プッチーニ「蝶々夫人」を引用した歌謡曲

古関裕而が自伝で渡辺はま子が歌った「雨のオランダ坂」の間奏に、プッチーニの「蝶々夫人」の有名なハミングコーラスを引用したことを書いていますが、同じ渡辺はま子で昭和14年に「長崎のお蝶さん」という曲があり、その間奏は同じく「蝶々夫人」の超有名アリア「ある晴れた日に」そのまま。いくらなんでもプッチーニの著作権はこの頃は切れていない筈ですが(プッチーニが亡くなったのは1924年)、レコード上にはプッチーニの名前は無し。この頃は著作権は緩かったんでしょうね…

 

 

渡辺はま子「長崎のお蝶さん」(昭和14年)(01:07ぐらいから蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」の引用)
https://www.youtube.com/watch?v=D9V_WpJye1w

渡辺はま子「雨のオランダ坂」(昭和22年)(01:01ぐらいから蝶々夫人のハミングコーラスの引用)
https://www.youtube.com/watch?v=e_813G2fajw

チェリッシュのCD

昨日、「哀愁のレイン・レイン」のことを書いて、また聴きたくなったのでチェリッシュのベスト盤を買いました。悦ちゃんの歌って裏声で何故か専門家には評判があまり良くなかったですが、私には心に染みる感じで好きでした。特に「なのにあなたは京都へゆくの」とか「白いギター」、「若草の髪かざり」とか。「てんとう虫のサンバ」は皆さんご存知の理由で聞き飽きていて好きではありませんが。

サイモン・バタフライのレイン・レインとその模倣曲

中学生の頃聞いていた洋楽って、何の曲だか探すのが結構大変です。
以前から「レイン、レイン、ダダダダダ…」という曲を中学生の頃ラジオで聴いたのを覚えていました。その後この曲がチェリッシュの「哀愁のレイン・レイン」でパクられていると思いました。(タイトルからしても明らかですが、何故か今のインターネットではこれを指摘している記事が見つかりません。まあパクリというレベルではなく、一種のオマージュだと好意的に解釈することも可能です。)私は前者がレターメンの曲だとずっと思っていましたが、レターメンのベスト盤には無し。それで色々検索してみて、やっと今回サイモン・バタフライの「レイン・レイン」だと分ってiTunesで買えました。梅雨時にぴったりな曲です。

太田裕美の「九月の雨」(1977)もちょっと似ていて、やはりベースは「レイン・レイン」かなと思います。他に、荻野目洋子の「ハートビート・エクスプレス」に収録されている「Rain -夏をつれさる雨-」も多分そう。

1973 サイモン・バタフライ レイン・レイン(Rain Rain Rain)
https://www.youtube.com/watch?v=vOHnWwpo4eg

1975 チェリッシュ 哀愁のレイン・レイン
https://www.youtube.com/watch?v=T3O2oJ6rESw

1977 太田裕美 九月の雨
https://www.youtube.com/watch?v=z8XBsWr_q_Q&list=RDz8XBsWr_q_Q&start_radio=1&t=3

1986 荻野目洋子 Rain -夏をつれさる雨-
https://www.youtube.com/watch?v=egUIxmKrVQw

榎本健一の「エノケン芸道一代」

榎本健一(エノケン)の「エノケン芸道一代」を聴きました。これまで私はエノケンはあくまでコメディアンと思っていましたが、このCDを聴いてその圧倒的な音楽の才能に驚嘆しました。既にエノケンの歌については、三木鶏郎のCDに入っていた「無茶坊弁慶」(武器を捨てましょブギ)などを聴いていてそれはこのCDにも入っていますが、それは戦後のある意味全盛期を過ぎたもので、あまり感心していませんでした。しかしこのCDに収められた浅草オペラのナンバーや「エノケンのダイナ」「月光値千金」といった曲の歌い振りは圧巻です。どちらも元は海外のものですが、それをエノケンは完全に日本の歌にして(歌詞も)、むしろ元歌以上の魅力を引き出しています。「月光値千金」の元歌はナット・キング・コールの”Get out and Get Under the Moon”ですが、よくも「月光値千金」と訳したもので、今よりもずっとセンスとしては上かもしれません。ともかくこれはすごいです。一度お聴きになることをお勧めします。(YouTubeにもいくつかあります。)

