ちあきなおみのCD「戦後の光と影 ちあきなおみ、瓦礫の中から」を聴きました。まずは何といっても古関メロディーが2曲入っているのが嬉しいです。「雨のオランダ坂」と「フランチェスカの鐘」です。オリジナルよりちあきなおみの方がはるかにいいとは言いませんが、どちらもちゃんと自分の曲にしています。「カスバの女」は不思議な曲で、「ここは地の果てアルジェリア」という歌詞が出てきますが、アルジェリアの人からすれば地の果ては日本の方かと。これを作詞した人はアルジェリアに行ったことがなく単に映画の「望郷」のイメージだけで作詞したみたいです。また「星の流れに」は、「こーんなー女にー誰がしたー」で有名な曲ですが、元々は戦後新聞に、元従軍看護婦で戦後日本に戻ったら実家は焼けていて家族は行方不明で、やむを得ず夜の女をやっている女性の手記が載り、それを読んだ作詞家の清水みのるが義憤に駆られて作った曲です。最初は淡谷のり子が歌う筈でしたが、淡谷が「パンパンの歌は歌えない」と断って、菊地章子が歌ったものです。(最初この話を読んだ時、淡谷のり子って何て嫌な女、と思いましたが、淡谷は音楽学校時代貧乏で、画家のヌードモデルをやっていた経験があり、そういう過去でこの歌を歌うと勘違いされかねない、とか思ったのではないかと思います。)ちあきなおみは、本当に情感を込めて熱唱しています。ともかく安直に「リンゴの唄」とか「青い山脈」などを入れない選曲が渋いです。
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潮来 十二橋巡り
潮来の十二橋巡りという舟に乗って来ました。昔は当然櫓で操っていましたが、今は全部エンジン付きです。古関裕而がコロンビアに専属作曲家として入り、しかし5年間もヒット曲を出せずに悩んでいた時に、同じく「酒は涙かため息か」以降大ヒットがなくて悩んでいた作詞家の高橋掬太郎と、何か新しい曲のきっかけになればということで潮来に旅して、そこで女性の船頭さんが操る舟に乗り、その体験からまず「利根の舟歌」が作られそこそこヒットします。その成功で感触を確かめた二人はさらにそれを受けて「船頭可愛や」が作られ大ヒットし、ようやくコロンビアでの古関裕而の地位が安定します。
またそれがなくても、ここは「潮来花嫁さん」(花村菊江)や「潮来笠」(橋幸夫)など歌謡曲のネタになっています。舟は最初は細い川を遡ってまた戻り、最後の方では利根川に出ますが、その大きさにちょっと感動しました。川沿いにアヤメ類が植えられており、6月にアヤメ祭りがあります。その時は櫓の舟も出るし、嫁入り舟も行われるそうです。
ちあきなおみ「大全集」「全曲集」
ちあきなおみについては、数ヶ月前にベスト盤CDを買いましたが、それにさらに2枚(正確には3枚)追加。相倉久人という人の昭和歌謡史みたいな本の中に、ちあきなおみの「黄昏のビギン」と「夜へ急ぐ人」がすごい、とあったので買ってみたもの。確かにその2曲もいいですが、2枚組の大全集は
・五番街のマリーへ(ペドロ&カプリシャス)
・ルージュ(中島みゆき)
・わかって下さい(因幡晃)
・氷の世界(井上陽水)
・ちあきの夢は夜ひらく(藤圭子)
・アカシヤの雨がやむとき(西田佐知子)
・カスバの女(エト邦枝)
・王将(村田英雄)
等々、「えっ、それも」的な新鮮な驚きがあります。ちょっとちあきなおみさんと一緒にカラオケボックスに行って「え、なおみさん、そんなのも歌うの」と聞くという妄想に入りそうです。特に「氷の世界」は、陽水の初期のシュールというかいかれた世界を見事に自分のものにしています。
「喝采」がヒットした頃は私はまだ小学生でちあきなおみの魅力を十分理解していませんでしたが、今この下の写真なんか見ると、ちょっと前に流行った言い方では本当に「女子力が高い」ですね。イメージだけではなく、実際の性格もそういう方らしく、旦那さん(宍戸錠の弟さん)に尽くして結局歌手を辞めてしまったのは本当に残念でした。
福島-古関裕而聖地巡礼
7月24日から、古関裕而の聖地巡礼?で福島に行って来ました。泊まったのは飯坂温泉でしたが、これは単に福島市から一番近い温泉地ということで選んだだけですが、後で知りましたが、大平洋戦争末期に古関裕而が家族を疎開させた所でした。
