E. M. フォースターの「ロンゲスト・ジャーニー」

E. M. フォースターの「ロンゲスト・ジャーニー」を読了。
この作品は、大学の時、まずフォースターの短篇の「コロノスからの道」を教養課程の英語の授業で読んでフォースターのファンになり、その後同じ先生の専門課程での英語の授業でこの作品を読んだものです。ただ、その授業では全部を読み切ることは出来ず、日本語訳で全部を読んでいます。従って今回2回目です。
私は、この小説に出てくる次の文章を私の大学の卒論の冒頭で引用しました。私の卒論はカール・ポランニーの「貨幣使用の意味論」に触発されて、貨幣について書いたものだったので、この文章が非常にぴったり来て使ったものです。
The soul has her own currency. She mints her spiritual coinage
and stamps it with the image of some beloved face. With it she
pays her debts, with it she reckons, saying, “This man has worth,
this man is worthless.” And in time she forgets its origin; it
seems to her to be a thing unalterable, divine. But the soul can
also have her bankruptcies.
Perhaps she will be the richer in the end. In her agony she
learns to reckon clearly. Fair as the coin may have been, it was
not accurate; and though she knew it not, there were treasures
that it could not buy. The face, however beloved, was mortal, and
as liable as the soul herself to err. We do but shift
responsibility by making a standard of the dead.
There is, indeed, another coinage that bears on it not man’s
image but God’s. It is incorruptible, and the soul may trust it
safely; it will serve her beyond the stars. But it cannot give us
friends, or the embrace of a lover, or the touch of children, for
with our fellow mortals it has no concern. It cannot even give
the joys we call trivial–fine weather, the pleasures of meat and
drink, bathing and the hot sand afterwards, running, dreamless
sleep. Have we learnt the true discipline of a bankruptcy if we
turn to such coinage as this? Will it really profit us so much if
we save our souls and lose the whole world?
ここでフォースターが書いているように、彼は死すべき人間の顔が刻印された「人間の貨幣」と、永遠に不変の神の顔が刻印された「神の貨幣」を区別します。前者は価値が変動し、破産もあり得ますが、それでもフォースターは「神の貨幣」よりも「人間の貨幣」を愛します。それが我々が「ささやかな喜び」と呼ぶものを我々に与えてくれるからです。最後の所の「我々が自分の魂を救ったとしても全世界を失ったとしたら、それは本当に得になることなのだろうか」は、聖書のマタイ16:26の「全世界を得たとしても魂を失ったとしたらそれは得になることなのだろうか」をもじっています。
この小説はフォースターの長篇の中ではあまり有名なものではありませんが、明らかに主人公のリッキーにはフォースター自身が投影された自伝的作品です。またリッキーとそのケンブリッジでの親友であるアンセルの間に何か同性愛的な感じがし、アンセルがリッキーとアグネスの結婚に反対するのにもそれが現れています。
また、この小説は「私生児の弟がいることを知った男」ということが主要なモチーフとなっています。リッキーは最初それは父親が過ちを犯した結果だと思っていましたが、実はそれは彼の母親の無思慮な行動のせいで母親の子でした。リッキーは最初アグネスの思いに従って異父弟のスティーヴンを排除しますが、結局アンセルの説得でスティーヴンを受け入れ、最後は泥酔して線路に寝ていたスティーヴンを助けようとして、自分が列車に轢かれて命を落とします。この小説にはフォースターの小説の全ての要素が既に現れているように思います。

なお、この小説の冒頭はアンセルが「牛は存在する」と、キングス・カレッジの窓から見える牛を見ながらこう語り、学生達がいわゆる「実存」について議論する場面から始まります。ケンブリッジのキングス・カレッジにいった時、カレッジの回りの草原の上に本当に牛がいて、うれしく思いました。(写真参照)