PLC86超三結アンプの波形(方形波)

超三結アンプの入力にファンクションジェネレーターでの方形波を入れ、それをオシロで見てどうなっているかを見てみました。50Hzから始まって上は40KHzまで撮っています。スピーカー端子には6Ω50Wのダミー抵抗を付け、それに並列にプローブを当てています。他と比べた訳じゃないので、この波形が良いのか悪いのか判定が出来ませんが、ただ非常に小さな出力トランスを使っている割りには低域は健闘しているんじゃないでしょうか。

デジタルオシロスコープ+ファンクションジェネレーター


真空管アンプの測定用に、両方中華製ですが、デジタルオシロスコープ+ファンクションジェネレーターを買いました。オシロを使うのはまったくの初めてで、おまけに日本語のマニュアル無しです。幸いなことに、機能とデザインがテクトロニクスの1番安いのとほぼ同じようなので、テクトロニクスのマニュアルを見ながら使おうと思っています。最初、1,000Hzの校正信号を表示させてみたら、盛大にリンギングが出て、何じゃこれは、と思ったのですが、単なるプローブの容量を調整していないだけでした。取り合えず超三結アンプにつないで正弦波を入れて表示させることは出来ました。

KT150を全段差動プッシュプルで聴く

これまでTUNG-SOLのKT120、150、170をシングルアンプで試しました。この中では150が今の所一番いいと思い、2本買い足して、KT88の全段差動プッシュプルアンプに挿して聴いてみました。これはヤフオクで個人の方から買ったものですが、回路図を見ると、電源トランスのヒーター用の巻線の容量は6.3V4A(KT88を2本分)なので、余裕はありませんがまあOKと思いました。結果的に問題無く鳴りました。電源トランスのカバーの温度ですが、ギリギリ手で短時間なら触れるくらいに収まっていますので、おそらく50℃くらいで、まあ何とかという感じです。
で音はというと、私的にはやはりシングルアンプの音の方が好みですね。全段差動プッシュプルの音はとても端正なのですが、それが何だか半導体アンプに近付いたみたいで、真空管アンプらしさが減じているような気がします。また定位とか音像表現がいいと言う人がいますが、全段差動の理屈を知っていると、何だか人工的に作られた音像・音場ではないかという気がします。まあシングルアンプに比べていい所は、強音でも音がクリップしないことですね。ただプッシュプルだからといって全段差動の場合は出力がシングルアンプの倍になる訳ではなく、出力そのものはシングルアンプとほぼ同じです。
ちなみにこのTUNG-SOLの真空管はブランドはアメリカですが、製造はロシアです。なので早めに買っておかないと、ロシアへの経済制裁の逆制裁で買えなくなるんじゃないかという気がしたのも慌てて色々買いそろえた理由の一つです。

白井喬二の「麒麟老人再生記――久米城クーデター余聞」

白井喬二の「麒麟老人再生記 ――久米城クーデター余聞――」を読了。白井喬二が死の前年の1979年に書いた絶筆です。ぎょうせい、から出ていた「ふるさと文学館」の鳥取編に収録されたものです。読む前は89歳という年齢から軽いエッセイだとばかり思っていましたが、どうしてどうして立派な小説でしかも非常に面白い名作でした。米子藩の付属の小藩の隠し家老で荒尾勝宏という67歳の武士が、本家のお家騒動のとばっちりで浪人となり、自身が20年前の島原の乱の時捕虜にしたものを解放し、送って旅をします。その途中でその者を引き取りに来た姉の役者をしていた十朱太夫と知り合い、その芸を見て一目惚れし、…という話です。89歳の人間が67歳の人間の「老いらくの恋」の話を書くというのもすごくて、白井喬二先生、ちっとも枯れていないのが分かって嬉しくなりました。この老人は自分の藩の隠し砦を自ら設計して建築し、それを30年以上守ってきた人ですが、実ははっきりとは書いていませんが、剣の達人で色んな因縁で命を狙ってくる者を簡単にではありませんが、傷つきながらも次々に倒して行きます。その結果、本藩より武芸指南のスカウトの声がかかり御前試合が行われますが、十朱太夫との恋に命をかけていた老人は主君の前で…という話です。何というか主人公の老人の飄々としながらも筋を通し、若さを取り戻していく様が何とも言えずいいです。やはり白井喬二はいいな、と改めて見直しました。

