白井喬二の「続坊ちゃん羅五郎」を読了。前巻に続き、羅五郎の逃亡の旅は続きます。ふとしたことから寺子屋の教員の代用を勤めることになったり、山人の人買いをそれとは知らず手伝うことになったり、また中国で騙されて母親を売られてしまった少年の敵討ちを手伝ったりと、この巻でも羅五郎の胸がすくような活躍が続きます。話がどんどん発散して、どのように収束させるつもりなのかはらはらしていましたが、さすが白井喬二で最後は見事にまとめて、それまでの伏線もきれいに処理してしまいます。最後に羅五郎が父親に名代の仕事を何とかやり遂げました、と報告するのがいいですね。
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白井喬二の「坊ちゃん羅五郎」
白井喬二の「坊ちゃん羅五郎」を読了。雑誌「富士」で1934年3月から1935年11月まで連載されたもの。雑誌掲載時は「坊様羅五郎」で単行本の時に「坊ちゃん」に改められたようです。(「富士」を入手していないので、確かめてはいませんが、作中で家来の呂之吉が主人公のことを「坊様」と呼んでいますし、白井喬二自身も「さらば富士に立つ影」の中で「富士」に「坊ちゃん羅五郎」を連載したと書いていますので、「坊様」と「坊ちゃん」が同一作品なのは間違いないでしょう。)主人公の負田羅五郎はタイトル通り、お代官の一人息子で何一つ不自由なく育てられて、20歳にもなって朝は10時、11時どころか時には1時過ぎまで寝ているという怠け者でお坊ちゃんですが、これが初めての仕事で父の名代で海賊と土地の者が争ったのを仲裁するという役目を負わされます。ところが、その手打ち式の当日、父である代官の狭衣之助が、同僚の陰謀で失脚して代官ではなくなります。父が代官という後ろ盾が無くなったことを知った海賊は態度を豹変させて、羅五郎の仲裁を拒否するのですが、一旦引き上げた羅五郎は、役所の倉庫から大砲を取り出して、その海賊の家に一発ぶっぱなします。海賊の家は見事焼け落ち、その海賊も死んでしまいます。家に戻った羅五郎は、閉門の禁を破って母に会います。この大砲を勝手に引き出して民家にめがけてぶっぱなしたのと、閉門の禁を破った罪で、羅五郎はお尋ね者になります。ここからが、羅五郎は白井作品の主人公らしく、正義感にあふれ、また剣の腕も柔術の腕もなかなかの若者として活躍します。家来と一緒に薬屋に化けて代官所に乗り込み、見事父を救い出します。その後羅五郎は女性に化けて、ある女郎屋に乗り込みます。そこでやはり売られてきた女性と知り合い、その女性を抜け出させます。逃げる途中で色んな偶然で、旅芸人一座に入った羅五郎は、柔術の達人として人気を博しますが、仲間を投げたので嫌われ、旅芸人一座を首になります。そこへ女郎屋から追っ手がやってきて、羅五郎がうまく追っ手をまいて、というところで、「続」へ続きます。
三遊亭圓生の「派手彦」
本日の落語、三遊亭圓生の「派手彦」です。
圓生以外は演らない珍しい話で、確かに検索してみても圓生以外は出てきませんでした。
松浦佐用姫という伝説があって、Wikipediaによると、「537年、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と佐用姫は恋仲となったが、ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった。」となります。「派手彦」はこの話をベースにして落語に仕立てたものです。もっとも男女は入れ替えられていて、「大伴狭手彦」にあたるのは、踊りの師匠の板東お彦=派手彦。「松浦佐用姫」にあたるのが、酒屋の松浦屋の左兵衛。左兵衛が派手彦に恋煩いして、めでたくこの二人は夫婦になります。二人は仲睦まじく暮らしていましたが、ある時木更津でお祭りがあって派手彦も呼ばれて踊ることになり、小網町から船に乗りますが、これを見送った左兵衛が固まって石のようになってしまいます。「女房孝行(香香=漬け物)で、重石になった」というオチです。
NHK杯戦の囲碁 趙治勲名誉名人 対 結城聡9段
本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が趙治勲名誉名人、白番が結城聡9段の対局です。趙名誉名人は二十五世本因坊ですが、60歳を過ぎたので、新たに名誉名人を名乗ることができるようになっています。対局は、黒が右辺で低い中国流に構えましたが、前半の焦点は左辺でした。黒は上辺に展開した白に対し左上隅は下から大ゲイマにかかりました。これに対し白は一間に肩に打ち、黒は隅に滑りました。その後の折衝で黒は封鎖してきた白に対し出切りを敢行しました。出切った石から黒は上を4本押しましたが、白は跳ねて反発しました。それに対し黒はすぐ切るかと思いましたが、一旦左上隅の白に効かしにいきました。これに対し白はそれを受けずに跳ねた所を伸びきりました。黒はそれから切っていきましたがちょっとちぐはぐでした。