「富士に立つ影」は「デューン」に似ている?

本日、Eigoxというオンライン英会話のレッスンがあって、その中で私が白井喬二の「富士に立つ影」のストーリーについて説明したのですが、何とその先生にフランク・ハーバートの「デューン」(「砂の惑星」の名前で映画化されて有名)とストーリーが似ていると言われました。このSFは兄が好きだったので家にありましたが、私は読んでいません。今度トライしてみます。

角田喜久雄の「妖棋伝」

角田喜久雄の「妖棋伝」を読了。徳川家秘蔵の将棋の駒「山彦」の内、銀4枚が偽物であり、失われた本物の山彦の銀将には秘められた謎が…ということで、髑髏銭とも共通して、この謎を誰が解いてお宝を得るかという、伝奇小説としては王道であるお宝の争奪戦が話の中心になります。主人公は武尊流縄術の名人である武尊守人ですが、この主人公が何故かぱっとしなくて、仙殊院という一種の妖婦の罠にあっさりかかり、媚薬を大量に飲まされてほとんど死にかかるなど、いい所がありません。それに対し、与力の赤地源太郎が逆に知恵もあり、武にも秀でていてという感じでこちらが大活躍します。しかし最後にあっと言わせる展開があり、ミステリー的な意味で良く出来た作品だと思います。角田喜久雄としては最初期の作品になります。

白井喬二の「魂を守りて 金属工芸に躍進の大器岩井清太郎伝」

白井喬二の「魂を守りて 金属工芸に躍進の大器岩井清太郎伝」を読了。白井喬二としては極めて珍しい、他人の伝記です。たぶんこれ一作だけだと思います。白井によるとそれまで何度か伝記執筆を頼まれたことがあったそうですが、すべて断ってきたそうです。それが何故この岩井清太郎氏(当時岩井金属工業の社長、市川市会議員)の伝記を書いたかというと訳があります。この岩井社長が若い頃その師匠の元で金属工芸の修行をしていた当時、時事新報に連載されていた白井の「祖国は何処へ」を二人が毎日愛読しており、特に岩井社長の方は主人公の臺次郎、ヒロインの金乃美に惚れ込んで、後に自分の4番目の娘に「このみ」という名前を付けたという程です。この岩井社長は子供の頃は理由があって実の両親とは離れて暮らし、別の養父母に育てられ、諸般の事情で学校は小学校を1年しか行けなかったという境遇の人です。その後岩井氏は苦労して小学校卒業程度の読み書きの力を身につけ、白井の小説も読めるようになった訳ですが、白井にとってみると大衆小説の理想的な読み手だったのではないかと思います。また、大衆小説という言葉から容易に連想される「俗悪」という要素が白井の小説にはまるでなかったのも、この岩井氏に愛読される大きな要素の一つになったのだと思います。また「祖国は何処へ」は、「富士に立つ影」が何度も単行本化されているのに対し、平凡社の全集に一度収録され、その後春陽堂の日本小説文庫で出ただけ、という不遇な作品でもあります。そんな作品を心から愛してくれた読者が白井には本当に嬉しかったのだと思います。
岩井社長は、不幸な生い立ちにも負けることなく、師匠の元で金属加工(煙草ケースやコンパクト、戦後はパイロット万年筆の軸の部分や、あるいはソニー製のトランジスタラジオの脚部など、様々な製品を出しています。)の腕を磨き、また生まれつきの創意工夫の才で何度か訪れる逆境にも折れることなく、戦後岩井金属工業を創立します。この会社は今は離合集散を経て、UACJ金属加工という会社になっているみたいです。その創意工夫と熱意は、今いる会社の亡くなった創業者を思い出させ、共通点があると感じました。
ちょっと特殊な本ではありますが、白井唯一の他人の伝記はそれなりに読ませるものでした。

