本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が辻󠄀篤仁3段、白番が鶴田和志6段の対戦です。布石は4隅平行対抗の星というものですが、その後黒がダイレクト三々というのが現代風です。序盤はどちらかというと黒が実利に付いていましたが、上辺の競い合いで白が2手左上隅にかけてそこを大きく地にした関係で白の余し作戦になりました。黒はまず上辺の白を攻めて中央に厚みを築き、それから左下隅から延びる白を攻め、更に右下隅の白を攻めました。白は結局3つとも活きましたが、黒が少しずつ得をし、黒の打ちやすい局面になりました。大ヨセに入った時、AIは黒が中央を守る手を第一の候補に示していましたが、黒は優勢とはいえ、守りだけの手は打ちにくかったのか、左上隅の大きなヨセに回りました。白は左辺で2手利かしを打ってから中央をハネだし、黒の上辺からの石、中央左の石、下辺からの石を分断しました。この結果形勢は混沌とし、白にもチャンスが生まれました。上辺の黒と中央から上辺左方に延びる黒の連絡を巡って大きな劫争いになりました。ここで白の劫立てで中央の黒を脅かした手に黒が劫を解消した手が機敏で、黒は切断された下辺の黒を活きる好手を用意しており、白の劫立てが不発に終わりましたので、黒が大きくリードとなりました。白は諦めずにヨセを続けましたが、結局投了となりました。
ウルトラQの「ゴメスを倒せ」
ウルトラQの第一話「ゴメスを倒せ」を観ました。アメリカ・イギリスの60年代SF系ドラマと比べて、日本の特撮の方が優れているのは怪獣やエイリアンの造形です。まあゴジラを創り出したのは日本の円谷プロですから当然ですが。このゴメスがウルトラシリーズの怪獣1号になります。ゴメスのデザインはまあ明らかにゴジラの変形ですね。でも感心したのは顔に毛が生えていることで、最近の研究では恐竜は従来考えられていたのと違い、体毛があったとされています。
それに比べるとリトラは何か鶏みたいで可愛いです。尻尾は孔雀の羽でした。このお話では卵から孵ったばかりの幼鳥(?)のリトラが、トンネル工事でぶち当たった洞窟から出てきたゴメスと戦い、その強力な溶解液でゴメスを倒すも力尽きて自分も死ぬ、というものです。
ちなみに、ウルトラQ放映時に私は5歳で、かろうじて内容を記憶している世代です。
トワイライト・ゾーンの”Back There”
トワイライト・ゾーンの”Back There”を観ました。トワイライト・ゾーンというより、タイム・トンネルみたいな時間旅行ものでした。ピーター・コリガンはあるクラブでブリッジをしながら、タイム・トラベルで過去を変えられるかについて友人達と話していました。その際に1929年の大恐慌のスタートなる10月24日の「暗黒の木曜日」の直前にタイムスリップして、何とか株価を操作出来ないか、という議論になりました。ピーターはクラブを出ようとし、ウィリアムというウェイターとぶつかり、コーヒーがこぼれて彼の服にかかります。その後店を出てすぐ、彼は一瞬気が遠くなり、気が付くと過去に来ていました。それは1865年4月14日で、リンカーン大統領が観劇中に銃で撃たれて死亡した日でした。ピーターは劇場に行って今晩大統領が銃で撃たれると叫び続けますが、当然誰も信じず警察に連れて行かれます。彼は酔っ払っているか頭がおかしいとして牢に入れられましたが、ウェリントンという男が彼の身元引き受け人になり、ピーターを救い出します。ウェリントンの部屋でピーターはワインを勧められ飲みますが、それには薬が入っていてピーターは気を失います。その部屋の大家と、ただ一人警官でピーターの言うことを信じかけていたウィリアムがやって来て、彼を介抱します。ピーターはウェリントンは何処だ、と聞きますが、大家はそんな名前の者はここには住んでいないと言います。ピーターがウェリントンからもらったハンカチにはJ.W.B.という刺繍がありました。大家はそれはここに住んでいるジョン・ウィルクス・ブースのことだと言います。それこそがリンカーン大統領暗殺の犯人でした。何故か暗殺のことを知っていたピーターを黙らせようと薬入りのワインを飲ませたのでした。その後ピーターは気が付くと現在(1961年)に戻っていました。もう一度店に戻って仲間に自分の体験を話そうとします。そこには何故かウェイターだったウィリアムが大金持ちの身なりで座っていました。その話す所によると、彼の曽祖父が警官で、リンカーン大統領暗殺の時にそれを予言するようなことをしたため、警官として出世し、後に実業に転じて大金持になったということでした。つまり、リンカーン大統領暗殺という大きなことは変えられなかったけど、このウィリアムという警官の運命は変えられた、というオチでした。