その後左上隅は劫になりましたが、その折衝の中で黒は左上隅を活きる手を打たされたのがちょっと癪な所で、ここの別れは白が中央で一子ぽん抜いているため、白の有利で終わりました。その後黒は左下隅の黒を動き出し、一旦は左下隅の星の白一子を包囲したのですが、すぐに白に動き出され、結果的に白は外に連絡し、黒は2つに分断され、下辺の黒が弱石となりました。ここまで完全に白のペースでしたが、ここからの趙名誉名人の頑張り方がすごく、まずは上辺に手をつけ、ほとんど白の勢力圏の中で無理矢理スペースを確保して活きてしまいました。その後中央に弱石が2つあったのですが、2つともしのいでしまったどころか、逆に右下隅の白を取ってしまいました。しかしそれで逆転かというと、それまでの貯金が大きくまだ白が優勢でした。白は右上辺で取られている石を攻め取りにさせようとしましたが、黒は締め付けを効かされると負けだと反発し、右上隅で劫になりました。白は取られていた右下隅の白を復活させる手を劫立てに打ちましたが、黒はこれを受けずに右上隅の白を取ってしまい、振り替わりになりました。この収支でも黒が得をし、半目勝負の形勢になりました。しかし、寄せでは白がわずかに厚く、終わってみれば白の半目勝ちでした。振り替わりに継ぐ振り替わりで、プロらしい面白い勝負で好局でした。
白井喬二の「沈鐘と佳人」
白井喬二の「沈鐘と佳人」を読了。初版は1932年に、春陽堂から出たものです。今回読んだのは1949年に玄理社から出たもの。内容が同じかどうかはわかりません。収録作品は「沈鐘と佳人」、「明治の白影」、「心学牡丹調」、「殖民島剣法」、「妬心の園」。どれもなかなか読ませる佳作揃いです。「沈鐘と佳人」は、変屈者の鹿島孔兵衛が、自分の娘に妻合わせるために、紫安欽吾と鈴木紅之進の二人を値踏みして、醜男だが筋の通っている欽吾と、美男子だが線の細い紅之進のどちらにするか迷って、結局欽吾の変屈ぶりが玉に瑕で紅之進の方を選びます。ところが、欽吾の変屈ぶりは孔兵衛に合わせた芝居で、それと知った欽吾は後悔して仕事に打ち込み、支倉常長がローマに使者に行く船の乗組員として抜擢されます。それに対し紅之進の方は、その支倉常長の船に積み込む筈だった鐘が輸送の途中で川に沈んでしまったのを、自分の手で引き上げて名を上げようとします。ところが引き上げ作業の途中で、紅之進には、鞍を勝手に質入れしたとの嫌疑で捕り手がかかり、紅之進は引き上げ途中に再び沈んでしまった鐘に手を挟まれて、そこであっさり命を落とします。一人の女性を二人の若者が争い、負けた方が出世し、勝った方がかならずしも人生がうまくいかないというのは、「金色侍」と同じパターンです。その他「心学牡丹調」は、ある侍の息子が心学者の娘と結婚しようとしていたら、実はその息子が実の息子ではなく、実の父親は中国人という意外な展開です。「殖民島剣法」は、借金で倒産寸前になった男が、大金を手に入れるため、ハワイに移民するのに用心棒としてついていくことを約束し、大金を手にするが、それと行き違いに、昔尼になったと聞いていた思い人の娘が戻ってくることになったが、一足違いで会うことができなかったという話です。江戸時代に本当に1830年頃よりハワイ移民が行われていたとのことで、白井一流のほら話ではありません。
白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 人の巻 明治媾和」
「白井喬二 戦後作品集 人の巻(明治媾和)」を読了。収録作品と初出は以下の通り。「明治媾和」(初出不明)、「小角仙人」(初出不明)、「かぶと」(初出不明)、「琴責め」(「オール読物」1952年8月)、「権八ざんげ」(「オール読物」1953年2月)、「柳生の宿」(「苦楽」1949年5月)、「毛剃」(「週刊朝日・夏季増刊号」1953年)、「素人たち」(「モダン日本」1946年?月)。この巻も「初出不明」は昭和20年代の作品と思われます。この巻のお話はなかなか力作が揃っていると思います。「明治媾和」は日清戦争の時の下関の講和条約締結の前後を作家の松村操の目を通して描くものです。「琴責め」は、「天の巻」に「悪七兵衛」の話がありましたが、これは源氏による悪七兵衛探しで、悪七兵衛の女だった阿古屋を捕まえて悪七兵衛の行方をしゃべらせようとして、琴を弾かせることによって、心理的な拷問を行う様子を描いたものです。「柳生の宿」は、柳生但馬守宗矩が猿を二匹飼って、それに剣道を仕込んだら両方とも二段くらいの実力になってしまい、とうとう御前試合を行うことになって、という白井らしいとぼけた味の話です。それより珍しい作品は「素人たち」で、白井の作品としては初めて読んだ私小説的作品です。昔たまたま知り合っていた女性と疎開先の長野で一緒になるが、その女性は死んでしまい、娘へ遺品を渡すことを白井に頼むが、その娘は戦後の生活の苦しさでいわゆる「春を売る女」になってしまっており、一度警察に挙げられてしまっている。その娘へ、改心させるような一言を頼まれて白井が困惑する話です。白井の倫理観がよく出ている作品だと思います。
