丸根賛太郞監督の1945年(戦後)の作品、「狐の呉れた赤ん坊」を観ました。橘公子の実際の銀幕での姿を見たくて買ったDVDですが、実に泣けるいい映画でした。戦後の撮影でGHQにチャンバラを禁じられているため、斬り合いのシーンは一ヵ所も出てきません。荒くれ者が子供を可愛がるというのは、同じ阪妻の「無法松の一生」と共通しています。最後のシーンで、善太がある大名のご落胤であることがわかって、本当の父親である大名に会いに行くために、大井川を渡ろうとして、蓮台に載せた立派な駕籠が用意されているのに、善太が「ちゃんの肩車がいい」と言うのが泣かせます。(善太を拾って育てた張り子の寅は大井川の川渡しの人足です。)
目的の橘公子もまあ可愛かったです。
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NHK杯戦囲碁 溝上知親9段 対 村川大介8段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が溝上知親9段、白番が村川大介8段の対戦。黒は上辺に模様を作り、白が消しに行き、黒はそれを受けずに右辺をさらに拡げました。このタイミングで白は下辺の黒の眼を取って黒を攻めたてました。黒は中央に進出しましたが、ここで白が左辺の黒石に付けたのが、いわゆるもたれ攻めです。この攻めで白は地を稼ぐことが出来ました。ここまでは白がうまく打っていましたが、その後上辺の黒を攻めたのがちょっとまずく、黒はこの上辺を捨てて中央を大きく囲いました。その後更に黒は上辺右側の石も捨て、その代わり中央に80目近い巨大な模様が出来ました。しかし白の確定地も大きく、勝負は右辺と下辺の白の生死になりました。黒はどちらかを取れれば勝ちでした。その折衝では、両方が劫になる可能性がありましたが、溝上9段は劫材が足らないと見て、結局下辺の白の尻尾を取っただけに終わり、白は両方をしのぎました。これで白がわずかに優勢で、結局白の3目半勝ちでした。振り替わりに次ぐ振り替わりで、プロらしい見ごたえのある碁でした。
白井喬二の「寶永山の話」
白井喬二の初期の短篇集である「寶永山の話」を読了。入っている話は、寶永山の話、月影銀五郎、本朝名笛傳、築城變、老子鐘、九段燈と湯島燈、拝領陣、遠雷門工事、油屋圓次の死、剣脈賢愚傳、青桐證人、鳳凰を探す、獅人面のぞき、芍薬畸人、ばっさい、闘鶏は悪いか、猿の方が貴い、神體師弟彫、國入り三吉、目明き藤五郎、邪魂草。読後感は一言で言えば、「奇妙な味」としかいいようがない内容です。白井喬二はおそらく実際には存在していないと思われる怪しげな出典文献を次から次に繰りだして、奇妙なお話を語ります。出てくる人物は白井喬二の趣味と見えて、何かの技術を持った職人みたいな人が多いですね。「富士に立つ影」に先駆けて、築城師も既に登場します。後は門作りの名人だったり、彫刻師だったり、水門作りの名人だったり。ただ、全体的に中篇・長篇と比べると、白井喬二の短篇はあまりうまくないように思います。お話がただ奇妙だ、に終わってしまっていてもう一ひねりがないように思います。
林家正蔵の「文七元結、五人廻し、蔵前駕籠」
谷川流の「涼宮ハルヒの驚愕(後)」
小林信彦作品についてのエントリー、リンク集
このブログにおける小林信彦作品へのエントリーのリンク集です。
袋小路の休日
虚栄の市(1)
虚栄の市(2)
虚栄の市(3)
冬の神話
監禁
日本橋バビロン
汚れた土地-我がぴかれすく
大統領の晩餐
丘の一族
夢の砦
衰亡記
極東セレナーデ
ドジリーヌ姫の優雅な冒険
唐獅子株式会社、唐獅子源氏物語
コラムの冒険 -エンタテインメント時評 1992~95
消えた動機
小説世界のロビンソン
パパは神様じゃない
素晴らしい日本野球
地獄の読書録
神野推理氏の華麗な冒険
ぼくたちの好きな戦争
地獄の映画館
超人探偵
変人十二面相
地獄の観光船
オヨヨ大統領の悪夢
一少年の観た<聖戦>
オヨヨ島の冒険
時代観察者の冒険
ビートルズの優しい夜
怪人オヨヨ大統領
オヨヨ城の秘密
名人 志ん生、そして志ん朝
セプテンバー・ソングのように 1946-1989
大統領の密使
合言葉はオヨヨ
秘密指令オヨヨ
怪物がめざめる夜
背中合わせのハート・ブレイク
紳士同盟、紳士同盟ふたたび
イエスタデイ・ワンス・モア
イエスタデイ・ワンス・モアPart2 ミート・ザ・ビートルズ
世界でいちばん熱い島
サモアン・サマーの悪夢
私説東京放浪記
ドリーム・ハウス
