読売新聞社の「第十九期棋聖決定七番勝負 激闘譜 趙治勲棋聖 小林覚9段」

読売新聞社の「第十九期棋聖決定七番勝負 激闘譜」を読了。趙治勲棋聖に、小林覚が挑戦したもの。実はこの19期、20期、30期はこの2人の3年連続の対決になります。囲碁の7大タイトルでの3年連続同一カードは、以前紹介した本因坊戦での趙治勲対小林光一、そしてこの棋聖戦での趙治勲対小林覚、天元戦での河野臨対山下敬吾、そして再び棋聖戦でつい最近の井山裕太対山下敬吾というのがあります。
小林覚はこの時棋聖初挑戦で、4勝2敗で見事に趙治勲から棋聖を奪取します。趙治勲名誉名人がそれまで戦ってきた同じ木谷一門の棋士は、大竹英雄、加藤正夫、武宮正樹、小林光一などすべて年上でした。しかしながらこの時初めて、同じ木谷一門の棋士で3歳年下の挑戦者を迎えます。これでやりにくかったのか、趙治勲名誉名人らしい粘りがなく、1日目で投了せざるを得ない見損じをしたり、またシチョウを見落としたりして、特に秒読みになった時の正確さが無くなったと言われました。大して小林覚は読みがさえ、2勝2敗の後、あっさり連勝して、大タイトルを手にします。

獅子文六の「青春怪談」

獅子文六の「青春怪談」を読了。獅子文六の9回目か10回目の新聞小説(読売新聞)で、本人は「世間の標準からいって、多く書いたともいえないであろう。」なんて言ってますが、十分多いですよ、先生!というかこんなにたくさん新聞小説を書いた作家って他にいるんでしょうか。「悦ちゃん」の時も感じたんですが、獅子文六の小説に出てくるキャラクターはどれも現代でも十分通用しそうなくらい「新しい」です。主人公の宇都宮慎一は、現代風に言えば「草食系男子」、絶世の美男子に生まれていながら、性にはまったくがつがつしておらず、幼馴染みで男性的なバレリーナ志望の奥村千春とは仲良くつきあっていますが、情熱的に一緒になろうという感じではなく、亡くなった父親が残したお金を元手に高利貸しになろうと冷静に計算したりしています。お話しは、この慎一と千春が、自分達が一緒になる前に、慎一の母親(未亡人)と千春の父親(男やもめ)をくっつけてしまおうと画策するのですが、そうこうしている内に、自分達の仲もそれを妬む人間が出てきて、ドタバタに巻き込まれます。どんな展開になっても、最後は獅子文六のことだからハッピーエンドでまとめてくれるだろうと期待して裏切られません。後半部の「男性とは、女性とは」という問いかけも非常に現代的です。
昭和29年に連載されたもので、小林信彦風に言えば、本当に平和だった戦後の一時期が終わって朝鮮戦争が起こり、日本が逆コースを歩み始めたと言われた頃で、この年に自衛隊が発足しています。また第五福竜丸の死の灰の事件があり、初代ゴジラが封切られた年でもあります。
カバーのイラスト(高橋由季)もなかなかいいです。

