スター・トレックの第2シーズンの”Metamorphosis”

スター・トレックの第2シーズンの”Metamorphosis”を観ました。スター・トレックの中でこれまで観た中ではもっともロマンチックなお話でした。カークやスポック、マッコイが、連邦からある惑星間戦争を止める仲裁役として派遣されたナンシーをガリレオというシャトルポッドでエンタープライズ号へ輸送していました。しかしナンシーは難病を発病し、至急エンタープライズ号で治療が必要でした。そこにシャトルの前に突然ガス雲のようなものが現れ、エンタープライズ号はある惑星の上に不時着させられます。そこに現れた一人の男は地球人で、カクランと名乗りました。エンタープライズ号をここに連れて来たのは、電気で出来た雲のような生物で、カクランはここに不時着した時80歳を超えていて死にかけていたのを、その生物が助けなおかつ30代に若返らせてくれていました。カクランの姓はゼフラムで、ゼフラム・カクランはワープ航法の発見者として有名でしたが、150年前に宇宙で死んだとされていました。キャプテン達の観察では、コンパニオンとカクランが呼んでいる電気生物は、明らかにカクランを愛していましたが、カクランはそれに気付いていませんでした。キャプテン達がここに連れてこられたのは、カクランが孤独で死にそうだったからでした。キャプテン達は万能翻訳機を改良してコンパニオンと会話します。しかしキャプテンはコンパニオンに対し、どんなにカクランを愛していても、二人は違う生物で一緒になれないことを説明します。そこでコンパニオンは瀕死の状態だったナンシーに乗り移り、一つの肉体を二人で共有します。カクランは初めてコンパニオンへの愛を確認し、二人でこの星に残ることを決意します。

NHK杯戦囲碁 結城聡9段 対 大竹優5段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が結城聡9段、白番が大竹優5段の対戦です。右上隅で白のかかりに黒が上辺で低くはさみ、白が小目の黒にかけて黒が出切るといういきなり激しい戦いになりました。切り結んだ後、黒は上辺のハサミが低かったため、切った石との連絡に一手必要でした。その間に白は右上隅に手を入れて活き、しかし黒は眼が無いため、この別れは中央で黒が白1子をシチョウに抱えて厚いとはいえ、白の成功かと思われました。しかしここで黒が取られている黒の下側で1線に下がったのが好手で、この手ですぐ黒が活きた訳ではありませんが、白が黒の眼を取りに行くとダメが詰まり、右辺に開いた石に付けられて右辺を切り離され、締め付けられてしまいます。なので白が右辺に手を入れ、黒が活きて結果として中央が厚い分、黒のリードとなりました。その後白は上辺の黒の地模様に侵入を図りました。途中黒が妥協して地の確保に走ったので、一応黒地を割った形にはなりましたが、まだ一眼しかなく、攻めを見られていました。その後白は下辺も黒模様の消しに向かい、黒は間を割いて、白の上下の石をカラミ攻めにするという理想的展開になりました。しかし、自分の右下隅からの石と中央の石の連絡の不備を突かれ切断されたのは誤算で、右下隅からの黒が活きる上で下辺の白から1線の下がりまで先手で利かされ、下辺の白が簡単に活き形になったのは誤算でした。こうなると白は上辺からの石をただ活きるだけでなく、上辺で黒の連絡を断ち、また中央で切りを入れるという逆襲に転じました。しかし収束を間違えて継ぐ所を間違えて、中央の白の活き死にが問題になりました。ここで黒は全部の白を取ろうと頑張ったのが敗着で、活かして左辺で得を図れば勝ちでした。しかし取りに行った黒があちこち薄く、逆に白が黒2子を取り込んで活きたので、これで白の勝ちとなりました。大竹5段は初出場で初戦を勝ち取りました。

