獅子文六の「悦ちゃん」

獅子文六の「悦ちゃん」を何十年か振りに再読しました。子供の時、偕成社の「ジュニア版日本文学名作選」に入ってたのを読んで愛読書でした。この歳になって読み直して、まったく古くなっていない内容に改めて驚きました。文体なんか今でも十分通用しそうですし、「ン」を多用する悦ちゃんの話しぶりもいいです。良く出来た落語の人情噺のように、思わずほろり、とさせられるお話しです。色々あって二人だけで暮らし始めた悦ちゃんとお姉さんの鏡子さんですが、様々な仕事を探しても見つからない鏡子さんがとうとう女給になろうと決意しますが、悦ちゃんは友達に相談して、夕刊売りの仕事を見つけます。そうして悦ちゃんはお金を稼ぐようになりますが、ある日冷たい雨の中を無理して新聞売りを続けていた悦ちゃんが、重い風邪を引いてしまいます。鏡子さんは、冬の水道水でタオルを濡らして、一晩中悦ちゃんの頭を冷やし続け、手は凍傷で真っ赤になってしまいます。ここが読者を一番ハラハラさせる所ですが、その後、クリスマスの教会のチャリティで代役で歌った悦ちゃんが、レコード会社の楽団長に見いだされ、「日本テンプルちゃん」として売り出して、大人気を博します。そんな悦ちゃんが、初めてのラジオ出演で起こした「放送事故」とは…
獅子文六は、今ではあまり騒がれることもなくなりましたが、生前は大変人気があった人で、新聞社は競って彼の小説を連載しましたし、NHKの朝の連続ドラマの第1回は、獅子文六の「娘と私」です。(この「娘」は悦ちゃんのモデルです。)昔、「てんやわんや」(何と四国独立計画を巡る騒ぎを描いた作品です。獅子文六は四国の宇和島に2年住んでいました。)や「自由学校」といった作品も読んでそちらも好きですが、やはり一番いいのはこの「悦ちゃん」です。
なお、作品中に「帝響楽団」のポーランド人指揮者P、というのが出てきますが、これはNHK交響楽団の前身の新響を指揮した、ローゼンストックのことでしょうね。

読売新聞社の「激闘譜 第二期棋聖決定七番勝負 藤沢秀行 VS 加藤正夫」

読売新聞社の「激闘譜 第二期棋聖決定七番勝負 藤沢秀行 VS 加藤正夫」を読了。故藤沢秀行名誉棋聖は、1977年に新たに賞金最高の棋聖戦が創設されると、「初物食いの秀行」と呼ばれた通りに、橋本宇太郎9段を破って第1期の棋聖になります。以下、加藤正夫、石田芳夫、林海峯、大竹英雄、林海峯を破って6連覇を達成し、名誉棋聖となります。その6連覇の中で一番苦戦し、追い込まれたのがこの第2期の加藤正夫戦です。棋聖になる頃、秀行さんは競輪で作った1億円を超える借金で身動きが取れない状態になっており、1回目の棋聖の賞金1700万円(2017年現在は4500万円になっています)でも焼け石に水、で自宅を競売にかけられるような状態でした。また相当のアルコール依存症でしたが、この棋聖戦の対局の時だけは、酒を断って臨み、幻覚に悩まされながらも、しらふで戦い抜きました。しかしそうして臨んだ第2期の棋聖戦も、相手の加藤正夫はこの頃本因坊を3連覇するなど、絶好調であり、第4局を終わった所で藤沢から見て1勝3敗と追い込まれました。第5局が始まる前に、藤沢は負けたら首を吊ろうと、枝振りの良い木を探しながら対局場に来たということです。この第5局で、藤沢は右辺に中国流から発展させた大模様を張ります。白の加藤正夫はこの模様に打ち込んで行きますが、黒の藤沢が打った手は一部の白を取るのではなく、白全体を丸取りする手でした。加藤は「殺し屋」というあだ名があり、相手の大石を殺すのを得意としておりましたが、この時は逆になりました。黒が白を殺すか、白がしのぐかのぎりぎりの攻防が続きましたが、ついに黒は白を全滅させ、藤沢がカド番をしのぎました。この後第6、7局にも藤沢が連勝し、ついに逆転で棋聖を防衛します。
また、この時の7回の対戦では、黒を持った方がいずれも「中国流」という布石を採用する、という珍しい対戦でした。