まあこの手のタイムトラベルもので、過去を変えられない、というのは良くあるパターンですが、このエピソードはそれにほんの少し捻りが入っていて、まあまあ楽しめました。
アウター・リミッツの”The Borderland”
アウター・リミッツの”The Borderland”を観ました。何というか、アングロサクソンが大好きなSF+オカルトのミックスでした。
3人の科学者が高電圧をかけて磁界を作る実験中に、たまたま極性を急に反転させることによって、この世界とおそらく4次元がつながるという現象を発見します。その代償として一人の科学者、フレイザーの右手は反転して左手と同じ配置になってしまいました。この実験を更に続けるためには大電力と大金が必要なため、3人は最近ディオンという息子を亡くしたハートレーという金持ちに接近します。ディナーに招かれた3人ですが、そこでは霊媒師がディオンの霊を呼び出そうとしていました。しかし、フレイザーはそのインチキを暴きます。そしてハートレーに自分の反転した右手を見せ、資金援助を依頼します。3人はディオンを4次元世界で探す、という条件である大きな発電所の電気を一時間だけ全部使えるようになります。静物やネズミで実験して、4次元に接続する実験は上手く行っていました。そこでフレイザーは最後に自分が実験台になって4次元接続の状態を観察しようとします。しかし実験の途中でフレイザーに恨みがある霊媒師のアシスタント(演じている俳優は、原子力潜水艦シービュー号でドイツのUボートの艦長の亡霊を演じていたアルフレッド・ライダー)が故意に発電機の一つを破壊したため、フレイザーは高電圧磁界の中に閉じ込められ、不思議な異世界を目撃します。彼の妻で同僚科学者のエヴァは何とかフレイザーを連れ戻そうとします。そんな中フレイザーは亡くなった息子のディオンをその異世界に発見します。エヴァはフレイザーの手を引っ張って何とか普通の世界に連れ戻すことに成功します。しかしハートレーは異世界に死んだ息子がいることを知って、高電圧磁界の中に飛び込み、消滅します。
お話自体は大したことはなかったですが、特撮がこの当時としては優れていたと思います。光学合成、という奴でしょうか。
トワイライト・ゾーンの”Dust”
トワイライト・ゾーンの”Dust”を観ました。ある西部の町で、一人の男が絞首刑にされそうになっていました。彼は酔っ払って馬を乗り回し、子供を殺してしまっていました。ルイスという行商人が、一方で保安官に絞首刑用のロープを売りつけていながら、もう一方で絞首刑にされる若者の年老いた父親には、単なるそこら辺の砂を「魔法のダスト」で、これをふりまけば人々の心に愛が芽生え、若者は許されると言って老人を騙し、大金を巻き上げます。いよいよ処刑の時、父親は「魔法のダスト」を撒いて、人々に慈悲の心を呼びかけます。しかし効果は無く、死刑が執行されます。そこに奇跡が起き、ロープが途中で切れて若者は無事でした。殺された子供の両親は、「犠牲者は一人でいい」と言い、再度の死刑執行を求めず、若者は家に帰ることを許されます。ルイスは切れたロープを確かめ、どこにも問題が無いことを確かめます。しかし彼はそこにやって来た貧しい子供達に折角巻き上げた金貨を上げてしまいます。そしてあの「魔法のダスト」が本物になったのではないか、と訝るという話です。
脚本はホストのロッド・サーリングですが、ちょっとあまりにもありがちな話で、もう少し捻りが欲しかったです。
小泉進次郎とマックス・ヴェーバー
何かの過去の選挙の開票特番で池上彰(マックス・ヴェーバーのファン)が小泉進次郎に対して、「マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』は読まれましたか?」と聞いたのに対して、その答えが「ええ、でも中身には共感しますが、タイトルがいただけない。政治は職業ではありません。」といった答えをしています。(ここ参照。)
(1)おそらく小泉進次郎は「職業としての政治」も「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のどちらもきちんと読んでいないと思います。読んでいれば「政治家は職業ではない」などというトンチンカンな答えをする筈がない。マックス・ヴェーバーにおけるBerufの意味を全く理解していません。
(2)この答えは小泉進次郎自身に対しても不利に働くもので、この時池上彰が「職業じゃないとしたら世襲の地位なんですか?」と聞いたら、進次郎は一体どう答えたんでしょう。
