小林信彦の「本は寝ころんで」を読了。週刊文春に1991年から1994年まで連載された書評に書き下ろしを追加したもの。書き下ろしの部分に「海外ミステリベスト10(古典)」みたいな、ベスト10が5種載っているのが、小林信彦の本としては珍しいです。
小林信彦の好きな作家であるパトリシア・ハイスミスやスティーヴン・キングが多く取り上げられています。また、安原顯を何度か褒めているのが目に付きます。いわゆる「生原稿流出問題」では、小林信彦自身も被害に遭っているのですが、そういう安原顯の問題点をこの頃はまだよくわかっていなかったようです。
投稿者「kanrisha」のアーカイブ
古今亭志ん朝の「崇徳院、御慶」
小林信彦の「結婚恐怖」
小林信彦の「結婚恐怖」読了。1997年の作品。個人的には小林信彦の作品の中ではもっとも評価できない作品です。前書きで作者自身が「なぜこのような奇妙な小説を書いたかがわからない。」と言っています。そのようなものを読者にそのまま提示するのはどうかと思います。最初はコメディーで途中からホラーになっていくのですが、そのホラーになっていく必然性がまったくなく、主人公を追い詰める人物の唐突さもまったくもって受け入れがたいものです。
主人公自体の設定も、放送作家で和菓子屋の息子、とこれまた小林信彦作品の中では使い古された何の工夫もないものです。
解説は私と同じで小林信彦作品は全部読んでいる坪内祐三ですが、さすがに褒めるところがなかったと見えて、「脇役の描写がいい」としてそればかりを書いています。
NH杯戦囲碁 藤井秀哉7段 対 一力遼7段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が藤井秀哉7段、白番が一力遼7段の一戦。2回戦の第1局です。一力遼7段は前々回の準優勝者です。対局は、左下隅にかかった白石に黒がこすみつけ、普通白は真っ直ぐ立つのですが、一力7段はかけて打ち、黒がぐずんで白が押さえて黒が切るという序盤からいきなり戦いになりました。白は左辺から伸びる大石を攻められましたが、結局黒は包囲していた黒石の一部を捨て、その代わりに上辺一帯で白5子を取り込みました。この結果は互角だったと思います。その後、白が右下隅に手を付け生き、逆に黒が右上隅に手を付けましたが、この時大きく生きようとしたのに対し、白がうまく取られていた5子を利用し、結局この5子が生還し、上辺の黒も取られてしまいました。代償で黒は右辺をまとめましたが、この収支では明らかに白が得しており、ここで勝負がつき、白の中押し勝ちでした。
天頂の囲碁6 九路盤定先で5目勝ち
柳家小三治の「初天神、時そば」
今日の落語、柳家小三治の「初天神、時そば」。
「初天神」はある父親が、子供の金坊を初天神に連れて行くが、途中色々な食べ物をねだられて、あげくの果ては高い凧まで買わされてしまいます。ところが、いざ凧をやり出したら、親父の方が夢中になって子供に「親父なんか連れてくるんじゃ無かった」と言われるサゲです。昔、私が子供の時に、6石のトランジスターラジオのキットをお年玉のお金で買ってきたら、亡父が「お前が作ると壊す」とかいって取り上げて自分で作ってしまったのを思い出しました。
「時そば」はあまりにも有名なお噺。サゲは当然知っていましたが、それより面白いのは最初の夜の蕎麦屋と次の夜の蕎麦屋のあまりの対照ぶりでした。成功者を真似してやってみて失敗するっていうのは落語の一つのパターンですね。
小林信彦の「裏表忠臣蔵」
小林信彦の「裏表忠臣蔵」を再読了。1988年の作品。この作品は作者自身のノートによれば、1964年に松島栄一の「忠臣蔵」を読んだことがきっかけになっているそうです。その1964年は東京オリンピックの年であり、また、NHKの大河ドラマで「赤穂浪士」をやっていて、ある意味忠臣蔵がブームだった年です。松島栄一の本は、吉良上野介の実像が、従来の忠臣蔵伝説でのものとはかなり違うであろうことを暗示したものだそうです。「裏表忠臣蔵」は、その「暗示」をもっと膨らませて、いわゆる忠臣蔵を吉良の身の上に降りかかった不条理な不幸(作者は吉良上野介をカフカの「変身」のグレゴール・ザムザにたとえています)として、スラップスティック的に描いたものです。
