池田浩士の「大衆小説の世界と反世界」を斜め読みで読了。筆者はこの本が書かれた1983年当時京都大学教養学部勤務で、ルカーチの著作の訳者。私にとって興味がある、白井喬二、国枝史郎、そして雑誌「新青年」関係の所を中心に読み、後は飛ばし読みです。白井喬二については、デビュー作の「怪建築十二段返し」の終わり方が、講談の終わり方をそのまま真似しているなど、いくつか私には新しい指摘がありましたが、総じて白井の作品をあまり読んでいないのが明らかでした。例えば平凡社の現代大衆文学全集の第1巻の白井の巻に収められている「新撰組」以外の作品は、白井の創作ではなく、近松門左衛門や竹田出雲の現代語訳(白井喬二が作家デビュー前の学生時代にアルバイトとしてやったもの)に過ぎないのですが、それすらわかっていないようです。
「新青年」については読者参加を中心に色々と新しい試みをしていたということをこの本で知りました。読者から小説を募集するのはもちろんのこと、複数の作家でリレーで作品を書いていったり、あるいは複数作家で最初から最後まで一本の小説を書いたりとかしていました。またある作家が連載途中で死亡してしまった後、読者からその続きを募集していたりしたことを初めて知りました。
日立英語検定(HELPT)のこと
以前、新社会人になってから10年間、ある日立グループの会社に勤め、海外営業部門に所属していました。日立グループでの英語の実力の尺度は、1990年代になってTOEICが採用されるまで、HELPT(Hitachi English Language Proficiency Test)という独自の英語検定がありました。これは、A、B、C、D、E、Fの6段階のテストでした。TOEICみたいにスコアではなく、どの段階に合格するかというものでした。一応Bが英検1級相当ということになっていました。Aは最高クラスですが、実際にはグループ内に該当者がいないということになっており(本当はいたと思いますが)、私の時は試験自体が実施されていませんでした。私は入社して2年目くらいでまずDに合格し、翌年C、そのまた翌年にBとトントン拍子に合格しました。Bが英検1級相当というのは、私の経験から言って絶対そんなことはなく、準1級よりももしかすると下かもしれません。(実際に日立グループの会社の時に受けたTOEICの点数は895点で、これは英検1級レベルではありません。)Bの試験の時はペーパーテストの後、ネイティブによる面接テストがあり、当時お茶の水にあった日立製作所本社ビルまで行った思い出があります。インターネットを検索してもこのテストについての情報はほとんど出てこないので、記録のためにアップしておきます。
NHK杯戦囲碁 安達利昌4段 対 内田修平7段
本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が安達利昌4段、白番が内田修平7段の対局です。安達4段は今回初出場で年齢も20代後半同士のフレッシュな対決です。二人は今回が初手合いです。布石は白が左辺で向かい小目を採用しましたが、黒が左下隅にかかったのを白が三間高バサミし、黒が更に左上隅にかかりました。黒は白が下付けしたのに手を抜いて左下隅を大斜ガケしました。白はこれに対しコスミツケて簡明な分かれを選択しました。下辺を黒は先手で切り上げ、左上隅に回って、白は2つの隅と下辺で実利を得ました。焦点は最初に三間高バサミで挟んだ白の1子が黒の勢力圏に取り残され、これへの攻撃としのぎが勝負のポイントになりました。白はその後左辺から逃げた石から、通常中央に一間に飛ぶ所でケイマにかけました。黒は当然出切ってきて、白1子を切り離して中央が厚くなりましたが、白も好形で脱出しました。このあたり、白の打ち方が明るかったと思います。その後右辺に黒がどれだけ地を築けるかが焦点になりましたが、白は右辺に先着し、それなりの地をもって治まりました。これで白が優勢になったようです。その後黒は右下隅を二間に構えて白に寄り付きながら地を目一杯取ろうとしましたが、白はこの右下隅にも手をつけ、結果として劫になりました。劫材は黒の方が多かったのですが、白は形勢判断したのか程々の所で手を打って妥協しました。黒はその間中央の白の分断をにらみながら上辺に手を付け、ここで得をしましたが、白の優勢を跳ね返すまでには至りませんでした。黒は全体に地が足らず、結局白の中押し勝ちとなりました。
大槻知史の「最強囲碁AI アルファ碁解体新書」