ちなみに小泉進次郎はアメリカに留学し、政治学修士。(コロンビア大学で「「TOEFLのスコアが600点に達するまで大学内の語学講座で英語の授業を受ける」という条件の、ほとんど裏口入学。通常留学に要求される英語力はTOEICであれば最低でも950点ぐらい、IELTSで6.5以上。)
さらに、政治家としては4代目のこれ以上ない世襲政治家。(ちなみに曽祖父の小泉又次郎は入れ墨をしていたヤクザ代議士でした。)
アウター・リミッツの”It Crawled Out of the Woodwork”
アウター・リミッツの”It Crawled Out of the Woodwork”を観ました。NORCOという物理学研究所で新しく働くことになった、スチュアート・ピータースとその弟が正式赴任日の前日にNORCOを訪れますが、そこの門番はよそよそしくすぐに二人に立ち去るように言います。その際にタバコをねだった門番はマッチを返す前にメッセージを書込みます。それは「この研究所は呪われている。」でした。二人が行った後、門番の前に何かのエネルギーを持った形を変える雲のような物体が現われ、門番に触れると門番は消滅してしまいます。翌日スチュアートは正式に働き出し、そのボスのブロック博士に女性研究者のステファニーを紹介されます。ステファニーはスチュアートを狭い廊下のような所に入れてドアをロックします。そして「ピット」と書かれた部屋のドアを開けると、門番を消滅させたのと同じエネルギー体がスチュアートを襲い、スチュアートは死んでしまいます。しかし一週間ぐらい経って、戻らないスチュアートを心配していた弟のジョリーの前にスチュアートが現われます。スチュアートは研究所に寝泊まりしていて、ジョリーには連絡するよう研究所の人に頼んだと言います。二人はジョリーの今後(ジョリーは学校を辞めてぶらぶらしていました)のことで言い争いになり、スチュアートが足を滑らせお湯を張った浴槽の中に落ちてしまいます。その瞬間何かの電気的な爆発が起き、スチュアートは死んでしまいます。警察の調査ではスチュアートの身体には何かの電気的な装置が装着されており、それは心臓のペースメーカーでした。ジョリーは研究所で働く前はスチュアートは心臓に病気は持っていなかったと証言します。警官のサイロリオは調査のため研究所に行きます。そしてステファニーを問い質します。ステファニーは一度スチュアートをそうしたようにサイロリオも狭い廊下に入れて、ピットのドアを開けましたが、良心の呵責からドアを開けてサイロリオを助けます。そしてエネルギー体は偶然出来たもので、それを破壊することは不可能で、何とか制御することが出来るだけだと言います。そしてそれに触れた研究者は全て死んでしまいます。しかしブロック博士はそのエネルギー体を自分の発明として観察を続けるため、死んだ者にペースメーカーを付けて再生させ、博士の命令に従わなければペースメーカーを切ると脅迫して働かせていました。銃を持ってやって来たブロック博士とサイロリオが争いになりますが、落ちた銃を取ってステファニーがブロック博士を撃ちました。エネルギー体は辺り一帯を停電にしたことで、元のピットに戻りましたが、今後このエネルギー体を制御し続けられるのか誰も分らない、というエンディングです。まあ人類は核エネルギーもきちんと制御出来て来ているとは言えませんから、考えさせられるお話ではありました。
NHK杯戦囲碁 安斎伸彰8段 対 沼舘沙輝哉7段(2022年11月6日放送分)
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が安斎伸彰8段、白番が沼舘沙輝哉7段の対戦です。この碁は戦いの連続で形勢が二転三転しました。最初の戦いは右下隅で黒の右辺からの掛かりに白が挟み、黒がケイマに掛けたのを白が出切っての戦いでした。この戦いは黒が下辺と右辺の両方を打った感じで、白は右辺上方に展開しましたが、白が断点を守る必要があって後手になったのと、なおかつ右下隅から伸びる白石に眼が無いので、ここで黒のリードとなりました。その後白は右上隅の黒を攻めましたが、黒の右辺押しに白が受けなかったため、黒はハネだし、結局右辺で劫になりました。この劫は黒が勝ち、白は劫立てで上辺を連打しましたが、右辺の白地が黒地に変わって黒の有利な別れでした。黒は更に上辺の取られかけていた黒石を利用して右上隅から伸びる白を分断しました。ここでまたも中央で劫になり、黒が劫に勝ちましたが、劫を抜いても中央は黒が厚いとは言えず、右辺から中央に伸びる黒にも眼がはっきりしなかったため、混戦になりました。その途中で白が逆に勝率8割になった局面もありましたが、結局右下隅から伸びる白石に眼が無いのが最後まで祟り、その生死を賭けてまず下辺で劫になり、それが右下隅の劫に移りましたが、結局白の劫立てが無くなり、白の大石が取られて白の投了となりました。安斎8段の力強い打ち方が成功した一局でした。
