下村悦夫の「悲願千人斬」(上)

下村悦夫の「悲願千人斬」(上)を読了。獅子文六も主なものは大体読んだし、さすがに獅子文六で手に入るものを全部読もうとは思わないので、次に移行。次のステップとしては、平凡社の「現代大衆文学全集」に収められた大衆小説の作家。既に「現代大衆文学全集」そのものも古書店で5冊ほど購入済みです。この「現代大衆文学全集」は白井喬二が編集に携わったもので、第1巻であった白井喬二の「新撰組」が30万部を超える大ヒットとなり、この全集の成功をもたらします。この全集の成功は作品が採用された多くの作家に多額の印税をもたらし、例えば江戸川乱歩はそのお金で家を新築しています。
この「現代大衆文学全集」にも収録されている下村悦夫は和歌山県出身の歌人で、与謝野晶子、北原白秋の指導を得ますが芽が出ず、伝奇小説の作家に転じます。そんな下村悦夫の出世作がこの「悲願千人斬」で、雑誌「キング」の創刊号から連載され、吉川英治の「剣難女難」と人気を二分します。今回読んだ「悲願千人斬」は「現代大衆文学全集」収録のものではなく、講談社の大衆文学館です。物語は、戦国時代の美濃で、斎藤道三に滅ぼされた土岐家の忘れ形見の太郎頼秀を、名僧である白雲上人と、その上人の腹違いの弟である豪傑の土佐青九郎(白雲上人とそっくりという設定)が守って、主家である土岐家の再興を図ろうとするという話です。白雲上人に腹違いでそっくりな弟がいるということは秘密にされており、そっくりなことを利用して、この二人は色々なトリックを駆使します。そこが上巻の読みどころです。

猪浦道夫の「英語冠詞大講座」

猪浦道夫の「英語冠詞大講座」を読了。これで実に4冊目の冠詞に関する本を読了。筆者はイタリア語を専門とするポリグロット(多数の外国語を知っている人)で、その視点からの指摘がなかなか参考になり、例えば、”The dog is an animal.”などと言った、theを使った総称表現は、フランス語の書き言葉の影響なのだそうです。ちょっと本当かなという気もしますが。また、抽象名詞に冠詞をつけないのは、欧州の主要な言語では英語だけなんだとか。これは多分本当でしょうね。この本の説明は本の半分までで、残りは練習問題とその解答・説明です。この練習問題がかなりボリュームあって、冠詞の特訓には最適です。でも正答率は6~7割に留まりました。本当に冠詞は例外が多くて困ります。例えば病気の名前は、(1)無冠詞:命に関わるような重い病気が多い。pneumonia(肺炎)、leukemia(白血病)など。(2)不定冠詞:日常的に何回もかかるものや、症状に近いもの。a cold、a sprain(捻挫)など。(3)定冠詞:the flu(無冠詞も多い)、the hives (じんましん)など。
この本の欠点ですが、ともかく校正レベルが低いことで、全巻を通してかなりの誤りがあります。それも単純な誤植ではなくて、There are three cats. One is white, and the other is black.のようなまったく意味不明な例文が載っています。(最初の文がThere are two cats.ならOK。)

白井喬二の雑誌掲載作品

白井喬二の単行本で入手可能なものは既にすべて購入済みです。まだ残っているのが雑誌に掲載されて単行本になっていないものです。この度そういうものも可能な限り集めてみようと思い、「日本の古本屋」サイトでまとめて検索して発注してみました。日本のこの頃の多くの大衆作家は、完全な著作リストが揃っているのはおそらく吉川英治ぐらいなんじゃないでしょうか。白井喬二は自伝があってそこに年表があるので多少マシですが、それでも抜けている著作が多数あります。

獅子文六(岩田豊雄)の「海軍随筆」

獅子文六(岩田豊雄)の「海軍随筆」を読了。昭和17年に、真珠湾で散った9軍神の内の一人である横山少佐をモデルにした「海軍」を朝日新聞に連載して非常に好評を博したため、その後も朝日新聞に、海軍の各種学校、つまり土浦・霞ヶ浦の航空兵学校、呉の海軍潜水学校や、横須賀の海軍水雷学校を訪問して、そこの見学記をいくつか出しています。これらの一連の著作のため、獅子文六は戦後一度戦犯として「追放」の仮指定を受けてしまいます。獅子文六は「大東亜戦争というものがなければ『海軍』は書かなかった」としていますが、太平洋戦争の緒戦で真珠湾、マレー沖と大きな戦果を上げたことに感激したことが、直接の動機のようです。しかし、「海軍」とこの「海軍随筆」を読んでも、露骨な軍国主義賛美という感じではまったくなく、純心な若者とそれを育てた優れた学校システムに感激しているのが主です。それは、現在の人が、高校野球の名門校が、優れた監督の指導の下で甲子園で活躍するのに感激する、というのとほとんど変わらないように思います。また、獅子文六という人は大衆が望んでいるものを上手く文章とする人であって、それは戦中も戦後も同じだと思います。惜しむらくは、もう少し批判的な目があってもよかったのではないかということですが、戦争中の雰囲気の中で大衆作家にそれを求めるのは酷かもしれません。

