白井喬二の「金襴戦」(きんらんせん)読了。
「珊瑚重太郎」と一つの巻に入っていた小説ですが、白井喬二の作品としては、今一つよく分からない作品です。大正14年に婦人公論に1年間連載されたものです。白井喬二の自伝によれば、何故かこのあまり出来がよくないと思われる作品が、太平洋戦争の時に陸軍恤兵部により兵隊に慰問品として送る小説として7-8回も選ばれて、大変な部数が前線に送られたとのことです。「戦」とついているのが兵隊向けと思われたのか、遊女が出てくるのが兵士の慰めになると思われたのか、理由は不明です。
お話は、飛騨の山奥の村で、金襴(金色の派手で高価な織物)を織っているのですが、その染め加工の時に出る鉱毒で、下流の村の農作物が被害を受け、金襴の村と下流の村で戦いになるという話です。主人公が、蝉の抜け殻を集めて漢方薬屋に売るという実に変わった職業の男なのですが、この主人公が白井喬二の主人公にしてはまるでいい所がなく、物語の冒頭で山の中の牢に捕らわれた死刑囚から伝言を頼まれるのですが、それを伝えるのをすっかり忘れてしまいます。その事が金襴の鉱毒を巡る戦いの直接的な原因になってしまいます。また、この男は、湯屋の遊女が人買いの男を殺したのに立ち会い、その遊女を連れて逃げるのですが、途中で遊女に心中を迫られまれ、遊女を置いて一人で逃げてしまいます。白井喬二はこの物語にきちんと結末をつけないまま終わらせてしまいます。
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「仁義なき戦い 完結篇」
「仁義なき戦い 完結篇」視聴。
この第五部は笠原和夫の脚本ではありません。で、脚本の出来不出来を言うより、どこまで腹をくくって事実を抉って脚本化するかという点で笠原脚本よりも劣るように感じます。
また、配役もかなり変に感じます。第2部の主人公だった北大路欣也が復活するのはまあ許せるとしても、第4部で殺されたばかりの松方弘樹がいきなり別の役で復活するのは違和感ばりばりです。(しかもすぐまた殺されるし…)第2部では千葉真一が演じた大友勝利がこの部では宍戸錠ってのもイマイチかな。(宍戸錠は日活作品ではいいけど、他社作品ではイマイチという評あり。)また、柔道一直線の桜木健一が、格好いい所のまったくないチンピラ役で登場し、最後に殺されて、それで広能が引退を決意するというのも、何だかなあ、です。やっぱりこの作品は第4部までかなと思います。
小林信彦の「決壊」
小林信彦の「決壊」を再読了。2006年に講談社文芸文庫として出たもの。
「金魚鉢の囚人」(1974年7月号「新潮」掲載)
「決壊」(1975年11月号「新潮」掲載)
「息をひそめて」(1977年10月号「文学界」掲載)
「ビートルズの優しい夜」(1978年2月号「新潮」掲載)
「パーティー」(1980年5月号「新潮」掲載)
の5本の作品を新たに一つにまとめたもの。このうち、「金魚鉢の囚人」と「ビートルズの優しい夜」は、最初1979年の「ビートルズの優しい夜」に収録されたもの。「パーティー」は弓立社版「小林信彦の仕事」に収録されたものです。「息をひそめて」以外は、最初、文芸雑誌「新潮」に掲載され、名編集者の坂本忠雄氏のやりとりの結果として生まれてきた作品です。
「金魚鉢の囚人」は、作者が自分で言っているように、中年のDJである「テディ・ベア」に小林信彦自身を投影した作品です。投影はしていますが、他の私小説的作品と一線を画した純粋な虚構の作品で、よく出来た作品と思います。特にラストでのアクシデントと、主人公がそれを処理するやり方が印象的です。
「決壊」は葉山に自宅を買った著者の体験が反映された私小説的作品。放浪を続けて、収まるところを求め続けた筆者がやっと手にした安住の地が、土地の「決壊」によって脅かされる様子を描いたものです。この経験は、「ドリーム・ハウス」などの他の作品にも使われています。
「息をひそめて」は、これも私小説的作品で、筆者が大学は出たものの、空前の就職難の時期に遭遇し、やむを得ず叔父の経営する自動車用塗料の会社でセールスマンとして働く様子、それから横浜でイギリス人の遠い親戚が経営する不動産会社に移り、それから失業して池袋のアパートでひっそりと暮らす様子が描かれます。
「ビートルズの優しい夜」は、1966年のビートルズ来日公演のすぐ後で行われたあるTV番組関係者向けのパーティーでの様子を描いたものです。放送作家だった当時の小林信彦の不安定な心理が描かれている作品です。
「パーティー」は、ある不遇の映画監督に作者自身を投影させて、その監督がパーティーに出席した時の様子を描くものですが、三回連続で芥川賞候補になりながら、ある審査員から「小林信彦は既に放送作家などで活躍しており賞の資格がない」として受賞を取り逃がしたことへのルサンチマンがあふれる作品です。
どの作品も、「唐獅子シリーズ」や「オヨヨ大統領シリーズ」の作者とは思われないくらい、陰鬱な調子で一貫していますが、これが小林信彦のある意味本来の姿かと思います。坂本忠雄氏とのやりとりによる彫琢を経ているために、どの作品も完成度はそれなりに高いと思います。
「仁義なき戦い 代理戦争・頂上作戦」