朝日新聞学芸部編「第20期囲碁名人戦全記録」

朝日新聞学芸部編「第20期囲碁名人戦全記録」を読了。1995年に、名人の小林光一に武宮正樹が挑戦したもの。武宮正樹は、同時代の趙治勲や小林光一には一歩及ばなかった印象があるのですが、しかし一方的に負け続けていた訳ではなく、例えば武宮は十段を三連覇していますが、その相手は趙治勲名誉名人が2回、小林光一名誉名人が1回で、その二人を相手に三連覇です。また1988年、1989年の世界囲碁選手権富士通杯では、1988年には趙治勲名誉名人、小林光一名誉名人の両方、1989年の第2回では小林光一名誉名人が参加していて、武宮は第1回で3回戦で小林光一名誉名人を破って優勝、第2回は趙治勲名誉名人が出場せず小林光一名誉名人は2回戦で敗退、この時も武宮が優勝しています。
ただ、7番勝負になると、武宮がこの二人に負けたケースが多いのですが、その中で光っているのがこの1995年の名人戦で、武宮はそれまで名人を7連覇していた小林光一名誉名人を4勝1敗という一方的なスコアで破って44歳で初めて名人位を獲得しました。この時の武宮の碁は、それまでの宇宙流の一本調子で中央を囲う打ち方が進化してより柔軟になり、必ずしも模様一本槍ではなくなりました。それがこの時の名人戦でよくその特長が発揮されました。またヨセがそれまで以上に正確になり、この名人選の第1局と第2局はどちらも武宮の半目勝ちです。武宮は以前小林の碁を「地下鉄流」、つまり石が下にばかり行く、と揶揄していたのですが、小林相手にあまり結果を出せずにいました。しかし、この時は雪辱しました。

毎日新聞社学芸部編の「第四十五期 本因坊戦七番勝負 決闘譜」

毎日新聞社学芸部編の「第四十五期 本因坊戦七番勝負 決闘譜」を読了。趙治勲名誉名人と小林光一名誉名人の本因坊戦での3年連続の激突の最初の年です。47期→46期→45期と読んできて、読む順番が逆みたいですが、実は出版はこの順番です。何でも毎日新聞社では本因坊戦を本にするのを10年間止めていて、この二人の三年連続の激突に、作家の白川正芳氏が本にならないのは問題だと動き、三一書房がまず47期の本を出し、それが好評だったので46期が出て、それも好評だったので45期が出た、というそういう流れだそうです。
この二人の激闘はいつも面白いですが、この期は特に面白く、大斜ガケや村正の妖刀といった大形定石が出て、それも途中から新型になります。第四局では、趙治勲名誉名人が大斜ガケ定石で、思い切って隅の石を全部捨てて、外側から締め付けるという大胆な打ち方をして成功したのですが、その直後に悪手が出て負けてしまいます。また第五局では、小林光一名誉名人がこの一手で決まり!と左下隅の白の石を取りにいったのが読み間違いで、白が正しい手で受けて勝ちになり、そこでおそらくこのシリーズの流れが決まりました。小林光一名誉名人は3勝1敗まで行ったのですが、その後3連敗して負けてしまいますが、3連敗のきっかけがこの第五局の隅に打った手でした。