アファナシエフのモーツァルト ピアノ・ソナタ第8番イ短調(K.310)の第2楽章のテンポについて

最近知人とアファナシエフのCDを巡って議論があり、それで色々調べたことが私にはかなり興味深いものだったので紹介します。
発端は私がアファナシエフの”Ich bin Mozart”(ドイツ語で、「私はモーツァルト」。ちなみにアファナシエフには別に”Je sui Beethoven”(フランス語で「私はベートーヴェン」)というCDもあります)を買ったことです。最近発売されたCDではありませんが、TVの「題名のない音楽会」で紹介されたらしく、e-onkyoというオンキヨーがやっているハイレゾ音源配信サイトがプッシュ広告を出して来てそれで知ったものです。それでハイレゾ音源ではなく国内盤CDを買いました。(SACD)私はこのCDのアファナシエフの演奏も録音も非常に気に入ったので、ある年上の知人(以前勤めていた会社での当時の上司で、オーディオマニア、クラシックファン)にこのCDの海外盤(国内盤はDVDが付いていて高価なので)を贈呈しました。
しかし、このアファナシエフの演奏はそのお方にはお気に召さなかった(後で知りましたが元々アファナシエフが好きでなかったようです)みたいで、特に第2楽章が遅く、リズム感に乏しい、という評価をこちらにメールで送って来ました。それでその時に他の演奏者の第2楽章の演奏時間との比較が付いていました。それが次のものです。(録音の新しい順に並べ替え、リパッティ2種・ブレンデル・グールド・クラウスの新録・ラローチャ・ピリスのライブ・内田光子・ケンプ・ペライア・ハイドシェク・ギレリス・リヒテル・エッシェンバッハ・サイ・ヘブラーの新全集版・バレンボイム・シフ・ギレリス・タッキーノ・メジューエワ・グルダ(旧・新)のデータ追加)
(例)K. 310 イ短調、第2楽章 andante cantabile con espressione
ヴァレリー・アファナシェフ     12:19(2016)
ファジル・サイ            8:05(2014)
イリーナ・メジューエワ        7:24(2014)
アルフレッド・ブレンデル       9:40(2002)
エリック・ハイドシェク        8:25(1992)
マレイ・ペライア           9:35(1991)
ダニエル・バレンボイム       10:40(1991)
マリア・ジョアン・ピレシュ      9:09(1989)
アリシア・デ・ラローチャ       8:30(1989)
スヴャトスラフ・リヒテル       8:01(1989)
イングリッド・ヘブラー        9:34(1986)(新全集)
クラウディオ・アラウ        10:11(1984)
内田光子              10:42(1983)
フリードリヒ・グルダ         9:00(1982)(第2回目)
アンドラーシュ・シフ         7:52(1980)
マリア・ジョアン・ピレシュ      6:30(1974)(東京ライブ)
エミール・ギレリス         10:58(1970)(モスクワライブ)
グレン・グールド           6:18(1969)
リリー・クラウス           8:23(1968)(ステレオ再録)
クリストフ・エッシェンバッハ     8:36(1968)
ワルター・クリーン          7:27(1964)
イングリッド・ヘブラー        8:51(1963)(旧全集)
ヴィルヘルム・ケンプ         6:17(1962)
ガブリエル・タッキーノ        6:59(1961)
ヴラド・ペルルミュテール       6:34(1956)
リリー・クラウス           9:40(1954)
フリードリヒ・グルダ         7:47(1953)(第1回目)
ワルター・ギーゼキング        6:44(1953)
ディヌ・リパッティ          5:58(1950)(ブザンソン告別音楽会)
ディヌ・リパッティ          6:24(1950)(スタジオ録音)

このリストを見た時にすぐに感じたのが、1950年代の録音4つ(リパッティ2種・ギーゼキング・ペルルミューテル)の逆に異常な(Andante指定を無視した)録音時間の短さです。私はすぐにこれはSPレコードの一枚当たりの録音時間が関係しているのでないかと思いました。SPレコード一枚の片面の収録時間は4分ちょっとぐらいしかありません。また、1980年代以降は、ラローチャ・リヒテル・ヘブラー・サイ以外は8分40秒~12分20秒のandanteの範囲にきちんと収まっています。その4人も8分台であり、6分台で弾く人はもはや存在しません。

この第2楽章の演奏時間について色々調べました。結論としては、アファナシエフの演奏はモーツァルトのAndante(歩く速さで)という指定を無視した速すぎる演奏がスタンダード視されていたのを本来のモーツァルトが意図していた速度に戻そうとした画期的な演奏である、ということです。また、アファナシエフの師であるエミール・ギレリスはアファナシエフを除くとこれまでで一番遅い演奏であり、アファナシエフは師のその方向性をより徹底させたのではないかと思います。(このCDはギレリスに献呈されています。)