池井戸潤の「アキラとあきら」

池井戸潤の「アキラとあきら」を読了。未読作品ですが新作ではなく、2006年から2009年にかけて問題小説に連載されたけど、単行本にならず眠っていた物です。WOWWOWでTVドラマ化されることが決まって、新たに書き直して文庫本として出版されたものです。
最初の方は「アキラ」と「あきら」の二人の少年時代を描いて、それなりに面白いですが、途中からは池井戸潤お得意の「銀行融資もの」になります。ああまたか、という感じもしますが、この作品はしかしながら「銀行融資もの」の中でもかなり上位に置くことが出来る作品だと思います。その中でも「アキラ」と「あきら」が二人とも同じ銀行に入社し、その新人研修で伝説的な勝負を繰り広げる所が出色です。また階堂彬の方が父親の死後、弟が会社を継いだけどうまく行かず父親の会社に戻ったけど、そこで大きな危機に見舞われて、銀行に残った山崎瑛と力を合わせて解決策を必死に考え出す過程もなかなか読ませます。なお、階堂彬の弟が社長業に行き詰まりそのストレスで統合失調症になる、というのが出てきます。池井戸潤の作品で統合失調症が出てくるのはこれで4作目くらいになるのではないかと思います。おそらく身内に患者がいたのではないかと思います。またこの作品は結局「理想の銀行マン」を描いたものですが、池井戸潤が三菱銀行に在籍していた10年くらいの間に、モデルに成るような近い銀行マンが実在したのか、逆にまったく理想からはほど遠い銀行マンばかりが多かったので、理想を求めてこういう作品を書いたのか、そこの所は作者に聞いてみないとわかりません。

角田喜久雄の「髑髏銭」

角田喜久雄(つのだ・きくお)の「髑髏銭」(どくろせん)を読了。角田喜久雄は、白井喬二より7歳年下の、伝奇小説・時代小説・探偵小説作家です。この「髑髏銭」は伝奇小説での代表作です。
主人公が徳川家の血を引くという意味では白井喬二の「伊賀之介飄々剣」を思わせますし、また主人公に複数の美女が思いを寄せ、その内の一人が女盗賊で、さらには主人公を助ける大泥棒という登場人物設定は三上於菟吉の「雪之丞変化」に非常に良く似ています。「雪之丞変化」は昭和9年から読売新聞に連載、「髑髏銭」は昭和12年から読売新聞に連載で、同じ媒体であり、もしかすると読売新聞の側が大ヒット作である「雪之丞変化」と似た構成を求めたのかも知れません。そういう訳で登場人物はやや類型的な気がするのですが、それに浮田家に伝わる「髑髏銭」の謎を絡めたのがうまくいっており、なかなか読ませる作品に仕上がっています。ちょっと時代のせいもあって、いきなり黒猫の死骸が出てきたりと、ちょっとグロの趣味も入っています。最初に悪役として登場する銭鬼灯(ぜにほおづき)は、途中から実は子供好きであるなど、本当の悪人ではないことが示されます。そういう意味では本当の悪人として描かれるのは銅座の赤吉だけです。またチャンバラではなく、古銭の古さと貴重さで勝負する闘花蝶というのはちょっと白井喬二的です。そういう風に、色々な伝奇小説のエッセンスを詰め込んだような作品で完成度は高いと思います。

E. M. フォースターの「ロンゲスト・ジャーニー」

E. M. フォースターの「ロンゲスト・ジャーニー」を読了。
この作品は、大学の時、まずフォースターの短篇の「コロノスからの道」を教養課程の英語の授業で読んでフォースターのファンになり、その後同じ先生の専門課程での英語の授業でこの作品を読んだものです。ただ、その授業では全部を読み切ることは出来ず、日本語訳で全部を読んでいます。従って今回2回目です。
私は、この小説に出てくる次の文章を私の大学の卒論の冒頭で引用しました。私の卒論はカール・ポランニーの「貨幣使用の意味論」に触発されて、貨幣について書いたものだったので、この文章が非常にぴったり来て使ったものです。
The soul has her own currency. She mints her spiritual coinage
and stamps it with the image of some beloved face. With it she
pays her debts, with it she reckons, saying, “This man has worth,
this man is worthless.” And in time she forgets its origin; it
seems to her to be a thing unalterable, divine. But the soul can
also have her bankruptcies.
Perhaps she will be the richer in the end. In her agony she
learns to reckon clearly. Fair as the coin may have been, it was
not accurate; and though she knew it not, there were treasures
that it could not buy. The face, however beloved, was mortal, and
as liable as the soul herself to err. We do but shift
responsibility by making a standard of the dead.
There is, indeed, another coinage that bears on it not man’s
image but God’s. It is incorruptible, and the soul may trust it
safely; it will serve her beyond the stars. But it cannot give us
friends, or the embrace of a lover, or the touch of children, for
with our fellow mortals it has no concern. It cannot even give
the joys we call trivial–fine weather, the pleasures of meat and
drink, bathing and the hot sand afterwards, running, dreamless
sleep. Have we learnt the true discipline of a bankruptcy if we
turn to such coinage as this? Will it really profit us so much if
we save our souls and lose the whole world?
ここでフォースターが書いているように、彼は死すべき人間の顔が刻印された「人間の貨幣」と、永遠に不変の神の顔が刻印された「神の貨幣」を区別します。前者は価値が変動し、破産もあり得ますが、それでもフォースターは「神の貨幣」よりも「人間の貨幣」を愛します。それが我々が「ささやかな喜び」と呼ぶものを我々に与えてくれるからです。最後の所の「我々が自分の魂を救ったとしても全世界を失ったとしたら、それは本当に得になることなのだろうか」は、聖書のマタイ16:26の「全世界を得たとしても魂を失ったとしたらそれは得になることなのだろうか」をもじっています。
この小説はフォースターの長篇の中ではあまり有名なものではありませんが、明らかに主人公のリッキーにはフォースター自身が投影された自伝的作品です。またリッキーとそのケンブリッジでの親友であるアンセルの間に何か同性愛的な感じがし、アンセルがリッキーとアグネスの結婚に反対するのにもそれが現れています。
また、この小説は「私生児の弟がいることを知った男」ということが主要なモチーフとなっています。リッキーは最初それは父親が過ちを犯した結果だと思っていましたが、実はそれは彼の母親の無思慮な行動のせいで母親の子でした。リッキーは最初アグネスの思いに従って異父弟のスティーヴンを排除しますが、結局アンセルの説得でスティーヴンを受け入れ、最後は泥酔して線路に寝ていたスティーヴンを助けようとして、自分が列車に轢かれて命を落とします。この小説にはフォースターの小説の全ての要素が既に現れているように思います。

