ヒュー・スモール著、田中京子訳の「ナイチンゲール 神話と真実」を読了。これを読んだのは、こういう時期で治療の現場で奮闘する看護師さん達の元祖がどういう人だったのか、ちゃんと知りたくなったからです。既に一冊読んだのですが、それは中学生ぐらい向けのもので、物足らなかったので更に購入したものです。この本は、ナイチンゲールが成し遂げたことで本当に偉大であったものは何だったのかを明らかにし、逆に今まで「クリミアのランプの天使」として称賛され続けてきた彼女のスクタリの野戦病院での活動の彼女自身の評価はどうだったのかを明らかにします。
ナイチンゲールが実際に看護婦として働いた期間はわずか2年程度であり、彼女はクリミア戦争の現場から帰って来て以来、一度も看護婦として再度働くことをしていません。その理由の解明がこの本の主題です。ナイチンゲールは自身が働いたスクタリの野戦病院でのひどい状態が、一つはやたらと重傷の患者ばかりが送られて来ること、そして食料を含む物資が、非能率的な官僚組織のせいで不足して、患者が栄養不足に陥っていたことが原因だと信じていました。そして後者については自費で食料を調達したりして改善に努めています。しかし戦後の調査分析で明らかになったのは、そのスクタリの野戦病院での死亡率は他の野戦病院の倍でした。そして統計学と衛生学の専門家であるファー博士から、スクタリの高い死亡率は重症患者が他より多かったことでもなく、また食糧不足によるものではなく、病院それ自体の衛生状態の劣悪さ(湿度の高い湿地に作られ、下水処理はまずく、換気は悪い上に患者である兵士は高密度に詰め込まれ、等々)でした。多くの兵士は元の怪我で死んだのではなく、スクタリで新たに感染病にかかって死んでいました。これはナイチンゲールにとって衝撃の事実で、彼女は「不作為の罪」で多くの役人や医者、軍人を攻め立てましたが、知らなかったとはいえ、スクタリの基本的な衛生を改善することをせず、多くの兵士を死に追いやったのは自分だと思うようになりました。(実際に彼女は基礎的な衛生状態を改善すること無しに病棟の拡張までやってより多くの患者を受入れ、そして多くを死なせている訳です。)これこそナイチンゲールが帰国後二度と看護の現場に戻らなかった理由です。その代りに彼女は公衆衛生改善の権化となり、残りの人生の多くの力をそれに注ぎ込みます。そしてついに1875年に公衆衛生法を制定させ、各家庭の下水設備を整備する義務を定めます。ナイチンゲールの頃の平均寿命はわずか40歳ぐらいで、1930年頃にはそれが60歳ぐらいにまで延びます。これまでそれの主因は主として栄養状態が改善されたためとされていましたが、実際はこの法律のおかげでイギリスの家庭の衛生状態が大きく改善し、感染症にかかる人が激減した結果なのだそうです。
丁度今コロナ禍の真っ最中にあって、まさしく三密のような環境による感染が議論されている真っ最中に、この本でナイチンゲールの本当の功績を知ることが出来たのは良かったと思います。
ヒュー・スモール著、田中京子訳の「ナイチンゲール 神話と真実」
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