ノーマン・G・フィンケルスタインの「ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち」

ノーマン・G・フィンケルスタインの「ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち」を読了。デボラ・リップシュタットの「肯定と否定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」をより客観的に評価するために読んだもの。フィンケルスタインは自身もユダヤ人で、その両親は両方とも強制収容所の生き残りです。フィンケルスタインは、アメリカのユダヤ人エリートたちが、「ホロコースト」を政治・経済的な道具として、スイスの銀行からなどから金をむしり取ろうとする動きを「ホロコースト産業」と呼んで強烈に批判します。筆者によれば1960年代の終わりまで、アメリカで「ホロコースト」が話題にされることはほとんどなかったと言います。それが変わったのがイスラエルがアラブ諸国に対して完全な勝ちを収めた第三次中東戦争からで、アメリカはイスラエルを中東における自分たちの権益の代弁者と見なすようになります。またイスラエルのプロパガンダとして、この戦争でアラブ諸国に対して圧倒的な軍事力を持っていたのにも関わらず、ユダヤ人に対して「第二のホロコースト」が行われようとしている、という考えを広めていきます。その過程で「ホロコースト」の政治・経済的な価値が見直されていきます。それがもっとも顕在化したのが、1995年から始まるスイスの銀行に眠っているとされたユダヤ人の休眠口座のお金を返還するように求める運動で、その過程で「強制収容所からの生還者」は実数の10倍近く水増しされ、法的に正当な要求というより一種の「ゆすり」であったことが述べられます。しかもスイスから支払われた巨額のお金が本来それを手にすべき強制収容所からの生還者にはほとんど回らず、ユダヤ人の諸団体によって別の目的に流用されたことが強く批判されています。
デボラ・リップシュタットもこの本に登場し、筆者によればリップシュタットの本は、実際にはそれほど力を持っていた訳ではない現在の反ユダヤ論者の存在を誇張し、聞いたこともないような反ユダヤ論者をリストアップしたとしています。また、リップシュタットの裁判の相手であるアーヴィングについては、ヒットラーの賛美者で大きな問題がある学者であることは認めつつも、アーヴィングが第二次世界大戦の事実で新しいものをいくつか発見し、それは歴史家によって支持されていることを述べています。
筆者の批判はきわめて辛辣ですが、ユダヤ人が非常に強い力を持つアメリカでは当然支持されず批判を受け、反ユダヤ論者達に力を与えるようなものだ、とされています。しかし、言語学者・政治学者のノーム・チョムスキーはフィンケルスタインを一貫して支持しているとのことです。(念のため、チョムスキー自身もユダヤ人です。)
いわゆる歴史修正主義については、反ユダヤ論者の側だけでなく、ユダヤ人の方からも逆の意味で事実をねじ曲げようとしている動きがあることは、きちんと知っておくべきと思います。また韓国からの執拗な「慰安婦問題」の追及にうんざりしており、さらに解決済みの補償問題を何度も蒸し返されている日本にとっても、ある意味他人事ではない問題です。

吉川英治の「宮本武蔵」(戦前版)(地水の巻)

吉川英治の「宮本武蔵」(戦前版:大日本雄弁会講談社による昭和11年の出版)の全6巻の内の第1巻、「地水の巻」を読了。「戦前版」とわざわざ書いたのは、1949年に戦後初めてこの作品が復刊された時に、GHQの検閲を恐れて多くの箇所が削除されているからです。この作品の「戦後版」は既に中学生の時に読んでいるので、今回読み直している理由は「戦前版」の実態を知りたいということです。しかし、この「地水の巻」を読んだ限りでは、検閲で削除されそうな箇所はほとんど発見出来ませんでした。ちなみに「戦後版」は、吉川英治の著作権は既に切れているため青空文庫で簡単にチェック可能です。
最初に読んだ時も、この作品に夢中になった、という記憶はないのですが、今回もやはりそうでした。正直な所、本位田家のお杉婆さんみたいなキャラは私は苦手です。また、武蔵の最初の弟子として城太郎という少年が出てきますが、これが自作の歌を歌ったりして、「大菩薩峠」の清澄の茂太郎とそっくりです。またこの作品で「求道者」としての武蔵、「名人」としての武蔵のイメージが確立しますが、どちらも吉川英治のある意味創作で、歴史的実態からは遠い所にあります。吉川英治の作品では「鳴門秘帖」みたいな作品の方がずっと好きです。