なお、この小説の冒頭はアンセルが「牛は存在する」と、キングス・カレッジの窓から見える牛を見ながらこう語り、学生達がいわゆる「実存」について議論する場面から始まります。ケンブリッジのキングス・カレッジにいった時、カレッジの回りの草原の上に本当に牛がいて、うれしく思いました。(写真参照)

C. アウエハントの「鯰絵 民俗的想像力の世界」

C. アウエハントの「鯰絵 民俗的想像力の世界」を読了。この本は大学生の時に図書館で借りて読んでいるので2度目です。今年2月に鹿島神宮に行って要石の実物や鯰絵の展示を見ていますし、先日AEONの英語のレッスンで先生から日本の迷信について聞かれ、私が地震と鯰の関係について話したりして、また興味がわいて来て再読したものです。「鯰絵」とはこの本の表紙にあるように、鯰が描かれた絵の事で、1855年の安政の大地震の後に大量に刷られ、地震避けのおまじないとして流行したものです。この表紙の絵では、鹿島神宮の主神である建御雷神(たけみかづちのかみ)が要石を用いて大鯰の頭を押さえつけていますが、これがもっとも典型的な鯰絵です。しかし他にもかなりの種類のバリエーションがあります。C. アウエハントは文化人類学の構造主義の手法を用いて、この鯰絵に秘められた意味を分析していきます。「鯰絵」について最初に研究したのはこのアウエハントです。何故日本人ではなくオランダ人なのかと言うと、日本では鯰絵の現物はほとんど失われて少数しか残っていないのに対し、海外に流出した鯰絵がオランダの博物館にまとまって残っていたからです。アウエハントは柳田国男の弟子でもあります。アウエハントの分析は、鯰が破壊の神であるのと同時に、世直し(再生)の神であることも分析したりしてなかなか興味深いのですが、正直な所手を広げすぎの感じで、猿・恵比寿神・石神・水神・龍・河童などと鯰の関連を論じて行きますが、その構造主義的分析が、しばしばもっともらしい対立図式を作っておしまいという感じで、「だから何なの?」という疑問が読後に湧いてきます。まあ、構造主義は60年代の終わり頃から70年代にかけて一大ブームで、そのさなかに書かれているので仕方がないかなとも思えますが。この本の後、日本の民俗学者の「鯰絵」に関する研究も出ているようですが、未読です。