トワイライト・ゾーンの”The Night of the Meek”
トワイライト・ゾーンの”The Night of the Meek”を観ました。1960年の12月23日に放送されたもので、アメリカのドラマに良くあるクリスマス・スペシャルのようなお話です。ヘンリー・コーウィンは失業者でワンルームの部屋で暮しています。そんな彼がクリスマスの時だけ、あるデパートに雇われてサンタクロースの役をやります。しかし子供達の願いを聞くだけで、決してそれを叶えてあげられない自分に嫌気が差して、そのクリスマスイブに彼はしこたま酒を飲み、一時間遅れてデパートに着きます。酔っ払って足もふらつくコーウィンはデパートのマネージャーから首を言い渡されます。とぼとぼと街を歩いていた彼の耳に突然橇のベルの音が聞こえ、猫が鳴いて彼の前に大きな麻袋が落ちて来ました。その中身は空き缶などのゴミでしたが、彼がそれを手に持ったとたん、奇跡が起きてその中は包装されたプレゼントで一杯になります。喜んだ彼は子供達に望みのプレゼントを配り、ついでに教会でクリスマスキャロルを歌っていた大人達にプレゼントを配ります。そこの女主人が不審に思って警官を呼び、彼は警察に連れて行かれます。そこにはデパートのマネージャーも証人として呼ばれていて、彼が配ったものはデパートの商品だと言います。しかし、警官が袋の中をチェックすると、元のガラクタに戻っていました。マネージャーは人が望むプレゼントをコーウィンが出すことが出来ないことを証明しようとして、彼に1903年のヴィンテージもののチェリー・ワインを出すように言います。コーウィンはすぐにそれを袋から出します。解放されたコーウィンが街を歩いていると、そこにトナカイと橇が待っていました。そこにいた妖精がコーウィンに早く乗るように言い、二人は橇で夜空に消えて行きます…
というストーリーでした。まあ他愛ないですが、クリスマスらしいお話でした。
エドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」
エドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」を読了。1978年に出た有名な本で、数年前に購入しておきながらなかなか読む機会が無く、今回やっと読了しました。
「オリエンタリズム」というのは本来は西欧の美術や文学における「中東趣味」のものという意味ですが、サイードはここでは西欧の中東学者に共通してみられる非科学的な偏見、思い込み、蔑視といった態度のことを指して使っています。
読んでいてずっと違和感を禁じ得なかったのが、サイードがオリエントという言葉の意味をほとんどが中東地域を指す言葉で使いながら、時に都合のいい時にはそれをインドや中国、日本他を含むものとして使っているということです。(英語でOrientと言えばどちらかというとアジア人を指すことが多いです。)西欧の中東への蔑視と同じ構造で、(1)西欧+中東のアジア蔑視(2)中東のアジア蔑視という2つが考えられ、サイードは手を変え品を変え西欧の中東蔑視を論じていますが、一度もこの(1)、(2)のアジア蔑視については中東を含まない形では論じていません。そういう公平さの欠けた議論によって、穿った目で見れば、単なる中東地域のひがみのような議論に聞こえ、本来有るべき文化の相対性原理の主張という点が弱くなっているように思います。
またこの本によって文化人類学がその方法論について見直さざると得なくなり、学問としての勢いが弱まったというのを、Eigoxの文化人類学者である先生から聞いたことがあります。しかし例えばイギリスの文化人類学が植民地をより良く統治するという目的で研究されていた、というのは周知の事実であり、中近東の研究がサイードの言うような偏見や先入観に彩られているとしても、それはそういう研究を見直す良い機会であり、決して文化人類学の方法論が否定されるようなものではないと思います。
サイードのこの本を読む前に、ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」を訳していて思ったのは、中世イタリアのコムメンダが、イスラム地域のムダーラバ契約の影響で生れた、と言うのが既にヴェーバーの時代に主張されているのですが、ヴェーバーがまったくそれに触れていないということへの疑問です。まあヴェーバーの頃は、オスマン帝国の弱体化-崩壊の時代で、イスラム圏への蔑視が頂点に達した時であり、ヴェーバーといえどもそういう偏見から100%自由であることは出来なかった、ということなのだと私は理解しています。