毎日新聞社学芸部編の「第四十六期 本因坊戦七番勝負 決闘譜」

毎日新聞社学芸部編の「第四十六期 本因坊戦七番勝負 決闘譜」を読了。小林光一名誉名人と趙治勲名誉名人の本因坊戦での3年連続の激突の2年目です。この時は出だし小林光一名誉名人が2連勝し、その後趙治勲名誉名人が4連勝して防衛しました。二人の碁を比較すると、小林光一名誉名人はある意味自分の型を貫く人で、布石もほぼ決まっています。それがはまると無類の強さを全盛期には発揮しました。趙治勲名誉名人はそれに比較すると柔軟で、色んな打ち方を試しているように思います。この本因坊戦でも、石田芳夫二十四世本因坊に、第一局を「趣味の碁」と酷評されています。また、白番の布石で従来やらなかった二連星を多く試みています。小林光一名誉名人は全盛期はとても強かったですが、現在はかなり衰えたという感じです。それに比較すると趙治勲名誉名人は、全盛期の飛び抜けた強さは小林光一名誉名人に劣るように思いますが、その代わり高位の成績が長続きして、60歳になった今でも、まだ一流棋士の中で十分な活躍をしています。こうした趙治勲名誉名人の息の長さは、この本因坊戦で見られるような柔軟な考え方、色々な打ち方の試行が役に立っているのではないかと思います。

白井喬二の「侍匣」

白井喬二の「侍匣」(さむらいばこ)を読了。白井喬二の作品については、現在入手可能なものはほとんど入手しましたが、日本の古本屋サイトで、目録にあって在庫がないものについて、リクエストを出していますが、その中の一つに商品が入ったというメールがあって、入手したものです。1941年に出版された短篇集で、その内容は、「時鳥」、「感化れ」{かぶれ}、「悔武者」、「胡粉妻」、「竹光」、「手裏剣」、「善政」、「殉死祭」、「写真伝来」、「西南役」、「銀髪」、「阿らず」{おもねらず}、「玉の輿」、「平凡小次郎」、「花刀」になります。実はこれらの作品は戦後の短篇集「時鳥」とかなりの部分同じです。この作品集で初めての作品は、「竹光」「手裏剣」「善政」、「銀髪」、「花刀」の5作品です。「殉死祭」は「時鳥」では「残生記」というタイトルに変わっていますが、同じ作品です。
「侍匣」という変わったタイトルは、様々な侍の生き方を集めた蒐集箱とでもいった意味でしょうか。「時鳥」の作品と同じで、今回読んだ作品も、一ひねりしてあってなかなかユニークな作品です。その中では、手裏剣は斬るものか撃つものかを悩む手裏剣師の話である「手裏剣」がちょっと面白いです。「善政」は奥州白河の城主が善政を敷こうと「目安箱」を設けるのですが、本来の目的にはほどんど活用されません。ただ一通それらしいことを書きかけたものに目を付け、そこに書かれた家来をよく事実を確かめもせず、一種の見せしめに閉門にします。そして後にその家来を許そうとしますが、その使者をその家来が斬ってしまい、不幸な結果に終わるという話です。

毎日新聞社学芸部編の「第四十七期本因坊戦七番勝負 決闘譜」

毎日新聞社学芸部編の「第四十七期本因坊戦七番勝負 決闘譜」を読了。趙治勲名誉名人と、小林光一名誉名人が1992年に本因坊戦で激突したものです。小林光一名誉名人は、正確には名誉棋聖 名誉名人 名誉碁聖の名誉三冠を持っています。棋聖は8期、名人も8期も取っています。しかし、三大タイトルのもう一つである本因坊だけは一度も取っていません。挑戦していない訳ではなく、4回挑戦者になっています。その相手がなんと全て趙治勲名誉名人でした。
最初が第37期(1982年)で、この時は4-2で趙治勲名誉名人が防衛しています。
次は8年後の第45期(1990年)で、この時には小林光一名誉名人が全盛期に入り、名人・棋聖・碁聖の三冠王として本因坊一冠だけの趙治勲名誉名人に挑戦しています。この時趙治勲名誉名人は、1勝3敗から3連勝して防衛するという離れ業を演じています。
次が46期で、2年連続で同一カードです。この時は趙治勲名誉名人は最初2連敗し、そこから4連勝するという、またしても逆転劇を演じて防衛しています。
その次が47期で、何と3年連続の同一カードです。この時はなんと、趙治勲名誉名人が3連敗して、誰もが小林光一名誉名人の大三冠(棋聖・名人・本因坊を同時に取ること)達成だと思ったのですが、そこから趙名誉名人が4連勝し、またしても奇跡の逆転劇を演じます。
このため、小林光一名誉名人はついに大三冠もグランドスラム(七大タイトルをすべて1回以上取ること)も達成できませんでした。これに対し、趙治勲名誉名人は大三冠を2回達成していますし、グランドスラムもやっています。ついでながら、二人の対戦成績は小林名誉名人から見て63勝66敗でほぼ互角です。この本因坊戦で戦っている頃は、むしろ小林名誉名人の方がリードしていました。
趙治勲名誉名人はこれまで3連敗4連勝を3回もやっています。その不屈の闘志に感動するしかないです。