小熊英二の「単一民族神話の起源 <日本人>の自画像の系譜」

小熊英二の「単一民族神話の起源 <日本人>の自画像の系譜」を読了。この本も「移民」問題への意識から購入したものですが、それ以上に学生の時から「日本人は単一民族」という説に嘘くささを強く感じていたというのがあります。この本を読む前は「単一民族」神話は、戦前の大日本帝国の時代に主流だった考え方だと思っていたのですが(著者も最初そう思って研究を始めたそうです)、実は戦前は「混合民族国家」説が主流で、教科書にすらそう記載してあったそうです。つまり戦前は台湾と朝鮮が日本の一部であり、「混合民族国家」というのはその事実を解釈する上で都合が良かったということです。戦前から「単一民族」思想を持っていたのが、津田左右吉、和辻哲郎、高群逸枝らで、更に人類学の長谷部言人らが加わり、戦後になって多民族状態が解消し、軍事的だった戦前への反動で「平和な単一民族国家」という幻想が強化され、それがピークに達したのが何と1960年代だったということに、大変驚きました。
私が日本が「単一民族ではない」と思っている根拠は、アイヌの存在なんかよりも、弥生時代前期の土井ヶ浜遺跡(現在山口県下関市)で発見された人骨が、それまでの縄文時代の人とは明らかに顔つきや背の高さが異なる、ということです。つまりここで明らかに朝鮮半島か大陸からか分かりませんが、それまでの人とは異なる人種が入ってきて、その後混合が起きている事実です。
通して読んだ感想として、この本に登場するすべての知識人が「非科学的」だということです。はっきり言って日本人の起源も日本語の起源も未だに解明されていませんが、それをいいことに多くの人がきわめて勝手な空想で奇妙としかいいようのないストーリーを作り上げていきます。その中でも罪が重いのが長谷部言人で、部分的には科学的な人類学の知見をある意味悪用し、「明石原人」は旧石器時代の日本人の祖先だ、みたいな嘘を作り出していきました。
後、金沢庄三郎の「日鮮同祖論」が登場します。この論は、日本の朝鮮併合に都合の良い論理として悪用されたので有名です。私は「日鮮同祖論」自体は信じていませんが、弥生時代から古墳時代にかけて、九州と朝鮮半島に活発な人の行き来があったことは否定できない事実だと思っています。以前、九州の「原」を「はる」「ばる」という地名の起源を調べた時にそう強く思いました。その時に金沢庄三郎の本を参照しました。部分的に評価すべき事が多く含まれているにも関わらず、戦後は金沢庄三郎の主張はタブー扱いされて、まったくまともに研究されることはありません。また朝鮮-韓国側ではご承知の通り「反日」史観で凝り固まっていますから、こちらからも客観的な研究が出てくる可能性は薄いです。
通して読んで、個々の先人の主張について、突っ込みが浅くて散漫な印象を受けますが、全体的には極めて刺激的な本でした。学生時代に社会学から始まって、文化人類学、日本民俗学、考古学、朝鮮民族誌みたいな学問をつまみ食いしていた私には坪井正五郎や鳥居龍蔵といった名前はとても懐かしかったです。

茨木竹二の「「倫理」論文の解釈問題 -M.ヴェーバーの方法適用論も顧慮して-」

茨木竹二の「「倫理」論文の解釈問題 -M.ヴェーバーの方法適用論も顧慮して-」を一部読了。この本は2008年12月に出版された、これまた「証文の出し遅れ」の羽入批判本。ちなみに「日本マックス・ウェーバー論争」が出版されたのが2008年8月、羽入の反論本「学問とは何か」が2008年7月の出版。ちなみに、「日本マックス・ウェーバー論争」に収録されている私の論考「羽入式疑似文献学の解剖」の最終版を私のHPで公開したのは2007年7月で、「論争」や「何か」の1年以上前です。

この作者の文章はきわめて読みにくいので、取り敢えず私が「解剖」で取り上げた英訳聖書関係の記述を確認しました。結果ですが、

(1)先行研究である私の論考をまったく無視し何の言及もしていません。「折原が調べたところ」と言及されている英訳聖書関係の研究は多くはまず私が研究し、その結果を折原先生が再確認された、というのが流れです。従って私の研究に言及しないのは不当です。私だけでなく、文献リストに沢崎賢造の「キリスト教経済思想史研究」が挙げられていますが、この本に羽入と同様の主張が出ていることを初めて指摘した上田悟司氏の名前もどこにも出てきません。

(2)(1)にも関わらず、私の論考の結論の一つである「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」が「主にChristopher Barkerという「エリザベス女王御用達」印刷業者が出版した、「ジュネーブ聖書ベースの」英訳聖書(複数)が正しいと思われるのだが。」という結論をある意味そのまま使っています。しかし、後述しますが氏の英訳聖書に関する知見はきわめて不足しており、自力でこの結論に想到するというのはほとんど考えられません。私の結論だけ借用し、自分で考えたような体裁を付けていると判断しました。しかもその論証はまったく論証になっておらず、羽入と同じく一種のプロパガンダのようなものです。