NHK杯戦囲碁 一力遼9段 対 河野臨9段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が一力遼9段、白番が河野臨9段の対戦です。布石で黒は懐かしい低い中国流でした。ただ昔とはかなりその後の打ち方が変わっています。この碁の焦点は下辺から左下隅にかけての攻防で、黒は右下隅と左辺の厚みをバックに下辺の白に鋭く仕掛けて行きました。黒が左下隅で覗いてここを手にしに行きました。白が最強に応じると劫になる所でした。しかしその最中に白が下辺の黒に当てを打ったのが余計で、黒が継がずに左下隅から這いを打ったのが機敏でした。これでも劫になりますが二段劫で、白からの解消に2手かかります。白は下辺の黒を封鎖しようとする手を打つ、劫材作りに右上隅に手を付けましたが、黒に白2子を打ち抜かれ、3手かけてた左下隅が黒地に変わり、また右上隅の白も黒から打てば劫残りで、黒が大きくリードしました。その後白は中央を大きくまとめるなどして挽回しましたが、元の損が大きすぎ結局黒の3目半勝ちに終わりました。一力9段はNHK杯戦の出場が8回でその内6回で決勝に進出、そして2回優勝です。3回目の優勝が見えて来ました。

スパークキラーの自作

自作真空管アンプ用に、岡谷電機のスパークキラーS1201を買おうとしたら、何故かどこのオンラインショップでも在庫無しで、納期が5月~8月とかです。仕方が無いので自分で作ります。スパークキラーといっても、単に抵抗とコンデンサーを直列につないだものなのですが、いざ自作しようとすると抵抗のW数とか、コンデンサーの耐圧が気になります。岡谷のデータシートを見た限りでは、抵抗は120Ω、コンデンサーは0.1μFでした。それで定格ですが、まずこのRC直列回路のインピーダンスを求める必要があります。式は左の通りですが、計算サイトがありますのでそれを利用すると、31.8KΩになりました。AC100VでI=V/Rから電流を求めると3.1mAになりました。この場合W数は100X0.0031=0.31Wになりました。であれば抵抗の定格は1/2W(0.5W)が最低限になります。またコンデンサーは岡谷のデータシートではAC150Vになっています。

結論としては、
(1)抵抗 120Ωで1/2W以上 カーボン抵抗が最低限。(出来ればもっと余裕を持たせた方がいいです。1/2Wより高い定格のを使う場合は金属皮膜抵抗とかになります。)
(2)コンデンサー 0.1μFで耐圧AC150V以上(出来ればAC200V) フィルムコンデンサーか積層セラミックコンデンサー
となります。
ただ、残念ながら抵抗もコンデンサーも1本だけ売ってくれる奇特なショップはないので、結局10本とか25本の最小購買数での購買になり割高になります。岡谷のS1201は通常100円くらいで一個から買えますので、こっちの方が安いです。

なお、取付位置ですが、電源トランスの入力側の0と100Vの端子につなぎます。スイッチに並列にするつなぎかたもありますが、上記の通りわずかですがスイッチをバイパスして電流が流れますのでいわゆる待機電力を消費しますし、またリレー等を使っている場合は誤動作する可能性があり、望ましくありません。

実際に私が買った抵抗とフィルムコンデンサーです。十分過ぎる余裕を持ったのにしています。

 

 

 

 

実際にアンプに実装したのはこんな感じです。このアンプでは大容量の電解コンデンサーが使われていてかなりの突入電流が予想されるので、0.1μFのフィルムコンデンサーを3つ並列にして0.3μFにして使っています。

真空管アンプにおける間違った両切り(スイッチ)

ちょっとKT150を使ったシングルアンプを探していたら、左のような回路図がありました。この会社のアンプでは電源スイッチに2極のスイッチを使って、いわゆる「両切り」にしたつもりなのかもしれませんが、残念ながらこれは「間違った両切り」です。一見すると2極のスイッチを使い、並列の2つの回路でスイッチを入り切りしているので、スイッチの負荷としては1接点当たり1/2になって信頼性が上がる、と多分思われているのだと思います。しかしこの考え方は間違いです。何故かというと2極のスイッチの場合、接点の開閉タイミングが両方で完全に一致するということはなく、どちらかの極の接点が先に開閉しますので、アークはそこで発生し、常に片側の接点だけが損耗して行くということになり信頼性が向上することはありません。(片方の接点が損耗した結果、ON-OFFタイミングがずれ、今度はもう一方の接点が先に開閉することになるという可能性もあるので、まったく意味が無い訳ではありません。)

正しい「両切り」とは、左図のように回路のライブ側(信号側)とニュートラル側(グラウンド側)の両方を一度に開閉することを言います。(この場合、2つの極の開閉タイミングが正確に一致する必要はありません。)これをする理由は床が濡れていた場合など、機器のグラウンドから漏れた電流による感電を防止することです。この場合濡れた床から人体を通じて機器に戻るという回路が出来る可能性があるので、グラウンド側の回路を明示的に切断することで感電防止になります。なので家の中の電灯用のスイッチでも浴室など水回りで使う場合は必ず両切りになっています。