読売新聞社の「第九期 棋聖決定七番勝負」(趙治勲棋聖 対 武宮正樹9段)

読売新聞社の「第九期 棋聖決定七番勝負」を読了。1985年に、武宮正樹9段が趙治勲棋聖に挑戦した時のものです。武宮正樹9段と趙治勲名誉名人の7大タイトルの戦いは、本因坊戦が2回、そしてこの棋聖戦が1回の合計3回です。その全てで趙治勲名誉名人が勝っています。では、武宮宇宙流は趙治勲名誉名人にまったく敵わなかったのかというと、それが違うことを証明するのが、この時の戦いです。結果こそ4勝3敗で趙治勲名誉名人が勝利しましたが、途中2勝1敗、3勝2敗と武宮9段の方が勝ち星が先行していました。内容を見ると、武宮の宇宙流対趙の地に辛い打ち方の両極端が現れた局が多く、特にこの棋譜の第4局が典型です。いくら武宮が宇宙流でも、相手が警戒するためこんな極端な展開にはならないことが多いのですが、この時は違いました。7局を通して、武宮の方がうまく打っており、趙名誉名人が勝ったのは、まさに執念のなせる技というべきだと思います。

野村胡堂の「南海の復讐王」

野村胡堂の「南海の復讐王」を読了。これはもう、野村版の「巌窟王」(モンテ・クリスト伯)です。悪者のため、実の父は食を自ら断って餓死、育ての養父は追い詰められ自害、母親は捕らわれの身になって自害、実の兄は拷問を受け死亡、許嫁は育ての養父の命を救うため、敵の息子の妻になってしまい、という中々すさまじい設定。それで主人公は捕まって孤島の岩牢に入れられ、とこれまた巌窟王と同じ。その岩牢から脱牢し、顔を長崎のオランダ人に変えさせ、琉球に渡り、その後琉球の王かつ琉球の商人に化けて江戸にやってきて、復讐をする話です。米相場で儲けようとする敵に、米を安く江戸に持ち込んで損をさせる、というのは「雪之丞変化」でも出てきました。なかなか読ませる話で、野村胡堂は「銭形平次」だけではないということです。

野村胡堂の「三万両五十三次」(下)

野村胡堂の「三万両五十三次」(下)を読了。東海道を京へと上っていく三万両を運ぶ旅は、その三万両がどこにあるのか、和泉屋のお蝶の花嫁行列の長持ちの中か、それとも馬場蔵人が運ぶ仏像の中か、この謎が解き明かされないまま、話はついに京を目前にした琵琶湖の瀬田まで引っ張られます。このお話に登場する美女4人の内、上巻では影が薄かった小百合は、この巻では比較的多く語られています。そして4人の中で作者が一番思い入れがありそうだった真琴は何と意外な展開が…(1952年にこの作品が映画化されていますが、その配役にこの「真琴」が出てこないのをいぶかしく思っていましたが、下巻を読んである程度納得しました。)
三万両を運ぶ馬場蔵人と、勤王の志士の矢柄城之介、最後はこの二人の知恵比べになりますが、最後に笑ったのは果たしてどちらか…
読み終わってみると、なかなかの快作だったように思います。作者は東海道を自動車で旅して取材するなど、かなりこの作品に対して準備して臨んでいます。
なお、大泥棒の牛若の金五が出てくるのは、なんとクルト・ワイルの「三文オペラ」の影響だそうです。この作者らしいです。