P.262から263辺りの「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」についての議論は、ほとんど論拠不明のデタラメであり、ある意味では羽入以下です。羽入も私も基礎的な研究資料として、”A. S. Herbert, Historical catalogue of printed editions of the english bible 1525 – 1961, revised and expanded from the edition of T. H. Darlow and H. F. Moule, 1903, LONDON The British and Foreign Bible Society, NEW YORK, The American Bible Society,1968 “(以下Herbert本と略記)という歴史的英語聖書のカタログに準拠した上で議論をしています。(付け加えておけば、羽入が当初使用していたのは、この書籍の1903年の最初の版です。私が1968年の改訂版を参照していることで改訂版の存在に気がついてあわてて取り寄せたものです。)

まず、私は結論を「主にChristopher Barkerという「エリザベス女王御用達」印刷業者が出版した、「ジュネーブ聖書ベースの」英訳聖書(複数)が正しいと思われるのだが。」と書いており、決して断定しておりません。要するに色々な可能性を検討していった中で、一番明証的だと思われるのがこの「仮説」であり、決して最終決定とはしていません。折原先生はこの部分を「エリザベス女王の私家版聖書のようなものがあったのではないか」としており、個人的にはイギリスで見つかっていないそのような特殊な聖書をヴェーバーが何故参照出来たのか、という疑問があるため可能性は低いと思っています。しかし、絶対に無いと現時点で言い切ることは不可能です。現在まで残されているヴェーバーの蔵書の中にそうした英訳聖書があればはっきりした証拠になりますが、それは既に「解剖」の中の注釈で報告済みで、引用すれば「2006年11月に商用でミュンヘンを訪れた際に、バイエルン科学アカデミーに残されているヴェーバーの蔵書を調査した。同アカデミーのEdith Hanke博士からいただいたリストでは、その数はわずか99種に過ぎず、英訳聖書どころか、ドイツ語の聖書も含まれていなかった。Hanke博士によれば、ヴェーバーの蔵書は、ヴェーバーの引っ越しの際や没後に整理・売却されており、ここに残されているのはごく一部に過ぎないということであった。」ということであり、残念ながら証明することは出来ていません。

それから、私は「「ジュネーブ聖書ベースの」英訳聖書(複数)」と書きましたが、そこに単なる版を重ねただけのものは基本的に含めていません。そういうものを全部入れると、1611年の欽定版の出版までに120以上もの版が存在しています。それは今日「新共同訳」が色んなサイズで出ているのと同じで、テキストが同じものを別の聖書と扱うことは出来ません。私は、基本的に
①1557年の新約聖書
②1560年の新約・旧約聖書
③1576年初版のトムソン改訂の新約聖書
④ ③と②の旧約の組み合わせ聖書
⑤ ④のトムソン改訂の新約の黙示録への注釈をJuniusが改訂したもの
のように、テキストに明らかにかなりの差があるものを複数に数えるべき別の聖書として扱っています。それからさらにジュネーブ聖書でありながら、外箱に「クランマー聖書」と書いてあるようなきわめて変則的なものも確かに存在していましたから、そういうものも「複数」の可能性としてカウントします。

茨木氏は羽入が写真を挙げている1575年のジュネーブ聖書(ロンドンでの初出版)を何故か特別視しますが、これはHerbert本では#141で、1560年のジュネーブ聖書そのもの(但しごくわずかの単語の変更があることがHerbert本では指摘されている)でしかありません。それから、1606年版がその1575年のものと同じであると、標題と副題、そしてコリントⅠ7, 20のテキスト確認だけで何故か断定しています。Herbert本によれば、1606年には4種類の英訳聖書が出ており、内1つが上記の⑤、2番目が②、3番目が②ですがページ欠落、4番目は主教聖書です。ジュネーブ聖書でも欠落本を除いて2種類ありますが、どちらであるかの確認もありません。仮に②だとしても、Herbert本はこの版の底本を1586年の#190としており、1575年版#141から派生したものではありません。

それよりもっと不可解なのは、その1606年版(詳細不明)をヴェーバーによって「宮廷用達の諸聖書」と見られたのかもしれない、と述べていることです。いうまでもなくエリザベス女王の治世は1603年で終わっていますから、1606年版が「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」であることはありえません。また氏はこの聖書が「宮廷聖書」と呼ばれる根拠をPrinters to the Kings以下の出版社の記載を「おそれ多くも畏こき国王陛下の御用達の印刷所」(「女王」ではなく「国王」なのだから、これがエリザベス朝のものでないことは明白なのですが)と、意味不明の意訳を行います。(国王から聖書印刷の独占権を与えられた出版社というだけの意味に過ぎません。)Christopher Barkerがジェームズ1世に「ジュネーブ聖書の御用達出版社」として尊重された、というのであれば大笑いとしか言いようがありません。ジェームズ1世は1604年のハンプトンコート宗教会議でいわゆる欽定聖書の作成を決定しています。それを急いだ理由は彼がジュネーブ聖書が嫌いだったのが一番大きな理由(ジュネーブ聖書の注釈に王権をないがしろにするようなものがあったためと言われています)です。またBarkerに聖書の出版権を与えたのはエリザベス女王であり、既に以前私が論考で述べたように、Barkerがピューリタン同士のつながりでウォルシンガムと強いコネを持っていたからです。

