手塚治虫の「アドルフに告ぐ」

手塚治虫「アドルフに告ぐ」を読了。私の大学生時代に連載されていたものですが、掲載誌が週刊文春で漫画誌ではなかった関係で未読でした。総じて手塚の晩年の大人向けは重厚な名作が多いですが、これも「まあ」 その一つに入ります。
物語の中心になっているのは「アドルフ・ヒトラーにユダヤ人の血が混じっている」ことを証拠付ける文書です。ちなみに、この説は機密だったのではなく、第2次世界大戦中から連合国の間でも知られており、例えばアメリカに亡命したユダヤ人作曲家のクルト・ヴァイル(カート・ワイル、「マック・ザ・ナイフ」や「セプテンバー・ソング」で有名です)は、1942年に「シッケルグルーバー」という歌曲に曲を付けています。


その歌詞の内容はまさにヒトラーの父方の祖母の姓がシッケルグルーバーで、その子であるアロイス(ヒトラーの父)にユダヤ人の血が流れている=同時にヒトラーにも、ことを揶揄したものです。ちなみにヒトラー自身も自分の血統についてははっきりしたことは知らず、こうした噂が出てから調査させたようです。それに関係した一人の弁護士がニュルンベルク裁判の時に、ヒトラーの祖母が働いていたのはユダヤ人の家で、そこの息子の一人とヒトラーの祖母の間に生まれた私生児がヒトラーの父である、という証言をしています。この証言はその後の調査で、その街にユダヤ人が住んでおらず、またヒトラーの祖母が働いていた家もユダヤ人ではなかったことが分り、虚偽とされています。ちなみについ最近ロシアがユダヤ人が大統領であるウクライナをナチ扱いする理由として、ヒトラー=ユダヤ人説をまた持ち出し、イスラエルとウクライナがそれに激しく抗議しており、現代まで生き続けている風説です。

そういう意味で物語の中心を成す文書は、歴史的には存在しませんし、またお話の全体が史実に基づく以上、ヒトラーがユダヤ人の血統であることを暴かれて失脚する、などということは起こる筈が無いので、その辺りが今一つと思います。更には峠草平という主人公兼狂言回しが、最後までその文書を隠し通すだけであり、何故さっさと公表される手段を取らないのか、場合によっては英米ソ他のスパイに売っても良かった筈ですが、最後まで疑問が残るまま、ヒトラーが死んで文書は無意味になります。
ただ、同じアドルフという名前を持つ日本人とドイツ人の混血と、ユダヤ人が、幼馴染みでありながら対立する立場にしたのは手法としては上手く、その二人が最後はイスラエルとPLOに別れて殺し合う、というのもさすがに手塚らしいスケール感があります。

村上もとかの「フイチン再見!」

また村上もとかで、「フイチン再見!」を読みました。
「フイチンさん」は上田としこの漫画で、連載当時手塚治虫の「リボンの騎士」に負けない人気を誇った作品です。私はさすがにこの漫画の連載時は幼児であり、また少女マンガを読む習慣も高校生になるまで無かったので、「フイチンさん」も上田としこも知りませんでした。しかし村上もとかは私より10歳年上であり、幼少の頃女の子の遊び友達の家にあった「フイチンさん」をリアルタイムで読んでいます。また「龍-RON-」でハルビンが出てくる話を書くときに、ハルビンで生まれ育った上田としこにインタビューして、それで上田としこの波乱に富んだ人生を知ってこの作品となったということです。「フイチンさん」が人気絶頂の頃、その担当の編集長が、中国大使館から抗議が来ることを恐れて連載をストップしようとする、というのが出てきます。確かにフイチンさんの絵を最初見た時に、現在ではタブー視されている「細くてつり上がった目」という類型的な中国女性描写なので、ちょっと危なさを感じました。しかし実際には中国から抗議は来たりせず、「フイチンさん」は上田としこの代表作として残りました。上田としこは「サザエさん」の長谷川町子の3つ上であり、この2人が女性の漫画家という職業ジャンルを確立したのだと思います。また上田としこは手塚治虫のある意味盟友で、お互いに励まし合う関係だったようです。村上もとかの作品らしく、読後感がとても爽やかです。

村上もとかの「JIN-仁-」

村上もとかの今度は「JIN-仁-」を読みました。この漫画はこれが連載されていた頃はもう漫画とは離れていたので、これまで未読です。幕末というと、大衆小説家達がもっとも取上げた時代です。そして登場する坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛、徳川慶喜、近藤勇、沖田総司、高杉晋作という誰でも知っている人物との絡みで話を作っていくというのも、大衆小説の伝統に従ったものです。もっとも坂本龍馬が司馬遼太郎が描いたものほぼそのままのキャラクターなのがちょっと難点ですが。まあタイムスリップものというのは沢山ありますが、この漫画では最先端の脳外科医が幕末にタイムスリップするという設定がある意味奇抜です。そして、何とその時代の日本でペニシリンを作り出してしまう、というのがまあ荒唐無稽ですが、楽しめる話でした。医学の関わるシーンも専門家の監修を受けたきちんとしたものであり、さすがに村上もとかで、手抜きがまったく無いです。

