原子力潜水艦シービュー号の”Fatal Cargo”

原子力潜水艦シービュー号の”Fatal Cargo”を観ました。またもWelch脚本。で、今回のモンスターは白いゴリラです。ある博士がこの白い凶暴なゴリラの脳を完全に操る装置を発明したのですが、邪なその助手が、ゴリラを誘導するペンをその博士の胸に挿して、ゴリラに博士を襲わせて殺します。その後にやって来たネルソン提督は、シービュー号の上陸部隊に命じて(フライングサブで相当な時間を飛行して来たのに、上陸パーティーはほとんど瞬時に到着します。まあWelch脚本で突っ込んでも仕方がありませんが。)、ゴリラをトランキライザーで撃って眠らせ捕まえてシービュー号に持ち込みます。後はお約束で、邪な助手がゴリラを操ってシービュー号の中で大暴れさせて、という話です。でそのゴリラですが、当然のことながら着ぐるみです。なのでゴリラといいつつ身長が人間と変わらないので、あまり怖さが無いのですが。この頃は、こういう着ぐるみ専門のアクターがいて、自分で着ぐるみを作って色んな番組に出ていたみたいです。それで邪な助手について、クレーン艦長は昔から知っていて、有名人の業績をいつも自分の業績のように見せたがる男だったということで、ネルソン提督にその旨報告しようとしますが、男に襲われて気絶させられ、ゴリラが暴れている間はずっと登場しません。

原子力潜水艦シービュー号の”Man of Many Faces”

原子力潜水艦シービュー号の”Man of Many Faces”を観ました。またもWelch脚本ですが、前回のよりははるかにマシです。シービュー号版「二十面相」です。冒頭でいきなりネルソン提督が放送中の番組に押し入り、ネルソン提督と敵対する科学者をTVカメラが回っている前で射殺します。その頃、ネルソン提督はサンタバーバラにいたので、明らかにそれはネルソン提督ではありません。ネルソン提督は殺された科学者が発明した潮位コントロール装置によって、月が地球に引き寄せられて最終的に地球に衝突することを予想し、シービュー号でその装置を破壊に行きます。そのシービュー号の中で、チップ・モートンの偽物、ドクターの偽物、スパークス(無線技士)の偽物、シャーキーの偽物などが次々に現れ、ネルソン提督とクレーン艦長は誰を信じていいのかが分かりません。結局、最後はクレーン艦長に化けた男が、エスケープハッチの中に爆弾を仕掛けて、自身はフライングサブで脱出します。しかし、ネルソン提督はTVの殺人場面を何回も観ることで、犯人の指輪を発見し、先回りしてフライングサブに潜んでいて、犯人を倒して、潮位コントロール装置をミサイルで破壊して一件落着という話です。(爆弾は爆発寸前にクレーン艦長が魚雷発射管から放出しシービュー号は無事でした。)しかし、顔だけ変装しても、体の大きさまで変えることは不可能で、複数のクルーに次々に化けるというのは理屈に合いませんし、大体科学者が何故そんなことに長けているのかまったく説明がありませんが、まあWelch脚本ですから、そういう合理的な説明を期待しても無駄です。

ジョン・ヒューストンの”Moby Dick”(白鯨、1956年)

