トワイライト・ゾーンの”The Jeopardy Room”を観ました。ソ連で政治犯としてシベリアに抑留されていたクチェンコ大佐が脱獄し亡命を図ります。しかし彼を追うおそらくKGBの男がスナイパーと一緒に彼の隠れている部屋を監視しています。すぐにもクチェンコを射殺することは容易でしたが、ヴァシロフというKGBの男はじわじわと殺すことを好み、クチェンコの部屋を訪れ、彼は耐性がある毒入りワインをクチェンコに飲ませ、彼を3時間眠らせその間に爆薬を仕掛けます。部屋に残されたテープレコーダーのヴァシロフのメッセージによれば、部屋の中にブービートラップが仕掛けられていて、3時間以内にそれを見抜いて爆発を解除すれば彼は逃亡を許されるということでした。結局、ブービートラップは電話機に仕掛けられていて、単に受話器を取っただけでは爆発しませんが、ベルが鳴ってそれで受話器を取ったら爆発するようになっていました。しかしクチェンコはそれを何故か見抜き、電話を鳴るままにしておいて、ギリギリで部屋から脱出します。ヴァシロフとスナイパーはクチェンコが逃げた後の部屋に入りますが、そこにクチェンコは電話をかけ、間抜けなスナイパーが受話器を取ったため爆発し2人は死に、クチェンコは国外脱出に成功するという話です。しかしこれは別にトワイライト・ゾーンで起きる必要の無い単なるスパイ者に近いお話でした。クチェンコが何故電話のトラップを見抜いたかの説明はまったくありませんし、2人だけしかクチェンコを監視していないというのも変ですが、まあフィクションということで。クチェンコとスナイパー役はトワイライト・ゾーンの常連俳優です。
月別アーカイブ: 2025年2月
大川玲子の「聖典クルアーンの思想 イスラームの世界観」
大川玲子の「聖典クルアーンの思想 イスラームの世界観」を読了。先日「クルアーン」自体は一通り読了していますが、そこで疑問が残ったのは、何故イスラム教が短期間に多くの信者を獲得できたか、ということです。この本の情報で、その理由は(1)ムハンマドという預言者が直接的にアラーの言葉を代弁し、それが何度も繰り返され、帰依する者を増やしていった。 (2)先行するユダヤ教、キリスト教の教義の内の神話的な要素など都合の良い部分は採り入れるものの、それ以外は「ユダヤ教、キリスト教」が神の教えを歪めた、として自分に都合の良い教義体系を作ることが出来た。 (3)キリスト教的な「汝の敵を愛せよ」はまったくなく、ハムラビ法典のように「目には目を、歯に歯を」で戦争を通じて信徒を獲得していった。
といったことではないかと思います。またユダヤ教との討論を通して教義を練り直していたこともこの本には出て来て、例えば神の教えがモーセなどには一度で与えられたのに対して、ムハンマドには何度にも分けて与えられたのは何故か、それは偽預言者の証拠ではないか、という論難に対して対抗する理論を作っていきます。
後は興味深かったのは日本でのイスラム教の受容と、クルアーンの翻訳史で、戦前はいわゆる八紘一宇的なアジア進出の中で、アジアに多いイスラム教徒を日本の勢力の中に取り込むための手段としてイスラム教が研究されたというのがあり、あの大川周明(東京裁判の時は梅毒で精神に異常を来しており、東条英機の頭を叩いたことで有名)がクルアーンの日本語訳を完成させていたことも初めて知りました。
デジタル一眼レフの棚卸し
銀塩フィルム用一眼レフに続けてデジタル一眼レフの棚卸し。
一番後ろがK-10Dが2台。このモデルがPENTAXのデジタル一眼レフとしては最初の本格的なモデルになります。この前に*ist Dというのがありましたが、私的にはイマイチで、K-10DでまたPENTAXに復帰しデジタル一眼レフを本格的に始めました。その前が左からK-5IIs、K-5IIとK-7が2台です。K-5IIとIIsの違いはローパスフィルターの有無です。
そして最前列がK-1とK-1 Mark IIです。