村上もとかの「龍 -RON-」

村上もとかの「龍-RON-」全42巻を16年ぶりくらいで読みました。この漫画はビッグコミックオリジナルで連載していたのをリアルタイムで読んでいましたが、実に1991年から2006年まで15年以上続いた漫画で、かつストーリーもあまりにも壮大で、連載終了後にまとめて読み直してやっと全体が分ったという感じでした。それで一度読むとなかなかもう一度読めなくて、16年が経ちました。最初の方は「六三四の剣」の延長線上にある剣道漫画っぽいですが、主人公が日中混血と分ったあたりから、どんどん複雑化していきます。また昭和史の有名人が多数登場し、北一輝、甘粕正彦、鮎川義介、石原莞爾、周恩来、毛沢東、杜月笙、魯迅、等々豪華です。またもう一つのラインとしてある意味昭和映画史的な面もあって、ヒロインの田鶴ていが女優から日本初の女性監督になりますが、このていは実在の女性監督である坂根田鶴子がモデルです。またていと絡む名監督として溝口健二、小津安二郎、山中貞雄をモデルにしたキャラクターが登場します。以前読んだ時はそれらの監督の映画をほとんど観ていませんでしたが、今回は例えば小津安二郎をモデルにした監督のエピソードでは、映画の一シーンのスチール的なページを見ただけで「ああ小津安二郎だ」と分りました。ちなみに村上もとかのお父さんは映画会社の美術担当でした。この漫画の随所に映画のスチール的な印象的なコマが登場します。この漫画の難点としては、主人公があまりに理想的人物過ぎて実在感に欠けるというのと、主人公が自らの生命を賭け、また多くの人の命を犠牲にして守り抜いた黄龍玉璧(高い放射能を持った物質で作られた、中国の皇帝の権威を支える玉璧)の秘密が、結局アメリカが核兵器の開発に成功して、ある意味無意味になってしまう、ということです。とはいっても、この漫画は白井喬二以来の日本の大衆小説の伝統の上に生れた漫画史上で強烈な輝きを放つ傑作であることは間違いありません。

コージィ城倉の「プレイボール2」の元ネタ

コージィ城倉の「プレイボール2」の元ネタ。ちばあきおの短篇の「磯ガラス」のメンバーが、川北高校のナインの内7人(多分バッテリー以外)を占めています。「キャプテン2」の中でもこの7人が釣りが趣味であることが描かれています。(それどころか「磯ガラス」の一場面がそのまま使われています。)ちなみにこういう元ネタ探しを楽しんでいるのであって、非難している訳ではまったくありません。逆にこれから「キャプテン2」でどんな元ネタが新たに使われるかが楽しみです。今の所「トーボくん」とか「チャンプ」のキャラはまだ使われていないようです。

千葉一郎の「ちばあきおを憶えていますか」

千葉一郎の「ちばあきおを憶えていますか」を読了。著者はちばあきおのご長男です。ちばあきお、存命なら79歳ですが、1984年に41歳の若さで世を去ります。その死因を今まで知らなかったのですが、アルコール依存からの自殺だった、ということにショックを覚えました。また「プレイボール」のまだ本当にこれから、という所での唐突な終わり方も、本書を読んで、当時ちばあきおが仕事に追い詰められて書けなくなっての終了だということを知りました。また完璧主義者で、単行本になった状態の自分の絵に、さらにまた赤で修正を入れるのが常のことだったということです。また、元々兄であるちばてつやのアシスタントとして漫画家人生を始めたちばあきおですが、41歳で亡くなった時に連載中だった「チャンプ」をちばてつやが自分が引き継ごうかと考えたことがあるそうです。この場合原作は千葉兄弟の末弟の七三太朗ですから、絵さえ誰かが描けば続けられた訳です。しかし「チャンプ」の頃のちばあきおの絵は、ちばてつやですら既に真似をすることの出来ない独自のものになっていて断念したとのことです。この本の中のファンの言葉として、「ちばてつやの作品も素晴らしいけど、本当に影響を受けたのはちばあきおのキャプテンやプレイボール」という言葉は、そっくりそのまま私の感想でもあります。