古関裕而と丘灯至夫の「乗り物シリーズ」

古関裕而は作詞家の‎丘灯至夫(古関と同じ福島の出身で、私の世代には「ハクション大魔王」や「みなしごハッチ」の主題歌の作詞者としてなじみがあります。舟木一夫の「高校三年生」も。名前は「おかとしお」→(逆にして)→「おしとかお」(押しと顔)で、元新聞記者で、新聞記者は「押しと顔」が重要というのをもじったものです。)と組んだ作品で、歌手は岡本敦郎で「乗り物シリーズ」というのがあります。

1. 高原列車は行く 歌:岡本敦郎
https://www.youtube.com/watch?v=a-3SBR3287k&list=RDa-3SBR3287k&start_radio=1&t=16

2.あこがれの郵便馬車 歌:岡本敦郎
https://www.youtube.com/watch?v=9sixegaddYQ

3.みどりの馬車 歌:岡本敦郎
https://www.dailymotion.com/video/x59x313

4.人工衛星空を飛ぶ 歌:岡本敦郎
https://www.nicovideo.jp/watch/nm2735537

5.登山電車で 歌:岡本敦郎
https://www.uta-net.com/movie/216790/ (歌詞のみ)

(その他、ケーブルカーとヨットの曲があったようです。)

古関裕而の自伝によると古関と丘は「乗り物シリーズ、良く作ったね。後は乳母車と霊柩車だけだね。」という冗談を言い合っていたようです。前者は作られませんでしたが、丘の方は自分が死ぬ一年前の2008年に(古関は1989年に死亡)「霊柩車はゆくよ」というのを本当に作ります。(作曲は小林亜星)
https://music.oricon.co.jp/php/music/MusicTop.php?music=88347 (有料ダウンロード)

これ誰だっけ?

何となく森山加代子の「白い蝶のサンバ」が聴きたくなって買ったのがこのCD。左上はヒデとロザンナ、右上はいしだあゆみで、それはすぐ分ったのですが、左下と右下が誰だっけ?状態。Googleの画像検索で調べて、左下が平山三紀、右下が辺見マリでした。何となく髪型が時代を感じさせます。今の感覚だとちょっと重い感じ。「白い蝶のサンバ」の作詞が阿久悠だというのを初めて知りました。阿久悠の最初の大ヒット曲みたいです。それから、この頃の女性歌手の歌には、女性が男性に一方的に尽くすといった内容が多いと思います。これも時代ですね。

古関正裕の「君はるか 古関裕而と金子の恋」

古関正裕(古関裕而の息子さん)の「君はるか 古関裕而と金子の恋」を読了しました。読んでる途中は飛び交うキスマーク、ハートマークに当てられて中々独り者には辛い部分はありましたが、通して読んで二人の本当に真剣な恋に感銘を受けました。なお、現在残っている手紙は古関裕而が保管していたもので、奥さんが保管していたものは夫婦喧嘩の時に全部燃やしてしまったみたいです。この鴛鴦夫婦がどうしてそんな大げんかしたのかにちょっと興味がありますが。二人の恋は、昔のことで郵便によるというのがある意味丁度いいペースを保つのに成功したんじゃないでしょうか。今みたいにメールとかLINEでやりとりしていたとしたら、盛り上がるのも速いですが、醒めるのもまた速いのではないかと。ともかく二人で何百通もの手紙を交換しただけで、一度も直接会うこと無しに、ただ写真の交換ぐらいで二人は結婚を決意します。前に調べたことがありますが、確かこの頃の見合い結婚の比率は8割くらいあった筈です。そんな時代によくもこんなピュア100%の恋愛を貫いて結婚までにこぎつけたものだと感心します。
なお、ちょっと収穫だったのが山田耕筰が古関裕而のことを天才だと評価していたということで、だからこそコロンビアの専属作曲家という生計の道をわざわざ用意してあげたんだと思います。セクハラ親父で晩年は特に悪名の高い山田耕筰ですが、この点に関しては一人の貴重な才能を世に出したということで高く評価されるべきと思います。
それから残念なのが、手紙の中に出て来る古関裕而が心血を注いで完成させた5台のピアノのための協奏曲他の楽譜が失われて聴くことが出来ないことです。これは本当に残念です。

古関裕而とアイヌ

古関裕而のリンクについて落ち穂拾い。

古関裕而とアイヌ

菊田一夫が台本を書き、古関裕而が音楽を担当した「君の名は」の映画版の第2部は、ようやく氏家真知子に巡り会った後宮春樹が、真知子が既に誰かと結婚してその子を宿していることを知り、傷心して北海道に渡ります。そこでアイヌの娘であるユミと出会い、ユミは春樹を好きになって…というストーリーです。