大槻知史の「最強囲碁AI アルファ碁解体新書」を読了。といってもかなりの速度で要点だけを飛ばし読みした感じです。アルファ碁に関して開発者が発表している2つの論文を読み解いて解説しているものです。結局、アルファ碁(Master)とは何かというと、モンテカルロ木探索をベースにし、それに16万局に及ぶ高段者の棋譜を学習させてSLポリシーネットワークというのを作り、「次の一手」の高段者との一致率を50%以上まで上げ、更に自己対戦による教科学習で強さを上げていくことなのかなと思いました。アルゴリズムの細部はもう歳なのでついていけませんし、興味もあまりありません。一点この本で初めて知ったのは、アルファ碁がともかくも囲碁における、これまで不可能と言われていた「評価関数」を完成させたということです。そもそも「評価関数」が不可能だったからこそのモンテカルロ法だった筈で、その両方をやっていたのには驚きました。アルファ碁、Masterの棋譜を見て感心するのは形勢判断が人間より優れていて負けていれば勝負手を放つし、勝っていれば無理せずに収束に入るという点で、これが正確な局面評価に基づいているのだということがわかりました。でも、この本にも書いてありますが、私はアルファ碁、Masterが本当にプロ棋士を完全に超えたかという点については疑問に思っています。まだかなりのマシンリソースを必要とし、プロ棋士が納得の行くまで何度も対戦するという環境にはなっていません。そういう環境が与えられればプロ棋士がアルファ碁の「穴」を見つけることは十分あり得ることだと思っています。ましてやアルファ碁が「神の領域」に達したとはまったく思いません。所詮は人間の棋譜の学習にかなり依存して作られたソフトであり、人間が100のうちの2、3であれば(故藤沢秀行名誉棋聖の見解です)、4、5ぐらいになったというレベルだと思います。
博文館の「少年少女 譚海」昭和2年12月号
戦前の雑誌、今度は博文館から出ていた「少年少女 譚海」の昭和2年12月号を入手しました。この雑誌を知ったのは、小林信彦の「袋小路の休日」の中に収められている「隅の老人」によってです。「隅の老人」には、狩野道平という老編集者が出てきます。この狩野のモデルとなったのが、小林信彦が中原弓彦の名前で宝石社の「ヒッチコック・マガジン」の編集をしていた時に同じ宝石社で校正の嘱託をしていた、元博文館の編集者の真野律太です。真野律太は博文館でこの「少年少女 譚海」の編集者として、この雑誌を一時30万部を超える部数の売上にまで上げた功労者です。しかしその内容は、小説中の狩野のセリフでは「子供向けのエログロナンセンス」ということで、大正時代の子供雑誌の「赤い鳥」のような童心に訴えるような上品なものとは対極にあり、当時から「低俗」と呼ばれたものです。実際内容を見てみると、ともかく表現が押しつけがましく、絵なども派手でこってりとしつこさを感じます。これが真野さんのテイストだったのだと思います。編集後記に確かに「真野律太」の名前を確認できます。ちょっと面白いのは獅子文六(岩田豊雄)の「海軍」にも出てきた、佐久間艦長の6号潜水艦での殉職の話が載っていることです。真野律太はこの雑誌で当てますが、その後アルコール中毒で身を持ち崩し、戦後はホームレスまでやっていたのを宝石社に拾われてそこで校正をやっていました。以前にも書きましたが、最初はまったく仲が悪かった真野律太と中原弓彦が、国枝史郎の「神州纐纈城」をきっかけに交誼を結ぶようになるのは、非常に印象的です。私自身も国枝史郎にはまるきっかけとなった作品です。
バックロードホーン
家のオーディオのスピーカーはバックロードホーンというのを使っています。市販品ではなく、ハセヒロオーディオという所が出しているキットに自分でスピーカーユニットを付けて組み立てたものです。ただ組み立てといっても、音道の形に既にカット済みのスライスした木材を重ね合わせてボルトを入れてネジで止めるだけなので、誰でも作れます。ただ、追加で載せたスーパーツィーターのネットワークは自作する必要がありますが。バックロードホーンの構造はスピーカーの背後からホーン状の音道がくねくねと折りたたまれたようになっており、スピーカーの後ろから出る低音をホーンで増幅して出してやります。そのためこの方式はよく「低音を盛大に出すスピーカー」だと誤解されるのですが、実際はバックロードホーンの低音は不足気味です。超低音も出ません。私の所のもクラシック音楽を聴くには不十分なんでサブウーファーを別につけて補っています。(FostexのCW250Aをペアで使っています。)バックロードホーンの長所は、強力な磁気回路を持って、かつ軽いコーン(振動板)というスピーカーの理想に近いユニットを使えることです。このことで微細な音が忠実に再生されます。こういうユニットはそのままでは低音がまるで出ないので、それを補ってやるのがバックロードホーンの音道です。元々弱い所を補ってやっと普通にしているだけで、低音が盛大に出たりはまったくしません。密閉型のスピーカーだと、スピーカーの振動板が常に空気バネでブレーキがかけられるため、どうしても音の立ち上がりが丸く詰まった感じになってしまいます。バスレフはそれよりましですが、やはり空気バネは働きます。それに比べるとバックロードホーンは、後面が開放に近いので、スピーカーの振動板が自由に動け音の立ち上がりは最高です。音楽だけでなく映画で銃や大砲の音をきちんと再生するにはバックロードホーンしかないと言ってもいいくらいです。