読売新聞社の「第21期 竜王決定七番勝負【激闘譜】」(渡辺明竜王 対 羽生善治名人)

読売新聞社の「第21期 竜王決定七番勝負【激闘譜】」を読了。2008年に、渡辺明竜王と羽生善治名人が激突した世紀の対局です。これまで囲碁の七番勝負の本はかなりの冊数を読んでいますが、将棋はまだないので、試しに読んでみたものです。どうせ読むなら一番盛り上がったのをと思ってこれを選択しました。この時は、勝った方が「永世竜王」の資格を得るという戦いで、羽生善治名人の方は、同時に永世資格を全タイトルについて取る、という史上空前の快挙がかかっていました。その戦いは、出だし羽生善治名人が三連勝して渡辺明竜王を追い詰めます。しかし、渡辺竜王が4局目に開き直って新手を指して勝ち、そこからペースをつかんで三連勝を返します。最後の第7局は、非常にもつれた終盤になり、どちらに勝負がころぶか分からない戦いでしたが、最後は渡辺明竜王が勝利を手にします。囲碁ではこの時までに3連敗4連勝は5回起きていました。(林海峰名誉天元2回、趙治勲名誉名人3回)しかし、将棋ではこの時が初めてでした。
将棋の観戦記は初めてちゃんと読むので、局面を追っていけるかどうか心配でしたが、何とかなりました。

デイビッド・セインの「ネイティブが教えるほんとうの英語の冠詞の使い方」

デイビッド・セインの「ネイティブが教えるほんとうの英語の冠詞の使い方」を読了。ネイティブが「冠詞無し」「不定冠詞付き」「定冠詞付き」のそれぞれの表現の意味をどのように受け取るか、ということは書いてあるけど、何故そうなるかということはほとんど書いておらず、結局の所「慣れなさい」と言っているだけの本。でもまあおさらいとしては悪くないと思いますし、後半に練習問題がついているので、自分の冠詞に関する感覚をチェックするのにはいいかもしれません。

獅子文六の「ちんちん電車」

獅子文六の「ちんちん電車」を読了。昭和41年に週刊朝日に連載されたエッセイ。幼少の頃から都電(市電)を利用し続けてそれに慣れ親しんでいた獅子文六が、73歳になって当時もう増え続ける自動車に邪魔者扱いにされていて、やがて消えゆく運命だった都電に乗って、自分と都電(市電)との関わりを回想したもの。品川から始まって上野、浅草へと行く幹線に乗っています。出だしで泉岳寺-札の辻が出てくるのが個人的にちょっと懐かしいです。というのは最初に勤めた会社が、勤めて9年目ぐらいに新宿から芝浦に引っ越し、ちょっと歩くと札の辻辺りに出たからです。グルメの獅子文六だけあって、沿線の食べ物屋の記載が詳しく、今はもう無くなった店も多いですが、今でも残っている店もあり、東京の老舗ガイドみたいに読めなくもありません。
個人的な市街電車との関わりは、生まれ育った下関には、私が10歳になる頃まで市街電車があり、通った幼稚園のあった新町四丁目の交差点を唐戸方面と東駅方面を結ぶ電車が走っていたのを記憶しています。高校に入って暮らした鹿児島市には市街電車があり、これは今でも残っています。高校のあった谷山は鹿児島市の南の外れで、天文館のような繁華街に出るには高校生ですからタクシーは使えず、もっぱら電車でした。30分くらいかかったと思います。当時の高校の教育で、電車の中では座ることを禁じられていました。後は大学に入って最初に暮らしたのが豊島区の雑司が谷で、ここには都電荒川線が走っており、今でもそうです。ただ乗ったのは数回です。小林信彦の「路面電車」という作品は、親子でこの荒川線に乗りに行く話です。
今でも市街電車が残っている都市は、日本では上述の鹿児島市や広島市、富山市などが頭に浮かびます。スピードはあまり出ませんが、CO2も出さないエコな乗り物なので、悪くないと思います。海外出張した先ではスイスのジュネーブやドイツのミュンヘンに市街電車(トラム)がありました。