そういった逆説的「忠臣蔵」の設定は興味深いのですが、当然学術書ではないので、ある意味中途半端な印象を受けます。また小説として見た場合も、「ぼくたちの好きな戦争」と同じで暴力をスラップスティック的に描くのですが、ストーリー展開がこれまた中途半端という感じです。小林信彦の元禄版みたいな和菓子屋の跡取りの源太郎が出てきたり、近松門左衛門が出てきますが、当然メインは赤穂浪士の討ち入りの描写になるので、二人ともとって付けたような活動しかしていません。
私は1964年の大河ドラマの「赤穂浪士」は、小さすぎて観ていません。しかしながら、大河ドラマでの忠臣蔵はもう1回1975年の「元禄太平記」があって、これは観ています。この時の「忠臣蔵」も色々とひねってあって、必ずしも1964年の「赤穂浪士」のような設定がいつもスタンダードとしてあった訳ではないと思います。
古今亭志ん生の「まんじゅうこわい、三年目、三味線栗毛」
今日の落語は志ん生の「まんじゅうこわい、三年目、三味線栗毛」。昭和33年、31年、31年の録音で志ん生の病前。録音もリマスタリングしてあり、悪くないです。
まんじゅうこわい」はおなじみのお噺。前座噺ですが、志ん生が演じると独特の味があります。
「三年目」は先日五代目三遊亭圓楽でも聴いたもの。怪談噺ですが、あまり怖くない変な噺です。幽霊は毛が伸びるのだろうか?という素朴な疑問を感じます。
「三味線栗毛」は、実在の酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)にまつわるお噺。角三郎は酒井家の次男で部屋住みの身でしたが、按摩の錦木が按摩をやりながら落とし噺(落語)を語るのが気に入ります。ある時錦木が自分は検校になれる出世をする骨格をしていると人に言われましたが、角三郎も同じ骨格をしているので、大名になれる、と言います。角三郎はそれでは自分が大名になったら錦木を検校にしてやると約束します。で、角三郎は本当に大名になり…というお噺。落語というのは役に立つものですぞ、という所がミソみたいです。
白井喬二の「盤嶽の一生」(続き)
白井喬二の「盤嶽の一生」の完全版(?)を入手し読了。新潮文庫版は、全体の半分くらいまでしか収録していなく、かつ章の途中で切っているというひどいものであることがわかりました。ただ、この完全版(?)でも話は完結していません。
盤嶽の真実を求める旅は続いて、後半部では、大人に絶望した盤嶽が今度は青年達に希望を託しますが、それもすぐ裏切られてしまいます。それで今度は子供に期待しますが、それもまた駄目でした。最後は赤ん坊に望みを託しますが、それも期待通りに行きません。
色々あって、盤嶽は、二人の子供と一人の老人と、またかつては自分を毛嫌いしていた叔父の娘と暮らし始めることになります。その後無実の罪で牢屋に入れられますが、無事脱牢する所で終わっています。
この話を読んで、盤嶽の生き方を見て、聖書の「義に渇く者は幸いである。」を思い出しました。聖書では彼らは満たされるとイエス・キリストは言っていますが、盤嶽の場合は決して満たされることがありません。この小説を白井喬二は完結させようにも、盤嶽にふさわしい結末をとうとう考えつくことができなかったのではないかと思います。
盤嶽の映画を最初に作ったのは名匠山中貞雄です。2度目のTVドラマの最初の2回はその映画を封切り時に観た市川崑によって作られています。盤嶽のキャラクターは名匠達の心を捉えていたようです。→白井喬二の「盤嶽の一生」、の最初の投稿へ