モーツァルトのこの曲の速度・曲想の指定は上記したように”andante cantabile con espressione”です。速度としてはandante=歩くような速度で、cantabile=歌うように、con expressione=表情ゆたかに、です。(このソナタはモーツァルトが22歳の時にお母さんが亡くなった直後に作曲されたもので、「表情ゆたかに」という指定は重いです。)
モーツァルトの時代にはまだメトロノームは発明されていません。(メトロノームの特許が成立したのが1816年。)現在のメトロノームではAndanteは四分音符=63~76とされています。(なお、従来型の速度指定をピンポイントでメトロノームの一つのテンポに換算することは出来ませんが、それでもmoderato > andante > adagioといった相対的な速度の順位は厳然としてありますので、この例のように範囲をもって当てはめることは十分可能と考えられます。)スマホのメトロノームアプリを用いて、手持ちのリパッティの1950年のスタジオ録音とアファナシエフの実際のテンポを測ってみました。結果は、
リパッティ     6分24秒 テンポ:四分音符=82(Moderato)
アファナシエフ 12分19秒 テンポ:四分音符=63(Andante)
となり、モーツァルトの指定に忠実なのはアファナシエフの方という結果になりました。
なお、Andante=70くらいで演奏した場合の演奏時間は丁度10分になります。(ピティナ・ピアノ音楽事典というサイトによる。)
実際に、https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/12417 に下記の説明があります。
「(前略)アファナシエフは楽譜に記されたテンポには極めて忠実な姿勢を貫いた上に創造的な自由を加えている。それは1993年録音のモーツァルト・アルバムにおいても同じことを言うことができる。確かに他の演奏家より速度は遅いものの正確なテンポの裏打ちがあるので決して鈍重ではなく、今なお色褪せることのない名演である。」
私はこの説明に完全に同意します。また国内盤のライナーの中でアファナシエフはモーツァルトの言葉を引用しており、それは自分の曲を速いテンポで弾き飛ばす演奏者に対する苦言で「速く演奏する方が簡単なのだ」と言っています。
従来このK.310のテンポが速めだった理由ですが、おそらSP時代のSPの収録時間の制限からやむを得ず採用された速いテンポが長くそれがまるで標準であるかのように考えられ、そうした演奏を聴いて育ったピアニストにも影響を与えた結果として速いテンポが定着したのではないかと思います。
SP時代の収録の仕方として、上記のリパッティのスタジオ録音の実例を挙げます。
オリジナルのSP
https://www.straight-records.jp/?pid=143182976
上記をDSD音源にした時のデータ
https://shinshuu.com/dsda/jckt/3551.jpg
SPレコードは2枚4面で、
一面:第1楽章 4:07
二面:第2楽章(1) 3:49
三面:第2楽章(2) 2:31
四面:第3楽章 2:57
何と第2楽章は6分24秒で弾いても片面に収まらないで2面に分割されています。2楽章を楽譜の指定通り10分で弾くと、もう片面必要になり三枚組になってしまい、しかも片面が残るので別の曲とカップリングする必要が出てきます。売価も上がります。(1950年頃のSP一枚の値段は調べていませんが、昭和初期だと今の感覚では一枚2万円ぐらいだったと聴いています。多少安くなっていたとしても一枚=1万円ぐらいでしょうか。)
この時代のSPはやはりピアニストがかなり協力してテンポを変えてでもSPの枚数を減らして売価アップを抑えるということが行われていたんだと思います。少なくとも1950年代の録音が3例も6分台で弾いている(しかも現在=1980年以降では誰も6分台では弾いていない)という事実からはそれ以外は考えにくいです。たとえばゲルハルト・ヒュッシュの「冬の旅」の第一曲「おやすみ」で、ヒュッシュは4番まである歌詞の内、2番を歌っていません。これもSPの片面の録音時間の制限からだと思います。また、私が高校生の時に購入したフルトヴェングラーのいわゆるバイロイトの第9は、LP一枚に無理矢理収録したもので、第三楽章が途中で切れていました。正直な所、こういう風に楽章の途中で中断が入るのはとても嫌でした。SPの時代でも楽章の途中で切れてレコードを裏返すあるいは次のレコードをセットすることによる音楽の中断はやむを得ないとはいえ歓迎されなかったと思います。

