白井喬二の「外伝西遊記」の連載第25回を読了。「大法輪」の昭和52年1月号です。昭和52年というと私が高校に入学した年で、改めて白井喬二の創作活動の長さに感心します。
この連載もかなり終わりに近づいていて、三蔵法師一行はかなり天竺の近くに来ていますが、まだまだ苦難が待ち受けています。この回ではすべてが逆の鏡国をやっとの思いで抜けてきたら、今度は僧侶を取って食うという化け物の国である滅法食肋三昧国に迷い込みます。ここで悟空は一行6人(通常の西遊記の一行に、この物語では吾呂という少年が加わっています)を蝶に変えて、呑亀大王の館に乗り込もうとします。この「外伝西遊記」がオリジナルと違う点は、吾呂という少年が語り部のように加わっているという点以外に、悟空が使う仙術について白井喬二がかなり創作しているということが言えます。このことは「忍術己雷也」以来の白井の得意技です。この回の蝶に化ける術も白井の創作だと思います。
モダン日本 昭和16年3月号
モダン日本の昭和16年3月号を入手。これも白井喬二の小説が目当てですが、載っていたのは「玉の輿(侍匣)」で、「侍匣」に収録されていたもので既読でした。
そういう意味で空振りでしたが、ただこのモダン日本を昭和12年のものと比べてみると差は歴然としています。まず紙質が明らかに低下してこちらの方が若いのに色落ちも激しいです。また、昭和12年8月号に水着のグラビアが載っているのに対し、昭和16年3月号は「空ゆく若人 グライダー部隊」という色気も素っ気もない記事が載っています。本文も「ヒットラー総統の私生活」とか「座談会・傷痍軍人が職域より叫ぶ翼賛の声」とかの戦時色丸出しのものがかなりの部分を占めています。モダン日本は戦時中は敵性語である「モダン」を嫌って「新太陽」に名前を変えたみたいですが、いつからかは不明です。
白井喬二の「昼夜車」(2)
白井喬二の「昼夜車」、モダン日本の昭和12年8月号の回を読了。先日読んだ3月号が第15回でしたから、この月のが第20回にあたります。前号までのあらすじがついているので、大分話の見通しがついてきました。主人公の大瀬影喜は、女性問題で主家を追われていましたが、実はそれは冤罪であるとのことで、再度300石で取り立てるという使者がやってきます。しかし、影喜に許嫁のお美津を取られた松次郎があれこれ言い立てたのと、実際に不義の仲でお美津と同居していることが使者に知られ、使者は一旦引き上げます。そこに、一度影喜を襲って失敗している刺客が、再度影喜を狙ってやってきますが、影喜は逃げ回って相手を疲れさせて撃退してしまいます。その後使者が再びやってきて、500両のお金を差し出して…という所でこの回は終わります。この次の回がたぶん最終回なんですが、どういう決着になるのかまるで見当がつきません。
ちなみにこのモダン日本の昭和12年8月号ですが、80年経過しているのが信じられないくらいの美本で状態が良いです。
昭和12年の「ダットサン」の広告
山形県鶴岡市立加茂水族館
NHK杯戦囲碁 許家元4段 対 高尾紳路名人
8月13日のNHK杯戦(旅行中だったので録画で視聴)は、黒番が許家元4段、白番が高尾紳路名人の対局です。この2人の対局はこれまで何と許家元4段の2勝0敗だとか。本局は、何というか非常にプロらしい、戦いが延々と続き、お互いに相手の石を突き抜き合い(どちらも「割かれ形」)、振り替わりに継ぐ振り替わりで、生きていた石が死に、取られていた石が生還し、という目まぐるしい展開でした。特に黒が下辺に侵入しようとした手を受けずに白が右辺に侵入し、右辺の黒を取ってしまう(攻め取りですが)になりました。この過程で司会の長島梢恵2段が指摘した手をおそらく両対局者とも気付いていなくて(解説の羽根直樹9段も気がついていませんでした)、もしそう打たれていたらまた違った展開になっていて、どちらが勝ったかは分かりません。結果的には白の高尾名人の半目勝ちで、白から劫を仕掛ける手段があるのを劫にせず終局したので、高尾名人がわずかな優勢を読み切っていたのだとは思いますが、どちらにころんでもおかしくない激闘でした。
だだちゃ豆
庄内米歴史資料館の「おしん」
山形県鶴岡市/藤沢周平記念館
白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第9回)
「人物往来 歴史読本」の昭和37年2月号を入手。白井喬二の「捕物にっぽん志」の第9回が載っています。この9回は一話完結の話です。これがまた不思議で、いかにも白井喬二らしい極めて怪しげな文献(そんな文献が本当にあるのか不明)に基づいたもので、戦国時代に摂津の人である佐振延吉という武士のなれの果ての人が当時の中国(時代的には明)に渡るのですが、その目的が「中国の遊侠の徒を調べて、その遊侠道を日本に持ち帰る」ということなのが、極めて変わっています。お話はその延吉が明で見聞きした珍しい体験を四話記載したものです。どういう積もりで「にっぽん志」の中にこのような不可思議なお話をはさんだのかがよくわかりませんが、実に白井らしいお話ではあります。