桐生悠々がもし今生きていたら

戦前の新聞人に桐生悠々という人がいます。私は故山本夏彦氏のエッセイで氏を知りました。昭和8年、信濃毎日新聞の主筆であった桐生は、同年に関東地方で行われた防空演習を批判して、「関東防空大演習を嗤う」を同新聞に掲載します。
この中で桐生は、もし関東地方に空襲があれば、木造家屋の多い東京は大損害を受けるであろうこと、空襲は何度も繰り返されるであろうこと、そもそも空襲を受けること自体が既に日本の負けであること、灯火管制を行ってもレーダーその他で敵の空襲は何の問題もなく行われ、却って住民のパニックを招きかねないこと、等々を論理的に喝破し、この演習が無意味であると批判します。
この記事に、陸軍が激怒し、信濃毎日新聞の不買運動を起こしたため、桐生は信濃毎日新聞を辞めざるを得なくなります。桐生は戦争が始まる直前の1941年9月に亡くなりましたが、その年の12月に始まった戦争は、桐生の予言した通りの結末をたどりました。
もし桐生悠々が今生きていて、これなどを見たら、当時と同じことを言うのではないでしょうか。
すなわち、北朝鮮のミサイルについては、もしそれが1発でも日本の都市に飛来したら、それは既に日本の防衛政策の破綻を意味するし、このようなその場しのぎ的な対策を訴えても効果無く甚大な被害が発生するに決まっていると。

菅野完の「日本会議の研究」

菅野完の「日本会議の研究」を今頃読みました。出版差し止めされたり解除されたりと忙しく、万一読めなくなってはと思い、目を通しました。かなり地道な労作で、決して日本会議側がそう呼んでいるような「トンデモ本」ではありません。私は安倍晋三という人につきまとう、怪しげな雰囲気がなんなのだろうと常々疑問に思ってきましたが、この本で少しその理由がわかったような気がします。面白いのは、著者の菅野氏も保守右寄りの人だということで、そういう人が同じ右寄りでも日本会議にはかなり違和感を感じている所が面白いです。
ちなみに私はこの本にも出てくる「右傾化」という言葉が嫌いです。何故ならば、「右化」か「右傾」で十分で、わざわざ「傾」と「化」を重ねる意味がわからないからです。というか何かをごまかそうとしていう言い回しにしか思えません。「右傾化傾向」に至っては噴飯ものです。言葉を曖昧にすることが、存在が曖昧なまま日本最大の圧力団体になった「日本会議」を産んだような気がして、このことは因果関係があるように思います。

原田豊太郎の「英文ライティング『冠詞』自由自在」

原田豊太郎の「英文ライティング『冠詞』自由自在」を読了。正保富三の「英語の冠詞がわかる本」が得るところが少なかったため、さらに冠詞の使い方の理解を求めて買ったもの。筆者は1941年生まれで、東大の応物出身。技術英語の本をたくさん書いている人です。この本に書いてあることで、目から鱗だったのは、ネイティブが使ういわゆる英英辞典には、[U](不可算名詞)と[C](可算名詞)という記号はついてないよ、ということ。何故ならばほとんどの不可算名詞は、可算名詞になることもあるから。有名な例としては、自由=freedomは普通不可算名詞ですが、セオドア・ルーズヴェルト大統領は1941年に「四つの自由」を唱えました。((1) 表現の自由,(2) 信仰の自由,(3) 欠乏からの自由 ,(4) 恐怖からの自由 )これの英語はfour freedomsです。「英辞郎」に[U]と[C]が載っていないのは何故なんだろうと常々思っていましたが、疑問が氷解しました。
また、この筆者は、「a〔数えられる名詞〕が特定の一つの事物をさす」という、非常にパラドキシカルな場合があることを強調します。それは書き手が特定の事物を取り上げているという意識がないのに、特定性が生じることが特徴だと言っています。説明は長くなるので省略します。
この本は、正保本よりも実用的だと思います。ただ、こうした本では、結局規則とその例外を示すので、印象深いのはむしろ例外の方で、こうした本を読んだためにかえって実際の英文を書くときに悩んだり、誤ったする可能性が増えるのではないかと思います。結局規則で冠詞を理解しようとしても限界があって、語学というのはやはり慣れるしかないということを改めて思い知らされます。ただ、それでも諦めきれないので、この本の中で紹介されていた、デイビッド・セインの冠詞の本をさらにAmazonに注文しました。