また、1557年のジュネーブ新訳聖書で、コリントⅠ7, 20が”state”と訳されているのを、「「身分」としてかなり「世俗的意味」で、且つ「職業」に近い語義に訳されてきた」とまったく意味不明の記述を行います。言うまでもなく”state”という単語に「職業」に近い意味などなく、「状態」という意味以外ではあり得ません。(「奴隷」の状態、「結婚している」状態、など)仮に「職業」的意味が含まれているとしても、それをどうやって1557年版のテキストだけで判断できるのでしょうか。現在の学術的監修のしっかりした聖書訳でも、私が「解剖」の注釈で「たとえば、”The New Jerusalem Bible”(英語版)では、”Everyone should stay in whatever state he was in when he was called.” (以下略)」と記載したように”state”が使われているものがあります。作者はこれら現代の聖書においても「職業的意味が含まれている」と主張するのでしょうか。

P.264の冒頭に書いてあるエリザベス女王がカルヴァン派とカトリックの両方に対して働きかけて訳語”vocation”が使われるようにした、と述べているのもまったく意味不明です。しかもカトリックのランス新約聖書は名前が示す通り、フランスのランスで翻訳されており、それに対してエリザベス女王がどうやって影響力を行使できるのでしょうか。ヴェーバーが指摘しているのは、一直線に”calling”に収束したのではなく、揺り戻しがあった、と言っているようにしか私は読めません。

私は、羽入の研究に対して、「(たまたま入手した)1次資料に捕らわれたり、単一の文献の記述に影響されて広く文献を漁っていない」と批判しましたが、残念ながら茨木氏の研究にも同様の傾向が見られます。(たまたま手に入れた1606年版聖書に過剰に捕らわれている。)また、この部分の結論については、珍しくも羽入が私の結論(仮説)が寺澤芳雄先生(羽入が英訳聖書の関して教えを請うている先生)が私と同じ推論をしている、ということで正しいと認めています。つまり既に論争としては決着済みなのであり、それを私の論考よりもはるかに劣るレベルで蒸し返して読者を混乱に導かないで欲しいと思います。正直な所、残りの部分を読む気を無くしました。また茨木氏が私の論考を含め、これまでの論争の経過を熟知しておらずあまつさえそれを無視するのであれば、氏に論争を総括する資格などまるでありません。また先行研究を尊重しない態度を見る限り、引用ルールの厳格な適用の呼びかけなども、いわば「説教強盗」のような議論と考えます。

今の中学の「技術・家庭」の教科書

先日のAEONのレッスンで「学校で家の修理みたいな技術を教えるべきか」というお題があって、そんなの日本では既にやっているよ、と思いました。で、今もちゃんと技術の授業が行われているか確認したくて、Amazonで中古の技術の教科書を入手しました。内容としては、私たちの頃と同じような木工とか金属加工の比率は1/4になり、残りが「エネルギー変換(電気)」、「生物育成(ガーデニング)」、「情報(コンピューター)」になっていました。今はコンピューターは技術の授業で教えられるんですね。電気の所でスイッチが出てきたので見てみたら、一つは明らかに誤り。端子が3本のスイッチを「3極のスイッチ」と説明してありますが、これは大きな間違い。単なるON-ONの切り換え用スイッチです。(2投式のスイッチ)もう一つはモーターの正逆回転切り換えで、何故かスイッチを3つも使っています。これはON-OFF-ONのスイッチを使えば1つのスイッチで済んでしまいますけど。

出井康博の「ルポ ニッポン絶望工場」

出井康博の「ルポ ニッポン絶望工場」を読了。移民に関する本の6冊目。この本は長年の取材により書かれた良書です。この筆者は日本が巨大なブラック企業と化して、留学生と技能実習生を食い物にしている実態を的確に暴き出します。この筆者によれば、今仮に日本が移民の受け入れの方針に転換したとしても、既に遅く質の高い移民が日本に喜んでやってくることなどあり得ず、日本人が日本が良かった時代の感覚が抜けていない「上から目線」の議論だとばっさり斬り捨てます。また留学生達の悲惨な労働状況を大新聞が何故取り上げないかの理由が震撼させるもので、要は新聞の宅配がいまやそうした留学生の違法な労働(留学生の労働は週28時間までに制限されていますが、実質的にまったく守られていません)に支えられているから、ということです。
ともかく、留学生も技能実習生も、建前と本音の解離がひどすぎ、日本の最悪な所が実に良く出ています。中国からの出稼ぎは中国での平均賃金が上がると激減し、外国人介護士の受け入れはまったく機能しておらず、かつて多数いた日系ブラジル人の日本への定住はほとんど実現せず、この筆者は本当に使い捨てられたのは日本そのものではないかと指摘します。日本の未来というのは本当に暗いです。