補足:
議論の中で、当時のピアノフォルテはまだ初期の段階で音があまり伸びずぶつ切りみたいになるので速く弾かないといけなかった、みたいなのが出ました。これについても検証しました。アレクセイ・リュビモフという人が、モーツァルトも使っていたというアントン・ヴァルターのピアノフォルテでこの曲を演奏しています。演奏時間は9:00でテンポは四分音符で74でandanteでした。(Andanteに入る演奏時間は8分40秒~12分20秒ということになります。)また多少今のピアノに比べると確かに音の減衰が速めですが、それでもぶつ切りという感じにはまったく聞えず、速く弾くことの理由になるとは思えません。

MQAへの疑問

MQAというハイレゾの形式の音源を聴き始めて3日ですが、早くもこの方式はインチキではないかと思うようになりました。
左のグラフはMQAが単に圧縮形式というだけでなく、より音が良いという説明に使われているものですが、要するに従来のデジタル録音は、音の立ち上がり・立ち下がりの前後に一種のノイズが乗って、立ち上がり・立ち下がりとも丸く広がってしまうのを、MQAでは非常にシャープに出来ると言っています。
しかし、これは当然元のマスターの音をデジタル的に加工して作っている訳で、写真で言うならフォトレタッチでコントラストを上げたり、シャープネスを上げるのと似ています。しかし写真と違うのは、写真の場合は一枚一枚最適なレタッチは違い、プロの写真家であれば全ての写真に一括していつも同じシャープネスをかけたりしません。しかしMQAでは元のマスターがどのような音であるかに関わらず、常にこのような処理が入る訳です。これまでMQA-CDをリッピングしたもの2種とe-onkyoでダウンロードしたアルバム2枚でMQAの音を聴きました。私の印象では直接音がやや細身になって、間接音から分離されて聞こえるような傾向を感じました。この傾向はソースによっては好ましいでしょうが、全てのソースにいいかというと大いに疑問です。また、今使っている超三結アンプとONKYOのD-77NEの組み合わせでは、ピアノの高音がSACDやDSD音源では本当に綺麗に繊細に響きますが、MQA音源ではわずかですが、濁りみたいな歪みを感じました。もしかするとそれはMQAが上記の処理をした結果の副作用として出てきている可能性があります。実はe-onkyoで売られているMQA音源には単なるMQAとMQA Studioがあります。後者の意味が分からなかったのですが、後者は元々その音源のマスターを作った人がMQA処理した後の音を確認して承認したもの、ということみたいです。ということは、逆に言えば単なるMQAは元のマスター作成者が承認していない勝手な音の加工をしているということになります。ちなみにMQAは非可逆の処理であり、一度MQAにしたものを元の音には戻せません。
それからMQA-CDもきわめてナンセンスです。ちなみにこんなものを売っているのは日本だけです。ハイレゾのCDとしてはSACDが既にありますが、プレーヤーが最低でも9万5千円くらいするし、またPCでは再生出来ないので(ハイブッリド盤は除く)、マニア以外にはほとんど普及していません。というか既に若い人はCDを買うことをしなくなっています。そこにおいてMQA-CDをかけられるCDプレーヤーは現時点で最低16万円です。普通のCDプレーヤーにMQAフルデコーダーを組み合わせるというやり方もありますが、そのデコーダーも最低で14万円くらいです。一体誰がそんなものを買うのでしょうか。

小室圭さん・眞子様について外野があれこれ言うのは止めよ。

最近、Yahooニュースを見る度に、小室圭さん・眞子様関係のニュースを片っ端から「今後表示しない」にしています。
小室圭さんと眞子様については、最初は爽やかな印象を受けました。しかしその後の色々な報道でその爽やかさはかなり減少しました。しかし、小室さんはまだ一般人です、そして明確な罪を犯した訳でもないのに、何故ここまでひどく言われなければならないのでしょうか?はっきり言って批判する人は表では道徳的な発言をしているように見せかけて、裏で動いているのは単なるやっかみの感情です。故山本夏彦翁の言う「茶の間の正義」です。つい最近、女子プロレスラーのある方がネットでの心ない批判の殺到が原因で自殺しました。もし小室さんが自殺したり、眞子様が一生結婚しないと言い出したとしたら、一体誰が責任を取るのでしょうか?はっきり言ってこれはネット上での集団による特定個人への「いじめ」「ハラスメント」以外の何物でもありません。関係の無い人はこれ以上あれこれ口を出すのは止めてください。

