「富士に立つ影」を高く評価した人達

作家や評論家の中で、白井喬二の「富士に立つ影」を評価している人って、私の知る限り、大岡昇平、大井廣介、そして小林信彦です。
この3人には共通点があることに気がつきました。

(1)3人とも色んなジャンルのものを評価して、極めて趣味が広い。
(2)「面白いものは面白い」と言い切れる、偏見から自由であること。

特に大岡昇平は「富士に立つ影」を10回も読んだと言っていますが、彼は文壇一のディレッタントと呼ばれていたらしいです。写真はそれぞれの人が「富士に立つ影」に触れている本です。(小林信彦のは「小説世界のロビンソン」が文庫本になる時改題されたものです。)

ヴォルフガング・シュルフター+折原浩 共著の、「『経済と社会』再構成論の新展開 ーヴェーバー研究の非神話化と『全集』版のゆくえ」

ヴォルフガング・シュルフター+折原浩 共著の、「『経済と社会』再構成論の新展開 ーヴェーバー研究の非神話化と『全集』版のゆくえ」を読了。
まず、モーア・ジーベック社による、「ヴェーバー全集」での、「経済と社会」旧稿部分の刊行は2010年までですべて完了しており、その構成は以下のようになっています。

Band I/22,1: Wirtschaft und Gesellschaft. Gemeinschaften(諸ゲマインシャフト)
Hrsg. v. Wolfgang J. Mommsen in Zus.-Arb. m. Michael Meyer

Band I/22,2: Wirtschaft und Gesellschaft. Religiöse Gemeinschaften(宗教ゲマインシャフト)
Hrsg. v. Hans G. Kippenberg in Zus.-Arb. m. Petra Schilm, unter Mitw. v. Jutta Niemeier

Band I/22,3: Wirtschaft und Gesellschaft. Recht(法)
Hrsg. v. Werner Gephart u. Siegfried Hermes

Band I/22,4: Wirtschaft und Gesellschaft. Herrschaft(支配)
Hrsg. v. Edith Hanke in Zus.-Arb. m. Thomas Kroll

Band I/22,5: Wirtschaft und Gesellschaft. Die Stadt(都市)
Hrsg. v. Wilfried Nippel

上記のように、テーマ別に分けられた五分冊ですが、折原先生はこれを、「頭のない五肢体部分」として厳しく批判します。従来は「合わない頭を付けたトルソ」でしたが、確かに「合わない頭」は取り除かれたのですが、それに替わる「新しい頭」は据えられないまま、しかもヴェーバーの構成では前半に来るべき「法」(従来「法社会学」と呼ばれていたもの)の部分が第三分冊に置かれ、後に置かれるべき「宗教ゲマインシャフト」(従来「宗教社会学」)が二番目に来るなど、順番もかなり恣意的です。

この本は、「ケルン社会学・社会心理学雑誌」に発表された折原浩先生とヴォルフガング・シュルフター教授の論争を収録したものです。シュルフター教授は1990年代初め頃までは折原浩先生とほぼ同じ考えで、「理解社会学のカテゴリー」を頭とした旧稿の再構成に賛成していたのですが、その後ヴェーバーと出版社のやりとりを分析したことによる作品史的研究が進み、従来旧稿としてひとまとめにされていた論考群が1910年~11年と1913年~14年の二つの時期にそれぞれ書かれたものに分かれていたことが明らかにされています。シュルフターはなおかつ、その後半の時期については「理解社会学のカテゴリー」の「頭」としての役割がもはや失われ、ヴェーバーは「新しい頭」を書く予定だったが果たせなかった、という主張に変わります。
それに対して折原浩先生はこの作品史研究による新事実は受け入れるものの、そうであってもなお旧稿全体を統一的にまとめることをヴェーバーは放棄していなかったとし、また「理解社会学のカテゴリー」の「頭」としての役割も後半の時期になっても失われていない、と主張します。
この「論争」で注意しなければいけないのは、双方が同じ立場には立っていない、ということです。この論争の時点では、ヴェーバーの出版社のやりとりの手紙は全集の編纂陣には公開されていましたが、折原先生は見ることができませんでした。
折原先生は、旧稿が不完全なものであったことは認めますが、その再構成については「前後参照句」と「論理的なつながり」という、徹底したテキストに内在した証拠にこだわります。それに対してシュルフター教授の方は、しばしばヴェーバーと出版社のやりとりに言及してそこから構成案を推理しようとします。それは論争としてフェアでない上に、手紙の証拠としての効力を過大評価している所があり、結局の所空理を積み上げているような印象を受けます。
結果的に全集の編纂陣は折原先生の批判を採り入れず、単に原稿の素材をそのまま加工せずに提示する、という消極的な出版に留まっています。「経済と社会」の諸論考は、どういう順番で読めばいいのか、初学者には特に分かりにくいのですが、この全集に最初に触れる限り、適切な指導者無しには「理解社会学のカテゴリー」をまず読むべき、ということもわからず、今後もこれまでと同様、断片的な利用が続いてしまう、という困ったことになっています。
この問題に関する読書は、後一冊、折原先生の「日独ヴェーバー論争」(2013年)があり、これまで読むと一応最新の状況までフォローできたことになります。