茨木竹二の「『倫理』論文解釈の倫理問題」(特に『マックス・ヴェーバーの犯罪』における”不正行為”をめぐって)

茨木竹二の「「倫理」論文解釈の倫理問題」を読了。
副題が「特に『マックス・ヴェーバーの犯罪』における”不正行為”をめぐって」になっていることから分かるように、羽入辰郎の「マックス・ヴェーバーの犯罪」についての批判がメインですが、それだけではありません。
筆者は、いわゆる「羽入-折原論争」とそれに関連した「日本マックス・ウェーバー論争」の議論について、論争が尻すぼみに終わったと考えており、それを「総括」するつもりでこの本に書いてある諸論文を書いたようです。
まず、「日本マックス・ウェーバー論争」への執筆者の一人として、何故「論争」が止まったかについて言及しておきます。基本的には「論争」と前後して出版された羽入辰郎の「学問とは何か―『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後」という反論本が、学問として許される範囲の叙述を大きく超えた、非常に奇妙なデマゴギーの固まりであることが明らかな本であり、おそらくはこれを読んだ多くの人が、「もはやこの人は学者とは言えない」という感じを抱き、これ以上同氏の批判を続けることは学問としてまったく無意味と判断したであろうことが挙げられます。これは別に論争に参加したメンバーに直接確認した訳ではありませんが、おそらく大きくは外れていないと思います。
そういう状況にこの茨木氏の本が登場する訳ですが、同氏の論考は北海道大学の橋本努氏が開設した「羽入-折原論争」のHPの最後期に一度だけ、単なる「書誌情報」として紹介されていました。それは氏の在職する大学の研究紀要であり、一般には入手困難でまたインターネットで公開もされていなかったため、私は中身を見ていません。そうした氏が、何故今頃になって、「証文の出し遅れ」のような論考を発表したのかが、私は理解に苦しみます。氏は論争の総括が必要だと思った、と書いていますが、私が今回の論考を通読した限り、「総括」と呼べるようなまとめ的な内容はまったくありません。それ所か、私の論考を含む「先行する批判」に対しても、ほとんどといっていいほど言及がありません。(折原浩氏の論考・著作は除く。)

たとえば、この本では、ウェーバーのBerufという語の解釈について、グリムのドイツ語辞書での語義の言及がされます。しかし、ウェーバーがグリムのドイツ語辞書を参照しているのではないかという指摘は、既に私の論考の注釈に記載してあります。これに対して「終章」というまとめの中で矢野善郎氏が、ドイツででのマックス・ウェーバー全集の編集の際に、このグリム版辞典への参照の可能性などは、是非とも取り込まれるべき、と評価してくれています。以下、原文を引用します。

(引用開始)
 グリムのドイツ語大辞典(CD-ROM版)で、”Beruf”と”Ruf”を調べてみた。このドイツ語大辞典が最終的に完成したのは、本文中に記述した通り1961年のことであるが、”Beruf”の項は1853年にJ. Grimm、”Ruf”の項は1891年にM. Heyneにより編集されており、ヴェーバーが倫理論文を書く前の編集である。ヴェーバーがグリム大辞典(の当時出版されていた分冊)を参照したかどうかは倫理論文中には記載されていないが、OEDの前身のNEDをあれだけ参照しているヴェーバーがグリム大辞典を参照しなかったということは想定しにくい。

 “Beruf”の項では、2つの語義が書かれている。1つめはラテン語のfamaにあたる、「名声・評判」という意味である。2番目の語義が、ラテン語のvocatioに相当し(ドイツ語ではさらに新たな意味が付与された)、いわゆる「天職」である。ここでグリム大辞典は、この意味での語源の一つを、”bleibe in gottes wort und übe dich drinnen und beharre in deinem beruf. Sir. 11, 21; vertraue du gott und bleibe in deinem beruf. 11, 23” 、つまりヴェーバーと一致して「ベン・シラの書(集会の書)」としている。

