本日のNHK杯戦の囲碁は、黒が蘇耀国9段、白が趙治勲名誉名人の好カード。この対局のポイントは左辺の攻防で、白が黒の4子を取り、更に残りの左辺の黒も取り切り、代償として黒が中央に鉄壁の厚みを築いて、白が下辺と右辺にかけてどの位黒地を減らせるのかのしのぎ勝負かと思われていました。しかし黒の蘇9段は左辺に手をつけていき、ここは白が正しく受ければ取られていた黒の半分を連れ戻すヨセの手が残った程度でした。しかし白の趙名誉名人は受けを間違え、結果としては黒の先手ゼキになり、黒は先手で取られていた石を全部生還させるという大きな戦果を挙げ、ここで勝負は決まってしまいました。その後白は右下隅に手をつけていき、黒の対応がまずかったせいもあって一定の戦果を挙げましたが、それまでの損を挽回することはできず、終わってみれば黒の4目半勝ちでした。
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ルパート・サンダースの「ゴースト・イン・ザ・シェル」
ユリウス・パツァークの「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」
ユリウス・パツァークのシューベルトの「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」のカップリングのCDを海外から取り寄せて聴きました。ユリウス・パツァークというテノール歌手は、日本のクラシックファンには、ほとんど一枚のレコード(またはCD)にて記憶されています。それは、ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルで、1952年に録音されたマーラーの「大地の歌」で、パツァークはキャスリーン・フェリアーと一緒に歌っています。この盤は現在でもこの曲のベスト1の録音と言われています。この曲のLPには音楽評論家の宇野功芳が解説を書いていて、パツァークについては「ドイツリートなども録音しているが、あまり声量がなく大した歌手ではないが、たまたまその声量と声質が『大地の歌』(中国の漢詩の世界を西洋人が誤解して、「生は暗く、死もまた暗い」のような厭世的な歌詞がたくさん出てきます)にはぴったり合ってこれ以上ないような名唱になった。」などと言ったことを書いていました。最初に「冬の旅」の方から聞いて、確かに声量がなく、息が浅く、素人みたいな歌い方と思いました。しかし、「美しき水車小屋の娘」の方を聴いてみたら、そういう評価はまったく覆り、声量も十分で、堂々の大歌手の歌い方でした。調べて見たら、「美しき水車小屋の娘」が録音されたのが1943年でパツァークは45歳、「大地の歌」の時は54歳、そして「冬の旅」に至っては1964年で66歳です。「大地の歌」と「冬の旅」での声量の衰えは加齢によるもので、若い頃は立派な歌手だったことがわかりました。やはり人の言うことを鵜呑みにしないで、自分で実際に確かめてみることが大事と改めてわかりました。
白井喬二の「唐手侍」
久しぶりに白井喬二のまだ読んでいない作品の「唐手侍」を読了。別冊小説新潮の昭和36年の7月号に掲載されたもの。これ、6月に発売されたものだとすると、奇しくも私が生まれたまさにその月です。白井喬二の「さらば富士に立つ影」によると、英文学者の吉田健一が「武士の典型として時代小説の面白さがここにある」と評した作品。単行本にはなっておらず、本当は学芸書林の白井喬二全集の第二期のものに収録される予定でしたが、白井喬二の申し入れでこの第二期が取りやめになったため、今日に至るまで単行本では出ていません。従って初出のこの「別冊小説新潮の昭和36年7月号」を入手するしかなく、たまたま見つかったのはラッキーでした。
お話しはタイトル通り、「唐手」を身につけた侍が、本能寺で織田信長を討った明智光秀の家来である間者と、刀対素手で戦う話です。この時代ですから、唐手(琉球空手)については大したことは書いていないだろうと思っていましたが、意外にどうして、中国の張三豊(この作品では張三峰、中国の内家拳の始祖と言われています)から琉球に伝わった唐手について、その技法についても結構詳しく書いています。琉球に渡ったことのある兄より、幼い頃から唐手を仕込まれ、かなりの腕前であるのに、実際は引っ込み思案である武士が、実戦で唐手を使って勝利し、戸惑いながら自分の力に目覚めていく様子が描かれた、ちょっと不思議な、でもとても白井喬二らしいトーンの作品です。
橋本崇載の「棋士の一分 将棋界が変わるには」
橋本崇載の「棋士の一分 将棋界が変わるには」を読了。羽生さんの本を買ったら、Amazonがレコメンドしてきて、見てみたらレビューでものすごい悪評たらたらなので、どんなもんかと思って買ってみました。Amazonで酷評される程ひどい本ではないと思いますが、例の三浦弘行9段のソフトカンニング疑惑で、「ほぼクロ100%」とか断定したせいで、かなりブーイングを喰っているようです。この人どういう人か知りませんでしたが、Wikipediaを見たら「NHK杯戦で二歩を打って負けた人」とあったので、ああ、と思いました。
気になるのは、コンピューター将棋に対してかなりネガティブなことで、将棋をプロ棋士のいわば既得権益みたいに捉えていて、コンピューター将棋はその領域を侵すもの、みたいに考えているようでした。囲碁の世界で、アルファ碁とMaster、DeepZenGoの打つ手を積極的に評価しようとする態度が多く見られるのとは対照的です。