一番の目的は古関裕而記念館でした。古関裕而の自筆楽譜、東京の家での書斎の復元、NHKで使っていたハモンドオルガンなどが目玉でしたが、残念ながら写真撮影禁止でした。ここで入手した目録によって「鳴門しぶき」が確かに作曲されていたことが確認出来ました。昭和13年の4月で、名曲である「愛国の花」の前に作曲されたものでした。「船頭可愛や」が昭和10年ですから、直後に作られたものではなく、3年近く経っています。この間、古関裕而も色々と試行錯誤していて、「船頭可愛や」のパターンをもう一度試してみようと思ったのかもしれません。あるいは伊藤久男の歌による「鳴門くもれば」が昭和12年の8月ですので、やはりこの頃作詞家と共に鳴門に旅行したのかもしれません。
ハモンドオルガンを弾く古関裕而像は、JR福島駅の東口にあるものです。30分に1回古関メロディーが流れます。
しかし、福島市も「エール」の効果での沢山の観光客を期待していたのだと思いますが、新型コロナのおかげでどこも人は少なめでした。
「走れコウタロー」の元ネタ
1970年に流行った歌で「走れコウタロー」というのがあります。(ソルティー・シュガー)先日、ちょっとしたきっかけでスパイク・ジョーンズという1940~50年代にアメリカで活躍したコメディミュージシャンの「ウィリアムテル序曲」をYouTubeで見ましたが、これが何というか「走れコウタロー」に色々似ています。(言うまでもなくスパイク・ジョーンズの方がはるかに先です。)
(1)「走れコウタロー」のメロディーがほとんど「ウィリアムテル序曲」のまま。
(2)途中で競馬の中継に変る「ウィリアムテル序曲」ですが、その実況中継のセリフが「走れコウタロー」のそれとよく似ています。(まあどちらも競馬の実況中継のパロディーですから、その意味で似ているとも言えますが。)
(3)スパイク・ジョーンズは日本でも知られていて、その証拠にフランキー堺が後にクレージーキャッツとなるメンバーと、一種のトリビュート・アルバムを出しています。また、クレージー・キャッツの一連のコメディー曲はスパイク・ジョーンズの影響を強く受けているそうです。
山本コウタローは1948年生まれだそうで、だとしたら子供の頃スパイク・ジョーンズを聴いている可能性は十分あると思います。(関東地区では現在のAFNである米軍の放送が戦後ずっと流れていて、多くの人がこれで生のアメリカのヒット曲を聴いていました。)意図的にパクったのか無意識の内に影響が出たのかは知りませんが、両方を一緒に聴けば、その影響は明らかだと思います。しかし、不思議なことにインターネット上を探してもこのことを指摘している人は誰もいません。
走れコウタロー(ソルティー・シュガー)
https://www.youtube.com/watch?v=UIPG8h_0I2g
YouTube動画のウィリアムテル序曲(スパイク・ジョーンズ)
https://www.youtube.com/watch?v=qS9t-dlsk7A
歌詞
https://genius.com/Spike-jones-william-tell-overture-lyrics
久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックスのブラームスの交響曲第1番
久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックスのブラームスの交響曲第1番を聴きました。この指揮者が好きだから買ったのではなく、ブラ1に関しては220種類くらい聴いて来たので、一応チェックしておこう、ぐらいの気持ちです。この人の演奏の傾向はベートーヴェン交響曲全集で既に分っていますが、その予想通りの演奏でした。しかし冒頭のセカセカしたスピードはその220種類の中でも一番でしょうね。ブラームスが10数年かけてようやく完成させた最初の交響曲で、彼らしくきわめて無骨に不器用に始まる出だしを、このような速度でやらないで欲しいと思うのは私だけでしょうか。まあ緊張感があって引き締まった演奏で、悪くはないですが、ベートーヴェンの時もそうでしたが、二度聴きたいとは思わない演奏なのですね。大体クラシックスのCDを買う人はほとんどがリピーターで、初心者って少ないと思います。そういう人は大体ブラ1なんて聞き飽きる程聴いている訳で(私の場合は極端ですが)、そういう人にアピールするには何か斬新さが無いといけないという理屈は分りますが、それは本質的な良さとはまた別の話です。