 これに対し、”Ruf”の項では、「過渡的な用法」として、「(内面的な使命としての)職業」を挙げている。また、「外面的な意味での職業」、つまり召命的な意味を含まない職業の意味ではほとんど用いられたことがなかったと説明されている。さらにはルター自身の用例が挙げられている:” und ist zu wissen, das dis wörtlin, ruff, hie (1 Cor. 7, 20) nicht heisze den stand, darinnen jemand beruffen wird, wie man sagt, der ehestand ist dein ruff, der priesterstand ist dein ruff. LUTHER 2, 314a” このルターの章句がどのような文脈で使われたものなのか、残念ながらまだ突き止められていない。しかしながら、ルター自身が、コリントI 7.20のこの部分を、今日のほぼすべての学術的聖書が採用する「状態」(Stand)の意味ではない、と明言しているのは非常に興味深い。

 コリントI 7.20の翻訳にあたって、ルターは羽入が指摘したように、生前の翻訳においては、”ruff”または”Ruf”を使用し、”Beruf”とはしていない。このことの理由は、ヴェーバーが倫理論文で述べているように、古いドイツ語訳の訳語を尊重しただけなのかどうかはわからない。しかしながら、グリム大辞典にあるように、”Ruf”(”ruff”)は過渡的に使用され、最終的には”Beruf”に収斂している。この場合、ルターがコリントI 7.20を一貫してたとえば”Stand”とし、ルターの死後、ルターのあずかり知らないところでそれが”Beruf”に改訂されたのなら、確かにヴェーバーの議論は成立しない。しかしながら、”Ruf ”(”ruff”)にせよ、”Beruf”にせよ、元々は動詞であるrufen、berufenからの派生語であり、そのどちらにも今日のような「世俗的職業」という意味はまったく含まれていなかったのである。「神の召し」という意味に、世俗的職業という意味を含有させる可能性がある章句は、新約聖書全体では、このコリントI 7.20以外はありえないであろう。(コンコルダンスの「召す」の項目を参照。)その意味で、コリントI 7.20が「架橋句」であると解釈される。

 このコリントI 7.20で橋渡しされた「召し」と「世俗的職業」という意味が、ベン・シラにおいて、翻訳者のある意味「意訳」によって、通常ならArbeitやGeschäftと訳されるべきものがBerufと訳され、ここに「翻訳者による新たな語義創造」は完成するとヴェーバーは述べている。この「ベン・シラの書(集会の書)」は、旧約聖書外典に含まれ、いわば「処世訓」的な性格のものである。ルターは、外典を含む聖書の全体をすべて同格にはけっして扱っていない。正典に含まれる「ヨハネ黙示録」や「ヤコブの手紙」を自分の教義とは違うからという理由で排除しようとしたのは有名である。その意味で、ベン・シラにおいて比較的「自由な」翻訳が行われたとしても、決して不思議ではない。
 また、この「ベン・シラの書」の翻訳者がルターかメランヒトンなどの他の人間か、という議論も些末にすぎよう。ヴェーバーは「翻訳者の精神」の翻訳者を複数形にしており、「ルター」と書いてあっても、それは「ルターが中心になっていた聖書の翻訳グループ」と解釈すべきであろう。
 なお、この問題について、改めて整理して詳論する機会もあるかもしれないが、当論考においては、脚注にとどめておくことにしたい。
(引用終了)

私はここで、グリムの辞典に出てくる用例で、「ルター自身が、コリントI 7.20のこの部分を、今日のほぼすべての学術的聖書が採用する「状態」(Stand)の意味ではない、と明言している」という、ある意味非常に重要な指摘をしています。これについては、どのような文脈でいつ言われたのかを調べることが、ルターがどのようにこの部分を「状態」から「職業」に解釈替えしたのかということを明らかにすることになります。残念ながら、その後ルター全集を個人で買うことも、図書館で調べることも私は出来ていません。(インターネット上に全文がなく、検索で発見することも出来ていません。)折角またウェーバ-のグリム辞典への参照を指摘するのであれば、こうした点についても調べて欲しかったです。少なくとも「総括」という言葉を使うのであれば。

羽入批判として見た場合、その多くの部分が羽入の文献の引用の仕方についてであり、羽入が著作権法や文科省から出ているガイドラインで規定されている引用のルールを無視し、かなり恣意的な引用操作が行われていることを明らかにしています。このこと自体は重要な指摘で、羽入批判として十分な価値があることを認めるのは何らやぶさかではありません。しかしながら、羽入以外に中野敏男氏への批判としても使われているこの引用のルールですが、何か「引用ルールパリサイ人」のような、あまりにも窮屈なルールの主張のように思えることも事実です。私見ですが、著作権法が定める引用の制限は、ある意味自由な学問の発展にとってはそれを阻害するものでもあり、あまりにも厳格なルールの主唱は、今後論文を書いていく若手研究者にとっての足枷になるのではないかと懸念せざるを得ません。もちろん恣意的な引用操作は言語道断ですが、少なくとも文献表で該当文献が別途確認可能である限りにおいては、「パリサイ人」的なルール化は私は望ましくないと思います。

