竹内洋の「教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化」を読了。私は、羽生辰郎を批判した論文の最後でこう書きました。「バランス感覚に優れた研究活動をするためにも、またそうした研究活動を正当に評価するためにも、「長い時間をかけて涵養された深くて広い教養」は不可欠であると確信する。羽入の出身学科が「『教養』学科」であるというのは、皮肉なことである。筆者はアマチュア研究者として、そしてもう一人の「『教養』学科」出身者として敢えて今、「教養」の意義を世の中に訴えたい。 」
私の大学の出身学科は「教養学部教養学科」で「教養」が2つも付きます。しかし、世の中で「教養学科」というのはほとんど認知されておらず、就職してから何度も「先生にはなろうとは思わなかったんですか」と「教育学部」と間違えられました。しかし、元はと言えば「教養学科」は戦後英語での”liberal arts school”をモデルとして作られたもので、欧米では非常にポピュラーであり、根源を辿れば古典ギリシアの「7つの自由学芸”Seven liberal arts”」にまで行き着く伝統的な概念です。(ちなみに7つとは、文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何学・天文学・音楽です。私は色んな語学でさんざん文法はやっていたし、修辞学も結構その頃流行り{ロラン・バルトの「旧修辞学」など}で学んでいたし、音楽は石井不二雄先生や杉山好先生に教わったし、算術・幾何学・天文学といった理科系科目を除けば結構この7つに近いことを学んでいました。)
そういう訳で、日本における「教養」概念の変遷を求めてこの本を読んだんですが、1942年生まれの筆者の昔懐かし話という面が強いと言わざるを得ません。上記したような「教養概念」の東西での比較(ヴェーバーが「儒教と道教」で書いたように儒教には間違いなく「読書人」という一つの理想があります)とかはまるでなく、「昔はこうだった」という話に終始しています。まあ高橋和己(昭和6年生まれ)が旧制高校の教養主義を経験した最後の世代で、その後の大江健三郎や石原慎太郎は新制高校世代である、といった説明はそれなりには興味深いものでしたが。(ちなみに私の亡父は昭和7年生まれなので、新制高校第一期生みたいな世代です。)
また私の世代(1980年代に大学に入った世代)にとっては、かつて総合雑誌(「中央公論」「太陽」「改造」といったもの)に載った論文がそんなにインテリ層に読まれていた、というのはちょっと想像が付かないです。私の世代ではもはや読むべき雑誌というのは、むしろ「ぴあ」みたいなカルチャー系になっていたと思います。しかしだからといって1980年代になって教養主義が大学から完全に無くなったとは私には思えません。筆者は認めないかもしれませんが、手塚治虫の「火の鳥」や「ブッダ」、白土三平の「カムイ伝」を読むのだって、立派な教養主義だと思っています。
竹内洋の「教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化」
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