K-10Dはバッテリーが今のものと仕様が違って動作確認が出来ませんでしたが、後のは全部問題なく動きます。各シリーズで2台ずつなのは、レンズが沢山あるので一々レンズ交換するのではなく、2台持っていくことが多かったのと、後はPENTAXというブランドがいつまであるか不安だったので保険的な意味で2台買ったのと両方です。
これ以外にミラーレスのK-01がありこの撮影に使用しています。
その他コンパクトミラーレスのQ7も2台あります。
ほたるスイッチのLED回路
仕事柄で、パナソニックの「ほたるスイッチ」という住宅用の電源スイッチ(WT50519)のLEDが、100VでLEDをどうやって点灯させているのか興味があったので分解してみました。LEDは通常2.5~3.3Vぐらいの順電圧で動きます。100Vをその電圧に落すには直列に電流制限抵抗を入れるのですが、そのままだと電力の大半が熱になるだけで無駄に使われますし、抵抗も熱に耐える高い定格のものが必要になります。
ネット上の情報では間にフィルムコンデンサーを入れて抵抗の代わりにしているのでは、ということでしたが、フィルムコンデンサーは結構サイズが大きいのとコストが高い(一番安く買えたとしても20~30円はする)という疑問がありました。
分解結果としては510KΩのチップ抵抗を2個直列につないで電流を0.15mAというギリギリの明るさに落して使っている、ということでした。確かにほたるスイッチという名前の通り、暗い所でスイッチの場所が分かればいい訳ですから、コストを考えればこれが正解ですね。ちなみに整流回路もなく半波整流になりますが(LED自体がダイオードなので整流はされる)、この暗さであればちらつきも問題ない、ということでしょう。
銀塩フィルム用一眼レフの棚卸し
年に1回のカメラ保管庫用の乾燥剤の交換ついでに棚卸し。手持ちの銀塩フィルム用一眼レフ。全部PENTAXで5台あります。左奥からK2、これは最初に使った一眼レフ。若い時に売ってしまってこれはヤフオクで買い直したもの。奥の真ん中がSPFでベストセラー(400万台売れた)の名機SPを開放測光にしたもの。付いているタクマー55mmF1.8はいわゆるアトムレンズで微量のウランを使っています。奥右がZ-1で1990年だったと思いますがカメラオブザイヤー受賞の名機で電子化が進んだ銀塩フィルム用一眼レフのピーク。手前左がMXでオリンパスのOMシリーズに対抗して、当時世界最小の一眼レフでした。そして手前右がK1000で、K2の弟機のKMからセルフタイマーとプレビュー機構を除いて価格を安くした輸出用モデル。
K2の露出計が故障している、Z-1がバッテリーが入手出きるかどうか不明、K1000のミラーの一部が黒くなっている、というのを除いてZ-1以外は全部シャッターが切れ、撮影出来ます。といってももう銀塩フィルムでの撮影をすることはまず無いと思いますが。
NHK杯戦囲碁 佐田篤史7段 対 富士田明彦7段(2025年2月23日放送分)
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が佐田篤史7段、白番が富士田明彦7段の対戦でした。この対局では最初に上辺で戦いが起きましたが、結局白が右側の4子を捨てて打ったので左側に白地がまとまりましたが、まだ黒2子の逃げ出しも残っていて、やや黒がリードしました。その後白が下辺から中央にかけて大きな地模様を築き、その中の黒が活きるかどうか、という勝負になりました。ここで劫になりましたが、劫争いの最中で白は右辺でハサミツケを打ちました。この手は黒の右上隅方面を荒らすという意味で大きな手でしたが、やはりまだ下辺から中央の黒を狙っていった方が大きかったのではないかと思います。白は右辺方面で黒4子を取るなどの戦果を上げましたが、白は上辺左の白地が劫立てに受けなかった関係で大きく減っており、トータルでは黒が盤面10目ちょっとリードしたままでした。結局黒の中押し勝ちとなりました。
ウルトラマンタロウの「あぶない!嘘つき毒きのこ」
ウルトラマンタロウの「あぶない!嘘つき毒きのこ」を観ました。何と言うか、タロウ版「マタンゴ」?