NHK杯戦囲碁 井山裕太棋聖 対 伊田篤史8段

本日のNHK杯戦の囲碁は、準決勝の2局目で、黒番が井山裕太棋聖、白番が伊田篤史8段の対局。序盤、黒が左下隅の白に一間高ガカリし、白がそれを2間に高く挟み、黒が大ゲイマにかけて、これは通称「村正の妖刀」と呼ばれる難解定石です。井山棋聖は、アルファ碁が打った、従来は黒が悪いと言われていた手を打ち、隅の地を取りました。これに対し白は厚みを得て下辺が大きな模様になりました。この白の模様と黒の上辺から右辺にかけての模様のどちらがどのくらいまとまるかが勝負になりました。白は上辺の黒にボウシし、さらに隅につけていきました。その後、上辺の黒に打ち込んで、攻め合い含みの激しい戦いになりました。白は包囲する黒に切りを入れ、その効果で中央に脱出出来ましたが、切った石を取られて、この黒をはっきり生かしてしまいました。その後白は右辺に侵入し、先に隅に付けていた石を活用して劫に持ち込みました。この劫は黒が勝ったのですが、白はその代償に下辺を大きく囲い、見た感じでは白地の方が多く、白有望かと思われました。しかし黒は各所で白の薄味をついて追い上げ、左上隅で大きな劫に持ち込みました。この劫は白が負けると左辺の白の眼持ちも必要になる大きな劫で、白は何とか劫には勝ちましたが、代償に上辺の黒地に侵入した白を取られてしまいました。この収支ははっきり黒が得で、ここで勝負がつき、黒の中押し勝ちになりました。来週はいよいよ決勝戦で井山裕太棋聖と一力遼7段の対戦です。どちらが勝っても初優勝です。特に井山棋聖はあれだけタイトルを独占していながら何故かNHK杯戦だけは、これまで準優勝が最高ですので、今回はかなり気合が入ると思われます。なお、井山棋聖は棋聖戦で河野臨9段を4勝2敗で下して5連覇を達成、3人目の名誉棋聖の称号を得ました。

読売新聞社の「第十三期棋聖決定七番勝負 激闘譜 挑戦者本因坊武宮正樹 棋聖小林光一」

読売新聞社の「第十三期棋聖決定七番勝負 激闘譜」を読了。第十一期に続き、棋聖小林光一に、武宮正樹世界囲碁選手権者が挑んだ七番勝負です。棋聖=日本一、世界囲碁選手権富士通杯=世界一ということで、日本一対世界一の戦いと言われました。しかし、ここでも武宮は十分な力を発揮することなく、初戦のニューヨーク対決で1勝を上げただけで、後は4連敗し、敢え無く小林の軍門に降っています。武宮は合計で三度棋聖に挑戦し、その内趙治勲名誉名人との戦いはかなりいい所まで行ったのですが、小林光一名誉名人との戦いは2回ともいい所なく敗れ、結局武宮の棋聖奪取はなりませんでした。

読売新聞社の「第十一期棋聖決定七番勝負 激闘譜 棋聖小林光一 本因坊武宮正樹」

読売新聞社の「第十一期棋聖決定七番勝負 激闘譜」を読了。小林光一名誉名人が、第十期で趙治勲名誉名人から棋聖を奪取して、最初の防衛戦で、相手は武宮正樹9段。武宮はこの当時、小林の碁のことを「地下鉄碁」(石が下に下に行って、また景色が悪い)と評していて、二人の仲はかなり険悪でした。しかし、この時の武宮は不調で、ほとんどいい所がなく、1勝4敗で敗れてしまいます。特に第2局は武宮らしくなく、石が下に下にもぐっていくような碁でした。なお、この時の第1局が棋聖戦初のアメリカ対局で、ロサンゼルスで行われました。1986年でバブルの走りの頃です。

栗田信の「醗酵人間」

栗田信(くりた・しん)の「醗酵人間」を読了。戦後SF最大の怪作と呼ばれているそうですが、何というか超C級作品でした。主人公の九里魔五郎は、墓場から蘇り、お酒などの醗酵物を口にすると、体が膨張して、かけられた手錠などは簡単に引きちぎり、怪力になって無敵になり、挙げ句の果ては宙に浮かんでしまうという設定。膨張すると「こけっか、きっきっ」という怪しい叫び声を上げます。それで海外メディアに報じられるときにつけられた名前が「ヨーグルト・マン」、ここでがくっと脱力します。ヨーグルトは確かに発酵食品ですが、膨張したりはしないと思うんですが…どうもこの作者の趣味はよくわかりません。かと思うと、九里魔五郎が捕まえた人間を拷問するのに、「ワサビ責め」という手法が使われていて、何でも手ぬぐいにすり下ろしたワサビを塗り込めて、それで相手の口を覆う拷問だそうで、これをやられると二三日血尿が止まらないそうです。本当かな…「醗酵人間」以外にも、中篇が2作、短篇が4作収められていますが、さすがに他の作品を読む気はしませんでした。

