今日の落語、志ん朝の「酢豆腐、鰻の幇間」。
「酢豆腐」は三遊亭圓生のでも聴いていて2枚目。「酢豆腐」っていうより前半は「糠味噌」といってもいいかも。圓生も志ん朝も甲乙付けがたい出来です。
「鰻の幇間」は幇間の一八が素人の旦那にまんまとはめられるお噺。幇間の調子の良さを快く思っていない人が作ったお噺かもしれません。
投稿者「kanrisha」のアーカイブ
石毛直道の「麺の文化史」
石毛直道の「麺の文化史」を読了。オリジナルは1991年に出版された「文化麺類学ことはじめ」。
世界各地に伝わる「麺」という食品、食品の中でもっともグローバルな広がりをもつものの、その発祥と世界各地への伝播を、フィールドワークを行い、特に実際にその食品を食べて研究したもので、他に類がない画期的な研究と思います。
「麺」は中国の北部の騎馬民族と接触する地帯で生まれ、それから世界各地へ伝わっていった様子が描かれます。日本へは朝鮮半島経由で伝わったものと、素麺のように中国から直接伝わったものとの2種類があるとしています。
誰もが気になるのが、イタリアのパスタと中国の麺の関係ですが、一般的はマルコ・ポーロが伝えたという俗説があります。筆者はこれに対し、中国→中央アジア→中近東→イタリアという仮説を提示します。ただ起源がよそから来たものであっても、イタリアのパスタはトマトソースとの組み合わせが発明されるなど、独自の発展を遂げています。
三遊亭圓生の「鰍沢、猫怪談、汲みたて」
本日の落語は、三遊亭圓生師匠の「鰍沢、猫怪談、汲みたて」です。「鰍沢」は先日、NHKの「おはよう日本」で、この落語の舞台になっている山梨県の富士川町が、この落語で町おこしを図っているという報道を見て、興味が出て取り寄せてみたものです。四代目橘家圓喬が得意とした噺で、色々と伝説的な話が残っているみたいです。ただ、実際に聴いてみると大して面白い噺ではなかったです。
「猫怪談」は、与太郎の養父が死んでしまって、お弔いをして死体をお寺に持って行く途中で魔に魅入られて、死体が踊り出すお噺。圓生師匠の与太郎の馬鹿っぷりがいいです。
「汲みたて」は清元の師匠を巡るさや当てのお噺ですが、サゲ(題はサゲから来ています)が汚いのでちょっとマイナス評価です。
池井戸潤の「仇敵」
池井戸潤の「仇敵」を再読。池井戸潤については、出版されている作品はすべて読んでいると思います。Amazonで久し振りに「池井戸潤」で検索したら、新刊としてこれが出てきたので取り寄せてみたのですが、既に読んだことがあるものでした。
池井戸潤の「銀行もの」としては、典型的な作品と思います。また短編を集めながら話が連続しているという構成は、他にも「シャイロックの子供達」があります。
地方銀行の庶務行員として働く恋窪商太郎は、かつて都市銀行でエリート社員として働いていましたが、ある銀行幹部の陰謀を追及していたところ、逆にその幹部にはめられて都市銀行を退職することになります。その恋窪が、あくまで庶務行員の立場で、地方銀行の若い行員の相談に乗りながら、安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)のように、銀行にからむ犯罪を追及していきます。その中にかつて自分を陥れた敵の存在を感知し、復讐のためその悪を追い詰めていく、というストーリーで、池井戸作品らしいカタルシスが結末部にはあります。
なお、この「仇敵」の中の話が、TVの「花咲舞が黙ってない」に使われているとのことです。ちなみに、私は「花咲舞」の直接的な原作になる「不祥事」はあまり評価していません。池井戸潤が描く女性は、男性から見たある種類型的な性格をしていることが多く、あまりうまいとは思えないからです。私が池井戸潤の作品で一番評価しているのは、「空飛ぶタイヤ」と「鉄の骨」です。
古今亭志ん朝の「碁どろ、お若伊之助」
今日の落語、志ん朝の「碁どろ、お若伊之助」です。
碁どろ、は碁に夢中になっている二人の所に泥棒が入ったが、この泥棒も大変な碁好きで、盗ったばかりの荷物を放り出して、二人の碁を見物して口を出し始める…という噺です。志ん朝はうまいですが、たぶん囲碁は知らないですね。でも、囲碁が出てくる落語は、この「碁どろ」の他に「笠碁」や「柳田格之進」もあります。江戸時代は今よりずっと碁をたしなむ人が多かったということですね。
「お若伊之助」は、志ん朝の録音としては2枚目。前に聴いたのが、2001年4月の録音で亡くなる半年前です。今回の録音は1979年2月のものです。親分が根岸と神田を何度も行ったり来たりするのがおかしい噺です。志ん朝は今度の録音の方が生きが良くて勢いがあります。
