日本マックス・ヴェーバー研究ポータル、での一大イベントです。折原浩先生から私が提唱し「中世合名・合資会社成立史」の無償公開で実践もしている、「オープン翻訳」の主旨にご賛同いただき、先生がご自身で使用するために訳された「宗教社会学」の日本語訳をいただき、公開しました。
ヴェーバーの「経済と社会」の中にある「宗教社会学」ですが、既に創文社から1976年に日本語訳が出ています。これは宗教上の細々とした事項について詳細な訳者注が付いているという長所はあるものの、この「宗教社会学」で使われている社会学的な概念が「理解社会学のカテゴリー」に拠っている、ということをまったく分っていない翻訳であり、社会学的な基礎用語の翻訳が適切でない物が非常に多いという欠点があります。折原先生の日本語訳はこの点の大幅な改善を意図されたものです。
「Book」カテゴリーアーカイブ
ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第9回目公開
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第9回目を公開しました。今回の箇所は比較的長いラテン語の引用が2箇所あり、いいラテン語の演習になりました。しかし、このペースだと早くて後一年半くらいかかりそうです。
Oxford Latin Dictionary
「ローマ土地制度史」の日本語訳の8回目を公開
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の8回目を公開しました。
ここは、ローマの植民市における入植者への土地の配分についての特殊なケースについて述べており、最初意味を掴むのに苦労し、自分なりに図を書いてみたりしていました。何のことはない、ヴェーバー自身が添付図を付けてくれており、それを見たら一目瞭然でした。しかし何だか長方形の区画と正方形の区画の組み合わせで、昔懐かしのテトリスをやっている気分でした。
オーランド・ファイジスの「クリミア」
オーランド・ファイジスの「クリミア」を読書中。19世紀のクリミア戦争に関する本です。最初日本語訳を買おうとしたら、上下分冊で2冊で14,000円以上するので、英語版を買ったもの。こちらは1,800円です。なんでクリミア戦争の本を読んでいるかというと、どこかで今回のロシアのウクライナ侵攻とクリミア戦争について結構共通点が多いとあったからです。
まだ二割くらいしか読めていませんが、確かに色々と共通点があります。
(1)今回はロシアのウクライナ侵攻ですが、クリミア戦争の直接のきっかけはロシアのポーランド侵攻です。それで欧州での反ロシア機運が盛り上がりました。
(2)今回のプーチンのウクライナ侵攻をロシア国内のギリシア正教会が支持していますが、クリミア戦争の性格は、ギリシア正教会(ロシア)とイスラム教(オスマン帝国他)とカトリック(フランス)とプロテスタント(イギリス国教会)の戦いです。(一種の変形した十字軍。オスマン帝国の首都イスタンブールは元の名前はコンスタンチノープルでギリシア正教における聖地でした。またエルサレムも当時オスマン帝国が支配していました。)
(3)クリミア戦争では、産業革命を経験したイギリスとフランスと経験していないロシアの兵器の差が如実に出ました。今回ロシアの旧態依然の兵器がNATOの最新兵器で撃破されているのはご承知の通りです。
(4)クリミア戦争では、多くのrussophobia(ロシア恐怖、ロシア嫌い)の人がかなりのフェイクな本でロシアへの恐怖感と嫌悪感を煽りました。今はSNS上でフェイクニュースが飛び交っています。
(5)それまでは「光栄ある孤立」を貫いていたイギリスがクリミア戦争には参加しています。今回のウクライナ侵攻にもイギリスはかなりウクライナへ積極的に関与しています。
(6)ロシアの拡張主義。これはクリミア戦争も今回のウクライナ侵攻も同じです。
(7)クリミア戦争当時のニコライ1世とプーチンの強権的政治という共通性。
クリミア戦争は結局勝者無き戦争だったようですが、果たして今回のウクライナ侵攻はどう結着するか。クリミア戦争は結局20世紀の2つの大戦につながりました。そういう意味でプレ世界大戦でした。
豊下楢彦の「昭和天皇・マッカーサー会見」
豊下楢彦の「昭和天皇・マッカーサー会見」を読了しました。久し振りに大きな衝撃を受けた本で、またこれこそ「自分の属する階級の上にも下にも嫌がられることを(けど正しいことを)言う」というマックス・ヴェーバーが言う所の「学者の本分」を全うしている本だと思いました。
この本を読み始めたきっかけが、通説のようになっている昭和天皇とマッカーサーの最初の会見で、昭和天皇の「全ての(戦争)責任は私にある。私の身柄を貴方に委ねる。」という発言が、本当はどうだったのか、という興味からです。