MQAの再生

MQAファイルが再生出来るUSB-DACを購入。MQAというのはハイレゾ音源の圧縮・配信方式の一つで、従来の圧縮形式より大幅にファイルサイズが小さくなるのが特長です。またMQAファイルを通常の音楽ファイルと一緒に入れたCDも発売されています。再生にはMQAに対応したCDプレーヤーを使うか、CDプレーヤーから光デジタルファイルや同軸でデジタル出力したものをMQAデコーダーのついたDACにつないで再生します。そうなんですが、今回買ったものはこのCDからの出力ではMQA再生が出来ないようです。今調べたらそれが出来るデコーダは最低12万円くらいします。これは普及しないわな…一応、最初からMQAも再生出来るCDプレーヤーも売られていますが、これだけのために買い換える気は当然しません。それにこの規格始まってからもう4年ぐらい経っていますが、現在発売されているMQAのCDはたったの400タイトルぐらい。それも新録音ではなくて、いわゆる疑似ハイレゾです。なお、MQA対応CDをWAVやFLACなどのロスレスの形式でリッピングすれば、MQAファイルとして認識されます。(まあそんな面倒なことするくらいだったら、CD買わないでダウンロードした方が早いです。)
e-onkyoなどで売っているMQA音源や、上記のMQA付きCDをリッピングしたものでのMQAでの再生は出来ています。MQAだと1アルバムのダウンロードが数分で終ります。(DSDの11.2MHとかだと、私の環境で20分以上かかります。)
ちなみにプレーヤーはfoobar2000はOKですが、SONYのMusic Center for PCではMQAを再生するとflac再生になってしまいます。まあ別に音質上差はないんですが。

木谷美春さんの「木谷道場と七十人の子どもたち」

木谷美春さんの「木谷道場と七十人の子どもたち」を読了。筆者は囲碁の故木谷實九段の奥様です。木谷實の内弟子で、木谷道場で育った囲碁棋士を木谷一門と言いますが、私が囲碁を本格的に打つようになった1981年頃、碁界を席捲していたのは藤沢秀行や林海峰を除くとほとんどが木谷一門の棋士でした。思いつくままに挙げると、石田芳夫二十四世本因坊、大竹英雄名誉碁聖、「殺し屋」故加藤正夫名誉王座、趙治勲名誉名人、小林光一名誉棋聖、小林覚9段、武宮正樹9段、故岩田達明9段、故大平修三9段、春山勇9段、上村邦夫9段、小林千寿6段、佐藤昌晴9段、等々、文字通り綺羅星の如く、という形容がピッタリで、後にも先にもこれだけの棋士を輩出した一門はありません。1981年頃のタイトル戦の多くは、木谷一門同士の争いでした。美春さんはその一門の子供達、タイトルにあるように実子7人を入れて70人近くもなる子供達の面倒をみて皆から「お母様」と慕われた方です。元々信州地獄谷温泉の宿屋の出身で、美人姉妹の一人として文士などに知られていたようで、ある時ここを訪れた故木谷實9段が一目惚れして求婚したようです。呉清源と木谷實の二人でいわゆる「新布石」を産み出したのもこの地獄谷温泉で、奥さんの実家ででした。戦後の食糧不足の時代は自ら畑仕事をして食べ物を作り、これだけの数の子供達、中には趙治勲名誉名人のように6歳で韓国から日本にやってきた者や、小林兄弟の末っ子の覚9段のように4歳で入門した人もいます。おそらく非常な苦労があったと思いますが、この本では淡々と描写されて、楽しい思い出だけが語られているように思います。この本を読んだだけで、何だか半目ぐらい囲碁が強くなった気がします。なお、美春さんはこの本の執筆中に亡くなられ、出版をご自分の目で見ることがなかったそうです。合掌。

「巨人の惑星」の”Land of the Lost”

