなく軍学の勝負とした所が、白井喬二の面目躍如です。(白井喬二はもちろんチャンバラものもたくさん書いています。米子中学の時剣道部に所属し、中学の時に剣道二段を取っている達人です。)この「軍学の戦い」が実に面白く、お互いに相手を騙したと思ったら、逆手を取って騙し返して、と丁々発止の勝負が続きます。最後は、由井正雪の仲間であった丸橋忠弥が、軽率にも資金調達にあたって謀反のことをしゃべったため、謀反が幕府の知ることになり、いわゆる「由井正雪の乱」となって失敗するのは歴史通りです。

白井喬二の「さらば富士に立つ影」

jpeg000 236白井喬二の晩年になってからの自伝(出版は没後)「さらば富士に立つ影」を読了。一言で言うと、非常に育ちの良い人で、白井喬二の書く主人公に明朗型が多いのは、作者自身の性格を反映していると思います。またお父さんが警察官で全国色んな所を移り住んでいるのも、作者の幅広い視点につながっていると思います。白井喬二は米子中学(今でいえば高校)時代から、既に新聞で小説を連載していて、非常に早熟です。ちょっとまんが道の藤子不二雄の二人がやはり高校時代に新聞に漫画を連載していたのを思い出しました。
この本で知ったことで、驚いたのは、「富士に立つ影」の登場人物の赤針流の熊木伯典と、賛四流の佐藤菊太郎が歴史上実在の人物だということです。ちゃんと子孫もそれぞれいるそうです。
また、学芸書林の白井喬二全集が第一期で終わって、第二期が刊行されていない理由ですが、白井喬二自身が第二期の刊行を断ったということです。学芸書林はその頃の新興出版社で、色々と不手際が多かったようです。今思うと返す返すも残念なことです。

三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の自害」

jpeg000-5今日の落語、じゃなくて怪談噺、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の自害」。新吉とお累の間には男の子が生まれましたが、それが死んだ兄の新五郎とそっくりで、二人の仲も冷めてしまいます。そうこうしている内に、新吉は名主の妾のお賎と知り合いいい仲になります。三蔵はこのことについてお累に意見をさせますが、新吉はこれを逆恨みし、お累に冷たく当たるようになります。お累は病になりますが、新吉は家の蚊帳さえ質に入れてしまい、子供が蚊に喰われても意に介しません。三蔵が見かねて、家から蚊帳を持ってこさせますが、新吉はその蚊帳さえ質に入れてお賎と飲むお金に変えます。その時に言い争って、誤って熱湯を男の子にかけてしまい、男の子は死んでしまいます。お累は、一人残された後、新吉がお久を殺した鎌を取って喉を切って死にます。お賎の所にいた新吉には、お賎の幽霊が死んだ子を弔ってくれるように頼みに来ます。
どうもシリーズ中でも一番の陰惨な噺です。圓生の「真景累ヶ淵」は後「聖天山」を残すのみです。

北杜夫の「夜と霧の隅で」

jpeg000 234北杜夫の「夜と霧の隅で」を読了。芥川賞を受賞した表題作以外に四篇の初期の短編を収録したもの。「夜と霧の隅で」は、第2次世界大戦中のドイツの精神病院で、ナチスによる、治らない精神病者を殺害するという命令に抵抗するため、患者にロボトミーやインシュリン、アセチルコリン療法といった、当時効果も定まっていない療法を強行する医師の話。結果的にこれらの新しい療法は、慢性の患者に対してほとんど効果を発揮することなく、逆に一部では患者を死に至らしめてしまいます。というか私には、患者を殺すことと、どうなるかもはっきりしない新しい治療法を強行することは、トランプの裏表のような気がして不気味でした。精神疾患に対する療法は、今は当時より多少進んだのかもしれませんが、何故そうなるかもわからずに薬を使っているなど、大して変わっていないように思います。
他の四篇は、ちょっと奇妙な印象を受けるものばかりですが、台湾で幻の蝶を採集しようとする男の話がちょっと面白かったです。

