芳賀徹先生の「平賀源内」

芳賀徹先生の「平賀源内」を読了。「先生」と書いたのは、大学の時に教養学科の授業「比較文学・比較文化」で半年間芳賀徹先生から教えを受けたからです。ちなみにその時のテーマに影響を受けて、私はその後歌川広重の「八景物」を探し求めることになりました。https://www.shochian.com/hakkei.htm
閑話休題。平賀源内の人生における活動は大きく分けて
(1)物産学、本草学の専門家としての活動
(2)戯作家、浄瑠璃作者で活躍
(3)「山師」として全国の鉱山開発への関わり
に分けられます。この本の前半で若き源内が何度も物産会を開いて全国の動植物・昆虫・鉱物を集めている様子が描かれ、もっとも活き活きと活動した時期ではないかと思います。南方熊楠がその長文の履歴書で「日本今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣る、と、これは強語のごときが実に真実語に候。むかし、かかる学問をせし人はみな本心よりこれを好めり。しかるに、今のはこれをもって卒業また糊口の本源とせんとのみ心がけるゆえ、(以下略)」と友人の農学者田中長三郎の言葉を引用してその時代の学者を批判すると同時に江戸時代の本草学者、物産学者を讃えています。この通り「みな本心よりこれを好めり」というのがこの本でも確認出来ましたし、源内はそれに加え単なる好事家に留まらず「日本の国益に貢献する」という実に高い理想を持っていました。しかしこの分野で結局源内は、多くのオランダ語の図譜を収集しましたが、地道な努力の必要なオランダ語のマスターは結局出来ず、オランダ語の図鑑を参考にして自分自身で日本の物産の図鑑を作るという生涯の夢を果たすことは出来ませんでした。友人であった杉田玄白らが源内ほど多彩な才能は無いにも関わらず地道な努力で「解体新書」を翻訳刊行したのと対照的です。
(2)の作家としての源内は、実はこれが一番源内の実績としては認められているのかもしれません。子供の頃、「日本一の鼻高男」という江戸時代の戯作を子供向けに書き直した本を持っていましたが、それに「風流志道軒伝」が出て来たので、多少は知っています。
(3)については、(1)の延長線上でしょうが、結局「山師」という言葉に象徴されるように、源内の鉱山開発は実践的な製錬技術の知識がないなどの理由で、失敗続きでお金を失うことの方が多かったようです。それでも秋田藩から鉱山開発のお礼で200両もらっていますが、これは単なる鉱山開発の指導というより、秋田ではまだ珍しかった蘭学と洋画の技術を源内が教えたことについての藩主からのお礼も含まれていたようです。
私自身、源内と似ている部分があり、多くのことに興味を持って手を出し、結局どれもものにならない、という器用貧乏な所があり、源内の生き方を追って行くのは辛い部分もありました。幸い今は源内の時より寿命がはるかに伸びており、また私はそれなりにコツコツ努力するということを亡母から受け継いでいるので、少なくとも外国語に関しては、源内のような羽目には陥らないで済んでいるようです。
源内の最後が、ある屋敷の建築を命じられた時、その図面を大工が盗んだと思い込み激高して2人を斬り殺し、結局獄中で病死したのだということは知りませんでした。源内もある意味「双極性障害」を患っていた天才だったのかもしれません。
芳賀徹先生は2020年に既にお亡くなりになっているようですが、さすが芳賀先生で、見事な源内愛が感じられる本でした。