そのことと関連しますが、中野敏男氏への批判として、”Gewiss…, Aber”(なるほど…だが、だがしかし…)の解釈を巡っての、実に長大な批判が展開されます。まず批判の最大の根拠は、”Gewiss”と”Aber”の登場位置が離れすぎているということですが、この点はごもっとも、と思いつつも、ウェーバーの場合、最初に書いた文章に付け足していってどんどん増えていって、最初は近接していた2つの語が、最終的には遠く離れてしまった、という可能性も否定できません。実際に「経済と社会」の解読を、中野氏と一緒に行った経験がありますが、そういうケースは常に考慮していたと記憶しています。それもあって、きわめて長大な(正直な所くどいとしか言いようがない)説明にもかかわらず、私は中野敏男氏の解釈がまったくの誤りだという風には思えません。茨木氏は”:”をd.h.の代わりだとしますが、それ自体は間違いではないにせよ、GewissやAberの後にいきなり”:”が来るのはある意味異常な用法であり、遠く離れていてもその2つを関連付けて読もうとするのがまったくの間違いだと断定する気にはなれません。

後、情報として良かったのは、シュルフター教授が羽入の「ルター聖書はBerufではなくruff」という指摘を、あっさり否定して片付けているということがわかったことです。私は2004年9月20日にハイデルベルク大学を訪問してそこでシュルフター教授に面会し、羽入事件について報告しています。その時のシュルフター教授からの回答として「もうすぐ詳細な注釈付きのウェーバー全集が出るので、そこでそうしたことも論じられる」というお言葉をいただきましたが、それがきちんと実現していることがわかって嬉しく思いました。

更に、些末な指摘ではありますが、氏が引用について、””を「証明引用」、「」を「参照引用」として使い分けているのに、かなり面喰いました。本文についてはあらかじめ「凡例」で解説してあるので良しとしても、それがタイトル(副題)にまで説明なしで使われているのはどうかと思いました。また、Idealtypusの日本語訳について、「理想型」と「理念型」という2種類の訳語を混在させているのも理解に苦しみました。おそらく氏の別の論考に詳述されているのかもしれませんが、この論考だけを読む読者には何のことかわかりません。また「非難/批難」のような意味不明な表記ゆれや、「意外」を「以外」とする誤変換の放置(P.340)、私から言わせれば「老人語」である「如上の」という表現の過剰な使用、など日本語理解で苦労することが多くありました。ご自身で書いておられるように論旨が錯綜した上に冗長で、もう1回読みたくない文章と言わざるを得ません。

それからグリム辞典の「ベン・シラ」の引用の章句番号が間違っているのではないかということで、「ママ!」のような実に「耳目聳動的」な表現が用いられています。羽入がOEDを間違っていると断定したのと同じ匂いを感じざるを得ません。私はむしろ、聖書の章節分けが1551年のエチエンヌのギリシア語テキストから始まったもので、ルター聖書はルター自身による最後の校正は1545年なので、この時には章節番号自体が存在していない、ということを指摘させていただきます。またベン・シラという「旧約聖書続篇」であることも考慮すると、むしろルター死後のルター聖書に章節番号が付けられた時に、何かのミスか混乱で今日のものとは違う番号がついてしまったことも考えられ、単純に辞書の誤りとするには即断が過ぎると思います。

最後に、羽入書の悪影響で、社会学会でここ数年ウェーバーに関する研究発表をする若手がいなくなったということが指摘されていますが、私に言わせれば羽入ごときの指摘でびびってしまうような者はそもそもウェーバーについて研究することなど不可能だと思います。ある意味丁度いいフィルターなのではないでしょうか。

羽入辰郎の「引用」の例

今、茨木竹二という人の「「倫理」論文解釈の倫理問題」という本を読んでいます。この中で茨木氏は羽入辰郎という学者を装ったデマゴーグの引用の仕方が著作権法や文科省によるガイドラインの内容を無視したもので、恣意的な引用操作に満ちていることを明らかにしています。

羽入の引用については、もっと面白い例があるので紹介しておきます。

羽入辰郎のマックス・ウェーバー本の中でも最低のトンデモ本に「マックス・ヴェーバーの哀しみ―一生を母親に貪り喰われた男」というのがあります。
マックス・ウェーバーについて根拠もない罵詈讒謗を尽くした本ですが、笑ってしまうのが、冒頭に「マックス・ウェーバーの業績」についての言及があり、それが何とWikipediaのマックス・ウェーバーの項の中身のコピペです。博士号までもらった学者で一応ウェーバーの研究者でありながら、自分でウェーバーの業績をまとめて書くことができない訳です。

もっと笑ってしまうのが、そのWikipediaの文章を書いたのが、他ならぬこの私だということです。証拠を貼っておきます。2006年9月23日(土)の15:51に書き込んだものです。
「58.1.251.8」が書き込み主になっていますが、ブラウザでこのIPアドレスを入れていただければ分かりますが、これは私のHPの固定IPアドレスです。