「巨人の惑星」の”Land of the Lost”を観ました。出た~!またもウィリアム・ウェルチの脚本です。期待に違わず出鱈目なお話でした。ヴァレリーとバリーが巨人の惑星の「中国正月」(何故そんなものが巨人の惑星にあるのかの説明は全く無し)に、爆竹を鳴らしているのに、その爆竹を盗んで火薬を得ようとします。そうこうする内に少年がお手製の気球を飛ばそうとやって来ますが、その気球に間違って二人が入ってしまい空に飛ばされます。二人を助けようとバートンとマークも気球に乗り込みますが、気球は何故か時速500マイル(=800Km)というスピードで逆風の中を海を渡ってある別の陸地に流されそこで不時着します。そこはやはり巨人の国でしたが、キャプテン達がいた場所とは別の国で、巨人の惑星ではこの国のことを知らず、ただ海を渡ろうとしたものは戻って来ないということだけが知られていました。その国はタイタスという専制君主が支配していましたが、タイタスはある首輪を人にはめて、電気を流すかなんかで苦痛を与え思い通りに動かしていました。という風にストーリーを説明しても結局ほとんどのことが説明されていませんし、結末もナンセンスですのでここで止めます。アーウィン・アレンは何を好き好んでこんな変なライターを使い続けるのかが全く理解出来ません。

NHK杯戦囲碁 蘇耀国9段 対 秋山次郎9段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が蘇耀国9段、白番が秋山次郎9段の一戦でした。序盤での差し手争いで黒が何手もかけて左上隅の白にプレッシャーを掛け、それに対し白が手を抜いて右下隅から下辺を打つという展開になりました。黒は結局左上隅の白を中央に追い出して攻める展開になりました。そんな中、黒が6の10にふわっと白を包囲した手が好手だったと思います。白はこの手に対し5回連続で考慮時間を使いましたが、隅で活きに行かず、黒の包囲網突破を図り、激しくなりました。黒は白の連絡の不備をとがめ、白にダメを連絡させようとしましたが、白は隅は単独で活き、中央は開き直って逆に左辺の黒を攻める方針でした。しかし黒は左辺で白に1子を噛み取らせて簡単に活かしたのが疑問で、形勢は互角に戻りました。その後黒が左上隅に利かしに行った時、白が上辺左の黒3子を手を抜けば取るぞと利かしに行ったのが問題で、黒は3子を捨てて先手を取り、待望の下辺の飛びに回り、ここで黒が優勢になりました。その後白は色々策動しましたが、左下隅で黒が切りを入れ捨て石にしたのが下辺と左辺の両方で利き、結局活きていた左辺の白が見合いの手を打たれ死んでしまいました。その後白は下辺の一部を破りましたが、盤面で15目以上の差が付いており、白の投了となりました。
ところで、AIによる形勢評価ですが、今は物珍しいので興味本位で有り難がられているのでしょうが、その内反対意見も出て来るのでは、と思います。碁は逆転のゲームであって、形勢が80:20になったから終わりというものでは無いと思います。特にNHK杯戦のような早碁では。

スター・トレックの第2シーズンの”I, Mudd”

スター・トレックの第2シーズンの”I, Mudd”を観ました。第1シーズンで出てきた宇宙詐欺師のハリー・マッドが再登場。エンタープライズ号は外部からクルーに化けて送り込まれたアンドロイドに船のコントロールを奪われ、ワープ7である未知の惑星に向かいます。転送で降り立った一行を出迎えたのは、第1シーズンにインチキ美女を鉱物採掘の労働者達に売りつけようとしていたハリー・マッドです。ハリーが脱走して逃げ込んだ先の惑星がここで、そこには人間に仕えるように作られていながら何千年も命令者がいないままだったアンドロイドの星で、ハリーはアンドロイドに命令して王様気取りです。ハリーはエンタープライズ号のクルーを全てアンドロイドで置き換えて、その代りにカーク達乗員をこの星に残して去ろうとしていました。カーク達はアンドロイドの弱点を探り、2000体ものアンドロイドを中央で管理しているノーマンという電子頭脳がいるのに気がつきます。アンドロイド達は新たにやってきたカーク達を分析した結果、ハリー・マッドが人間の中でも最低のレベルであることに気がつき、エンタープライズ号を自分たちだけで乗っ取って、人間達を全部自分達が管理しようと計画します。カーク達は、ノーマンが非合理的な話や行動にはついていけないことに気がつき、わざとナンセンスなことを言ったりやったりします。その効果があって全てのアンドロイドが動かなくなります。結局カーク達はマッドをこの星に残し、またマッドが昔懐かしで作っていた自分の古女房のアンドロイドを500体も作ってマッドへの意趣返しとして出発します。
しかし、コンピューターを相手にする時非合理的な話をしてとか矛盾点を付いてコンピューターをジレンマ状況に陥らせるとか、何度も出てきています。