小林信彦の「ドリーム・ハウス」
小林信彦の「ドリーム・ハウス」を再読了。1992年の作品です。ある作家が、死んだ母親が残した土地に新しい家を建てて恋人と住もうとして巻き起こる様々な事件をホラー風に書いた小説です。
小林信彦の作品で、明示的に主人公がちゃんとした作家(放送作家ではなく)というのはこの作品以前では珍しいのではないかと思います。この作家の独白で興味深いのは、モデル無しに人物を造形することが不得意と言っていることで、これは私が小林信彦に対して感じていたことと一致します。小林信彦の小説に出てくる人物は、まったくフィクシャスなものが少なく、どこかにモデルがいるようなものが多いように思います。
この作品については、文芸評論家の福田和也が「52点」という低い点をつけているみたいです。私はそこまでは悪くないんじゃないかと思って読み進めていましたが、唐突な終わり方には疑問を感じました。また、「世界でいちばん熱い島」に続いてまたしてもフェティシズムが取り上げられていますが、「世界でいちばん熱い島」と同じくフェティシズムを素材として使う必然性が感じられません。この「フェティシズム」は主人公の高校の同級生というDDの特性として使われていますが、このDDの性格がいまひとつはっきりしません。にも関わらず、さらにはこのDDの偽物が登場しますが、この偽物の謎については最後まで明らかにされていません。この作品が文芸誌に掲載された後、読者からそれについて質問があったようなのですが、それに対し作者は後書きのようなもので「読者のレベルが低い」のようなことを述べており、傲慢さに鼻白みました。
なお、新築の家で裏庭が大雨で崩れるというのは、小林信彦が葉山の家で実際に経験したことが元になっています。
「東京で家を建てるのにまつわる苦労」を書こうとした着想は評価できても、全体としては求心力に欠けていて、成功した作品とは言い難いと思います。
NHK杯戦囲碁 新垣朱武九段 対 中野寛也九段
フラバァ続編(Son of flubber)
DVDで先日観た「フラバァ」の続編、「Son of flubber」(邦題:フラバァデラックス、1971年の再映時には新フラバー)を視聴。続編に傑作なし、で前作よりはかなり劣りますが、それなりには楽しめました。前作では非常に弾性の強いゴムであるフラバァを発明したレイナード博士ですが、今回は、そのガス版であるフラバァガスを発明します。前作では、フラバァをバスケットシューズの底につけた選手達がバスケットボールの試合でぴょんぴょん跳ねて活躍するのが爆笑シーンでしたが、今回はアメリカンフットボールです。博士はフラバァユニフォームを開発し、選手の一人に着せます。その選手を味方が抱えて放り投げると、その選手は空中を飛んで行き、ゴールまで一直線です。その選手の活躍で1点差まで迫ったのですが、あと少しという所で、ユニフォームのガスが抜けてしまいます。でもその選手はフラバァガスのチューブをもう一本隠し持っていて、それをユニフォームではなく、ボールに注入します。そのボールを蹴って、「98ヤード」のフィールドゴールに成功して、逆転勝ちします。(ちなみにフィールドゴールの実際の最長記録は64ヤードです。)最後の場面で、そのボールが人工衛星の間を飛んでいる様子が描かれます。宮下あきらの漫画で、投げたボールが人工衛星に当たって落ちてくる、というのがありましたが、それに先行するギャグです。
古今亭志ん朝の「堀の内、化け物使い」
今日の落語、志ん朝の「堀の内、化け物使い」です。
「堀の内」はとことんそそっかしい男の噺で、最初から最後までそのそそっかしい行いの様子が通して演じられます。粗忽者の熊五郎が、堀の内のお祖師様にお参りしようとして、あっちへ行ったりこっちへ行ったりし、ようやくたどり着いても、お賽銭を上げようとして財布ごと放り込んでしまいます。家に帰って子供の金坊を湯に連れて行こうとしますが、これがまた大変で…というお噺です。
「化け物使い」は、人使いの荒い旦那がいて、奉公人が次々やってくるが、皆人使いの荒いのに絶えられなくなってお暇をもらって去っていく。一人、木助さんだけが、人使いの荒いのにもよく耐えて、3年勤めたが、この旦那が化け物が出るという噂の屋敷に引っ越すと聞いて、化け物が大の苦手の木助さんもとうとう去って行く。旦那はその家に引っ越して、そこで噂通り化け物が出てくる。でも旦那は出てきた一つ目小僧、大入道、のっぺらぼう、をこれ幸いとばかりに使用人として次々用を言いつけこき使います。しまいには化け物(実は狸が化けたもの)の方が根を上げて「お暇を取らせていただきます」。