巨大キノコが登場し暴れますが、タロウが火炎で焼き払ってあっさり倒されました。しかし1個だけ生き残ったキノコが、たまたま東隊員から植物と会話する機械を借りていた鍵っ子(両親とも働いていて、常に家の鍵を持ち歩いている子供)に水をくれるように頼み、水をもらった巨大キノコは復活します。色々あってそのキノコを食べた子供はキノコ人間になります。(この辺がマタンゴ)それから団地の給水タンクに入った巨大キノコは毒を団地中にばらまき、団地の住民もキノコ人間になります。挙げ句の果てはZATの隊員までキノコ人間になります。タロウが2度目の登場で、今度は王冠ブレスレットで巨大キノコの水分を全部奪って倒します。巨大キノコの名前はマタンゴではなくて、マシュラです。
日本SF作家クラブ編の「AIとSF」
日本SF作家クラブ編の「AIとSF」を読了。何で「AIトランプ」みたいなヨタ話のアイデアを出しているかというと、この本の中身がほとんどつまらなかったから。SFなのに現実の動きに引っ張られすぎで、死者の代わりをAIに勤めさせるとか、近い将来に実現しそうな、あるいはもうしているような話が多く、SFらしい飛躍というか、かんべむさし的なはっちゃけがまったく足らないと感じました。まあ「智慧練糸」の仏師が1000体もの観音像を半年で彫ることを間違って受けてしまい、そこに「妖」という画像生成AIが出て来て、仏師二人があれこれ言うのに、まったく思った画像にならなくて苦労する、というのは最近InDesignの画像生成AIで同じような経験をしたので面白かったですが、後のはもう一ひねり、二ひねり、くらい欲しいです。全体に達者なことは達者なんですが、スケールが小さいというか小利口というかそんな感じがします。1960年代のSFの破天荒さが懐かしいです。ちなみに「2」も出ていて買ってますが、読むのはしばらく保留します。
明朝(20日)の予想最低気温@相模原市緑区の山の中
plethoraの語源
ヴェーバーの「ローマ土地制度史」で今訳している所で、ギリシア語でπλεθρον, πλεθρα というギリシア語の面積の単位が出て来たので、ChatGPT4oに英語の「plethora」(多すぎること)と関係があるか聞いてみたら、直接の語源ではないですが、どちらもギリシア語の「満ちる」という動詞から来ているようです。ちなみにa plethora of は英語では単に多いではなく「過剰、多すぎる」というニュアンスが強いです。
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ここに出て来たギリシア語のplethron、plethraはもしかすると現代の英語でのplethora(過剰)と関係がありますか?
ChatGPT:
とても鋭い視点ですね!ギリシア語の「πλέθρον(plethron)」と、英語の「plethora(過剰)」が関係しているのか? という疑問は、語源的にとても興味深い問題です。
1. ギリシア語「πλέθρον(plethron)」とは?
πλέθρον(plethron) は、古代ギリシアの面積単位 であり、約 100平方キュビット(約1/3ヘクタール ≒ 3,000㎡) に相当します。
この単語の語源は、πληθώ(plēthō)(満ちる、いっぱいになる)と関連があります。
2. 英語の「plethora」との関係
plethora は ラテン語「plēthōra」 を経由し、ギリシア語「πληθώρα(plēthōra)」 から来ています。
πληθώρα(plēthōra) は、「満ちている状態」「過剰」「豊富さ」という意味を持ち、語幹はやはり πληθώ(plēthō) です。
3. 直接の語源的関係はあるか?
「πλέθρον(plethron)」と「πληθώρα(plēthōra)」は、どちらも「満ちる」「広がる」という意味の「πληθώ(plēthō)」が語幹 になっています。
しかし、「πλέθρον(plethron)」はあくまで測量単位として発展した言葉 であり、「πληθώρα(plēthōra)」は「量が多いこと」自体を意味する言葉 です。
したがって、語源的に共通する要素(πληθώ)はあるが、「plethron」と「plethora」は直接の派生関係にはない というのが正確な答えになります。
4. それでも関連性が感じられる理由
「πλέθρον(plethron)」が面積単位として広がった ため、「広がりがある」「満ちている」といった概念と結びつきやすい。
「πληθώρα(plēthōra)」は「過剰にあること」 であり、「土地が広がる」イメージとも共鳴しやすい。
そのため、語源的には異なっていても、意味的に関連があると感じられる のは自然なこと。
結論
「πλέθρον(plethron)」と「plethora」は直接の語源的な派生関係はないが、共通の語幹(πληθώ)を持つため、意味的に関連が感じられる という関係です。
つまり、「plethron(広い土地の単位)」と「plethora(過剰)」は、共に「満ちる・広がる」というギリシア語の概念から発展した、兄弟のような言葉と言えますね!
小野 央軌さんの今の気分: 楽観的
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