読売新聞社の「第十期棋聖決定七番勝負 激闘譜」

読売新聞社の「第十期棋聖決定七番勝負 激闘譜」を読了。趙治勲棋聖(当時)対小林光一名人(当時)の対決。実はこの対戦が始まる直前の1986年1月6日に、趙治勲棋聖は「助かったのが奇跡」と呼ばれる程の交通事故に遭い、両足と左腕を骨折します。この時の棋聖戦の第1局は1月16日からで、事故に遭ってわずか10日しか経っていません。対局に出られないと、不戦敗になります。しかし不屈の闘志で趙治勲棋聖は対局に出、この時は小林光一名人の好意もあって椅子対局になりましたが、負けはしたものの車椅子で2日の碁を打ちきりました。それどころか、続く第2、第3局は趙棋聖が連勝しました。特に第2局は見事な碁でした。相手の小林光一名人は、対戦相手を怪我人だと思っていては勝てないと悟り、この後奮起して3連勝し、棋聖位を奪取します。これによって趙治勲さんは無冠に転落し、逆に小林光一さんはこの後棋聖位を8期連続で獲得し、名誉棋聖の資格を得ると共に、秀行さんの連覇記録も抜きます。しかし、趙治勲さんも、一旦無冠には転落しましたが、8月に碁聖位を奪取、翌年には天元を取り、さらに1989年には武宮正樹9段から本因坊位を奪取し、3大タイトルに復帰します。この後、棋聖と名人を併せ持った小林光一さんが、大三冠を目指して、趙治勲さんの持つ本因坊位に連続3回挑戦して、趙治勲さんに阻まれたのは既に記しました。

朝日新聞学芸部編の「第21期囲碁名人戦全記録」

朝日新聞学芸部編の「第21期囲碁名人戦全記録」を読了。第20期で、武宮正樹は見事小林光一の名人8連覇を阻止して初の名人になりましたが、その最初の防衛戦は趙治勲で、結果から先に書けば趙治勲が4勝2敗で勝ち、自身2度目の大三冠(棋聖・名人・本因坊の同時保持)を実現しました。この2人の対局となると、かなりの確率で武宮の大模様と趙治勲の実利という展開になり、局面が進んで趙治勲が武宮正樹の大模様の中にドカンと打ち込んで、その石が生きるか死ぬかの勝負になります。この時は第2戦では武宮が見事趙の石を屠り、第6戦では趙が見事にしのいで、名人を奪取しています。ただ、武宮宇宙流は、それまでよりも構えが小さく手堅くなり、明らかに趙の打ち込みを牽制するようになっているという変化がありました。

読売新聞社の「第一回/第二回 世界囲碁選手権富士通杯」

読売新聞社の「第一回/第二回 世界囲碁選手権富士通杯」を読了。この棋戦は1988年から2011年まで24回実施され、いわゆる国際棋戦としては最初のものです。この第1回/第2回は両方とも武宮正樹が優勝しました。武宮正樹は同時期にTVアジア選手権でも4年連続優勝し、「世界最強の男」と言われました。また、第1回も第2回も決勝戦は武宮正樹 対 林海峰でした。ちなみに小林光一名誉名人は、第1回では2回戦で武宮正樹に敗れ、第2回では韓国の曺薫鉉に2回戦で負けています。趙治勲名誉名人はどうかと言うと、第1回では1回戦で林海峰に負け、第2回では2回戦で中国の劉小光に負けています。お二人の名誉のために書いておくと、第4回では趙治勲名誉名人が、第10回では小林光一名誉名人がそれぞれ優勝しています。この棋戦の代々の優勝者を見ていくと、日本の棋士の凋落振りがわかります。第1回から第5回までは日本で活躍する棋士が優勝していますが、その後韓国と中国の争いになり、前述の小林光一名誉名人が第10回で優勝した(準優勝は王立誠)のを除くと、その後は第17回で依田紀基が準優勝しただけで、後は決勝まで進出できていません。