ちなみに、このスピーカーユニット(ペア)にかかった費用は以下の通りです。
ハセヒロオーディオ MM-171 ¥43,800(買った当時、以下同)
Fostex FE166En 2個 ¥20,000
吸音材など ¥2,000
ネットワーク (フィルムコンデンサーと固定抵抗)¥3,000
Fostex T900A (2本)¥87,020
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合計 ¥155,820
スーパーツィーターのT900Aがかなり高価なのですが、これを載せなければ7万円しません。
(スーパーツィーターは当初はT90Aというペアで¥33,118のを使っていました。これなら丁度10万円くらいです。)
でもそれを入れても、いわゆる高級HiFiスピーカーとしては市販品よりずっと割安です。
博文館の「新青年」昭和2年9月号
博文館の雑誌「新青年」、一冊だけじゃ雰囲気が十分わからないかと思って、同じ昭和2年の9月号も入手しました。この9月号には、谷譲次の「めりけんじゃっぷ 商売往来」シリーズの「じい・ほいず」(Gee Whiz!「おやまあ」ぐらいの意味)が載っています。谷譲次は本名長谷川海太郎で、谷譲次、林不忘、牧逸馬の3つのペンネームを使い分けた多才の人です。林不忘としては有名な「丹下左膳」を生み出した人です。多才が災いしてマスコミの引っ張りだこになり、そのせいで病気(喘息)になり、わずか35歳で命を落とします。長谷川海太郎は実際にアメリカを放浪した経験があり、当時としては非常に新鮮なアメリカ情報だったろうと思います。今読んでも十分面白いです。
その他、この号は「劇と映画號」となっていて、小山内薫の「演劇に関する或考察」などが載っています。探偵小説だけを載せていた訳ではなく、このような多彩な内容で、都会の青年を惹き付けたといいます。
白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第1回)
白井喬二の「捕物にっぽん志」の連載第1回分を読了。「歴史読本」の昭和34年6月号に掲載。エッセイみたいなものではなくあくまでも小説です。実在が疑われる怪しげな文献を典拠にして、これまた怪しげな歴史をでっち上げるのは白井喬二の得意技ですが、この作品がまさにそれです。日本に古来から、天皇家に伝わる「三種の神器」と対を成すように、民間に伝わる神器というべき「石歴翁(しゃくれきおん)」というのがあって、ふとしたことでそれが土蜘蛛族の手に入るが、知恵で勝るヤマト族の熊野戸畔(くまのとべ)がそれを奪ってしまい、戸畔の部下の捕り物の名人の可美真手(うましまで)と土蜘蛛族の捕り物の名人である聯小が対決するというお話です。白井喬二のことですから、「捕物史」といっても普通のものを書く筈がないと思っていましたが、ここまでぶっ飛んだものだとは想像外でした。
第221回TOEICの結果
博文館の「新青年」昭和2年5月号
古雑誌の漁りついでに、「新青年」の昭和2年5月号を入手。丁度横溝正史が編集長をやっていた頃です。この雑誌は、大正から昭和初期にかけてのモダニズムの雰囲気をもっともよく体現した雑誌と言われています。確かに表紙には見えにくいですが情報にローマ字でSHINSEINENと書かれているのが新しい感じですし、表紙絵のキャラクターは何となく「ひょっこりひょうたん島」の人形達を思い出させます。ただ、目次を見たらぱっと見た感じでは、「キング」などとそんなには変わらない感じで小説主体です。ただその小説の中身が、「キング」のように時代小説主体ではなく、翻訳・国産を合わせてミステリー(この当時の言い方では「探偵小説」)で占められているのがそれらしいです。また特集として「なんせんす號」となっており、ショートショートみたいなのが載っています。試しに小酒井不木のを読んでみましたが、どうってことはなかったです。「マイクロフォン」という短信みたいなのに国枝史郎が登場しています。(青空文庫で読めます。)翻訳物はO・ヘンリー、コナン・ドイルとB・アドラアでアドラアはどういう人か知りませんが、なかなか一流の作品を掲載している感じがします。