つむじ曲がりの世界地図
小説探検
ハートブレイク・キッズ
イーストサイド・ワルツ
ムーン・リヴァーの向こう側
新編 われわれはなぜ映画館にいるのか
裏表忠臣蔵
結婚恐怖
本は寝ころんで
東京少年
<超>読書法
私説東京繁昌記
流される
兩國橋(家の旗)
決壊
和菓子屋の息子 -ある自伝的試み-
四重奏 カルテット
横溝正史読本
決定版 日本の喜劇人
谷川流の「涼宮ハルヒの驚愕(前)」
谷川流の「涼宮ハルヒの驚愕(前)」読了。ここのところ、ずっと白井恭二ばかり読んでたので、ちょっと気分変え。「涼宮ハルヒ」シリーズは、最初アニメ見てそれから原作を読みだして、2008年前半に「涼宮ハルヒの分裂」まで読んでいました。その後はフォローしていませんでしたが、久しぶりに検索してみたら続刊が出てたので(といっても5年くらい前)なので、久しぶりに買って読んでみました。このシリーズについては、巻が進むほど訳の分からない話になっていく、という印象でしたが、この巻はますますそうなっていました。新しい宇宙人、未来人、超能力者が増えていて、本当にワケワカです。しかも、同じ時間帯で二つの話が並行して進む、というパラレルワールド的構成。とりあえず、(後)を読まないとどうなるかわかりません。
三遊亭圓生の「小間物屋政談、骨違い」
白井喬二の「祖国は何処へ」(総評)
白井喬二の「祖国は何処へ」は白井喬二の二番目の大長編作です。白井喬二自身によれば、単行本は「富士に立つ影」の1/4も売れなかったとのことですが、「富士に立つ影」が300万部超ですから、1/4弱としても70万部程度売れたことになります。十分ベストセラーだと思います。また、この作品は「時事新報」という新聞の朝刊に連載されたものですが、連載回数は「富士に立つ影」と同様に1000回を超え、この連載が終わった時には時事新報の購読者が一気に14万人も減ったそうです。
お話しとしては、スケールが大きく、物語の舞台も江戸、信州・上州、越後、江戸、下総、伊豆諸島、中国(清)、そしてまた江戸と移り変わります。ただ、中国(清)でのお話しは、あくまでも日本人が見た中国そのもので、中国らしさはあまり出ていないように思います。また、安藤昌益の「自然真営道」に基づく、原始共産制、農本主義みたいな思想の主張が珍しく、よく戦前に許可されたなと思います。
この作品は出版上では冷遇されていて、戦後は扶桑書房から最初の3巻だけ出て終わってしまったようです。故に完全版としては旧字・旧かなの戦前のものしかありませんし、古書店で入手するのもかなり困難です。(私は春陽堂書店の日本小説文庫版全9巻を25,000円払って購入しました。)
もう少し再評価されてもいい作品ではないでしょうか。
白井喬二の「祖国は何処へ」[9]寸終篇
白井喬二の「祖国は何処へ」第九巻、寸終篇を読了。
この物語もいよいよ最終巻に到達しました。全藩組の蜂起から15年が経っています。南條芳之と児玉は蜂起の際に、捕り手に斬り殺されてしまっていました。水野忠七郎は、全藩組の蜂起の責任を取らされて失脚し、裁きを受けるのを免れるため、あちこちを逃げ回っています。芳之に刺された傷が元で体もすっかり不具になり、昔日の貫禄はまるでありません。忠七郎は阿佐太夫にさえ裏切られてその屋敷から追い出され、それとは知らずに、田村喜徳の屋敷の離れに匿われることになります。田村喜徳は越後で、忠七郎のために母親が餓死させられており、復讐のため忠七郎を餓死させることを一生の目的としていました。そして今こそその機会がやってきて実行します。しかしながら後一歩の所でひるんでしまいます。続けて今度は妻木幡乃助が、忠七郎に手籠めにされて狂ってしまった姉の仇を果たそうと、今は立派な大人になった忠七郎の娘の友江を辱めようとします。しかし友江の悲愴な顔を見るとそれを実行することが出来ません。そうしている内に、忠七郎の口から、臺次郎が忠七郎の弟であるという告白を聞きます。一方田村喜徳は、御用商人を仇と狙う若者侍達に屋敷に斬り込まれて、屋敷を封鎖されてしまいます。喜徳は、江戸を離れて元の一文無しに戻る決意をし、今は尼となっているお才に挨拶に行きます。そしてついに金乃美と一緒になって三人の子供もある臺次郎の所にも挨拶に行きます。その場に幡乃助がやってきて、水野忠七郎と臺次郎が兄弟であることを知らせます。臺次郎は今までの行動が全て無駄になってしまったような、あるいはまた好悪の世界がふっとんで、人生とはこういうものだ、という達観した気持ちになります。