WE300BよりKT150、170


KT170をずっと聴いていますが、やはりいいです。私の環境と機器、私の良く聴くソースでという限定ですが、どちらがより好ましい音を出すかと言われたら、ウェスタン・エレクトリックの300BよりTUNG-SOLのKT150、KT170です。まず低音に関しては圧倒的にKT150、KT170の方がいいです。十分に低域まで伸びて、しかもダンピングの利いた引き締まった低音を聴かせてくれます。中高音についてはどちらにもいい所がありますが、音の粒立ちの明確さという意味で、KT150、170の方が私好みです。分解能の点でもこのソースにこんな音が入っていたのかという感じです。音場・音像も良く、もっともこれはデュアルモノという構成による部分がありますが、いわゆる「前に出て来る音」です。もちろんアンプによる差というのが大きいですが、私の所ではどちらもエレキットのものをAmtransパーツに一部変え、ルンダールのトランスにしている、という点で同じです。それからコストパフォーマンスでは圧倒的にKT150、170が上回ります。2021年度に出たウェスタン・エレクトリックの復刻300Bはペアで23万円なのに対し、KT170はペアで3万ちょっとです。問題点は、ヒーター電流が大きいので、単純にはKT88用アンプでは使えないということですが、私みたいにデュアルモノでやるとか、あるいはヒーター専用のトランスを足すとか、色々と対策はありますし、何よりこれから色々なアンプが出て来るでしょう。

KT170もポチる


KT150の音がとても気に入ったので、この辺でそろそろ打ち止めにすべきでは、と思ったのですが、好奇心に逆らえず昨年発売されたKT170もポチりました。写真の左からJJ製12AU7、KT120、KT150、KT170、そしてPSVANEのWE300B(サイズの比較用)です。KT170は150から更に形状が変わり、高さは300Bとほぼ同じで、横は300Bより大きい巨大な管になりました。KT120はまだKT88風ですが、ここまで来ると全く別の管です。ちなみにetracerで、KT120用の設定で測定した時のプレート電流は、KT120が140mA、KT150が160mA、そしてKT170が170mAになりました。120→150→170の順で低域の締まりとダンピングが良くなります。ただ170はまだ今日届いたばかりでエージングが出来ておらず、女性ボーカルの艶とかがイマイチです。何度も書いていますが、これらのいわばスーパーKTシリーズはヒーター電流が2AとKT88の25%増しになっていますので、KT88用のアンプにそのまま挿すと最悪電源トランスが焼き切れます。某サ○バ○ーの色んな出力管が使えますと言ってKT150もOKですとしているアンプ、電源トランスのヒーター用巻線の容量は2本で4Aでした。ということは定格ギリギリでかなり危ないです。私がこれらの球でシングルアンプを作るなら、左右独立電源にして、電源トランスは2台にします。6.3Vで5Aが取れる電源トランスは春日無線等で売っています。あるいはヒーター専用のトランスを設けるかです。

河口俊彦の「大山康晴の晩節」

河口俊彦の「大山康晴の晩節」を読みました。最初にこの本が出たのは2003年だったと思いますが、その時読んでいるのでおよそ20年弱ぶりの再読です。この本のことが思い出されたのは、最近羽生善治9段がついにA級から陥落したという報道があり、改めて69歳で亡くなるまで実に44期もA級在籍を続けた大山康晴名人のことが思い出されたのと、その大山名人に風貌が似ているとされる渡辺明名人が王将戦で藤井聡太竜王に敗れたなどで、大山名人のことについて改めて知識を新たにしたいという気持ちがあったからです。
タイトルの「晩節」ですが、この言葉の本来の意味は人の人生の最後の時節ということでニュートラルな表現ですが、「晩節を全うする」という言い方はほぼ死語になりつつあり、一方で「晩節を汚す」は政治家などのスキャンダルなど今でも良く使われる表現です。なのでこの本の記憶は、大山名人がいわゆる番外戦術を駆使したやり方や盤上の露骨なNo.2つぶしなどが先に立ち、どちらかというと「晩節を汚す」的な印象を持っていました。ところが改めて読み直してみて、むしろ死を翌年に控えて順位戦で好成績を残し挑戦者決定戦にまで進んだことや、三度目の癌による入院の直前まで対局を続けた姿に素直に頭が下がりました。確かに加藤一二三と最初に名人戦で戦った時の最終局の最後の場面など、あまりにも露骨で嫌になりますが、おそらく大山名人自身もそのような仕打ちを先輩棋士に受けながら、それを跳ね返して名人になったのだと思います。
今は将棋界は藤井聡太五冠の大ブームの最中ですが、藤井5冠が50歳を過ぎても大山名人のように勝ち続けられるだろうかという点については疑問に思います。AIに人間が勝てなくなった時代だからこそ、大山名人や升田幸三名人の将棋の価値が改めて見直されるのだと思います。