三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の婚礼」

jpeg000-3今日の落語、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の婚礼」。
圓生が残した、「真景累ヶ淵」の録音の内、未聴は、この「お累の婚礼」と「お累の自害」と「聖天山」だけになっていました。基本的に陰鬱で楽しい噺ではまるでないため、もう打ち止めにしようかと思っていましたが、後三本なんで全部聴くことにしました。
そういう訳で「お累の婚礼」ですが、豊志賀の恨みで、江戸から連れ出した女房のお久の顔が腫れ上がってしまい、豊志賀だと思って誤ってお久を殺してしまった新吉。紆余曲折があって、結局新吉は博打打ちの甚蔵の兄弟分になってその世話になります。新吉はある時、お久の法事に出ますが、その時にお久の叔母で三蔵の妹であるお累と出会います。お累は、新吉に一目惚れします。しかしながら、ある時囲炉裏で転んで、熱湯を顔に浴び、顔がただれてしまいます。三蔵はそんなお累を不憫に思い、新吉を婿に取ることにします。新吉は婚礼の晩、お累の顔を見て、豊志賀のたたりだと思って恐れおののきます。

白井喬二の「国を愛すされど女も」(下)

jpeg000-238白井喬二の「国を愛すされど女も」の下巻(学芸書林の全集で第12巻の分)を読了。最後まで読んで、文庫本にすれば4~5冊分になるようなボリュームの作品でありながら、良く破綻なく構成されていることに感心しました。
江戸に出てきた大鳥逸平は、勘定奉行に出世した仇の大須賀獅子平と対立しながら、その悪を暴いていきます。その過程で、佐渡の時と同じく、様々な達人の剣士と対決していきますが、例によってそのことごとくを打ち破っていきます。その相手の中の一人で、榊原只国というのが傑作で、「女体剣」という変な流派(?)の使い手です。真剣試合の前に女性と交わったりその口を吸わないと気合いが入らないという変な剣士で結局逸平と3回戦い、そのことごとくに負けて、結局は切腹します。
一方、逸平の思い人で、逸平の父が暴力で陵辱した小峰は、元々武士の家の娘でした。しかしながら、父親が鳳凰櫓という外国の情報を保管しておく櫓を、不注意の失火で焼失させた責めを負って、お家は取りつぶしで、父親を始め四人は一生牢に入れられたままになっていました。その父を救い、お家を復興させるには、鳳凰櫓の賠償金として10万両近い金額を用意する必要があります。小峰は、そのことを当時の老中が約束した書き付けをある者に奪われたりして苦労しますが、結局書き付けを取り戻し、また10万両近い金額をその商才で用意して、父親を救い出します。
逸平と小峰は、実は互いに愛し合っているのですが、逸平の父が小峰を暴力で犯したということが溝になって、二人は一緒になることができません。しかし、最後の最後に作者は見事な解決を用意します。
俗悪な内外タイムスという夕刊紙に連載されたということで、作者の自伝によれば、読者の反応はイマイチだったようですが、私としては、作者の戦前の全盛期の作品にも劣らない名作だと思います。
なお、「国を愛すされど女も」というタイトルですが、主人公とは直接的な関係はないようで、どちらかといえば白井喬二自身の心情を告白したものに近いように思います。

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春風亭柳枝の「花色木綿、王子の狐」

jpeg000-239今日の落語、八代目春風亭柳枝の「花色木綿、王子の狐」。
「花色木綿」は、泥棒に入られたといって、大家に家賃を待ってもらおうとしたついでに、持ってもいなかったものを次々に盗られた、と言い張る男のずうずうしさに、とうとう縁の下に隠れていた泥棒が出てきてしまう噺。男が何でも「裏は花色木綿」と説明するのがおかしいです。
「王子の狐」は狐がご新造に化けるのを見ていた男が、あべこべに狐を騙して料理屋の勘定を払わせてしまう噺。
八代目春風亭柳枝は53歳で亡くなったそうですが、大変うまい噺家で若死にしたのが残念です。