三遊亭圓生の「髪結新三」
本日の落語、三遊亭圓生の「髪結新三」。
白子屋のお熊という娘が、500両の持参金付きの婿と一緒になっておきながら、店にいる忠七との仲を保ったまま。そこを出入りしている髪結の新三につけこまれ、忠七と一緒にしてやると騙され、連れ出され、新三に嬲られ、荒縄で縛られて押し入れに放り込まれています。これを取り戻すために、まず白子屋のお抱え車夫の善八が交渉にいくが、けんもほろろに断られる。それでは、ということで葺屋町の親分の源七に頼んで交渉に行ってもらうが、新三は開き直ってこの親分の言うことも聞かない。それでは、ということで新三が住んでいるお店の大家さんが出て行く。大家さんは言うことを聞かないなら、今まで溜めた家賃を耳を揃えて払って出て行けという。前科者の新三はここを放り出されると住む所がないので、嫌々言うことを聞きますが、大家はさらに礼金の30両の半分を自分で取ってしまい、さらには5両も追加で前家賃として取ってしまう、という大家さんが大活躍する話です。
白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 地の巻 石川五右衛門」
「白井喬二戦後作品集 地の巻 (石川五右衛門)」を読了。収録作品と初出は以下の通り。「石川五右衛門」(「サンデー毎日」1950年?月)、「大盗マノレスク」(「苦楽」1947年3月)、「明治女学校図」(「オール読物」、1951年1月)、「太公望」(「苦楽」、1946年11月)、「風俗犯」(「苦楽」、1948年5月)、「助六」(「苦楽」1947年?月)。初出不明のものも、昭和20年代の作品と思われます。文藝評論家の尾崎秀樹が、白井喬二の葬儀での弔辞で、「大盗マノレスク」と「明治女学校図」だけを白井の戦後作品として挙げています。私は正直な所、戦後の他の作品と比べてこの2作が特に優れているとは思えません。むしろこの本の中では「石川五右衛門」や「助六」の方が好ましく思えました。「明治女学校図」は明治時代の東大の学生が、卒業式の在校生側として招かれたけど、菓子の供応が無い、ということで集団で卒業式をすっぽかして乱暴狼藉を働いて全員退学になる話です。白井も自分で書いていますが、その中に後に有名になった人が多数含まれていたので、興味深く読まれた、ということではないかと思います。「助六」は当然歌舞伎からキャラクターを借りていますが、お話自体は歌舞伎とはまったく異なります。
百田尚樹の「幻庵」、連載終了
週刊文春に連載されていた、百田尚樹の「幻庵」がやっと連載終了。12月31日に単行本として出るそうですけど、買う人いるのかな。タイトルは「幻庵」だけど、途中2/3くらいまではほとんど「本因坊丈和」といってもいい内容でした。それでも敢えて「幻庵因碩」を主人公にしたのは、そうすると丈和だけでなく、本因坊秀和、秀策といった人も登場させられるからに過ぎないように思います。内容も幕末囲碁史であって、人間としての幻庵因碩の描写はイマイチだったように思います。単行本として出すなら、出てくる対局の棋譜を全部載せて欲しいですが、無理でしょうね。
白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 天の巻 坂田の金時」
白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 天の巻 坂田の金時」を読了。収録作品と初出は、「坂田金時」(大衆文潮、1949年6月)、「児雷也劇場」(オール読物、1951年6月)、「銀嶺先生」(オール読物、1950年4月)、「鋳掛松」(苦楽、1947年5月)、「毒の園」(苦楽、1948年1月)、「悪七兵衛」(週刊朝日、1950年1月)。(「苦楽」は戦前のものと戦後のものがあり、戦前のものには国枝史郎の「神州纐纈城」が連載されていたことで有名ですが、ここの「苦楽」は大佛次郎が戦後主宰したもの。)白井喬二の昭和20年代の作品を集めたものです。(天の巻以外に、地の巻、人の巻が出ています。)白井喬二は誰が見ても長篇型の作家ですが、この時期の白井喬二は、長篇を自ら封じて、短中篇ばかりを書いていました。本人曰く、「大魚の鱗の一枚一枚を書くような作業」ということです。その作品群は戦前の作品のように大向こうをうならせることはなかったですが、戦中の「瑞穂太平記」のような作品に比べると、むしろ私には好ましく思われます。「銀嶺先生」は忍者の小説を書いていて、東大で甲賀流忍法について講演した伊藤銀嶺という作家が、新聞社にほらを吹いたために、明治座で忍術の実演をやらされる羽目になり、見事に失敗するお話です。白井自身も「忍術己来也」を書いていて、人からは忍術が出来ると思われたことがあるみたいで、その辺の経験を活かして書いています。他の作品もそれなりに読み応えがあります。