このユミの歌が「黒百合の歌」です。
 
織井茂子「黒百合の歌」
 
古関裕而の曲らしく、何度も聴くと本当に病みつきになるような曲で、エキゾチズムあふれる名曲です。
しかし、菊田一夫の詞と映画のストーリーはある意味アイヌに対する偏見にも満ちていて、日本人の真知子が大人しく内気で、アイヌのユミが大胆で積極的に春樹への愛を告白するようなタイプに描かれていますが、これはビゼーの「カルメン」と同じで、異民族の女性が(性的にだらしなく)積極的に男性にアプローチするというある意味典型的な偏見です。(カルメンはジプシー=ロマです。)なお歌詞の中に出て来る「ニシパ」はアイヌ語で「旦那さん、お兄さん」といった意味。
 
伊藤久男「イヨマンテ(熊祭)の夜」
 
これまで敢えてリンク集で紹介していませんが、古関裕而の曲の中ではベスト5に入れてもおかしくない名曲で、歌謡曲というよりオペラアリアという感じです。また伊藤久男(「エール」の佐藤久志=プリンスのモデル)の代表曲です。
イヨマンテは確かにアイヌの熊祭ですが、この曲は元は「鐘の鳴る丘」で木こり達が木を切りながらハミングで(歌詞無しで)歌うものでした。それを歌いにくいのでということで伊藤久男が菊田一夫に詞を付けて欲しいと頼んで、1年くらい経ってやっと作詞されたのがこの曲です。その頃菊田一夫がアイヌ文化にはまっていたため、イヨマンテが採用されたのですが、古関裕而が「アイヌの何かはどうですか」と菊田一夫に勧めたという情報もあります。曲自体は名曲でも歌詞は色々問題で、イヨマンテの祭は昼間に行うものでかがり火を焚いて夜にやったりしないとか、あまり正確な描写ではありません。なお、この曲はコロンビアから発売された時に当時のコロンビアの文芸部長が「こんな曲は売れない」と断言して、まったく宣伝もしなかったのに、伊藤久男が意地になってあちこちで歌い、やがて歌に自信がある人がNHKののど自慢で歌い始め、発売の年にのど自慢で一番多く歌われたのがこの曲だそうです。
 
ちなみに、チュプチセコル(江戸時代のアイヌ語を考える会会長)という方が、上記2つと映画「モスラ」に出て来るやはり古関裕而が作曲した「モスラの歌」のリズムがまったく同じであることを指摘しています。
 
ザ・ピーナッツ「モスラの歌」
 
古関裕而が「モスラ」の音楽に採用されたのは、おそらく古関が戦争中に慰問兼現地の民謡の蒐集ということで東南アジアを3回くらい訪問しているので、その経験を重視したのではないかと思います。ちなみに「モスラ」の最初の映画は、インドネシアのインファント島という架空の島で、現地の人を日本人俳優が顔を黒塗りして演じて、ほとんど裸で火の回りで歌ったり踊ったりしており、現在では完全にアウトな描写です。古関にとっては別にアイヌや東南アジアに差別意識があったのではなく、彼なりのエキゾチズムの表現がこれらの3つの曲だということだと思いますが、アイヌの方の指摘にはちょっと考えさせられました。

22日のエール 「山崎育三郎の『船頭可愛や』」

22日の「エール」で山崎育三郎が演じる佐藤久志が流しで「船頭可愛や」を歌うシーンがありました。しかし、全体に音が不安定で、特にサビの「ええええー、せんどーかーわーいーいいいいや」の「いーいいいい」の所でかなり音を外したのに気がつきました。この人一応東京音大の声楽コース中退みたいですが、ちょっとねー。(一応録画でも再確認しましたけど、間違いなく音を外しています。)この三橋美智也の歌と比べてもらえば誰でも分ると思います。
最近、毎日「船頭可愛や」を聴いていて、音丸だけじゃなくて、都はるみ、三浦環、美空ひばり、その他までチェックしていますので、厳しく評価しています。この歌、ちょっと聴いた感じでは簡単な民謡調に聞こえますが、実際は冗談じゃなく歌手の実力を露わにする難曲です。

古関裕而の「鳴門くもれば」

古関裕而の鳴門のご当地ソングは、やはり高橋掬太郎の作詞で、伊藤久男の歌で「鳴門くもれば」というのがあります。YouTubeにあるのですが、何故か会員限定のようです。CDの伊藤久男の全集には収録されていますので、それを購入すれば聴くことが出来ます。「鳴門しぶき」と違いこちらは短調です。しかし詞の内容は恋心と鳴門の渦をからめたありがちなものです。