ジョン・ヒューストンの1956年の”Moby Dick”(白鯨)を観ました。私はこの有名な話の原作をお恥ずかしながらまだ読んでいません。この映画は興行的には失敗だったようですが、原作に忠実な映画化だそうで、重厚で非常に感銘を受けました。これを観たきっかけは、原子力潜水艦シービュー号のネルソン提督を演じている、リチャード・ベースハートがイシュメイルを演じているからです。グレゴリー・ペックのエイハブ船長が、単に復讐の狂気に取り付かれた人間というより、かなり理性的な名船長でありながら、それでもモービー・ディックに対する怒りを禁じ得ないという感じが非常に良く演じられていました。私は、もっと小さな船で、また乗組員も数人で鯨と戦うのかと想像していましたが、技術的には銛を手で撃つなど原始的ですが、捕鯨船そのものはかなり大きな船で予想と違いました。また、海域的にも喜望峰辺りから延々とビキニ環礁の付近まで鯨を追いかけており、こんな大規模なものだとは知りませんでした。ベースハートはシービュー号の時と比べて約10年前でかなり若々しい感じです。スピルバーグの「ジョーズ」はこの映画の影響を受けており、小林信彦はそのパロディーで「ジェリーズ」(大クラゲ)の話を書いて、冒頭を「私の名前だったら石丸としておこう。」で始めています。(注:「白鯨」の冒頭は、”Call me Ishmael. “で始まります。)

八球スーパーヘテロダイン組立図解(昭和4年)

Amazonを「スーパーヘテロダイン」で検索したら、国会図書館のオンデマンド出版で、「八球スーパーヘテロダイン組立図解」という本を売っていました。安かったので買ってみたのですが、昭和4年に大阪のラジオ研究会という所が発行しています。先日の日本ラジオ博物館での情報では、1924年のアメリカ製の6球スーパーが展示されていましたが、当時家一軒分の価格だったということで、ほとんど買う人はいなかったようです。そのわずか5年後に自分で八球スーパーを組み立てようとしていた人が日本にいたのは驚きです。ただ、この書籍かなり怪しくて、真空管は別に買え、と書いてあるだけで型番も書いてありません。まあ当時は三極管だけなので、そんなに種類は無かったのかもしれませんが、これ書いた人がちゃんとラジオとして機能するかを確認したかどうかは不明です。八球ですが、すべてがおそらくは増幅用ではなく、まず一つは検波用、残りの一つはスーパーヘテロダインに必要な混合用の周波数を作り出す発振用と思われ実質的には増幅段は6段ではないかと思いますが、私の知識では詳細は分かりません。
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IELTS リスニング模試

今日はIELTSのリスニングの模試をやりました。40問で30分ですが、かなりタフです。採点していませんがいいとこ8割正解出来たかどうか、という感じです。これもTOEICみたいに条件反射的なテストではなく、語られることの内容をかなり深く理解しないと正しく解答出来ません。例えば、今回やった問題の最後のセクションは、「大都市に住む生物がどのよう都会の環境に適応して言っているか」何人かの学者が調べた内容を要約した文章の穴埋めをする、というものでした。この話題はバードウォッチャーである私には優しい質問にも見えますが、それでもタフでした。

NHK杯戦囲碁 苑田勇一9段 対 富士田明彦7段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が「西の宇宙流」で有名な苑田勇一9段、白番が富士田明彦7段の対戦です。富士田7段は昨年度全棋士の中で勝率1位という華々しい活躍をしましたが、なんと今回が初出場です。この碁のポイントは右上隅で星の黒が白に両ガカリされ、一方にツケノビた後、白が隅に延び込んで来たのに押さえず、もう一方の白に付けていき、白がまた隅に延び込んでというまったく見たことがない展開になったということです。その後の折衝で黒は上辺の白に切り込みを入れ、2子にして捨て、その利きで右辺を上手く処理しようとしました。しかし白はそれに反発し、当たりに受けずに逆に黒1子を当て返しました。この結果、お互いの抜き抜きの振りかわりになりました。白は黒の想定図は外しましたが、黒が厚く黒の悪くない結果でした。その後黒は右辺の白を劫で切断する手を見ながら攻めることにより、気がつけば中央に30目以上の黒模様が出来、「西の宇宙流」の面目躍如の展開になりました。ここまでは黒が優勢でしたが、ヨセで緩みが出て、白に追い上げられました。特に左下隅で這いを打って活きを確保する手を打たなかったのは問題で、逆に白から押さえを打たれた結果、単独では活きがなく、中央に連絡する必要があり、白から色々利かされ、白の下辺の地が大きくまとまる結果となりました。それでもまだ形勢は細かかったですが、白は右下隅の効を頑張り抜いて黒に謝らせたのが大きく、おそらくここで逆転したのではないかと思います。終わってみれば、白の2目半勝ちでした。富士田7段は今期のダークホースになりそうな気がします。