河野臨・小松英樹・一力遼の「アルファ碁は何を考えていたのか?」

河野臨・小松英樹・一力遼の「アルファ碁は何を考えていたのか?」を読了。アルファ碁に関する本も実に8冊目です。この本ではアルファ碁対人間棋士の対局が6局、アルファ碁同士の対局が3局、そしてZenの対局が2局取り上げられています。小松英樹9段がその11局の中のある局面を取り上げて、問題とし、小松英樹9段、河野臨9段、一力遼8段がそれぞれどう打ってどうその後の局面を構想していくかを解説したものです。実際それぞれの説明を見ると、プロであればほとんど考えることが一致しているというのが分かり、「次の一手」もかなりの確率で一致している場合が多いです。このことは、AI碁の登場で、今まで人間が作り上げてきた棋理が否定された訳ではなく、AI碁の打ち方はむしろ人間が盲点となっている所を教えてくれた、という風に思えます。ただ、一力8段は、アルファ碁が星に対していきなり三々に入る打ち方を「自分は絶対に打たない」と書いていますが、先日のNHK杯戦の対本木克弥8段戦の碁で確か打っていたんじゃあ…
人間より強いAI碁の登場は、個人的な感想では、棋聖道策による手割りなどを使った棋理の確立、そして木谷実9段と呉清源9段による新布石の提唱、に続く第3の囲碁革命であると思います。今後もプロ棋士によるAI碁研究は続き、その中から新しい打ち方が出てくることを大いに期待しています。

デボラ・リップシュタットの「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」

デボラ・リップシュタットの「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」を読了。丁度この本が映画になって日本でも公開されているので、それに合わせて出版されたものと思います。リップシュタットはアメリカ在住のユダヤ人でユダヤ人の迫害史の専門家。リップシュタットがイギリスの歴史家のアーヴィングをその著作の中で「反ユダヤ主義者、ホロコースト否定論者」として厳しく非難したことに対し、アーヴィングがリップシュタットを名誉毀損で訴えます。イギリスでは名誉毀損の裁判は原告側ではなく被告側に立証責任があることになっており、アーヴィングはおそらくそんな面倒なことはせずリップシュタットが和解をもちかけ、その著作の表現を取り下げるだろうと思って告訴したのでしょうが、リップシュタットは全面的に戦うことを決意します。その裁判費用に日本円で2億円近い費用が必要でしたが、色々なアメリカのユダヤ人の団体が彼女に対し全面的な資金援助を申し出ます。この辺りさすがユダヤ人という感じで、他の学者だったらまず諦めてしまうのではないでしょうか。援助を受けたお金で、最高のリーガルチームを結成し、アーヴィングの著作とその主張を徹底的に調べ上げて裁判に臨みます。裁判の内容は対等な闘いというよりも、アーヴィングの主張の杜撰さや意図的な歴史の事実の書き換えや脚色が30以上も明らかにされていきます。そういう訳で途中で既に判決の結果は予想でき、その予想通りの結末となりますが、個人的にはメデタシ、メデタシとはいかないような後味も強くありました。

1.ちょっと調べれば分かるようなアーヴィングの悪質な資料操作にも関わらず、イギリスの歴史家の多くがアーヴィングの研究を高く評価した。

2.日本の裁判所でこの内容が争われたら、「高度な学問的な判断は司法にはなじまない」とか言って逃げてしまうんではないか、という懸念が湧きました。

3.過去に私も深く関わった「羽入辰郎事件」との類似性が嫌でも想起されました。ちょっと調べれば分かるような羽入本の誤謬にも関わらず、かなりの数の学者が羽入本を褒め称えました。

4.アーヴィングがヒトラー擁護、ホロコースト否定の姿勢を強めていくのは、ドイツの中でネオナチ勢力が台頭していくのと同時です。ご承知の通り、2017年の総選挙で極右政党「ドイツのための選択肢」が94議席も獲得しました。

5.アウシュビッツ他のホロコーストを否定する気は毛頭ありませんが、現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることはまったくもって容認できません。また、ホロコーストの生存者であるユダヤ人による「ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち」(ノーマン・G. フィンケルスタイン著)という本が出ていることも知っておくべきと思います。

なお、読んだのは山本やよいによる日本語訳ですが、翻訳自体はまったく問題なく読みやすかったです。ただ、ドイツ語のカタカナ表記にいくつか違和感があった(ausをアオス、ichをイヒ、小文字にすべき拗音を大文字にしているなど)のと、Ausrottung(絶滅、根絶やし)という裁判の中でもその解釈が争われた単語のスペルが間違っている(Austrottungになっている)など、翻訳者のドイツ語の知識はほとんどないと思いました。