しかし、この人が危惧しているように、今のように新聞社が棋戦に大金を出すことが続くかどうかは、極めて危ういでしょうね。羽生さんの本によると、コンピューターが打ち出した手を「矢倉定跡」ではどうしても打ち破ることができず、そのためかつては本格将棋の代名詞だった「矢倉」を指す棋士が激減したそうです。また、昔「燃えろ!一歩」っていう将棋漫画があって、ある少年棋士が先手番で「完全将棋」(先手必勝の手順)を編み出して、そのために名人が引退してしまう、という話がありましたが、コンピューター将棋がこの少年棋士の役割を果たしてしまう可能性は十分考えられると思います。
羽生善治+NHKスペシャル取材班の「人工知能の核心」
羽生善治+NHKスペシャル取材班の「人工知能の核心」をざっと読了。2016年5月に放送された、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」のために、世界中を取材した内容をまとめたもので、羽生さんが本文書いて、NHKのディレクターが章末にレポートを追加しています。忙しい羽生さんが本当に全部書いたのか疑問にも思いますが、もしかするとゴーストライターが羽生さんに取材して書いたという可能性も否定できません。あまりじっくり読んでいませんが、NHKらしく浅く広くで、突っ込みが足りないという感じを受けました。特に折角羽生さんなんだから、コンピューター将棋、コンピューター囲碁についてじっくり語って欲しかったですが、そこはかなり控えめです。1996年に将棋年鑑のインタビューで、「コンピューター将棋がプロ棋士を倒す日が来るとしたらいつか」という問いに、多くの棋士が「そんな日は来ない」と回答したのに(映画の「聖の青春」でもそのシーンが出てきました)、羽生さんは2015年と答えたそうです。羽生さんは、アルファ碁を見て、コンピューターが「引き算の思考」をやり始めた所に感銘を受けたそうです。羽生さんはそこをアルファ碁の強さの秘密、みたいに書いていますが、私はちょっと違うと思います。モンテカルロ木探索では、全部の手を制限時間内に読むことはできないから、どちらにせよ読む手は制限するしかないだけだと思います。後、面白かったのは、日本のコンピューター将棋が、今回Googleがアルファ碁でやったような大量の資金をかけて一気に作り上げるというのの対極で、個人が細々と延々と努力して作り上げてきた、と振り返っている所。この点はZenなどの日本のコンピューター囲碁ソフトも同じでしたが、アルファ碁出現後は、ドワンゴがZenの開発者を資金支援し、コンピューターリソースを提供するなど、流れが変わりました。また、将棋の場合、ディープラーニングをするには、棋譜の数が日本だけなので十分ではないそうです。その他、色々と書いてあって、テキストの形態素解析の話まで出てきますが、全体では散漫な印象を受けました。
獅子文六の「てんやわんや」
獅子文六の「てんやわんや」を再読。前に読んだのは中学生の時だから、実に40年以上が経っています。「四国独立」の話が出てくる、ということ以外はほとんど忘れていました。
獅子文六は戦後2年間ほど、2番目の奥さんの実家がある愛媛に暮らしましたが、その時の経験を活かして書いたものです。昭和23年から24年にかけて毎日新聞で連載されたものですが、開始直前に獅子文六は戦犯の仮指定を受け、その指定が解かれるまで半年かかり、連載スタートが遅くなりました。
全体に愛媛の架空の町を、ある意味桃源郷のような理想郷のように描写していてそこは好感が持てるのですが、とんでもないと思うのは、主人公が山奥の平家部落と呼ばれる村に出かけ、ある家で泊まったら、そこの美人の娘が「夜伽」をしてくれたということ。(「夜伽」は四国ではお通夜の意味でも使うみたいですが、ここではSEXの奉仕、ということです。)いくらなんでも昭和20年代にそれはないんじゃないかと思います。本音部分では四国をものすごい田舎と思っていたのかもしれません。
四国独立の話は確かに出てくるのですが、全体的に大した構想ではなくて、あっという間に頓挫してしまいます。それより南海地震をモデルにしたと思われる大地震の話が出てくるのが興味深いです。
この小説は、新聞連載中はあまり話題にならなかったみたいですが、単行本が出るとベストセラーになり、映画にもなります。漫才師の「獅子てんや・瀬戸わんや」は、この小説のタイトルから名前を取っています。
NHK杯戦囲碁 湯川光久9段 対 潘善琪8段
本日のNHK杯戦の囲碁は黒が湯川光久9段、白が潘善琪8段の対局です。潘善琪8段は6年ぶりのNHK杯戦出場で、前回負けた相手が奇しくも湯川9段で雪辱を期しての対局です。布石は双方が小目を打ち合い上下対称の形です。白は左上隅から延びた石が厚みとして働くのか、それとも攻められる石になるのかが焦点でした。しかし左下隅から左辺にかけての折衝の結果、白は左辺に潜り込みましたが、黒からツケコシを打たれ、2つに分断されてしまいました。しかし白は当たりにされた4子を捨てることで、全体を連絡する手を残しました。しかし白の潘8段の判断は下辺から右下隅にかけての模様を盛り上げることで、左上隅の白の切断を放置して下辺を打ちました。黒はこの白を切っている暇はなく、まず右辺から白模様を制限する手を打ち、白が受けた後に、右下隅の白の大ゲイマジマリに手をつけていきました。これに対し白は黒を隅に閉じ込めて活かすのではなく、黒全体を殺す手を選びました。結果として黒のしのぎはうまくいかず、打った黒全体が取られてしまい、ここで勝負がつきました。局後の検討ではもっと難しくする打ち方があったようですが、それでも黒がしのげていたかどうかははっきりしませんでした。白の中押し勝ちで、潘8段は雪辱を果たしました。