キャプテン2と校舎裏のイレブン



コージー城倉の「キャプテン2」にお花茶屋高校って出てきますが、そこの野球部の監督はちばあきおの「校舎裏のイレブン」の先生そのまま。それは気が付いていたんですが、選手も高校野球にしては髪型が皆変と思って良く見てみたら、選手もそのまんまでした。済みません、画像は最小限の引用ということで。ちばあきおのこの先生も、元をたどればちばてつやの「ハリスの旋風」の岩波先生かも。(ちばあきおは元々お兄さんのちばてつやの漫画を手伝っているうちに漫画を自分でも描くようになっています。)

安藤健二の「封印作品の謎」(テレビアニメ・特撮編と少年・少女マンガ編)

年末・年始の休みに、安藤健二の「封印作品の謎」(テレビアニメ・特撮編と少年・少女マンガ編)を読みました。ウルトラセブンの「ひばく星人」の話なんかはもう聞き飽きていて、中身もかなり前にYouTubeかなんかで視聴済です。「怪奇大作戦」の封印話もニコニコ動画で公開されています。サンダーマスクも、ごく一部はインターネット上で視聴可能です。なのでテレビアニメ・特撮編はそれほどインパクトが無く、少年・少女マンガ編の方が面白かったです。特に藤子不二雄の両名が共作したマンガ、特に「オバケのQ太郎」が封印されていて、長い間買うことが出来なかったというのは初めて知りました。それも原因がFとAの両氏が不仲になったからではなく、その本人の周りの女性達がお互いの利益を優先して話し合うことが出来ていなかったとうのが真相のようでした。それと同じようなのが「キャンディ・キャンディ」を巡る原作者と漫画家の争いで、裁判の結果としては原作者が100%勝ったのですが、マンガの原作というのはおそらくマンガの創生の時期には無くて、1950年代後半くらいからマンガ雑誌が多数創刊され、漫画家だけでは大量の需要に応えられない所から考案されたものだと私は理解しており、漫画家の方が「皆に愛される絵を描いたのは私なのに」著作権的にはあくまでも共同にしかならないジレンマというのは理解出来なくもないです。また黒人差別問題で「ジャングル黒べえ」が一時封印されていたというのも、確かに日本人が伝統的にイメージしている「土人」的イメージに近いけど、決してアフリカ系アメリカ人を揶揄するようなものではなく、なかなか難しい問題をはらんでいるように思いました。
この手の本はどちらかというとオタク的興味から書かれることが多いと思いますが、この作者は非常に地道に関係者に聴き取り調査をして色々な隠された事実を明るみに出してくれていて、そこは評価出来ます。

新田たつおの「静かなるドン」

新田たつおの「静かなるドン」全108巻を約一ヵ月かかって読了しました。この漫画の存在はかなり前から知っていましたが、ヤクザものということもあって今まで未読でした。何かのサイトで1巻だけ無料で読めるというのがあって読み出したら止まらなくなって、とうとう最後まで行きました。新田たつおという漫画家は「怪人アッカーマン」で大学生の頃から知っていて、ギャグの奇才、というイメージでした。しかしこの作品は何というか日本の大衆小説のエスプリを漫画という形で受け継いだ傑作でした。まず主人公が一方では組員1万人のヤクザ組織のトップで、もう一方で女性下着メーカーの冴えないデザイナーという二重性が秀逸です。これによって日本人が好きな水戸黄門的展開というか一種の貴種流離譚みたいな面白さが生れていました。途中、チャイニーズマフィアから始まって、アメリカやロシア、シチリア島のマフィアまで、すこし大風呂敷を広すぎてダレる所もありますが、鬼州組七代目の白藤龍馬が出てきてからまた面白くなりました。まあ映画やドラマにもなっている作品ですので、私がいまさら褒めなくてもいいと思いますが、一つだけ小林旭そっくりのキャラクターが出てきてコミカル役なんですが、本物から良くクレームが来なかったなと思います。

コージィ城倉の「プレイボール2」完結

コージィ城倉の「プレイボール2」ついに完結。といってもこれで終る訳ではなく、別の雑誌で連載されていた「キャプテン2」が「プレイボール2」を包含することになります。谷口は墨谷高校野球部の監督となり、学校から月5万円の手当をもらい、それで予備校に通い大学を目指すという展開です。
それでこの谷口監督の墨谷高校野球部がすごくて、ピッチャーが井口、イガラシ、近藤と松川という素晴らしい布陣です。これはまあ甲子園に出場しても不思議はないでしょう。
コージィ城倉の絵は最初はちょっと違和感がありましたが、次第に慣れてきました。お話の展開はちばテイストを上手く出しながら、現在の野球の味も付け加えてあり、非常に巧みでした。また他のちば作品から新顔のキャラを発掘してくるのも上手かったです。コージィ城倉は1963年生れでほぼ同世代です。