結論から言えば、このエピソードのソースはマッカーサーの回顧録だけであり、それは老人になったマッカーサーが自分の過去をある意味脚色して述べているという文脈の中で述べられているもので、事実関係でその回顧録はかなり信憑性が低い、ということを多数の資料にあたって突き止めています。昭和天皇が一度は「自分が退位して責任を取れば治るのではないか」という考え方を持ったのは事実のようですが、しかしそれはおそらく周りの天皇制存続のための論理にかき消され、結局は東条英機や松岡洋右が自分の意思をねじ曲げて戦争に走った、という風になってしまいます。これについては昭和天皇自身がイギリス王室に書いた手紙に出て来るので信憑性は高いです。また終戦までは自分の言ったことをすぐ実行してくれるということで、東条英機を高く評価していたのに、一旦戦犯の中心という風に見なすと今度は不倶戴天の敵のような見方に変わります。その証拠にある時からA級戦犯が靖国神社に合祀されると、それ以来靖国神社への参拝を取りやめ、亡くなるまで一度も行っていません。
更に驚くのは、日本国憲法が制定され、天皇は「象徴」となり一切の政治的な活動が禁じられたにもかかわらず、サンフランシスコ条約の締結時などに、吉田茂他に働きかけ、方針を変更させたりしています。サンフランシスコ条約の時は朝鮮戦争のすぐ後で、対共産圏への前線として日本国内の米軍基地の価値がアメリカにとっても高くなっており、それを利用して対等な立場で基地の設置を認めるということが可能であったのに、昭和天皇が「アメリカにお願いして駐留してもらっている」ということにこだわり、結局アメリカ側の要求を全て受け入れたような形になります。サンフランシスコ条約だけでなく、その後の安保条約締結まで、その陰に昭和天皇が深く関わっていることが、資料調査で実証されます。
個人的に、今さら昭和天皇の戦争責任や憲法違反を蒸し返せ、とは思いませんが、神話というのは古事記や日本書紀が編纂された当時だけでなく、現代においても作り続けられているのだということを分からせてくれた本でした。未読の方は是非一読をお勧めします。
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳7回目を公開
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳、前回は2021年12月末で5ヵ月も間が空いてしまいましたが、7回目を公開しました。(真空管アンプ作りで約3ヵ月取られました。)
カムカムエヴリバディの和菓子屋のモデル?
白井喬二の「私の歴史文学観」(エッセイ)
白井喬二のエッセイ「私の歴史文学観」を読了。「季刊 歴史文学」という雑誌の1974年11月発行の創刊号に寄せたものです。この時白井喬二は85歳ですが、「歴史と文学」という名前の雑誌からまだ意見を求められるぐらいの知名度はあったようです。内容については、これまで白井が色んな所で述べていることと大きなずれはないのですが、ちょっと面白いのは「国史挿話全集」について言及していることです。これは白井が全国のいわゆる歴史上の有名人物に関する逸話(アネクドーツ)を集めたものですが、全国の知事が収集に非常に協力してくれたと書いています。白井の真骨頂の一つは、怪しげな文献(多くは実在しない)に基づいているとする不思議なエピソードをちりばめることですが、単なる想像だけではく白井の場合はどのような文献があるかを小説家としてこれ以上いないくらい知った上でそうした怪しい文献を創作しているのであり、そこに「いかにもありそうな」という疑似リアリティーが生れます。白井の「国史挿話全集」はさすがの私でも、全部読むことは出来ず、パラパラと眺めた程度ですが、実は日本の大衆の歴史観を知るという意味で貴重な文献なのかもしれません。
本日の「カムカムエヴリバディ」と獅子文六の「悦ちゃん」
今日の「カムカムエヴリバディ」(朝ドラはいつも最初の5分くらいだけ観て家を出ますが、カムカムの後半の怒濤の伏線回収が見事で録画して観ています)、怒濤の展開で今日はついにアニー・ヒラオカがラジオ番組のインタビュー中で突然日本語で自分のことを語り出し、るいに対して「普通の暮らしがしたかっただけなのに…」と呼びかける内容でした。浜村淳さんお年を召されたなあ、と思って見ていました。いわゆる放送事故ですが、これはひょっとしたら獅子文六の「悦ちゃん」へのオマージュもあるのかなと思いました。「悦ちゃん」では和製テンプルちゃんとして売り出した悦ちゃんがラジオに出演し、「パパママソング」を歌うのに途中で歌詞を変え、「碌さん(悦ちゃんのお父さん)どこにいるの、帰って来て!」と叫ぶ放送事故を起こし、それで和製テンプルちゃんの地位は失うけど、放送を聴いた行方不明だった碌さんがスタジオに駆けつけ、という話です。ちなみにNHKの朝ドラの最初のは1961年の「娘と私」ですが、この原作が獅子文六で、ここで言っている「娘」が悦ちゃんのモデルです。「カムカム」の中でも雪衣さんがこのドラマを一生懸命観ているという話がありました。