折原浩先生の「『合わない頭をつけたトルソ』から『頭のない五肢体部分』へ -『マックス・ヴェーバー全集』(『経済と社会』「旧稿」該当巻)編纂の現状と問題点)」

折原浩先生の「『合わない頭をつけたトルソ』から『頭のない五肢体部分』へ -『マックス・ヴェーバー全集』(『経済と社会』「旧稿」該当巻)編纂の現状と問題点)」を読了。未来社から出ている「マックス・ヴェーバーの新世紀 変容する日本社会と認識の転回」に収録されているもので、この本は1999年11月に行われた「マックス・ヴェーバーと近代日本」というシンポジウムのまとめとして出版されたものです。
これまで折原浩先生の論文を読んで振り返ってきたように、ヴェーバーの「経済と社会」はこれまで二部構成という誤った構成が採用され、かつ二部となっている「旧稿」の部分の本来の頭であるべき「理解社会学のカテゴリー」が一緒に収録されず、一部の冒頭にある「社会学の根本概念」が「合わない頭」として付けられているという問題がありました。この二部構成ではない、ということは既にヴェーバー関係者の間で常識と化していますので、この点は問題ありません。しかしヴェーバー全集の編集者の一人であるヴォルフガング・J・モムゼンは、「理解社会学のカテゴリー」を新たな「頭」とすることに反対し、それでいて彼なりの再構成案を示すのではなく、旧稿を「執筆の順番で」五つの分巻に分けて出版に踏み切ってしまいました。これを折原先生は「頭のない五肢体部分」と評します。本来やるべきなのはヴェーバー自身が「論理的にこう構成されるべき」という順番にして出版することでしたが、残念ながらそれは成されませんでした。こうして、何の事情も知らないでこの五分冊を読んだ人は、それらがどう相互に関連しているのか、またそこに使われている概念はどこで定義されているのか、知らないままに読んで、結局断章取義に陥ることになります。ちなみにモムゼン氏は2004年に亡くなっています。結局再構成問題は、全集の刊行には間に合わず、将来の解決へと先送りされることになりました。

NHK杯戦囲碁 坂井秀至8段 対 柳時熏9段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が坂井秀至8段、白番が柳時熏9段の共にタイトル経験者同士の対戦です。布石は黒が上辺をミニ中国流もどき(真ん中の石が一路右)に構えたのに白は右辺に展開しました。黒は上辺を広げようと右辺の白にカケを打ち、白は下を這って受けました。数手後白は上辺黒にボウシし、黒は右辺の白に対し一間の詰めを打ち、右辺の白の構えの中に置いて白の眼を取ることを狙いました。白はこれに対して守る手を打つのは利かされで辛いとみて手を抜き、上辺の黒に付けて行って切り違えました。黒が平凡に受けずに反発した結果ここは劫になり、劫立てで黒が中央で白2子を取り、白は上辺を破りました。右辺の白はこの結果になる前に白が一手入れて強化していたため、この分かれは白に分があったと思います。先手を取った白は下辺を目一杯拡げました。それに対し黒ははさんで行きましたが、白はすぐ右下隅の三々に入りました。その後黒は右辺の白を攻めようとしましたが、白は右下隅の黒に対し巧妙な覗きを打って攻めを緩和しました。その後黒は右辺で両方から当たりがある所を先に打ち、白の眼を取りました。それに対し白は中央に逃げました。黒は白を追いかけつつ左辺に打ち込みます。黒は左辺で二間ビラキしますが、白はそれに対し下の黒にボウシしました。黒は左下隅方面に逃げようとしましたが、結局中央を切りました。黒は切った石を逃げましたが、左辺がかなり危なくなりました。黒はここで包囲している白に切りを入れるという勝負手を放ちました。さらに黒は中央の白に覗きを打ち、結果として右辺からの白が切断され、ここをしのがなければならなくなりました。白はそこで下辺の黒に切りを入れ、この黒とのからみで下辺を活き、同時に包囲している黒を取って右辺の石もしのごうとしました。この試みはほとんど成功して黒は投了寸前でしたが、下辺で活きようとした手を間違え、黒が白を切っている石から下がりを打ったのが右下隅に連絡してしまい、白の眼が無くなりました。白は仕方なく下辺の黒との攻め合いに持ち込もうとしました。結果として下辺を活きる手順はあったのですが、それをやると左辺が非常に味が悪くなるため、白は下辺を捨てて打ちました。この結果黒は下辺の地をかなりの白石の持ち込み付きで制し、なおかつ左下隅も侵略したため、投了寸前から互角へと完全に息を吹き返しました。それでも左辺が完全な白地ならまだ白が若干優勢ではないかという感じでした。しかし黒は左辺上部に置いていき、白が受け方を間違えたため、ここで黒が活きることに成功し、なおかつ残りの取られている黒も攻め取りにさせるという大きな戦果を挙げました。これでさすがの白の好局もふいになり、白の投了となりました。