「仁義なき戦い」第3作代理戦争と第4作頂上作戦を続けて視聴。まだ第5作完結篇が残っていますが、笠原和夫が脚本を書いたのは第4作までです。
「代理戦争」の名前の通り、広島・呉の地元のやくざの戦いながら、バックにいた神戸の山口組と本多会の代理戦争が描かれています。ただ、小林信彦の「われわれはなぜ映画館にいるのか」に出てくる笠原和夫の解説によると、何故広島で争う必要があったかについては、中国地方進出を模索する山口組と下関の合田一家の争いが背景にあるということです。
個人的には、役者の豪華さに酔いしれます。菅原文太、成田三樹夫、小林旭、松方弘樹、梅宮辰夫、田中邦衛、金子信雄、山城新伍といった綺羅星のごとき役者の見せる、裏切りにつぐ裏切りの群像劇に心を奪われます。
白井喬二の「珊瑚重太郎」
白井喬二の「珊瑚重太郎」を読了。昭和5年、白井喬二が42歳の時から1年半、「講談雑誌」に連載されたもの。
これは本当に面白いです!こんなに面白い本を読むのは久し振りという感じです。お話は、若侍の珊瑚重太郎がふとしたことで牢中に囚われている武士を救うため、ある大名屋敷に失踪中の若殿様に化けて乗り込むのですが、その重太郎に次から次に難題が持ち上がります。まずはその大名屋敷の宝物について、偽物か本物かの鑑定を迫られ、その鑑定の結果によって、人質となっている若侍2人のどちらかが死ななければならないということになります。それを何とかごまかすと今度は、ある高貴な家のお姫様と結婚させられそうになります。重太郎自身が次の日に結婚式を控えた身でした。それを何とか日延べしてごまかすと、今度はお家の存亡をかけた訴訟事になりますが、その訴訟の相手方というのが何と自分自身でした。お奉行所で重太郎は双方の訴え人となり、一人二役で大忙しで何とかごまかそうとします。その訴えは、重太郎個人が勝てば、大名家がお取りつぶしになって高貴な家のお姫様が悪者の元に嫁がなければならなくなり、また大名側が勝てば、貧しい女性が何人も苦界に身を売らなければならない、というジレンマの状況です。そうした重太郎を、陰からこっそり助けるのが、実は本物の若殿様で、二人はそっくりなのですが、重太郎が本物に早く入れ替わるように頼んでも、何故か若様は首を縦に振りません。その理由が実は…とこの設定がまた素晴らしいです。この作品は言ってみれば、日本版「王子と乞食」ですが、白井喬二はストーリーテリングに関しては天才的です。また、主人公は何度も何度も危機的状況に陥って苦悩するのですが、その行動が一貫して倫理的なのがさわやかな印象を与えます。
この小説は昭和9年(1934年)に片岡千恵蔵主演の映画になっています。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」
小林信彦の「家の旗」より「兩國橋」
小林信彦の「家の旗」から、これまで未読だった「兩國橋」を読了。「家の旗」は1977年の出版で、「兩國橋」「家の旗」「決壊」「丘の一族」を収録。このうち、「家の旗」「丘の一族」は2005年の文庫本「丘の一族」に収録、「決壊」は2006年の文庫本「決壊」で読めます。
「日本橋バビロン」で小林信彦は、父方の祖父(立花屋八代目・小林安右衛門)のことを書きますが、この「兩國橋」は純粋な小説ながら、その「日本橋バビロン」の前触れとして、その父方の祖父をモデルとした小説です。この父方の祖父は腕の確かな和菓子職人で、入り婿として小林家に入り、誰も否定できないような商売の実績を出して立花屋に繁栄をもたらした、大変なやり手でした。しかし、その跡取りとして、それまでの女性に腕のいい和菓子職人を婿として迎える、という立花屋の代々のやり方を覆して、小林信彦の父親に九代目を継がせたことが、結局は立花屋が店を畳む(のれんは売却されて「立花屋」の名前は残りましたが)ことにつながります。
「仁義なき戦い」
ティムール・ヴェルメシュの「帰ってきたヒトラー」
ティムール・ヴェルメシュの「帰ってきたヒトラー」を読了。
ヒトラーが1945年のベルリンから2011年のベルリンへタイムスリップし、TVのコメディ芸人として採用され、TVで政治的な演説をぶち、それが人気を博してYouTubeに載ってアクセスが集中し…という話です。ヒトラーの実際の演説とか「我が闘争」とかを使って、ヒトラーが現在の状況を見たら如何にも言いそうなことを言わせているのがミソです。ヒトラーが政治家として非常に有能に描かれている所がある意味危険ですが、そのヒトラーについていた秘書の祖母がユダヤ人で、家族が収容所で殺されたという設定にして、その秘書にヒトラーのユダヤ人虐殺を非難させて、バランスを取ろうとしているのがちょっと小賢しい感じです。
また、「風刺小説、ユーモア小説」なんですが、如何にもドイツ人のユーモアという感じで、ひねりがもう一つです。また、ヒトラーの「活躍」もTVでの成功に留まっていて、政界に進出するかも、という直前で終わっていて中途半端な感じがします。
ドイツで130万部のベストセラーになり、映画にもなったようです。(って調べたら日本でも2016年6月に公開されていました。)また何と、イスラエルでも翻訳・出版されています。