IELTS(General)を準備中

IELTSの”General”を5月11日に受験するので、その対策のお勉強中です。IELTSには留学を目的とする人向けの”Academic”と、私が受験する就労目的の”General”があります。既にIELTSの参考書を2冊買ってあったのですが、参ったのはどちらも”Academic”用だったということです。この2つでは、リスニングとスピーキングは共通ですが、リーディングとライティングが内容が違います。それで、”General”に対応した参考書をAmazonで探しましたが、残念ながら日本語解説付きのものは見当たりませんでした。唯一の例外が写真の公式問題集(すべて英語)で、これはちゃんとAcademic用とGeneral用が別々に売られています。価格は5,000円前後で、そんなに厚い本じゃないのにかなり高いですが、他に選択肢がありません。
取り敢えず試験の形式に慣れるために模試をやっていて、ライティングとリーディングをやりました。ライティングは制限時間60分で、150ワード以上と250ワードの2つのエッセイを書かされます。AEONのライティングコースでこれまで300~400ワードのエッセイを61回書きましたので、さすがにこれは大きな問題はなく、時間内に175ワードと284ワードのエッセイを完成出来ました。採点はしようがないようでやりません。リーディングも60分で3つの文章を読まされます。かなり実用系の文書です。TOEICのように文法の質問とかは一切なく、ひたすら内容についての質問で、それぞれの段落のタイトルとしてはどれがふさわしいかを選択肢から選んだり、文章の内容を要約して文の穴埋めとかそんなので、かなりの部分英語の問題というより国語の問題で、それはまあ得意なので大きな問題はないかなと思います。単語はさすがにTOEICより難しくていくつか知らない単語がありましたが、それで解答に困るという程ではありません。

グスタフ・クリムト展(東京都美術館)

上野の東京都美術館で行われているクリムト展を観て来ました。良かったですが、クリムトの有名な作品がすべて網羅されている訳ではないようです。私にとってはグスタフ・クリムトとマックス・ヴェーバーは頭の中で不可分に結びついているんですが、今回クリムトがヴェーバーより2年先の1862年に生まれ、そして2年先の1918年に死んだことを知りました。つまり2人はほぼ同世代で生きた長さもほとんど同じです。この2人が私の記憶の中で結びつく理由はクリムトらの分離派が出した雑誌の名前の”Ver Sacrum”(聖なる春)によります。この「聖なる春」とは古代のイタリアのローマを含む諸族にあった習慣で、ある年の秋に大凶作に見舞われた場合とか戦争に負けて疲弊して存続の危機にあった場合、翌年の春にその年の3月と4月に生まれたばかりの新生児を神への捧げ物として選別し、その子達が一定の年齢になると共同体から追い出して未開の地に追いやり、そこで新天地開拓に従事させたという故事です。この風習は結果的にそれを行った種族の版図を拡大していくことに貢献します。クリムト達がこの故事を自分たちの雑誌の名前に用いた理由は、保守的な当時の画壇から分離して、新天地に追いやられた子達のように逆境に負けず新しい世界を切り開いていくのだという心意気によると思います。また分離派の最初の展示会が4月から5月と文字通り春に開催されたことも関係していると思います。
ヴェーバーは「経済と社会」の種族の社会学の所でこの「聖なる春」に言及します。(種族的共同社会関係 中村貞二訳
疑う余地のないことなのだが、なにかの理由から無事平穏に母なる共同社会を分離ないし移住して、よその土地に共同社会を起こしたという思い出’(「海外移民(コロニー)」、「聖なる春(ヴェール・サクルム)」、その他類似のこと)が生き続けているところには、一つのきわめて特殊な「種族的」共同感情(エトニッシュ・ゲマインシャフトゲフュール)がしばしば非常に強力に存在している。)大学での折原ゼミの「経済と社会」の訳読演習で、偶然私がこの部分の訳読の担当でした。その時、折原先生が珍しくこの語を誤訳していたのを、私がクリムトの雑誌名から正しい意味を突き止めることが出来た、という思い出です。当時折原先生には語学力を含めてその他学問全般でまったく敵いませんでしたが、そんな中で初めて小手一本くらいのポイントを上げることが出来たかな、ということで今でも良く覚えています。
絵については、クリムトも19世紀後半のジャポニズムの影響を強く受けていて、それを絵の中に採り入れようとしていたのは意外でした。後は分離派として旗揚げする前はかなり伝統的な画家という感じがしますが、分離派以後は不思議な境地を開いたのではないかと思います。後は本物の金とか宝石を使った壁画みたいなのがありましたが、宝石はともかく金を使うのは明らかに日本の技法を採り入れたんでしょうね。