宙家族ロビンソンの”Space Beauty”
宇宙家族ロビンソンの”Space Beauty”を観ました。珍しくジュディが中心の話で、そうなるとジュディが美人というだけの話になり、ジュディがエイリアンが主催する宇宙の美人コンテストに参加させられるという話です。しかしジュディがサインした書類には、もし優勝したら主催者の星に行って主催者(ほとんど悪魔)と一緒に永遠に暮さないといけない、と書いてありました。美人コンテストの司会者とそのアシスタントはいずれも前に出てきたキャラの再登場。ロボットが女装(?)して女性ロボットとしてコンテストに参加するのがちょっと笑えます。どうもこの時代の美人は「美しいけれでも頭がちょっと…」といった感じで描写されている場合が多いように思います。演じているマルタ・クリスティンは存命で75歳くらいですね。何ていったって、モーリーンお母さんのジューン・ロックハートがまだ95歳でご存命ですから。
プッチーニ「蝶々夫人」を引用した歌謡曲
古関裕而が自伝で渡辺はま子が歌った「雨のオランダ坂」の間奏に、プッチーニの「蝶々夫人」の有名なハミングコーラスを引用したことを書いていますが、同じ渡辺はま子で昭和14年に「長崎のお蝶さん」という曲があり、その間奏は同じく「蝶々夫人」の超有名アリア「ある晴れた日に」そのまま。いくらなんでもプッチーニの著作権はこの頃は切れていない筈ですが(プッチーニが亡くなったのは1924年)、レコード上にはプッチーニの名前は無し。この頃は著作権は緩かったんでしょうね…
渡辺はま子「長崎のお蝶さん」(昭和14年)(01:07ぐらいから蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」の引用)
https://www.youtube.com/watch?v=D9V_WpJye1w
渡辺はま子「雨のオランダ坂」(昭和22年)(01:01ぐらいから蝶々夫人のハミングコーラスの引用)
https://www.youtube.com/watch?v=e_813G2fajw
チェリッシュのCD
昨日、「哀愁のレイン・レイン」のことを書いて、また聴きたくなったのでチェリッシュのベスト盤を買いました。悦ちゃんの歌って裏声で何故か専門家には評判があまり良くなかったですが、私には心に染みる感じで好きでした。特に「なのにあなたは京都へゆくの」とか「白いギター」、「若草の髪かざり」とか。「てんとう虫のサンバ」は皆さんご存知の理由で聞き飽きていて好きではありませんが。
サイモン・バタフライのレイン・レインとその模倣曲
中学生の頃聞いていた洋楽って、何の曲だか探すのが結構大変です。
以前から「レイン、レイン、ダダダダダ…」という曲を中学生の頃ラジオで聴いたのを覚えていました。その後この曲がチェリッシュの「哀愁のレイン・レイン」でパクられていると思いました。(タイトルからしても明らかですが、何故か今のインターネットではこれを指摘している記事が見つかりません。まあパクリというレベルではなく、一種のオマージュだと好意的に解釈することも可能です。)私は前者がレターメンの曲だとずっと思っていましたが、レターメンのベスト盤には無し。それで色々検索してみて、やっと今回サイモン・バタフライの「レイン・レイン」だと分ってiTunesで買えました。梅雨時にぴったりな曲です。
太田裕美の「九月の雨」(1977)もちょっと似ていて、やはりベースは「レイン・レイン」かなと思います。他に、荻野目洋子の「ハートビート・エクスプレス」に収録されている「Rain -夏をつれさる雨-」も多分そう。
1973 サイモン・バタフライ レイン・レイン(Rain Rain Rain)
https://www.youtube.com/watch?v=vOHnWwpo4eg
1975 チェリッシュ 哀愁のレイン・レイン
https://www.youtube.com/watch?v=T3O2oJ6rESw
1977 太田裕美 九月の雨
https://www.youtube.com/watch?v=z8XBsWr_q_Q&list=RDz8XBsWr_q_Q&start_radio=1&t=3
1986 荻野目洋子 Rain -夏をつれさる雨-
https://www.youtube.com/watch?v=egUIxmKrVQw