岩本裕(訳)の「ウパニシャッド」

岩本裕の「ウパニシャッド」を読了。ウパニシャッドについては先日辻直四郎の解説本を読んでいますが、そちらに収録されていたウパニシャッドの原文が非常に限られていたので、改めてこちらを読んでみたものです。印象は辻直四郎の本を読んだ時と大きく変わりませんが、この本で新たに得た印象としては、全体にあまりに修辞=レトリックを駆使した一種の「蒟蒻問答」が多いということです。例えば何がより優れているか、という議論で、名称→言語→意→思慮→理解→熟慮→認識とこの順番でより優れているとされるのですが、そこまではまだついていけますが、その次が力→食物→水→熱→虚空→記憶→期待→生気となるとほとんどこじつけ的な議論であり、単に同じパターンを繰り返す言葉遊びをしているようにしか感じられません。元々ウパニシャッドという言葉の意味は、「弟子が師匠の側に座って奥義についての教えを受ける」というものであり、現在文字として残されているウパニシャッドは所詮形骸的なものに過ぎないように思います。また宗教として見た場合、解脱という救いを得られるのはごく一部の限られた特権者的な者だけということになり、いわゆる達人宗教、エリート向けの宗教であり、衆生を救済する、といった要素はまったくありません。そういう背景から仏教やジャイナ教といった一種の異端が生まれて来たのかなと思います。ウパニシャッドは修辞の技術という意味では興味深いですが、はたして本当に宗教思想として深いものがあるかというと、ここまで見て来た限りでは疑問に思います。