ハンナ・バーベラアニメの日本における受容について

昨日の「トムとジェリー展」で思ったこと。1960年代にハンナ・バーベラのアニメがほとんど毎年のように日本で放送されました。その時日本側のスタッフが単に吹き替えで日本語化して、ということだけではなくて、かなり工夫をしているということです。単純にタイトルだけだって、「チキチキマシン猛レース」は元はWacky racesで「いかれたレース」という意味です。また「スーパースリー」も原題のThe impossiblesよりいいと思います。(原題は、Mission impossible スパイ大作戦 のもじりでしょう。)
また、主題歌も全部日本側で独自に作っています。逆の例で、日本の「マッハGoGoGo」がアメリカに輸出されていてかなりの人気だったのですが、主題歌はアメリカ風にアレンジされてはいますが、元のままです。
さらには「大魔王シャザーン」のシャザーンのセリフの「ハイハイサー」とか「パパラパー」とかはすべて日本側が付け加えた物のようです。さらにはこの「シャザーン」の第1回分については日本語吹き替えを2種類作り、どちらが良いか検討することまでやっていたみたいです。ジャパニメーションに対するハンナ・バーベラアニメの影響は誰も否定出来ないと思いますが、その過程ではこんな日本側スタッフの努力があったのであり、頭が下がります。1960年代は小林信彦が言うように、日本のテレビの黄金時代でした。

「トムとジェリー展」(銀座松屋)

銀座の松屋デパートの8Fで開催されていた「トムとジェリー展」行って来ました。
ともかくハンナとバーベラの2人がどの写真を見ても楽しそうに仕事をしているのが印象的でした。自分で楽しめないものが他人を楽しませることは出来ないですよね。後2人とも、ハンナが工学系、バーベラが金融系でアートとはまったく関係ない経歴なのも驚きました。また、1940年当時最初に2人がトムとジェリーの企画を出した時、MGMのトップが「今時ネコとネズミの追いかけっこ?」と難色を示したというのが面白く、しかし試しに一作作って公開したら、非常に好評を博し、観客から「あれの続篇はないのか」という問い合わせが殺到したそうです。
それから勉強になったのは、60年代のテレビアニメは低予算と本数をこなさなければならないという事情から、トムとジェリーの動き主体から、動きを抑えてセリフを中心にした「リミテッドアニメーション」というスタイルに切り替えたということです。それでも例えば「チキチキマシン大レース」(Wacky race)とか結構動きがあったと思いますが、あれでもセーブしていたんですね。
現在日本のアニメーションはジャパニメーションとして高く評価されていますが、その作り手はほとんど子供の頃ハンナ・バーベラのアニメを観て育ったのであり、それなしには現在の日本のアニメは存在していないと思います。
実は現在、「大魔王シャザーン」のDVDを取り寄せ中。パパラパ~(笑)。