感染の確率を下げる

コロナウイルスの予防に関する議論で、目に付くのは1か0かの議論で、ともかくコロナウイルスは例え1ウィルスでも体に入ったら駄目と考えて極端なことを言っている人が目立ちます。ウィルスの中には確かに数個レベルでも症状を引き起こすものもあるみたいですが、一般的なコロナウイルスでは最低でも1万個レベルぐらいが体の中に存在しない限りは、普通の免疫システムで排除されるようです。もちろん新型コロナウイルスがどのレベルまで入ってきたら症状が出るかという正確な研究結果はまだありませんが、他のコロナから考えてほぼ同等レベルであろうという推測は可能です。なので不完全な手洗いでも体に入るウイルスの数を減らすという意味では有意であり、うがいも同じです。すべての細菌・ウイルスを死滅させるのを滅菌といい、病院で手術に使う道具(メスなど体の組織の中に入る器具)は滅菌しないといけません。そのレベルは細菌・ウィルス存在確率が1ppm(1/100万)以下です。その滅菌をするためには、オートクレーブ(高温高圧の蒸気で2時間くらい処理する)、ホルマリンガス、酸化エチレンガス、ガンマ線等々、家庭で使うには不可能なものばかりです。ちょっと前にナイチンゲールの本当の功績について紹介しましたが、彼女の大きな功績は衛生の考え方に統計学的思考を持ち込んだことで、完全な対策でなくても、効果のある対策を積み重ねることで社会全体では大きな効果が出ることを実証したことにあります。感染防止は1か0かではなく、トータルでどれだけ感染の確率を下げるかです。

古関裕而の「紺碧の空」とシューベルトの「ザ・グレート」

今週の「エール」は古関裕而ならぬ古山裕一が早稲田の応援歌の「紺碧の空」を作曲する筈でした。早稲田の応援団長のエピソードは、あれは「栄冠は君に輝く」の作詞者の加賀大介さんの逸話のパクリですね。(加賀大介さんは野球大好き少年でしたが、野球の練習中に大怪我をし、右足の膝下から切断になり野球が出来なくなります。「栄冠は君に輝く」の歌詞には、自分が出来なくなった野球を力一杯球児たちにやって欲しいという気持ちが込められていると思います。)
ところで、その「紺碧の空」について、歌い出しがシューベルトのザ・グレート(交響曲第8番ハ長調)に似ているという人がいるとWikipediaに書いてあったので、楽譜を比べてみました。確かに似ているけど、ごくありふれた上昇音型が2回続くだけで、この程度で類似を言われてもと思います。ちなみに紺碧の空はト長調、ザ・グレートはハ長調で、紺碧の空が「ドーレミーソーラシド」、ザグレートは「ドーレミーラーシド」で微妙に違います。後昭和1桁の時代では、SPでこの長い交響曲を聴く人がいたとは思えませんし、コンサートで聴かない限り古関がこの曲を知っていたとも思えません。また前奏を含めて聞いて当然のことながら「紺碧の空」は100%前向きな応援歌であり、ザ・グレートは主題全体である種の郷愁を感じる、どこかに少し寂しさのようなものが含まれている曲想で二つはまるで違います。