谷譲次の「めりけんじゃっぷ商売往来」

谷譲次の「めりけんじゃっぷ商売往来」を読了。谷譲次は、本名が長谷川海太郎で、谷譲次以外に、林不忘、牧逸馬の3つのペンネームを使い分けて活躍した人です。林不忘の名前では、日本の時代小説の中でもっとも有名なキャラクターである「丹下左膳」を生み出した人です。(ちなみに最初に丹下左膳が出てくる作品は「大岡政談」で、丹下左膳は悪役として登場します。)
この谷譲次名義の「めりけんじゃっぷ商売往来」は、実際にアメリカで3年半色々な職業を経験した長谷川の経験を織り交ぜて、アメリカの最下層に近い所(本当の最下層はその当時のアメリカでは黒人が担い、日本人移民はその黒人の次という扱いでした)でたくましく生きていくM.J.(メリケン・ジャップ)の姿を描くものです。その日本人移民が就く職業としては、皿洗い、ウェイター、執事、商店の会計などです。この作品は「新青年」に連載されたもので、当時ここまでアメリカの実態を描く作品はこの作品の他にはほとんど無かったのではないかと思います。
もう一つの作品「めりけん一代男」は実に痛快な作品で、これもめりけんじゃっぷを主人公としますが、名前を聞かれると「俺(ミイ)か。ミイは西海岸(コウスト)のスズキてんだ。」と答え、生まれ持ったハンサムな顔と博打の腕を活かして、白人達から大金を巻き上げたり、パーティーで冷たくあしらわれた白人女性に復讐したり(その女性達の旦那を博打で陥れて、借金の形にその女性達の自由を奪い、競売にかける、という危ない話です)、という話が語られます。名前は明らかに西鶴の「好色一代男」のもじりでしょうが、阿佐田哲也の小説のような趣があります。

紀田順一郎の「内容見本にみる出版昭和史」

紀田順一郎さんの「内容見本にみる出版昭和史」を読了。さすがに紀田さんの書籍に関する本は情報がきわめて豊富です。
雑駁な印象を順不同に書くと、
(1)家にあった唯一の文学全集が角川書店の「昭和文学全集」であっただろうことがほぼはっきりしました。この全集の第1回配本が「横光利一」で「旅愁」が収められていました。私は小学校6年生の時に山口県下関市から福岡県宗像市(当時宗像町)に引っ越したのですが、その関係で家の近くに大きな書店がなくなり、同じく図書館もなくなって読む本が不足していたので、仕方なく家にあった字の小さいこの全集に手をつけました。獅子文六の「てんやわんや」や「自由学校」もこの全集で初めて読みました。この頃の全集というものは読むためのものではなく、応接間の本棚に飾るためのものだったように思います。
(2)白井喬二の全集を戦後に出した学芸書林が、かなり先端的で意欲的な文学全集を出していた出版社であったことがわかりました。もっとも商売は下手で、白井喬二の全集の第2期を出すことなくつぶれてしまうのですが…
(3)全集を中心として、日本の出版社のピークが、私の幼年・少年時代と重なる1960年代後半から70年代前半であったことがよくわかりました。そういう時代に育った者としては、今の出版業界の状況は寂しい限りです。
(4)白井喬二の平凡社の全集は、古書に精通している紀田さんでも「もはや入手不可能」とされています。
(5)諸橋博士の、大漢和辞典を編む上での苦労は本当に感動ものです。

長山靖生編の「明治・大正・昭和 日米架空戦記集成」

長山靖生編の「明治・大正・昭和 日米架空戦記集成」を読了。タイトル通り、その時代の架空戦記を11作集めたもの。荒唐無稽過ぎたり、きわめて幼稚だったりというものも多いですが、いくつか印象に残るものがあります。まずは福永恭助の「暴れる怪力線」で、何が印象的かと言うと、東京がアメリカの大空襲を受けて4万人が死ぬという描写をしていることと、それと連合艦隊がアメリカ艦隊と対戦してこちらもほぼ全滅するという、ある意味現実に近いことを予想していることです。最後は秘密兵器の「怪力線」が出てきて日本が勝つわけですが。2番目は立川賢の「桑港けし飛ぶ」で、昭和19年に新青年に載った作品ですが、何と原子力エンジンによる飛行機と原子爆弾を的確に描写しています。その原子力エンジンによる飛行機でサンフランシスコを爆撃し、一発の原子爆弾でサンフランシスコを壊滅させ、アメリカを降伏に追い込むという内容です。日本も理研などで原子爆弾の開発をやっていたと聴いていますし、一般にも「ウラニウム爆弾」というのは知られていたみたいですから、さほど不思議ではないのかもしれませんが、軍部は最初は原子爆弾に関する小説は検閲で落としていて、戦況が悪化すると逆に許可するようになったということです。国民に最終兵器による逆転の夢を見させようとしたのでしょうか。最後は横溝正史の作で「慰問文」で、これは架空戦記というより、慰問袋を作って戦場に送る少女と、その慰問袋を受け取った兵士達との交流を描いたもので、露骨な戦争賛美はありません。しかしあの横溝正史も戦争中(昭和17年の作品です)はこんなのを書いていたんだと、ちょっと驚きです。作中に主人公の少女が焼夷弾が落ちてきたのを布団その他で消す、というシーンがありますが、今から考えるととんでもない危険なことですが、当時はこのように空襲に対処する、ということが信じられていたんだと思います。